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王の剣士 七

<第三部>

第五章『地平の燎火』

二十九

 


 誰もそんなことは言っていない。
 誰も見ていない。
 だからそれは、真実ではないのだ。


 皮膚の下に、毛細血管のような木の根が潜り込む。
 筋膜を破り、筋肉に達する。
 痛みに視界が灼ける。
 けれど意識を支配する痛みは、それとは違う。


『王は死んだのだ』


 ――嘘だ。
 ベルゼビア自身が『選べ』と、そう言った。
 それは取りも直さず、王が今も尚、レオアリスの剣の主だからこそではないか。
 何も変わっていないからこそ、王か、ファルシオンかを


『王は――』


 右の剣は無い。




 抑え切れず上がった苦痛の叫びに気付き、アルジマールは顔色を変えた。
「駄目だよ! それ僕がやるんだから!」
「殴るぞてめぇ!!」
 クライフが怒鳴り、エアリディアルは驚きに瞳を見開き、蒼褪めた面でアルジマールを見つめた。
「ごめん、心の声がだだ漏れた」
 特にエアリディアルの眼差しに耐えきれず、アルジマールは残念そうな息を吐き、改めてベルゼビアを睨んだ。
「ベルゼビア公を甘く見てた」
 ここまでベルゼビア自身が動くことは、想定していなかった。
「院長! あれでも剣出さない方がいいってんですか!?」
「外部からの傷なら僕が治してあげる」
 掴みかかりそうなクライフの肩を軽く押し、アルジマールのその指先が宙に、すうっと動く。光が筋を残し、動きに合わせて手鏡ほどの法陣円を描き出す。
 その円に、アルジマールは無造作に手を突っ込んだ。
 法陣円の裏から手は現われず、代わりにレオアリスを捕らえる木の根の真横から、幅一間もある巨大な光の手が出現し、緩やかに指を広げた。虹色に移ろう光の粒子が創り上げた手だ。
 その指が木の根を掴む。
 レオアリスの腹部に食い込んでいた根が、縫い止められたように止まる。木の根の動きそのものが、ぴたりと止まった。
「仕切り直そう――乱暴なことされちゃ困るよ。大将殿の選択が、貴方に何か影響を与えるかい? そんなことないと思うけど」
 アルジマールは目深に被った頭巾の下から、瞳の位置に虹色の光を揺らめかせる。
「僕が思うに、貴方は陛下に、自らの上に立つものとしての役割を求めていたんだと思う。絶対的な、揺るがない存在として。まあちょっと理想的な言葉すぎるかな? でも、だから貴方は半年前だって、自分に似た衝動と欲求を持ったトゥレス大将に手を貸したんだろう?」
「言葉遊びをしたいのか?」
「そうだね。だって言葉で遊ばなきゃ測れない。貴方みたいにね、行動だけで示されたらみんな困っちゃうんだよねぇ。自分を従えたいなら相応の力を示せって、面と向かって伝わるように言わなくちゃ」
 ベルゼビアは苛立ちを隠さず笑った。
「相も変わらず、胡乱さは天下一品だ。不快極まりない」


 痛みに混濁しかけていた意識がはっきりしてくる。侵食の止まった安堵に、浅い息を繰り返す。
 レオアリスは絶え間ない痛みの中辛うじて目を開け、光る手を捉えた。ベルゼビアの操る木の根とアルジマールの創り出した光る手の力が、ぎりぎりで拮抗しているのが判る。
(剣――)
 温存しろ、と、アルジマールの言う理由は理解できる。右の剣はまだ形成されていない。そんな中でもう一振りの剣を使い続ければひずみが起きる。
 けれど、この先確実にあるナジャルとの戦い――その為に温存しようとしたところで、今ここを越えられなくては、何の意味もない。
 レオアリスが本当に為すべきは、剣の主をこの剣を以って守ることだ。
『どちらを選ぶ』
 王か、ファルシオンか。

 王か。

 ファルシオンか――?

(選ぶ必要なんてない)
 簡単なことじゃないか。そう、とても簡単なことだ。
 王も・・ファルシオン・・・・・・も失わず・・・・どちらも・・・・この剣で・・・・守ればいい・・・・・――
(違――)
 目眩がした。
 違う。
 違わない。
 違う。
 レオアリスはまだ根の絡み付く右手を上げた。
 いや、上げようとしたが、僅かに動いたのみだ。
 じわりと、青白い陽炎が身体を包む。
 気付いたベルゼビアが指先を動かす。木の根が、アルジマールのに掴まれながらも、伸びる。鳩尾を覆う痛みが再び増し、レオアリスは呻いた。
「クライフ君! 剣拾って!」
 アルジマールの声が響く。
 クライフはその前にアルジマールの防御陣を蹴り出て全力疾走している。走りながら身を屈め、床に落ちていた剣を拾い、木の根――今や幹のように絡み合い立ち上がっているそれへと、踏み込んだ。
「いい加減、放し――」
 腰撓めに体幹を捻り、疾走の勢いと筋肉の発条ばねを乗せ、剣を渾身の気合で薙ぐ。
「やがれ……ッ!」
 振り切ったアルジマールの剣は、絡み合う根を、紙を裂くように刈り取った。幹と見紛う木の根の上部が、斜めに滑る。
 切れ味にクライフがギョッと身を引いた。
「何これ、出力おかしくねぇっすか!?」
「当然だよー、さすが僕の剣! やっぱり大将殿が使うより本来の切れ味が出るね」
 の支えを失い、レオアリスの身体ががくんと落ちる。だが、まだ絡み付いた根はレオアリスを捕らえたままで、根が喰らい込んだ鳩尾の痛みにレオアリスは眉を寄せた。
「ぐ――」
 青白い光が一瞬、レオアリスを捕らえる木の根を内側から発光させ――、次の瞬間には霧散するように砕けた。
 レオアリスは床に崩れるように落ち、手をついて押し上げるように身を起こした。血が手足を伝い床を濡らし、けれど傷はすぐに乾いていく。
 剣は顕していない。
 レオアリスを見て、アルジマールは嬉しそうな顔をした。
「剣を取り出されないでよかったねぇ」
 その顔を振り返り、レオアリスが荒い呼吸と共に呟く。
「――やっ、ぱり、胡散臭い」
「えぇ……」
 眉を悲しそうに下げ、だがアルジマールとレオアリスは同時に周囲を見回した。
 大理石の砕ける音と共に、床が至る所で捲れ上がり、次々と木の根が這い出てくる。無数のそれらが床の上を蠢き、四方に這った。
「わあ、しつこいなぁ。これ以上やったら城が丘ごと崩れちゃうよ」
 アルジマールが指先を上げる前に、レオアリスは踏み出した。
「クライフ、剣を貸してくれ」
「えっ、駄目だよ――」
 手を振りかけた目の前で、クライフの投げた剣をレオアリスが掴み、アルジマールは諦めてその手を下ろした。
 レオアリスは一つ、ゆっくりと呼吸し、次の瞬間床を蹴った。
 エアリディアルとスキアへ伸びた根を、踏み込んで断ち切る。身を捻り、アルジマールの足元に這い寄った根を断つ。
 再び床を蹴って跳躍し、クライフの背後に立ち上がったそれを、斬り裂いた。降り立ち、ぐっと唇を噛む。
 踏み込み、剣を薙ぐごとに、周囲を囲まんと伸びる根を悉く断つ。次々這い出ていた根が、瞬く間に数を減らしていく。
 レオアリスは溜めていた息を一度吐き、
「クライフ――」
 更に踏み込む。窓を背にして椅子に腰掛けたままの、ベルゼビアへ――
 ベルゼビアの前に、木の根と、石の盾が同時に立ち上がる。何重もの防御柵を思わせる。
 レオアリスは左足で踏み込み、上半身を乗せるように、勢いをそこに一度、溜めた。
「院長、耐えますね――?」
「えぇ」
 レオアリスの纏う青白い光が、刃を螺旋に覆う。
 前傾の姿勢を起こすと同時に、斜め下から、剣を振り切った。
 剣はレオアリス自身のそれを彷彿とさせて輝き、生じた剣圧が床を砕き、木の根と石の盾を地面ごと断ち切り、窓際のベルゼビアへと迫った。
 ベルゼビアの頬に一筋、血の筋が浮かぶ。
 そのまま背後の窓と壁を砕き、城の建つ丘の斜面を削り、夜空へ奔った。


















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2019.12.15
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