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王の剣士 七

<第三部>

第五章『地平の燎火』

十七

 
「王妃を国主に据えた国家の樹立。そう、まあヴィルヘリアの土地から得る産物、域内の街の産業、特にヴィルヘルミナにおける産業は、そもそもがアレウス国とその財政の一端を担っている」
 紅く暗い葡萄酒を注いだ硝子の杯を、手の上で揺らす。
 窓から射す朝の光が、硝子の中の液体を通して、大理石の卓の上に宝石のように落ちる。
「農耕、畜産、養蚕、林業、鉱業、鋳鉄、製糸、紡績、織物、革製造――この国の総生産のおよそ二割は、このヴィルヘリアに依っている。それらを基盤に国を樹立すると言うのも、ミストラの東を見ればそう行き過ぎた行為でもないだろう」
 硝子の杯を持ち上げ――、その紅い液体越しに、ブラフォードは膝を付いている青年を見た。
「国家の維持にもう一つ必要となるのは軍事力だ。現在の我が軍の総数は一万三千。対するアレウスは現時点でおよそ六万半ば、二割は西海を睨み、二割は治安維持の為に動かせないとしても、我々への派兵には三万半ばから四万を当てる事が可能だろう。そして兵を惜しむ意味は無い」
 青年――コンラッドは黙って頭を伏せている。
「何より、剣士が戻った事で、戦力の開きは大きくなった」
 ブラフォードの口元に自嘲に近い笑みが滲む。
「我が方には軍事力の増強が必要だ。兵を外から得る事が叶わない以上は、内から得るしかない。となれば次に我が父が取る手段は、農民の徴兵――その為には求心力の強化」
 零した笑みが静かな室内に散る。
 手にしていた硝子の杯を、白い卓の上に戦術盤の駒のように置く。その周りには何も無い。
「時期を失したのだ。剣士が身動きの取れぬ間に、西海の王都侵攻と同時に動くべきだった。いずれにしても今打てる手は全て、出口に繋がらぬ悪手でしかない」
 コンラッドは黙している。
「父が呼んでいたのだったな」
 笑みを残したまま立ち上がり、ブラフォードは裾を揺らすと、部屋を出た。
 白い大理石の卓の上には、赤く暗い液体の色が一点、血の染みのように落ちている。







 ベールは謁見の間に居並ぶ顔触れを見渡した。
「ベルゼビアは昨日深夜、ヴィルヘリア地方の独立を宣言した」
 既に聞き及んでいるが故の無言の反応の中にも、衝撃の深さが窺える。
 独立。
 国家の樹立。
 これまでヴィルヘルミナに篭り、王妃と王女の庇護を表明していただけとは訳が違う。
 最早後戻りのしようのない、最後の一歩を踏み出したのだ。
「最大の問題は、クラウディア王妃殿下を国主に掲げた事にある。これにより妃殿下は、この争乱の中心に置かれてしまわれた」
 ベルゼビアの手の一つとしてそれがある事は、あらかじめ想定は付いていた。
 だからこそ、東方将軍ミラーは部下をヴィルヘルミナに送り込み、事態を最小限の動きで抑え込もうとした。
「もう一つ、問題は」
 国の樹立と、王妃クラウディアの擁立――その上でもう一つ、ベルゼビアは策を打ち出している。
 ベールが慎重な眼差しを、階の上に向ける。
「エアリディアル王女殿下と、ベルゼビアの次男――ブラフォードとの婚姻」
 苦々しい――この場でそれを改めて耳にする者にとって、まさにその感情だっただろう。
「降嫁ではなく、王位継承権を有したままだと宣言した。ベルゼビアの主張においては、第一位の継承権だ」
「あ――姉上は」
 じっと堪えていたファルシオンは青ざめた面で立ち上がり、階を数段、降りた。スランザールが慌てて追いかけ、ファルシオンの肩を押さえる。
「殿下」
「姉上は、そんなことお望みじゃない! 母上――母上だって――」
 小さな身体を憤りと悲しみで染めるように、ファルシオンはそれを押し出した。
「ち、父上のお帰りを、待っておられるのに!」
 その叫びに、レオアリスは自らの足元が、ぐらりと揺れたように感じた。
 ファルシオンの、本当の想い――
 階の途中に仮の玉座を置き、その上の空の玉座を見上げる時の想いを。
 奥歯を噛み締め、痛みを殺す。
「当然です。御二人の御意志、本意ではないでしょう」
 ベールは低く、明瞭にそう言った。
「だからこそ、これを認める訳には参りません」
 居並ぶ諸侯へと向きを変え、右腕を延べる。
「これに関しては議論を重ねるべくもない。ベルゼビアは今、この時を以って爵位を剥奪」
 否を返す声は無い。
「ファルシオン殿下。此度の派兵においては、正規軍より事前に奏上された案のとおり――、正規軍将軍アスタロトを総大将として、主力を東方軍五大隊、南方軍五大隊、及び北方軍三大隊で構成、総数は三万九千とします」
 アスタロトが一歩前に進み出て、ファルシオンを見上げる。
 現在の正規軍総数は六万六千。
 西海の睨みに置いている北方軍四大隊一万二千、またレガージュに残す南方軍一大隊、王都守護、国内の治安維持を担う最小限の部隊を残し、全ての兵力をヴィルヘルミナへ当てる。
 ファルシオンは椅子の中に身を落とし、両の拳を握って、唇を、噛みしめた。
 小さな溜息を零す。
「また、近衛師団第一大隊から百をこれに加え、第一大隊大将レオアリスの指揮において、王妃殿下及び王女殿下の救出に当たります」
 ぎゅっと唇を噛み締めたまま、ファルシオンは頷いた。
「制圧目標はヴィルヘルミナ及び、ベルゼビアとする。周辺農地、街の損壊は極力避け、農民、住民への危害を加える事は禁止する。各部隊、各兵へ徹底してもらいたい」
「承知した」
 アスタロトが顔を伏せる。
「可及的速やかに態勢を整え、明後日――狩月朔日ついたちを以ってヴィルヘルミナへ派兵、ベルゼビアを討ち、王妃殿下、王女殿下を救出する」





 協議を終えて謁見の間を退出しても、まだ騒めきが耳の中に残っているように思える。
 ファルシオンは両肩を落とし、息を吐いた。
 まるでそれまで呼吸が叶わず、喉の奥にずっと固まっていたみたいだ。
(いつまで、続くんだろう)
 これまで幾つもの戦があり、胸苦しい日々が続いてきた。こんなことに慣れるなんて、きっといつまでたっても無理に違いない。
 そして今日また、新たに派兵が決まり、争いが続いて行く。
(どうして、たたかわなくてはならないんだろう)
 国と国。
 国が違えば、敵なのだろうか。
 国の中でさえも――同じ国の人間同士が戦うことが、どうして起きるのだろう。
(メネゼス提督は、マリのひとなのに、助けにきてくれた)
 何が違うのだろう。
 ほんとうはファルシオンは、何をしなくてはいけないのか。
「私に、もっとできることがあれば……」
「殿下?」
 先を歩いていたスランザールが、呟きに気付いて振り返る。
「ううん、何でもない」
 慌てて首を振って、ファルシオンはスランザールの隣に並ぶとまた歩き出した。視線を落とした先の、大理石の床を見つめる。切り出し敷き詰められたその一枚一枚に、一つとして同じ模様は無い。
(私に、できること)
 戦うのを、止められないだろうか。
 そう思った。
 そしてそれは朝、スランザールに尋ねたことだ。


『国として、国威を示さねばならない時がございます』
 その時のスランザールの声は、ファルシオンに諭し聞かせるものながらも、いつもよりも重く沈んでいた。
 ベルゼビアの主張を認めることを、してはならない・・・・・・・
 譲歩を――ベルゼビアの言い分を少しだろうと受け入れることもしてはいけない。
 一旦そうしてしまったら、他にも同じことがあった時に、ずっと認めていくことになる。
 自分も、自分もと同じように主張する者達が出てきたら、その都度その境は動き、主張と主張がぶつかっていく。
 そうなったら困るのは、最終的には国民なのだと。
『今はまず、王妃殿下、王女殿下をお救いする事が肝心でございます。ベルゼビアの手からお二人を取り戻せば、ベルゼビアが拠り所とする正当性は全てなくなりましょう。その後であれば、さしものベルセビアも停戦の呼び掛けに応じざるを得ません。御二人を無事お救いする事――まずはそれを第一に考えましょう』


(母上と姉上を、とりもどせば――)
 では、誰も傷つかずに取り戻す方法はないだろうか。
(レオアリスが行ってくれる。だからきっと、必ず母上と姉上を助けてくれる。でも、誰かと、たたかわせることになる)
 戦わないでとお願いしたら、きっとレオアリスは聞き入れてくれるだろう。
(でもそうしたら、レオアリスがけがをしてしまうかもしれない。まだ、治っていないのに)
 誰も傷つかずに、二人を取り戻す方法――
 ふと、ファルシオンは黄金の瞳を瞠った。
 もしかしたら。
(この前は、王都の上に行けた)
 そうしようと意識した訳ではなかったけれど、転位の法術のように、行くことができた。
(私は、もしかしたら、母上と姉上のところにも行ける――?)
 そうだ。あの時、王都の人々を王城へ移したように、できるのではないか。
(お二人を、王都へ――)
 そうすれば二人を早く助け出すことができるし、ベルゼビアは戦うことを諦めるのではないか。
 両方の肩を温かい手が包み、その温もりでファルシオンは思考から引き戻された。瞳を瞬かせ、自分の前に立つスランザールを見上げる。
「ファルシオン殿下」
 いつの間にかファルシオンは長い廊下の半ばに立ち止まっていて、肩に手を置いたスランザールが白い眉の下の瞳をファルシオンにじっと注いでいる。
「まさか、先日のようにご自身で助けにゆかれようと、そうお考えではありますまいな」
 思いをそのまま言い当てられ、ファルシオンは瞳を揺らした。ファルシオンの様子を見つめるスランザールの眉根に皺が寄る。
「このスランザール、殿下のお気持ちは良く解ります。しかしながら、先日のような危険な事は決してなさらないと、今、お約束ください」
「そんなつもりは」
 咄嗟にファルシオンは誤魔化そうとしたが、スランザールはそれさえも踏まえて、言葉を重ねた。
「なりません」
 きっぱりと、そう言い切る。
「殿下はここに――国の要として我々の前におられる事こそが、今、私どもの希望にございます。唯一と言って良いほどの、希望にございます」
 はっとして、ファルシオンはスランザールの面を見つめた。
 スランザールがどんな考えでそれを言ってくれているのか、それはファルシオンにも良く理解できた。
 父王はここにいない。
 母も、姉も、いない。
 こんな状況で、ファルシオンまでいなくなったら。
(――私は)
 母と姉を助けに行きたいという気持ちは、とても強い。
 それでもその想いを、ファルシオンは意識して抑えた。
 ファルシオンのしなければならないことは、求められていることは、たった一つ。
 国を守ることだ。
「母君と姉君は必ず、正規軍、そして近衛師団が無事にお救い申し上げます。その役をレオアリスが担い、やり遂げるでしょう。殿下はこの王都で、みなを信頼してお待ちくださいますよう」
「――わかった」
 ファルシオンは息を吐き、顔を上げ、そう頷いた。
















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2019.10.13
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