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王の剣士 七

<第二部>
~大いなる輪~

第二章『身欠きの月』

二十七

 王城第一層、北面に位置する近衛師団第二大隊の厩舎から今まさに飛び立とうとしているのは、第二陣の飛竜、二十騎だった。
 第一陣の三十騎は先に飛び立ち、既に居城の庭園に侵入する頃合いだ。
 トゥレスの意志に従い、殉じる事を選んだ五十名。
「我々も、出るぞ――」
 率いる第二大隊中軍少将クルムが手綱に手を掛けた時、厩舎の扉が音を立て開け放たれた。
 戸口から数十名がなだれ込む。
「何――ッ」
 クルムは佩びた剣の柄に手を掛け、だがそこで凍り付いた。
「飛竜から降りて離れよ! 士官棟及び兵舎は既に抑えている!」
 声を上げ、進み出たのは近衛師団第三大隊大将、セルファンだ。
 まだ飛び立つ前の飛竜へ、第三大隊の隊士達が駆け寄り、手綱や脚を掴んで引きずりおろす。
 逃れるように浮上した数騎は、厩舎の天井中央の開口部から抜け出そうとした所で、上空から降下した第三大隊の飛竜により行く手を阻まれた。辛うじて逃れた一騎も、厩舎の上で三騎の飛竜が取り囲む。
 厩舎の中と周辺は、叫びと騒音に満ちている。
 なおも抵抗を試みて剣を抜きかけ――自分達を囲む数の多さに諦めたのかその手を下ろしたクルムへと、セルファンが歩み寄る。
「大将トゥレスと話がしたい。どこにいる。この状況、奴は何をしようとしていた」
「――」
「言え」
 クルムは唇を噛み、押し黙ってセルファンを睨み付けた。
 セルファンの後ろから、もう一人、男が近寄りクルムの前に立つ。司法庁のハイセンだ。
 ハイセンは紐で括っていた書状を開いた。
「第二大隊大将――、イグナシオ・トゥレス殿に対し、ヴェルナー侯爵家、及び長老会より、侯爵殺害の関与について告訴状を受けています。明朝八刻に王太子殿下の名のもと開かれる査問会へご出席願いたい」
 なおもクルムは二人を睨み据えたまま口を引き結んでいたが、吐き出す息と共に呟いた。
「もう、遅い……!」
 クルムは跳ね上がるように剣を抜き、セルファンへ切りかかった。



 第二大隊の鎮圧は時間を要したものの、次第に場は落ち着きを見せていた。要因は、第二大隊の隊士の内に全てが今回の企てに乗った訳ではなかった事にある。中にはまるで今回の動きを知らなかった者もいた。
 だが問題は、ここが本隊ではない事だ。
(トゥレスは、どこだ)
 厩舎の外へ出たセルファンのもとへ、若い隊士が駆け寄る。
「大将閣下、半刻前に三十騎、王城へ飛び立ったとの事です!」
「王城――」
 セルファンは一瞬、全身を冷水に打たれたように感じた。
 まさか、という思いは、すぐに溶けた。
「トゥレス……」
 飛竜ならばもうとっくに王城へ着いている。
「すぐに追え。それからハリス副総将へ報告を急げ!」
 駆け出した隊士の後を追って自身も向かいかけ、ただ一度立ち止まると、セルファンは一つに束ねた長い髪を揺らし南に聳える王城を見上げた。
 尖塔の影に欠けた月がかかり、遠い屋根瓦の輪郭を淡く輝かせている。
「――馬鹿者が。本来その力は、西海という敵へ向けるべきものなのだ」
 向ける方向を誤ったその理由を、セルファンは想像し、だが掴む事はできなかった。
 ただ苦い思いが返るだけだ。
(トゥレス――お前の望みは叶わないものだ)
 それを解っていて何故、尚もその道を選んだのか。
 何が違えば、そうはならなかったのか。
(だが)
「セルファン大将!」
 揮下の左軍中将が駆け寄り、今動ける十騎をすぐに出すと告げる。
 セルファンは踵を返した。
(だが、もし、お前があの時イスにいたのなら――、誰一人戻らなかったのだろう)






 素早く室内の壁に寄ったハンプトンは、ファルシオンの身体を抱え込んだ。ファルシオンはまだ、自分の置かれた状況が掴みきれないまま、けれどただ一つの事だけは、はっきりと判っていた。
 隠れなくてはいけない。
 自分を探す誰かから。
 ハンプトンの腕の力が強く、それでいて震えている。
 硝子の向こうで飛竜の翼が風を切る音が間近に響き、ハンプトンの息を呑む音が聞こえた。
 腕の力は更に強まり――、そして風を煽る音はやや遠のいた。
 ハンプトンが顔を上げ、そっと辺りを見回す。ファルシオンもまたハンプトンの肩越しに瞳を上げた。
 室内の出窓になった硝子面の他は全て、様々な書物が収められた書棚に埋もれている。ファルシオンがこれまで様々な事を学んできた場所は、今は廊下と庭園の騒音に挟まれ、身を隠す薄暗がりは容易く剥がされてしまいそうだ。
 ファルシオンは手の中に収めていた飾りを、更にぎゅっと握り込んだ。それはレオアリスが常に身に着けていた、青い石だ。銀の台座に小鳥の卵ほどの石が嵌め込まれている。
 昨日、血を吐いた時に引きちぎられた細い鎖が揺れる。
(レオアリス――)
 どうして、いないのだろう。
 眠る前まで傍にいたはずなのに。
 不安がじわりと喉を這い上がる。
「大丈夫、大丈夫でございます、殿下」
 何度も囁きながらハンプトンが背をさすり、肩を包み込む。けれどその手のひらは冷え切っていた。
「窓の外に、飛竜はもういません」
 ハンプトンと誰か、警護官がそっと囁き交わす。
「ハンプトン殿、隠し通路へ――留まっている時間はありません。廊下も」
 ハンプトンは何度も小さく頷き、それからファルシオンの身体を離した。
 強い不安に襲われファルシオンは咄嗟にハンプトンへ手を伸ばしたが、すぐに隣にいた侍従のセレスが両手でファルシオンの肩を包んだ。
「い、今、通路の扉を」
 ハンプトンは震える声で呟き、膝で這い、置いてある卓や椅子で窓から身を隠しながら部屋を横切った。
「み、南の壁の書棚の、奥から二つ目、雪待草。南の書棚、奥から、二つ目――」
 縋るように掠れ声で繰り返しながら、ハンプトンは書棚に辿り着くと、身を起こして中段の横板と仕切りに掛かる雪待草の木彫り飾りに手を伸ばした。
 不意に、学習室の扉が荒々しく叩かれた。
 ファルシオンはびくりと身体を縮めた。侍従の誰かが悲鳴を堪え息を飲む音を立てる。
 凍りついて見つめた先で、廊下への扉の取っ手が上下に何度も動かされた。
 だが、鍵が掛かっている。
 鍵を持っているのはハンプトンだ。
 ほっと胸を撫で下ろしかけた時だ。
『こじ開けろ。全ての部屋を調べるんだ』
 ハンプトンが肩を跳ね上げ、木彫りの雪待草を掴んだ。右に半回転、回す。
 軋み、重い音を立て、書棚が壁に沈んだ。
『何だ! 音が聞こえるぞ』
『開けろ!』
「殿下――、こちらへ」
 扉が硬いもので激しく打ち鳴らされている。
「お早く!」
 警護官がファルシオンを抱え、走る。半ば通路に身体を入れたハンプトンが手を伸ばし、ファルシオンを抱き止める。
 激しく打ち鳴らされる扉の蝶番が軋み、木枠が皹を走らせる。
 隊士の一人、ガレスが飛び出し扉を抑えた。警護官達も続いて、ガレスの傍らから扉を抑える。
「早く、皆」
 ハンプトンが声を振り絞り、まだ入っていない者達を急かす。四人の侍従が駆け入り、もう一人近衛師団隊士のベルンが入ったところで、ガレスは今にも弾き飛びそうな扉を全身で抑えたまま、行け、と口を動かした。
「けれど」
「お早く! もう保ちません!」
 ハンプトンは書棚の裏側に手を滑らせたが、閉ざす為の取っ手や仕掛けを咄嗟に見つけられず、声を震わせた。
「駄目です――」
 ガレス達が抑えている扉の中央に、円形の光の筋が浮かび上がる。
「失礼を!」
 ベルンがハンプトンを通路の奥へ押しやり、自らは外に出て、書棚の木組みを掴んで滑らせた。
 ファルシオンはハンプトンに抱えられながら、身体を捩じり、振り返った。
「待って――!」
 扉を抑えている隊士達はどうなるのか。
 母と姉は。
 他の警護官、侍従達、それからフレイザーやロットバルト。
 レオアリスは。
 狭い通路に辛うじて差し込んでいた夜の光が、一切断ち切られた。







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2017.8.12
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