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王の剣士 七

<第三部>

第五章『地平の燎火』

十六

 
「えっと」
 目の前に立っている姿は、ずっと傍で見てきたそれと変わっていない。
(でも、すごく久しぶりなんだ)
 何を話そう。
 言葉が見つからず俯いたアスタロトへ、レオアリスが先に口を開いた。
「髪――」
 何だろう、と思ってアスタロトは自分の頭に手をやった。
「切ったのか」
「――あ」
 瞳を瞬かせ、それから前より短くなったのだと思い出す。それとも伸びたと言うべきか。
 風竜の風に散って、不揃いになってしまっていたから、肩の辺りまで切った。
 もう一つの理由は、自分を、そこに残したくなかったから。
「そう、そうなんだ。伸びすぎてたからさ」
 切った直後にも謁見の間で顔を合わせる機会はあったが、あの時、レオアリスはほとんどずっと顔を伏せていた。
 今は気付くくらい、目線を上げている。
 何となく、それは嬉しかった。
「……だいぶ伸びて来たから、また切ろうかなって思ってるんだけど。変かな」
「いや。ちょっと見慣れないけど、でも似合ってるんじゃないか?」
 たったそれだけの、ただの挨拶みたいな言葉が、ぎゅうっと胸を掴む。
「そう? ならいいや……」
 また会話が途切れてしまう。
 でも、じゃあこれで、と言って歩き出すのは嫌だった。
 もっと――何かもう少し、話していたい。
「えっと」
 言葉が見当たらない。
「えっと」
 視線をあちこちに動かして会話のきっかけが何かないか探すのだが、今、ここで言える言葉が、無い。
(前はこんなじゃなかったのに)
「えっと」
 前はどんなふうに話していただろう。
(前みたいになんて話せない)
「えっと……」
 吹き出す声が聞こえ、アスタロトは顔を上げた。
「えっ、何?」
「お前、何度『ええっと』って言うんだよ」
「――だって」
「アスタロト、今度出るんだろ?」
 不意に問われ、アスタロトは『今度』の意味をしばし考えて――思い至った。
 ヴィルヘルミナへ。
「出る」
「炎は、戻ったのか?」
「まだ。でも出る」
 有無を言わせないよう、断言する。
 拙速な答えにレオアリスは
「止めようってんじゃない。けど」
 そう言って表情を改めた。
「アスタロト、この前みたいな事はもう、するなよ」
「この前――?」
「俺を庇うとか――」
 レオアリスは続く言葉を飲み込んだように見えた。
「風竜の時、怪我したんだろ。ああいうのは」
「あ、あれは」
「心配してくれるのは有難い。でも、炎が戻ってないような、そんな状態で無茶したらどう影響が出るか判らないだろ」
「無茶なんかしてない」
 レオアリスが呆れた顔をする。
「風竜の風に飛び込むのの、どこが無茶じゃないんだ」
 むっとして、アスタロトはその顔を睨んだ。
「私は無茶してない。お前の方が無茶だ、お前には言われたく無いぞ。だいたいあの時だって、剣が砕けてんのに風竜と戦うなんて」
「一振りあれば戦える」
 額の血管がぴくりと動いた、気がする。アスタロトは握った拳にそれを抑え込み、息を吐いた。
「――剣、出すのだって相当痛かったんだろ」
『裂傷に手を突っ込むようなものだ』
 アルジマールがそう、言っていた。
「剣がなきゃ戦えないんだから、仕方ないだろう」
「はぁ?!」
 悪びれた様子も無い口調に、ぷちん、とアスタロトはキレた。
「お前っ、私がいなきゃ、風竜の風チョクで喰らってズッタズタのズッタズタだったんだからな!」
「だから、そんなとこに飛び込むなって言ってんだ」
「……ッお前が言うな!」
「ま、まーまーまーまー! お二人さん!」
 クライフが両手を広げて割って入る。
「落ち着いてくださいって!」
「そうです、久し振りに会ったのにそんな喧嘩しないでください」
 フレイザーも微笑みながら口を挟む。アスタロトは眉根を寄せた。
「フレイザー笑ってるけど、私は真剣だからなっ」
「はい」
 アスタロトはふぅっと息を吐き、思い切り、レオアリスの眉間に向かって指を突き付けた。
「いいかレオアリス! 今日のところは許してやるけど!」
「何だよ今日のところはって。大体今俺の話してねぇし」
「そういうとこォ!」
 突き付けていた指で、どすっと眉間を突いた。
「いてっ」
「正式には明日決まるけど、今回の派兵、総大将は私だ。近衛師団と言えど私の指揮下に編成される」
 アスタロトは顎をぐいと上げ、レオアリスを見下ろした。レオアリスの方が背が高い為に傍目からはお察しだが。
「だから私の言うことは絶対だ」
「――それは」
「問・答・無・用!」
 ぐりぐりと指で額を押しつけ、二、三歩後退らせてから、指を離す。
 レオアリスが眉をしかめて額をさする。
 その様子に満足気に笑い、アスタロトは腰に手を当て肩を張った。
「じゃあな。明日、また協議で。早いからもう寝ろ、おやすみ!」
「おやすみって――」
 レオアリスはまだ言い足りなさそうに額をさすっていたが、諦めたのか息を吐いた。その口元に苦笑が浮かぶ。
「おやすみ」
「――おやすみ」
 もう一度、そう言ってアスタロトはフレイザーとクライフに手を振り、玄関の扉へすたすたと歩き出した。
(――きっと、これで)
「――アスタロト」
 ぴたりと足を止める。
 かけられた声の色に鼓動が鳴った。
「国内の事も、西海の事も――全部終わったら、話をしよう」
 どくどくと、鼓動が鳴る。
 アスタロトは束の間、呼吸を止めていて――
 振り返り、きっとレオアリスを睨んだ。
「それ、帰ってこないヤツ!」
「何だそれ」
「ふん!」
 今度こそ背を向けて、開かれた扉から外へ出ると、馬車寄せの緩く弧を描く階段を足音を鳴らして降りた。
「アスタロト様」
 アーシアが馬車の横に立ち、アスタロトを見上げている。
「アーシア」
 いつも通りの優しい笑顔にほっとして手を振り、それから一度、アスタロトは今降りて来た階段の上を振り返った。
 左右に焚かれた幾つもの篝火や吊るされた灯りが、玄関の広い庇と三組の扉を煌びやかに照らしている。
「――何が、無茶するなだ」
 レオアリスが一番最初に飲み込んだ言葉が判る。
 マグノリア城で、レオアリスを止めに入った時の事を、言わなかった。
 ――言えなかった。
「私が止めなきゃ、お前、ファーと行ってただろ……」
 あれから、半年――
 けれど時が経ったと思っているのは、きっとアスタロト達だけだ。
 レオアリスはまだ、あの夜、あの三日間から、本当には離れていない。
(この先、ボードヴィルと、それから西海と――)
 いざ直面した時に、どうなっていくのだろう。
 レオアリスの母方の氏族だという、プラドという剣士。
 どう考えているのだろう。
(――)
 アスタロトは息を吐き、それからアーシアへ顔を戻した時には、それまでの色を消して笑った。
「帰ろうか、アーシア。眠くなっちゃった」
 アーシアが心配そうな瞳をしつつも、アスタロトの笑みに応えて微笑んでくれる事にほっとしながら、アスタロトは馬車に乗り込んだ。











 翌、早朝。
 東方ヴィルヘリア地方、西の街ベンゲルに駐屯している正規軍東方軍本陣より、王都へ急使が届いた。
 東方公ベルゼビアは王妃クラウディアを国主として掲げ、ヴィルヘルミナを首都とし、ヴィルヘリア地方一帯に新たな国の樹立を宣言。
 東の街レランツァに駐屯している東方軍九千の内、ヴィルヘルミナ近辺に布陣、哨戒していた五百を夜更けに強襲し、これを撃破した。



 この報を受け、国王代理ファルシオンは、朝の八刻に予定していた十四侯の協議の開始を一刻早め、七刻。
 昨夜の夜会の華やかさや優美さを一切拭い去り、緊迫の面持ちで、白々とした朝の光が落ちる謁見の間に十四侯が並ぶ。
 大公ベール、南方公アスタロト。ヴェルナーを初めとした十侯爵、内政官房、財務院、地政院、正規軍の副長官。近衛師団。司法庁。法術院。
 そして同盟者たるマリ王国国使、メネゼス。
 スランザールはファルシオンの玉座の横に立ち、椅子の背に手を添えていた。
 レオアリスはグランスレイの傍らで、階の半ばに置かれた仮の玉座に座るファルシオンを見上げた。
 幼い面は遠目にも青ざめ、張りつめている。
(殿下――)
 母である王妃、そして姉エアリディアルの身への不安と憂慮――
 左右の手を静かに握り、レオアリスは一度、自らの内を顧みるように、目を閉じた。
「揃っているな」
 大公ベールは冷えた謁見の間を見渡した。
「これより、ベルゼビア討伐に関し、協議を開始する」

















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2019.10.6
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