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王の剣士 七

<第三部>

第五章『地平の燎火』

二十六

 
「――ッ」
 それがどういう意図か、スキア自身が今何故・・この広間に・・・・・いる・・のか――考えるべきは今ではない。
 スキアは喉元に当たる短剣を奪い取り、身を翻した。
 虚を衝かれたオブリースへ飛びかかり、馬乗りにオブリースを押さえ首に切っ先を突き付ける。
「王女殿下、お下がりください!」
「スキア!」
「貴方も下がって!」
 ブラフォードが自分のことと捉えなくても、そこまでは構わない。
「王妃殿下の術を解け! でなければこのまま首を掻き切る!」
 突き付けた短剣の刃が躊躇なく、術士の皺を刻んだ喉に薄く血の筋を浮かべる。
「早くしろ!」
 しわがれた笑いがオブリースの喉から漏れた。
 はっと視線を落とした先で、オブリースの身体の下の床が黒く歪む。
 スキアは咄嗟にオブリースの喉に短剣を突き立てかけ、切っ先が掠める寸前で黒い塊に身体ごと弾かれた。
 身を捻り、床に叩き付けられる前に体勢を取り戻して膝をつき、素早く上体を起こす。
「何――あれは」
 オブリースの周りに黒く、布にも見える触手――帯が揺れながら立ち上がっている。
 オブリースはスキアとエアリディアルとの間に進み出た。帯はその一本をゆらゆらと身を揺らしたかと思うと、直後、硬質な刃のように伸びた。
 身を捻ったスキアの左肩を掠め、赤い血が床を濡らす。
 スキアは短剣を片手に腰を落として身構えた。
「スキア、無理をしてはいけません! わたくしは大丈夫、逃げなさい!」
「いいえ! 殿下こそ、鳥籠を持ってお逃げください! すぐに」
 すぐにミラーの救援がその鳥籠を目指して来るのだと、エアリディアルへ促す。
「王妃殿下と――!」
 エアリディアルは唇を引き結び、ぱっと駆けて、床に転がったままの鳥籠へ手を伸ばした。
 金糸雀が戻らなければ、エアリディアル達がどこにいるか、伝わらない。
「その籠――、触媒だな」
 オブリースの黒い帯もまた、鳥籠へ伸びる。
 エアリディアルの手が銀の金輪を掴む前に、黒い帯は鳥籠を弾いた。
「あっ!」
 エアリディアルと、スキアと、オブリースの視線が跳ね上げられた鳥籠に集まる。
 天井近く――
 エアリディアルは瞳を見開いた。
 鳥籠の中は空だ。
 オブリースははっと、鳥籠のさらに向こう、天井を見上げた。
 口の中で毒突き、速い術式を唱える。
 一瞬、部屋の空気が一塊になったかのように、ぐうっと動き――、
 ついで城を包む空気そのものが軋み、水の皮袋が弾けるような音と共に、何かがばつりと弾けた。
 オブリースの顔が驚きと屈辱に歪む。
 消えたのだ。
 ヴィルヘルミナの城を覆っていたオブリースの防御陣が。
「おのれ」
 オブリースは蒼ざめた顔で天井を睨み、懐に手を突っ込んだ。
 その手が、ぴたりと止まった。
『――防御陣無力化、転位点固定と転位に加えてオブリースへの対処まで加わるとか――人使いが荒すぎる」
 高い天井付近に、光がぽつりと浮かんでいる。
 初め拳ほどの大きさだった光は見る間に広がり、円周は白く輝き、その中心は虹彩が渦巻いた。
「アルジマール! 貴様か!」
「僕より――」
 天井の虹彩へ、オブリースの帯が奔る。
 突き立つ直前で、触手は硝子を砕くように散った。
 そこから人影が、するりと落ちる・・・
 軽い靴音と共に、硬質な床を鳴らし、人影はエアリディアルの前に立った。
 エアリディアルは瞳を見開いた。
「あなたは――」
「剣士か」
 ベルゼビアは椅子にかけたまま、降り立ったレオアリスを忌々しく睨んだ。




「入った」
 グランスレイは丘の上の城を見上げ、それから森の中の近衛師団隊士百名を振り返った。
「行くぞ」
 アルジマールとクライフ、そしてレオアリスが消えた空間には、術の名残りが微かな虹色の靄のように漂っている。その横を隊士達が駆け抜け、遮蔽物の一切無い丘へと踏み込んだ。
 丘の上のヴィルヘルミナ城を目指し、駆け上がる。
 ほとんど同時に呼びが鋭く鳴り響く。
「五班に散開、中の警備兵を可能な限り引きつけよ!」
 グランスレイは自らの剣を抜き放ち、城から飛来した最初の矢を払った。
 落ちて行く太陽がほぼ真横に投げる光を、白刃が弾いた。




「入った――」
 と、アスタロトはグランスレイと同様、呟いた。
 太陽は今や沈もうとし、指定の開戦期限まではあとおよそ四半刻。
 無血での終結を目標に据えつつも、日没の期限を延ばす――譲歩する考えは現時点では無い。
 既に半年もの間、ベルゼビアの行為を据え置いてきた。ここで更に譲歩すれば、王都はどこまでも弱腰であるとの印象を植え付けることになる。
 王太子ファルシオンはやはり幼く、国主には足りないと。
 それは新たな争いの芽を芽吹かせる。
 だからこそ、日没を超えたくはなかった。
「あと四半刻、必ず戻れ」
 アスタロトは声に出し、丘の上のヴィルヘルミナ城を見据えた。




 レオアリスはエアリディアルを背後にして立ち視線を廻らせ、周囲の状況を素早く捉えた。この場にいるのはエアリディアル、法術士長オブリース、スキア。ベルゼビアは窓際の椅子に腰を掛けたまま、ブラフォードは扉側に、その前に二名の警備兵。
 そして黒い帯を揺らすオブリースの向こうの王妃。
 王妃とエアリディアルとの間は離れているが、それでもこの状況は上々だ。
「王女殿下――御身ご無事で何よりです。お二人を救出に参りました」
 オブリースの黒い帯の刃がレオアリスへと一直線に走る。胸に突き立つ直前で、それは先ほどと同じように砕けた。
「大将殿、オブリースの得意技はそのぐねぐねする帯と毒――性格が出てるよね」
 天井に開いた円から、クライフ、そしてアルジマールが続けてエアリディアルの横にすとんと降りた。
「僕に任せて」
 レオアリスは頷き、床を蹴って踏み込んだ。オブリースへ。剣は出していない。
 オブリースはアルジマールを忌々しく睨み、術を構成する符印を一つ、読んだ。
ハウラ
 レオアリスの足元から、八本の帯が花弁のように立ち上がる。
 標的を包み込もうとした帯は、半ばで動きを止めた。
 アルジマールが開いた手のひらを向けている。
 レオアリスは跳躍し、帯の檻を越えた。
カデナ
 着地前のレオアリスへ、四方の空間から黒い帯が奔り、手足を捕える。
「ッ」
 レオアリスの瞳に青白い光が滲んだが、手足を捕えた帯は一瞬にして霧散した。消したのはアルジマールだ。
それは無し」
 レオアリスは床に降り立ち、ちらりとアルジマールを見た。
「こっちの方が難題ですが」
「じゃあそれ・・使って」
 目の前に長剣が一振り、現われる。レオアリスはその柄を掴み、そのままオブリースへと薙いだ。
エスクド
 八本の帯がオブリースの正面で交差し、レオアリスの切っ先を弾く。レオアリスは弾かれた剣の柄を手の中で逆手に握り直し、再び踏み込む勢いを乗せ重なった帯の中心を突いた。
 切っ先は七枚目までを貫き、だがオブリースまでは届かない。
ボルティ――』
 オブリースは鼻先を歪めた。剣が帯を七枚縫い留め、開かないのだ。
 レオアリスは帯に突き立てたままの剣の柄を足場に、オブリースの身体を跳び越えた。王妃はもうすぐそこ、壁際に置かれた寝椅子の上に腰かけている。
 オブリースの背後に降り、再び床を蹴る。
カイダ――、リウビア
 黒い帯が掻き消え、直後に頭上からレオアリスへ、雨のように降り注いだ。咄嗟に後方へ退いて王妃から距離を取る。
 近付けばあの帯は王妃の身も傷付けかねない。
「院長!」
「完成した」
 オブリースの足元が虹色の方陣円を浮かび上がらせ、渦を巻いた。法術士の足が踝まで、沼地のように沈む。沈下は止まらず、抜け出そうと藻掻いたオブリースの身体は瞬く間に腰まで埋まった。
カデナ!』
 オブリースの身体に巻き付いた黒い帯が、方陣円の外の床に突き立ち、沈む体を引き留める。飲み込もうとする虹色の渦とオブリースの帯が拮抗して軋む。
「大将殿、妃殿下を――」
 アルジマールの声と同時に王妃へと身を返したレオアリスは、だが、一歩目で足を止めた。
 大理石の床が一瞬、小刻みに震えたかと思った直後、下からめくれ上がり、屹立した。
 鋭利な断面が飛び退いた左足の脹脛を掠め、血が散る。
 立ち上がったのは十数本の細く鋭利な石柱だ。
 正確に言えば、砕けた大理石の欠片も土も岩も全てを含んで石柱状になったもの。それは王妃の前に刃に似た壁を作り、固まった。
「!」
 右足を下ろしかけた床が剣山のように立ち上がる。
 僅かに体勢を崩しながらも、レオアリスは石が裂いた左足を逆に床に突き、後方へ跳んだ。床の上に血が滴る。
「上将!」
 駆け寄ろうとしたクライフは、エアリディアルの傍だと思いとどまった。視線の先でレオアリスが身を起こす。
「大丈夫だ」
 だが、これはオブリースの法術ではない。
「――東方公の――」
 ベルゼビアの、地を統べる力。
 窓際に向けた視線の先で、ベルゼビアは未だ腰かけた椅子から身動ぎもせず、鷹揚に笑みを浮かべている。
 その向こう、窓の外の空はほとんど、夕闇の青に染まりかけていた。



















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2019.11.24
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