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王の剣士 七

<第三部>

第五章『地平の燎火』

十二

 
 夜会の会場となる広間は王城五階の東棟にあり、三百人が食卓を並べられる広さと、広間に面した庭園、そして待合となる前室が備えられている。
 前室では到着した参列者が外套などを預け、奥の椅子に腰掛け夜会前の酒とごく私的な会話を楽しみ、或いは久し振りに会った相手と握手を交わし、連れだって広間へと入っていく。
 前室に留まっている参列者達は、廊下側の扉が開かれ新たな来客が訪れる都度、様々にその人物への興味を囁き交わしていたが、何度目か視線を上げた時、辺りに満ちていたさざめきがすっと消えた。
 静けさの中、広間に流れる楽の音が扉から洩れて流れて来る。
 注目したのはレオアリスと、続けて入ったルスウェントの姿。
「第一大隊大将と、ルスウェント伯が――」
 ヴェルナー侯爵家の長老会筆頭が共にいる事の意味を、先日の十四侯の協議と重ね合わせている。
 ただこれまでのような熱心な囁きは交わされず、代わりに奥の席にそっと視線を流した。
 早い段階からそこにいて、数名の財務官達と話をしているのはヴェルナー侯爵、ロットバルト当人だ。
 財務官が扉口を示しすとロットバルトは立ち上がり、卓の間を抜け歩いて行く。自分達の横を抜けたロットバルトの姿を見て、そこに座っていた二人の子爵は互いの目の中に同じ意識を見た。




 フレイザーはレオアリスとルスウェントとの中間にいて、後ろにいるルスウェントが何を考えているのか思いめぐらせながら、歩いて行くレオアリスと、近付いて来るロットバルトの姿を見た。
 ロットバルトはレオアリスの後方に立つルスウェントの姿を認め、僅かに瞳を細めたが、レオアリスへと先に会釈した。
「お待ちしていました」
 周囲は彼等を見つめているが、気にした素振りは無い。
 フレイザーはそっと周囲へ目を配り、それから二人へ視線を戻した。
 二人が並んでいるところを見るのは半年ぶり――普段違和感も無く目にしていたものだ。
だがロットバルトが身に纏っているのは、今はもう軍服ではなく侯爵としての正装であり、正式軍装のレオアリスと向き合うと、今の立場の違いはより鮮明に映った。
 先程のルスウェントとの会話を思い出し、胸苦しさを覚える。
 レオアリスがロットバルトへ黙礼し、やや長いと感じさせるほど顔を伏せていた後、身を起こした。
「復位に伴い、多くのご配慮を頂いた事に御礼申し上げます」
 言葉遣いは違えど声の色は普段と変わらず、レオアリスの表情もまた、以前と変わらない。
「中々直接お会いしてお伝えする事が叶わず、失礼致しました」
「少しでもお力になれたようで何よりです」
 ロットバルトも近衛師団にいた時と同じ笑みを浮かべた。フレイザーが先ほど感じた、纏う物の違いなど何も無いようだ。
「ここで待っていて頂いたのは?」
「先日の件で、諸侯の注目もあるでしょう。認識を補強するのであればこの場が一番適切ですからね」
 ロットバルトはそう言い、改めてルスウェントへ、視線と柔らかい笑みを向けた。
「ルスウェント伯爵、貴方が共においでなのは丁度良かった。ご同席頂きたいと考えていたところです。長老会として、常に私の意図を汲んでくださっている事に感謝します」
 その笑みへ、ルスウェントもまた、穏やかに笑みを返す。
 つい先程までルスウェントの存在にはらはらと身構えていたフレイザーは、やや拍子抜けを覚えた。
 いや。別種の緊張感はあるが。
(何だ――、変わってないわ)
 クライフも大丈夫だと言っていた。
 いつも大丈夫だと、クライフはそう笑っている。
(……そうね)
 ロットバルトはレオアリスを招き、まだ静まり返った前室を、広間の扉へと歩いて行く。
 レオアリスもその横を歩きながら、目線を上げた。先ほどよりも声は小さい。
「色んな事を助けてもらって、その礼をまだ、伝えてなかった」
 ロットバルトの視線がレオアリスへと動く。
「助かってる」
 口元に笑みが閃く。
 広間の扉が内側へと開かれ、洩れ聞こえていた楽の音と騒めきが、一層大きく身体を包み込んだ。
 こうした場で誰が到着したかを参列者達へ知らせるのは、扉脇の宣布官の役割だ。
 手にしている儀仗で二度、床を鳴らし、到着者の名を高らかに述べる。
 ヴェルナーとルスウェント、そしてレオアリスの名が並べて述べられると、既に八割方揃っていた参列者達が、先ほどの控えの間よりも更に視線を集中させ、ひそやかな意識が波打った。
 ロットバルトが意図した通り、ヴェルナーの後見の意志はこの場にいるほとんどが認識しただろう。
 四人が歩き出すと、楽の音の中に再び騒めきが戻る。
 見回せば、王太子ファルシオン主催だけあって、本当に多くの参列者が来ている。
 ただまだ、ごく親しい者同士で会話している程度だ。
 六刻――あと四半刻もすればファルシオンが、国賓であるマリ王国海軍提督メネゼスと共に広間に入る事になっていて、この時間帯は私的な会話以外は控えるのが暗黙の了解になっていた。
 ロットバルトは一旦足を止め、ルスウェントへ先に行くよう促すと、もう一度レオアリスへ向き直った。
「上――レオアリス殿」
 流れる楽の音は、すぐ近くで交わされる会話もその音色の一つのように紛れさせていく。
「問題はありますか」
 漠とした問いかけだ。
 レオアリスは束の間、その答えを探しているように見え――、頷いた。
「――ああ、大丈夫だ」
 ロットバルトが返した眼差しは、フレイザーから見てもそれを信じたようには見えなかったが、ロットバルトはそれ以上は尋ねなかった。
「ひとまず、これで。挨拶をされる機会も多いと思いますが、今日のところは適当に会話を交わして頂ければいいでしょう」
「適当に……」
「ご不安なら言って頂ければ、後日いつでも御指南しますよ」
「いや……大丈夫です」
 ロットバルトは頬に笑みを刷いた。
「では、フレイザー中将にお願いします。あまり迂闊な事を仰らないように」
「任せて」
「信用無いな。いや、信用されて放置されても嬉しくないけど……」
 複雑な面持ちで呟き、レオアリスはロットバルトへ向き直ると、儀礼に則った所作で一礼した。
「ヴェルナー侯爵。御心遣いに改めて感謝申し上げます」
「十分ですね」
 ロットバルトは笑い、それから離れた所に立つルスウェントへと歩いて行く。
 束の間その姿を見送り、フレイザーは肩の荷を降ろすように、息を吐いた。
「良かったですね」
 ロットバルトと直接話もできた事、一番はルスウェントとの面会があった後でもロットバルトとの関係に変わりが無かった事を、フレイザーは良かったとそう言ったのだが、「ああ」と頷いたレオアリスは、フレイザーの考えとは違う事を口にした。
「忙しそうではあるし、窮屈だろうけど、あまり無理はしてなさそうだな」
「――」
 フレイザーはレオアリスの横顔をじっと見つめた。
(こういうところは、私じゃわからないところね)
 ただ、ロットバルトの問題ないかという問いに対して。
 それから先ほどルスウェントとの会話の中で感じた感覚。
(できる限り、傍にいるしかないのよね)
「フレイザー。グランスレイとクライフだ。向こうに行こう」
 レオアリスが示した先で、クライフがちょうど片手を上げたところだ。
「そうですね、一息つきましょう」
 フレイザーは頷いて、レオアリスの肩をやんわりと押した。



















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2019.9.29
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