Novels


王の剣士 七

<第三部>

第五章『地平の燎火』

二十四

 
 既に時は午後の四刻を過ぎている。
 室内は陽が斜めに差し翳っていたが、コンラッドはまだ戻らなかった。
「王女殿下――」
 スキアが開いた隣室の扉の陰に片膝をついて控え、窓際の椅子に端然と腰掛けているエアリディアルを見上げる。エアリディアルもスキアへ首を巡らせ、わずかに微笑んだ。ただその笑みも堅い。
 三刻前、ミラーへ金糸雀を送り状況を伝えた。
 もう一度――、この後の動きを伝えることこそが肝心だが、ベルゼビアからの返答がないまま時間だけが過ぎていく。
 王都軍は日没までと定め、ベルゼビアの降伏を待っている。
 けれどベルゼビアは降伏勧告を容れないだろう。三刻前に起きた大地の崩落――それがベルゼビアの示した意思だ。
 大地に刻まれた亀裂は、国内の断裂を明確に突き付けるようだった。
 あと一刻ほどで刻限の日没になる。
 陽が落ちれば、戦いは始まってしまう。
 ベルゼビアがその力を用いようとする以上、戦いは苛烈なものになるだろう。
 それを避けたい。
 同じ国の者同士が、血を流し戦うことを避けたかった。
 それはただ互いに傷付け合うだけではなく、この先、人々の心の中に憎しみの種を植えてしまうことになる。そうなれば容易には種を除くことはできない。
(争いが連鎖してしまう――)
 エアリディアルは夕焼けに染まり始めている窓の外を見つめた。
「――この面会が叶わなければ、仕方ありません。わたくしは違う方法をとるだけ」
「王女殿下」
 戦いが始まる前に止めることが、この国の王女としてのエアリディアルの果たすべき義務であり、役割だ。
 スキアへ、藤色の瞳を注ぐ。
「この城を、出ることは可能ですか」
「私が、王女殿下を必ずお守り致します」
 スキアは頷き――ふと扉を振り返った。
 素早く隣室へ身を隠したほんの一呼吸、扉がコツコツと叩かれる。
「――お入りなさい」
 エアリディアルは立ち上がり、開いた扉から入ってきた相手を見て、やや瞳を見張った。
 現れたのはコンラッドではなく、この城の執事だ。執事は扉口で恭しく一礼した。
「王女殿下。御案内致します。王妃殿下と、公爵がお待ちでございます」
「――承知しました。参りましょう」
 エアリディアルはスキアが身を潜めた扉を背後に意識し、執事の導きに従って部屋を出た。




 一度閉じたエアリディアルの居室の扉が、再びそっと開く。
 スキアは開いた扉の隙間から外を窺い見た。
 エアリディアルが行く場所を、ミラーに伝えなくてはならない。ミラーはそれを待っている。二人を救出に動く為に。
 その為にエアリディアルはベルゼビアと交渉し、そして正規軍はその為に状況を整えてきた。
 スキアは短剣を腰帯に挟み、布で覆った銀の鳥籠を持ち、廊下に忍び出た。
 この城は東西南北、四つの棟が中庭を囲み、長方形に構成されている。東西の棟が長く、東が主邸だ。今いる南の棟だけでも三十室近くの部屋がある。エアリディアルの居室はその三階にあった。
 廊下――中庭を囲む回廊は、円柱と低い腰壁が回らされている。執事の先導のもと、三人の女官と共に回廊を右回りに歩いて行くエアリディアルの姿が、円柱の間から見えた。
 陽が陰り始めている回廊や中庭は、見下ろし目を配った限りでは他に人の姿は無い。
 スキアは頷き、一度背中の短剣の柄を握って確かめると、僅かでも足音や声がしないか気を張り、回廊の柱に身を潜ませながらエアリディアル達を追った。
 エアリディアル達は東棟を歩いている。東棟の三階はほぼ、ベルゼビアの居室だった。
(やはりそこ――)
 ちらりと手にした金糸雀かなりあの籠に視線を落とす。
 今の内に伝えるか。
 時間をかけるほど見つかりやすい。
 ベルゼビアの居室の扉が見える位置に止まり、スキアは鳥籠を覆う布に手をかけた。
 その手を止める。
(――違う)
 意外なことに、エアリディアル達はベルゼビアの居室に入らず、その先の階段への角を曲がった。ここ三階からは降りるだけだ。
 スキアは自分も、近くの階段に飛び込み、二階へ駆け下りた。そこから覗いた回廊へは、一行は出てこない。
 再び、一階へと駆け下りる。
(いた)
 エアリディアル達は回廊へ出て、程なく立ち止まった。
 東棟一階の、重厚な両開きの扉の前だ。
(一階――ベルゼビアの居室ではなく)
 主邸は違うのかもしれないが、一階はどちらかと言えば侍従達の控えや倉庫などに使われている。スキア達が旅芸人として招かれた時も、北棟の一階に部屋を与えられていた。
 扉が開くと、エアリディアルはそのまま室内に入った。




 エアリディアルは息を飲み込み、一瞬、自分がいる場所も忘れて駆け寄った。
「――お母様!」
 母クラウディアが部屋の奥に置かれた寝椅子に横たわり、瞳を閉じている。
 エアリディアルが膝を落としその手に触れても、瞼をあげる様子もなかった。
「お母様――」
「陛下はここ数日い重なった御疲労故に、休息いただいているのです」
 エアリディアルは銀の髪を波打たせ、振り返った。
 ベルゼビアが斜め前の窓際に、椅子を置き腰掛けている。
「大事はございません」
 酷薄さを覚える頬に薄ら笑みを刷く。エアリディアルはベルゼビアをきっと見据えた。
「陛下、などと――」
 そして、疲労が重なったなとど、白々しい言葉を。
 激しく乱れる感情を堪え、エアリディアルは両手に包んでいた母の手をそっと下ろした。手は温もりを帯び、その温もりが不安を落ち着かせてくれたのもある。
 ベルゼビアと話をしに、ここに来たのだ。
「本当に、大事はないのですね」
 ベルゼビアはエアリディアルの眼差しを、浅く笑って受け止める。
「母君と私が揃う場で、面会を希望された――御用件を伺いましょう」
 息を吐き、立ち上がってベルゼビアと向き直る。
「――多少はお聞き及びでしょう。わたくしの、婚姻にかかわる話です」
 ベルゼビアの背後の窓には、既に宵の青さを広げ始めた東の空が見える。
 スキアは、エアリディアルがいる場所を確認できただろうか。
 日没まで、あと半刻。







 アスタロトは西の地平を振り返った。
 太陽が、もう地平にかかろうとしている。
(あと、半刻もない――)
 アスタロトの予想通り、一刻のあれから大地が再び崩落することはなく、王都軍とベルゼビア軍はその崩落した広い亀裂を挟み向かい合っている状態だ。
 兵士達の間には緊張が時を重ねるごとに積み上がり、陣中深くいるアスタロトにもその緊張が肌を撫でるように感じられる。
 あと半刻。
 まだ、ミラーの傍らの銀の鳥籠には、金糸雀は戻っていなかった。
 視線をヴィルヘルミナの街へ向ける。半里近く離れたこの場所からでも、街の奥、丘の上に佇むベルゼビアの城が見える。
 その向こうには、深い森を抱えている。
(レオアリス)






 レオアリスは足元に、落ちた枯葉を踏んだ。
 木立の間から、緑の斜面とその上に建つベルゼビアの城が覗いている。
 それを確認し、アルジマールを振り返った。
「どうですか?」
 アルジマールは両の掌を水を掬うように合わせ、その中に微かな虹色の光が湛えられている。
「想定通り、オブリースの防御陣は結構固いね。気付かれずに分解するのは、ちょっと今の時間じゃ無理だな」
「仕方ありません。本陣に金糸雀かなりあが戻れば、防御陣破壊と転位を同時に行ってもらうだけです」
「――君、ちょっと朝のこと怒ってるでしょ」
 アルジマールはレオアリスの横顔を見上げた。
「そんなことありませんよ」
 レオアリスはにこりと笑い、
「貴方に信頼を置いているからです」
 そう言うと、樹々の中を待機しているグランスレイやクライフ、近衛師団隊士達へ歩み寄った。





 


















Novels



2019.11.17
当サイト内の文章・画像の無断転載・使用を禁止します。
◆FakeStar◆