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王の剣士 七

<第三部>

第五章『地平の燎火』

二十八

 
 西の地平に落ちていく太陽の光を、最後の瞬間まで、ベルゼビア軍の兵士達は無言のまま見つめていた。
 第三大隊大将――今はベルゼビア軍総大将副官エルトマは、総大将マンフリートの天幕を出るとそこに控えていた副官や中将等へ命令を下した。
「王都軍を、迎撃する」
 副官や中将達、ベルゼビアに属するイェール伯爵及びネルソン男爵等の警備隊長、そして伝令兵達の内心をエルトマは感じ取れるように思えたが、それに対する思いを飲み込み、命令を続けた。
「まずは現陣形を保ち、三列目までは盾、四五列は長弓斉射態勢を取らせよ。王都軍は落差を迂回せねばならん、近接までまだ間がある」
 部下達が右腕を胸に当てる。
「その上で、近接しても次の指示があるまで、決して動くなと伝えよ」
 三人の中将、警備隊長、伝令兵等が宵闇の落ちた陣営を足早に離れていく。
 それを見送りながら、エルトマは肩が落ちていたことに気付き、六尺を超える体躯を伸ばして息を吐いた。
 この半年ずっと――、特にこの数日、ずしりとし掛かっているものは、気が付けばエルトマの肩を押さえ付けて背中を丸めさせている。
 いよいよだ。
 いよいよ衝突を避けられないという思い、そして可能であれば今でさえ、衝突を避ける道はないのかという想いが、エルトマの中でまだ鬩ぎ合っていた。
 兵達も同じ想いだろう。
 彼等がベルゼビアにつくことを選んだのは、第三大隊の多くの兵の妻子や家族、恋人、友人がヴィルヘルミナやこの地域に暮らしているからだ。
 ベルゼビアが叛旗を翻せば必然的に、そこに暮らす彼等はその叛徒となる。
 ただ、それだけが理由ではなく、やはりヴィルヘルミナの街への愛着があり、そして少なからずこれまでのベルゼビアの庇護に対し、恩義を感じていたからこそだ。
 基本、正規軍兵も生まれ育った土地を管轄する部隊に配属される。その為彼等の敬意は王都――国王よりも、直接その地を所領する領主へ厚いことが少なくない。
 王都との物理的距離にも影響を受ける。
 王都守護部隊である第一大隊は当然のように王都への帰属意識が高い。第二大隊も距離的に王都にも近いことから、今回のように領主が離反しても正規軍がそれに倣うということはなかっただろう。
 第三大隊ともなると、王都との物理的距離はおよそ三百里、馬の移動でも十日はかかる。
 一生、王都の影すら見ない者も少なくない――ほとんどの者がそうだと言っていい。
 だからこそ、末端の兵卒になればなるほど、領主へより共鳴する傾向は強かった。
 この道を選んでからずっと、エルトマは迷い、葛藤し続けていた。当然、ミラーに、タウゼンに、アスタロトに剣を向けている事実を考えれば忸怩たる思いに駆られる。
 そして何より、正規軍との衝突を避けられれば、と、エルトマはそう願い続けてきた。
 それが今更あり得ないことだとも理解していたが、兵達をむざむざと死なせたくはない。
(この軍は寄せ集めだ。正規軍およそ四万に抗しるべくもない。開戦すれば、この一晩持たないだろう)
 ただ意外だったのは、寄せ集めの兵力を率いてベルゼビアに従った諸侯――イェール伯爵及びネルソン男爵は、この状況の前に逃げ出すと思っていたのだが、未だヴィルヘルミナにとどまっていることだ。
 そこに表れているように、ベルゼビアは酷薄さや冷酷さが性質として目立つが、領地経営においては敬意を集めてもいた。
 当然、国家樹立の基礎となった四家への敬意と、その所領下に生きる領民としての誇りもある。
 それでも尚、どこかの時点で、ベルゼビアが矛を下ろすことを願っていたのも確かだ。
 だから止まって欲しい。
 この期に及んでまだそう願う自分が愚かしく身勝手であることを自覚しつつ、エルトマは、自らも兵達と共に最前線に身を置く為に兵列の中を騎馬で前方へ向かった。






「中央及び左翼は陥没地を西から迂回、右翼は東へ迂回し東に待機する分隊と合流する。竜騎兵は陥没地中央地点より、十間手前で待機」
 アスタロトの指示のもと、兵達は歩兵も騎兵もみな足並みを揃え、川面かわもを埋め尽くした花びらが流れるように進んでいく。
 ベルゼビアの落とした地は落差が最大で一間、騎馬では降りられず前進の妨げになったが、一方でベルゼビア軍との戦闘の緩衝材ともなっていた。
 今はそれが有難い。
(レオアリス、アルジマール、早くお二人を連れて戻れ)
 王妃とエアリディアル、二人が無事戻ること。
 それだけが、この戦いを止めることができる。
 アスタロトは唇を引き結び、揺れる騎馬の上で前を見据えた。






 日没――
 ベルゼビアの背後で陽光を失った窓を視界に収め、レオアリスは青白い陽炎をその身に纏わせた。
 レオアリスの周囲は床の大理石が捲れ、石の槍を十重二十重に突き出している。陽炎は囲む石の槍を一度、ゆらりと揺らした。
「大将殿!」
 アルジマールの声はレオアリスの状態に起因した制止を含んだもの――剣を使うなとアルジマールから忠告されたのは、ほんの数刻前のことだ。
 それに対し、レオアリスは振り向かず、短く返した。
「王妃殿下を、院長」
 その声に何を感じ取ったのか、アルジマールは一旦口を閉ざし、頷いた。
「……分かった、先にお二人を転位させ――」
「甘い考えだ、アルジマール」
 低い声にアルジマールは視線を向け、唸った。
 王妃が座る寝椅子が、沈んで・・・いる。
 同時に床から幾筋もの石でできたかいなか、或いは繭のように寝椅子ごと王妃を覆い隠していく。
「お母様!」
 駆け寄ろうとしたエアリディアルを、クライフとスキアが前へ出て制止した。
「院長、早く転位を」
「いや、転位はちょっと、不味い」
 王妃の姿が見えず、かつ半ば沈んだ状態――境界が曖昧な状態では、転位は生命の危険を伴う。
 レオアリスはベルゼビアを睨んだ。そこに怒りが踊っている。
「王妃殿下を、解放しろ」
 もう一歩踏み込んだ瞬間、床は十重二十重に立ち上げていた石の槍を、一斉に打ち出した。
 レオアリスの手にした剣が鋭く風切音を纏って流れる。
 周囲を包んでいた石の槍は、同時にその尖端を断たれた。確かにそれらが石からできているのだと示すように、断たれた尖端は床の上に重い音を立てて落ちる。
 だが残ったは止まらず、平らになった断面で標的を押し潰そうと迫る。レオアリスは退かず、更に踏み込み、正面の数本を切り裂いて前へ出た。
 ベルゼビアとの距離はあと僅か一間、一瞬の踏み込みで切っ先が届く間合いだ。
 その距離でさえベルゼビアは、冷笑を浮かべた。
「ファルシオンに何を求めている」
 構わず踏み込み、剣を薙ぐ。
 ベルゼビアの前に石の盾が生じ、剣を受ける。
 劇場で舞台でも眺めているかのように、ベルゼビアは椅子に坐したまま双眸を細めた。
「お前自身は何を求めている」
 レオアリスは答えず、代わりに身を包む青白い陽炎が光を増した。剣が、己が刃をとどめていた石の盾を、易々やすやすと断つ。
 瞬間、足元から槍が立ち上がる。レオアリスの腕や肩、上半身を掠め、退いた足元を新たな血が濡らした。
 だが石の槍もまた断ち切られ、落ちている。
 既に何度となく剣を振るったにも関わらず、アルジマールの与えた剣は未だその刀身を輝かせたままだ。
 その剣を見透かし、ベルゼビアの昏い双眸がレオアリスを捉えた。
王の剣士・・・・。お前はお前が剣を捧げる主を、ファルシオンに求めるのか? 甘んじると? まあそれも良い」
 口元に冷酷な笑みを滲ませる。
「王が死んだ以上、剣が新たな主を求めるのは道理だろう」
「黙れ!」
 レオアリスは打ち返すように叫んだ。
「――生きてる! 適当なことを言うな!」
 その声に、クライフははっとしてレオアリスを見た。
 まるで頑是無い子供の叫びだ。
 クライフの視線の先のレオアリスは背を向け、だが心情を表すようにその身体を包む青白い光が不安定に揺れている。
「上――」
 納得しているのだと思っていた。
 誰も、明確には口に出さないが、それ――王の死を事実だと、理解していた。
 目覚めてから、レオアリスもまた、そのこと・・・・を一度も口には出さず――
(そんな訳、ねぇか……)
「王は死んだのだ」
 憐憫を含んだ声だった。
 次の瞬間には、レオアリスの剣はベルゼビアへ、振り下ろされていた。
 息を飲んだのはクライフだ。
 斬るのかと――普段のレオアリスならば、ぎりぎりまでベルゼビアを切らず捕えることを選択する――だが、一瞬でその驚きは別のそれに変わる。
 ベルゼビアの前に現れたのは、新たな盾だ。今までの石のそれではなく、何かの木の根――それが割れた床から覗いた土から這い出し、網の目のように複雑に絡み合い盾を作り上げていた。
 その網が剣を受け止めている。
 レオアリスは構わず剣を押し込んだ。鋭い刀身が折り重なった木の根の半ばまで食い込む。
 次の一息で断ち切ると思ったその時、『盾』がほぐれ、一呼吸の間もなく剣を伝い右腕に巻き付いた。
 木の根は鞭が巻き付くように、肩と、脚、胴――そして喉を捉える。
「上将!」
 クライフが剣を手に飛び出す。
 木の根はレオアリスを捕らえたまま急激に伸び、その勢いのまま対面の壁へと叩き付けた。再び持ち上げ、床へとしなる。迫る床に石の槍が剣山の如く生えた。
 エアリディアルが短い悲鳴を飲み込み、ベルゼビアを振り返った。
「やめて……!」
 串刺しにせんと待ち構えていた石の槍が、不意に平らに消える。
 次の瞬間、こそぎ取られた石槍はベルゼビアの頭上に現われ、降り注いだ。アルジマールの転位だ。
 べルゼビアに突き立つ前に、石槍が砂礫となって散る。
 串刺しこそ免れたものの木の根はレオアリスを床へと叩き付け、絡め捕ったまま再び宙へ持ち上げる。
 巻き付いた根が、じわりと締まる。握っていた剣が手から滑り落ち、床の上に高質な音を立てた。
「上将!?」
「大将殿!」
 指先が符印を描きかけた、そのアルジマール達の足元――エアリディアルの周囲に、同じ木の根がぼこりと持ち上がった。四人を絡め捕ろうと捩れながら立ち上がった根が、アルジマールの張った防御陣に弾かれる。
 だがそのまま四人の乗った床ごと、持ち上がる。下からぞろりと周囲へ這い出たのは、同じく木の根だ。
「――、っ」
 レオアリスは半ば朦朧とする意識の中、視線だけをエアリディアル達へ向けた。体を覆う痛みに奥歯を噛み締める。
 複数の根が手足と胴と、喉を捕え、顔を巡らせるのでさえ困難だ。
 打ち付けられた痛みがどくどくと全身を巡っている。
(――剣を)
 アルジマールの剣ではなく、自身の。
 だが、腕は木の根によって縫い留めたように固定され、力を込めても僅かに揺れるのみだ。
 ベルゼビアは薄い唇を笑いの形に歪めた。
「剣が必要か――? だが王を主とする剣と、ファルシオンを主とする剣、異なるのであればいずれか一振りは要るまい」
 選べ、と。
 自分の意思ではなく、腕が動く。
 手のひらが鳩尾に触れる。
 だが、それ以上指先すら鳩尾へ沈まず、ベルゼビアは片眉を上げた。
「やはり無理には取り出せんものだ――」
 腕に絡んでいた木の根の、その先端が鳩尾へ、容赦なく突き立った。
 競り上がった呻きを堪え、レオアリスは苦痛を噛み殺した。
「どちらが不要か、早い内に言わねば、無駄に苦痛が長引くぞ」
 木の根の先端から毛細血管のような細い根が、鳩尾の皮膚の下へと、潜り込む。
 堪えていた喉が仰け反り、苦鳴が零れた。

















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2019.12.8
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