十一
ルスウェントの使者が導いた面会の場は、王城の一階に複数用意されている応接用の部屋の一つ、北東の棟にあった。
財務院のある西棟ではなく、北西のヴェルナーの控えの間でもない。
その時点でルスウェントの意図はある程度見えたように思い、フレイザーは前にいるレオアリスの背中を見つめ、気を引き締めた。
部屋には男が一人、レオアリスとフレイザーを迎えて立ち、浅く一礼した。
年の頃は五十代前半、皺を刻み始めた整った容貌に知性を窺わせる細い瞳が印象的で、赤味がかった長髪は、一つに纏めて背中に流れている。
これまで面識は無いが、身に付いた空気や装いからもルスウェント伯爵当人だろう。
思った通り、男は二人へ、ゆったりと会釈した。
「急な要望に応じて頂き、礼を申し上げます。お呼び立てしたルスウェントです」
レオアリスもその場で頭を下げた。
「近衛師団第一大隊大将、レオアリスと申します。左軍中将フレイザーを同席させて頂きます」
「結構」
ルスウェントは右手を伸べ、彼らの間にある三つの絹張りの椅子を示した。
(三人だけ――)
想像していた事だが、ロットバルトの姿はない。
フレイザーはレオアリスが椅子に座るのを見つめ、自分は一度、その斜め後ろに立った。
「お座りください、中将殿。ここは単なる談話の場です」
ルスウェントに再び椅子を示され、フレイザーは頭を下げた。
「失礼致しました。では、恐れながら」
ルスウェントが笑み、二人の前に腰掛ける。
「改めて――既に御承知と存じますが、私はヴェルナー侯爵家の長老会筆頭を務めております。先代の頃から、ようやく七年になりますか」
洗練された所作と穏やかな笑みには、書状を受けた時に感じたものは無い。
(つい警戒を緩めてしまいそうね)
ただ、この若さで長老会、それもヴェルナーほどの家の長老会筆頭を七年も務めるのだ、相当の人物なのだろう。それは立ち居振る舞いにも表われている。
長老会は、一族、血族とはまた別に、侯爵家以上に存在する合議制の組織体だ。一族同様、それ以上に当主である家を盛り立てようとする。
それは長老会に属すれば、自家よりも高い地位と財力を有する家の庇護を受ける事ができ、長老会を構成する家の連携の中に身を置く事ができ、当主たる家のもたらす利益、組織体の中で生まれる利益、双方を享受できるからでもあった。
時に長老会の決定は当主の意向を上回る事すらあるが、ヴェルナー侯爵家は当主の専決力が強く、長老会の役割は追認に留まっているのだと、以前ロットバルトから聞いた事があった。
だが、現在はどうなのか。
「半年前に先代が突然身罷られ、直系であられるロットバルト様が爵位を継がれました。一言で爵位とは言っても、家名だけではなく、それに付随するものは山とあります。並大抵ではそれらを取りまとめる事は困難でしょう」
ルスウェントは穏やかに語る。
「しかしながら現当主は、先代にも劣らずヴェルナー侯爵家を盛り立てていける方だと、この半年で我々は既に確信しております」
一歩ずつ。
「ですがまだ、お若い」
ルスウェントはふと眉を上げた。
「どうかされましたか」
レオアリスがほんの少し、口元に笑みを浮かべている。
「いえ、失礼致しました」
レオアリスは椅子の上で、姿勢を正した。
「若いというのは私がずっと言われてきた言葉で――それを助けてもらってきました。ロ――いえ」
「……貴方のこれまでの呼び方で結構です」
ルスウェントが穏やかに促す。
「私の置かれた状況は、ご存知の通り厳しいものでした。その中でロットバルトは、常に全体を見据えて最適な手段を導こうとしてくれた。そういうところはずっと年上にも思えたし――まあ時々子供っぽかったけど」
後半の方は呟きに近い。
またレオアリスは口調を改めた。
「様々な局面において、かなり困難な相談もしましたし、ですがその都度、問題を解きほぐしてくれた。隊の中でも、非常に重要な役割を担ってもらいました」
ルスウェントの視線はじっとレオアリスに据えられている。
「ですから若いと、その言葉でロットバルトを表わすのを聞くのは、私には少し、意外な感覚です。けれど」
絹張の椅子が微かに音を立てる。
「今、ヴェルナー侯爵家の当主として、ですね」
レオアリスは背筋を伸ばし、ルスウェントと真っ直ぐに向き合っている。
補佐するつもりで同行したフレイザーだったが、ただレオアリスの姿を、とても清々しい想いで見守っていた。
「私を今日お呼びになった、そのご用件を、お伺いしてもよろしいですか」
ルスウェントは膝の上に手を組み、束の間レオアリスを見つめていたが、にこりと笑みを刷き手を解いた。
「失礼ながら大将殿、貴方の困難な状況は、当主の良い経験になったと思います」
フレイザーはつい文句を言いたくなったが、レオアリスは穏やかに笑った。
「有難うございます」
「本題に入りましょう」
暖炉の上に置かれた時計を確認する。今は五刻を回ろうとしているところで、夜会は六刻から始まる。
「先日、当主は十四侯の協議の場で、第一大隊大将殿、貴方の復位を支持し、その責任を負うと明言なさいました」
「その事には、心から感謝しております」
ルスウェントは頷き、
「ただ、我々長老会としては、手放しでそれを認めている訳でもありません」
フレイザーを見て、ルスウェントは薄く笑みを浮かべた。
「失礼。だがもう、回りくどい言い方をしても仕方がないのでね」
向かい合っていたレオアリスは、ルスウェントへ目礼した。
「ご趣旨は解ります」
ルスウェントが身を起こす。
「ヴェルナー侯爵家、その長老会、資産、領地、これらを管理し、運営し、また財務院を管轄するには一方ならぬ労力が必要です。半年かけて整ってきてはおりますが、まだ道半ば、その足元を今の段階で崩す訳にはいきません」
室内は静かで、ルスウェントの声は抑えられていても一つ一つの言葉が明確に届いた。
「今回、当主があの場で貴方の復位に責任を持つと申された事を、諸侯は当然、ヴェルナーが後見となるものと取るでしょう。これもまた、言葉一つで済むものでもありません」
双眸の中に鋭い光が生じる。
「貴方には、当主はこれまでと同じようなお立場ではない事をご理解いただき――、大将殿」
ルスウェントは穏やかさを崩さず、頬に友好的な笑みを浮かべた。
「無礼を承知で申し上げますが、貴方ご自身の振る舞いや今後の展望を踏まえた身の処し方も、お考えいただきたいと願っております」
「――承知致しました」
フレイザーは内心、息を吐いた。
(ヴェルナーの名を損ねるな――利益になれって、そういうことね。関わりを断てとか言われない分、良かったけど)
レオアリスの表情には困惑などは見えず、穏やかだ。
(何か少し、上将――)
「結構です。お時間を割いていただいた甲斐がありました。お互い有意義な時間を過ごせたかと思いますが――」
ルスウェントは再びにこにこと笑い、自分から先に立ち上がった。
「そろそろ時間です。夜会の広間まで、共に参りましょう」
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