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王の剣士 七

<第三部>

第五章『地平の燎火』

十九

 

 夜も深まり、そろそろ十二刻を回ろうという頃、メヘナは灯りを入れた角灯を手に揺らし、ボードヴィル砦城の二階、剥き出しの石造りの廊下を足早に歩いていた。小太りの身体が重く、不安とも相まって息を切らせる。
 ミオスティリヤの暗殺失敗から丸二日。その間ヒースウッド側に動きはなかった。それが余計に不安を募らせた。
 明後日――ほとんどもうあと一日後、狩月一日になれば王都はまず、ヴィルヘルミナの東方公へ討伐の兵を出す。
(もう猶予は無い……)
 もはや対岸の火事ではなく、ヴィルヘルミナが収まれば、王都が次に兵を向けるのはこのボードヴィルだ。
 メヘナが一番に考えのは、保身だった。
(ヒースウッドには疑われている――私を炙り出そうとしているに違いない。きっとそうだ)
 メヘナがミオスティリヤの食事に毒を盛った事に、もう既にヒースウッドは気付いているはずだ。
 それなのにこの二日は何の動きもなく、ヒースウッドはメヘナに会えばいつも通り生真面目な会釈を向けてきた。
 ただ、ヒースウッドは腹芸ができるほど器用ではなく、ぎこちなさが表に現われている。
 メヘナがどう動くのか、様子を見ているのだろう。
(その先を越してやる……!)
 ヒースウッドがメヘナを下に見ている間に、ミオスティリヤを丸め込み、ヒースウッドを逆に追い込んでやるのだ。
 ヒースウッドを追い落とし、メヘナがこのボードヴィルの実権を握り、その上で王都と繋ぎを作る。
 そして、あの王太子と名乗る者を差し出し、王都へ帰順の意思を示す。
 それが正しい手段だ。
 貴賓室がある東翼棟の四階へ、階段を登りかけた時だ。
 声が降った。
「このような深夜に、どちらへ行かれるのです、メヘナ子爵」
 ハッとして、メヘナは階段の上を見上げた。手にした角灯の投げる明かりが辺りの影を揺らす。
 階段の上に立っているのはヒースウッドだ。
「こ、これはヒースウッド伯――、貴方こそ、どうかされましたか」
「貴方を待っていたのです。あなただったのであれば、きっとこの場に来ると――来て欲しくは、なかった」
 ヒースウッドの面からは、やや血の気が失せている。双眸を見開くようにメヘナに向けていて、それがメヘナの腹を冷やした。
「わ、私を、何故」
「ミオスティリヤ殿下に、会うおつもりだったのでしょう」
「――」
 ヒースウッドはメヘナへと、階段を踊り場まで降りた。
「どのような御用件で、殿下に?」
 その手は今にも、腰の剣の柄を握りそうだ。
 メヘナは階段の一段目に掛けていた右脚を、下ろした。
「……どのような、とは」
 乾いた唇を舐める。
「そう――そう、ヒ、ヒースウッド殿、一体いつになったら、ミオスティリヤ殿下は王都と話をするおつもりですか。我々は、王都に弓引くつもりでここに集ったのではないのです、決して」
「あなた方が西海軍の侵攻に兵を出すことを良しとしなかった。だから我々は退路を失ったのだ」
「我等のせいだと? 言うに事欠いて、そのような――それは責任転嫁にもほどがありますな。武人とは言え、良く物を考えて発言されてはどうか」
 語尾がやや掠れ、メヘナは声を押し出した。
 もうメヘナは、準備を整えているのだ。
「ヒースウッド殿、これだから貴方は我々の上に立つに相応しくないのだ。それ故、私が動くのです」
「ならばどうしようと」
「我々で、今後の方向性を審議する。それまで貴方は拘束させてもらおうか。あの偽王子も、あの女も――」
 ぴくりとヒースウッドの頬が震える。
「――誰、だと?」
 髭を蓄えた面を激しい怒りが染めたと思うと、ヒースウッドは腰の剣を一息に抜き放った。
「な、な……何をっ」
 恐怖のあまりメヘナは床に腰を落とし、剣を凝視したまま階段の前からにじって退った。
「ミオスティリヤ殿下を偽者と呼ばわり、あの方に下卑た物言いをするなど……、到底許せるものではない!」
 ヒースウッドが剣を手に、階段を下る。
 メヘナは角灯を掴んでつくばいながら廊下の窓に寄り、角灯を、思い切り硝子窓に叩きつけた。
 角灯が外の中庭へ、砕けた硝子とともに火を揺らしながら落ちる。
「何だ」
「は――はは!」
 満面に勝ち誇った色を浮かべ、メヘナはヒースウッドを振り返った。
「伏せていた私の兵が、すぐに駆け付けるぞ! もうお前は終わりだ!」
 そういう間にも階下が騒がしくなり、靴が床を鳴らす音が階段、左右の廊下、三方から迫る。
 今までメヘナが立っていた階段から、十数人の兵が駆け上がった。廊下の左右にも兵達の姿が現れ、瞬く間に階段も、廊下も、逃げ場は無くなった。
 メヘナは口元を歪めて、まだ階段の半ばにいるヒースウッドを見据えた。
「ヒースウッドを捕らえよ!」
 肩をいからせて兵達の姿を眺め――メヘナは眉をひそめた。
 メヘナの警備隊ではない。
 濃紺の軍服は、正規軍兵だ。
 兵士達がメヘナをぐるりと囲んだ。
「な――」
 何故自分が囲まれているのか解らず、メヘナはおろおろと取り囲む兵とヒースウッドを見比べた。
「何だ、これは――何故私が囲まれているんだ。わ、私の兵はどう……」
「貴方の警備隊は、ボードヴィルで預かる」
「何を――」
「メヘナ子爵」
 ヒースウッドは階段を全て降り、メヘナの前に立った。
「貴方は忠を忘れ、自らの利益のみを求めて不埒にもミオスティリヤ殿下暗殺を企てた」
 ヒースウッドは一度、躊躇うように言葉を飲み込んだ。
「近衛師団中将ヴィルトール殿、そして左軍中将ワッツ殿と――共謀して」
 メヘナが目を剥く。
「何を……!」
 顔が、みるみる歪んだ。
「ヒースウッド、貴様――貴様という奴は」
「捉えろ!」
 数人の兵が手を伸ばし、メヘナの腕を背中に捩じ上げると、頭を抑え込むように床の上に膝をつかせた。抑え込まれたメヘナのくぐもった声が廊下に響く。
 ヒースウッドは蒼褪め、強張った面を、メヘナに向けた。
「その罪を、償ってもらう」





 王太子ミオスティリヤの起居にと当てられた貴賓室は、ボードヴィル砦城東翼棟の三階を全て占め、廊下は左右それぞれ扉で仕切られ他と隔てられていた。
 足音を吸う赤い絨毯が敷かれた廊下を大股に歩き、ワッツは扉を開けた。
「ヴィルトール」
 前室にいたヴィルトールは立ったまま待ち構えていて、ワッツの双眸を見た。
「ヒースウッドがメヘナを捕らえた」
 少し前に響いて来た喧騒は、何らかの問題が起こったことを示していた。ヴィルトールは驚くよりも厳しい面持ちで頷き、ワッツが苦々しく眉をしかめる。
 今もまだ階下は騒めき、この部屋にも窓を通して伝わってくる。
「王太子ミオスティリヤの暗殺未遂――メヘナと、俺と、ヴィルトール、お前が共謀したとよ。あのヒースウッドが内部のゴタゴタを、これほど派手に始末に掛かるとは思わなかったが」
 ヒースウッドはミオスティリヤを助ける行為に、理想を覚えてもいたはずだ。
「ルシファーはまだ、やりたい事があったらしい」
 手のひらで首の後ろを何度か擦る。
「メヘナの兵はヒースウッドが掌握した。ってことは、次に抑えに動くのはどこか判るな?」
 ワッツは扉の鍵をがちりと閉めた。大して役には立たないだろうが。
「イリヤを連れ出すか。まずはこの砦城から、外へ」
 窓へ歩み寄って中庭を見下ろし、鼻に皺を寄せる。
「中庭は埋まってンな。まあシメノス側から出りゃいい、岸壁を降りる道がある。今すぐ行こうぜ」
「ワッツ」
 ヴィルトールの呼びかけに、ワッツは片眉を上げて振り返った。
「予定通り君がボードヴィルを抜けろ」
 ヴィルトールは揺るぎなく、そう言った。
 それはほんの十日前、ヴィルトールと話をしていたことだ。
 ルシファーによって情報が遮断されているボードヴィルを出て、王都と繋ぎを付ける。ワッツがボードヴィルを出れば、ヴェルナーの伝令使がワッツを見付けるだろうと。
「はぁ? こんな時に何言ってんだ、そりゃもう無しだ。こんな状況でここに残ったって意味はねぇ。ヒースウッドは俺達がミオスティリヤ暗殺をメヘナと共謀したってことにして兵を動かしてる。そこまでぶち上げたら、まあ良くて投獄は免れねぇ。一番まずけりゃ公開処刑だな」
 朝になれば――いや、すぐにでも、兵はこの貴賓室を押さえに来るだろう。
「まずはここを出るしかねぇ」
「それでは西海との和平に繋がらない。イリヤはただ罪を背負ったまま国によって死を迎え、西海との関係も断たれるだけだよ」
「ヴィルトール。そりゃ命あってから考えることだ」
「いいから。王都に繋ぎを取るのが君の役目だ。王都に状況が伝われば適切な対応が取られるはずだ」
「駄目だ。意味がねぇ。イリヤごと連れて出る。その後のことは出た後で考えりゃいい」
 ワッツは手を振り、イリヤの居室へと足を向けて、ぴたりと立ち止まった。
「ワッツ中将、行ってください」
 いつの間にかイリヤが扉の前に立ち、ワッツを真っ直ぐに見つめていた。
「ヴィルトール中将も。俺だけなら、ヒースウッドは何もしないでしょう。俺は旗印ですから」
「イリヤ」
「お二人はここを出てください。今すぐ。ワッツ中将の言う通り、出た後で考えればいいんです」
「駄目だ」
 ヴィルトールとワッツ、二人が異口同音にイリヤへと近付きかけ――
 階下が、騒がしさを増した。
 それは階を上へと移り、そしてすぐに、この貴賓室に至る廊下の扉を何度か叩く音が伝わった。
「早ぇな」
 ワッツは舌打ちし、剣を抜いた。
「二人とも、行ってください!」
 その声も打ち消して、三人の居る部屋の扉が何度となく叩かれる。
 扉が、イリヤがこの場所に来て初めて、荒々しく開かれた。
 兵が雪崩れ込み、その後からヒースウッドが踏み入る。
「申し訳ございません、ミオスティリヤ殿下――! 恐れ多くも殿下を暗殺しようとした逆賊を、捕えねばなりません!」

















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2019.10.27
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