Novels


王の剣士 七

<第二部>
~大いなる輪~

第二章『身欠きの月』

二十

 フィオリ・アル・レガージュを見下ろす丘には今も、大戦時の砦跡が残されている。
 正確には丘というよりも、前面に西海バルバドスを臨む高い岸壁によって造り上げられ、岸壁に左右を挟まれた入江に向かい、なだらかな傾斜を描いて大地が落ちていく地形だ。
 入江に広がる街フィオリ・アル・レガージュは、アレウス王国と諸外国との海の玄関口であり、何より堅牢な城壁とも言うべき岸壁と、王国の主要輸送路である大河シメノスを擁するが故の、天然の要衝でもあった。
 だからこそ大戦時、長く西海との攻防が繰り広げられ、激しい戦火に晒され続けた歴史を持つ。
 このアル・レガージュ砦跡は大戦の際に築かれたものだ。海から吹き上がる強い風が砦の窓や壁と壁との狭間を抜ける際に音を鳴らし、それが途切れる事なく辺りに響いていたという。
 そしてまた、大戦中そこに敷かれた王都と結ぶ転位陣が、ひっきりなしに兵と物資を送り出し続けていた。
 今――
 三百年を経て再び、転位陣はたゆまぬ光を放ち、止まる事なく次々と兵馬を吐き出していた。
 それは正規軍の兵列だ。
 午後一刻、法陣円を揺らして初めに現れたのは、正規軍西方第五大隊の左軍第一小隊だった。第一小隊から第三小隊まで一小隊百の騎兵で構成される、中隊の編成の中でも高い機動力を誇る部隊だ。
 次に法陣円が運ぶのは、革と鎖帷子の鎧をまとった槍と弓が主体の軽歩兵の小隊で、第四小隊から第五小隊までがこの編成になる。
 管轄区域の地形等と指揮官である大将の得手により各隊多少の偏重はあるものの、この西方第五大隊は左中右ともに正規軍の基本の中隊構成を踏襲していた。
 中隊の第六、第七小隊は重装歩兵で構成されていたが、西海軍による泥地化に対するには著しく不利であり、今回は軍都クエルクスに残留し防備を担っていた。また第八小隊が補給部隊で、他に救護兵と法術士団が正規軍として別個に編成されている。
 軽歩兵部隊に続いて、法陣円は第九小隊の飛竜兵団――竜騎兵を送り出す。アル・レガージュの転位陣は大戦時、現法術院長アルジマールが敷いた大量輸送を可能としたもので、半個小隊五十騎を一度に転位させることができた。
 ほぼ中隊一つを一刻と掛からず送り出し、第五大隊左中右中隊の転位が全て完了した。だがそれで終わりではなく、法陣円は一度その光を収めたかと思うと、すぐに再び光を放ち始めた。
 次に現れたのは、同じく西方第四大隊の小隊だ。
 やがて四刻半ばを過ぎた頃合いには、アル・レガージュ砦跡の広がる斜面に西方第五大隊及び第四大隊の左中右中隊、およそ四千八百名が整然と並んでいた。
 第五大隊大将ゲイツと第四大隊大将ホフマンが自らの隊列を見回し、そして背後の男を振り返る。
 踵を鳴らし右腕を胸に当てる。同時に四千八百名の兵が踵を鳴らす音が緑の岸壁を震わせた。
 兵列に相対して立つのは、西方将軍ヴァン・グレッグだ。
 ヴァン・グレッグは剣を身体の正面に突き、両手を柄に当て、鋭い眼光を兵列に注いだ。
「今回の我々の目的は三つある」
 朗々と張り上げた声が風に乗る。
「第一に、西海軍が侵攻したバージェスの奪還。その上で西海軍をバルバドスへ追い戻す――これが第二の目的だ」
 四千八百名の眼差しが一つの乱れも無くヴァン・グレッグに集中している。
「第三に、西海の卑劣な奸計に捕らわれた我等が国主、アレウス国国王陛下に、この地上へお戻り頂く事――」
 ヴァン・グレッグはその鋭い眼差しを、一人一人の兵士の視線を捉えるように、居並ぶ兵列へと巡らせた。
「我等は一身を賭して西海を討つ!」
 岸壁を吹き上がる風が、緑なす斜面の短い下草を靡かせ、兵士達の間を駈け抜ける。兵列に立てられた数百の軍旗が激しく音を鳴らしはためく。
 ヴァン・グレッグは正面に立てていた剣を掴み、鞘から引き抜くと頭上高く掲げた。
「我が声に、我等がアレウス王国の栄光に、その剣とその盾を以て応えよ!」
 兵士達が剣の鞘や槍の柄を鎧に打ち付ける。
 その音すら圧し、ヴァン・グレッグにいらえる鬨の声が岸壁の上に響いた。




 岸壁を吹き上がった風は、居並ぶ正規軍兵士の列を吹き抜け、鬨の声を乗せて丘の頂上に辿り着く。
 そこに立ち、先程から四千八百の兵列を見下ろしているのは、フィオリ・アル・レガージュの剣士、ザインだ。
 鋭い瞳をやや翳らせ、ザインは黙したまま正規軍の姿を見据えていた。
 大規模な兵列は大戦を経験したザインにとって、かつての光景を彷彿とさせた。
 街や丘から灰色の煙が幾筋も棚引き、丘も街も、レガージュの街と岸壁の前に広がる海も、アレウス王国と西海の兵士の姿で埋め尽くされ、血と叫び声で溢れていた。
 その、再来だ。
 音を立てて奥歯を噛み締め、ザインは溢れる記憶を抑えた。
(フィオリ――)
 彼の愛した主の姿を。
 左手をゆるりと持ち上げ、右の二の腕に触れる。ひと月前に肘から先は失った。
 だが未だ熱を持ち傷みを訴えるそれは、剣の渇望を表わしている。
 だからこそザインは確信していた。
 この街を守る為には、この剣が必要だ。
 彼の主が切り拓いた、彼女の名を冠した街。
 これから未来へ向かい、ユージュが生きる街。
(レオアリス)
 西方軍の列から視線を外し、ザインはそれを淡く輝く東の空に投げた。
 一振りの剣を失ったと、聞いた。
(お前もまたこの思いを、味わうのか)
 白と薄い灰色の磨り硝子のような雲が、傾き始めた陽射しに輝く空に棚引いている。
 その遠さ、作り物じみた不確かさ。
(お前の主は、お前を置いて行くことは無いと思っていた)
 レオアリスの剣の主が王である以上、彼の前から失われる事はないだろうと、その事にザインは安堵すら覚えていた。
 それはザイン自身の希求だったのかもしれない。
(俺達は何の為に、主を定めるのか――)
 主を失い、自身は残る。
 剣を失い――尚、まだ、剣を成そうとする。
 何の為に。
 その問いは、ザイン自身が何度となく、自らに問いかけ続けて来た思いでもある。
 ザインは既に、その答えを得ていた。だがそれはザインにとっての答えであり、レオアリスはこれから、彼自身の答えを探していかなくてはいけない。
 そうならないようにと――自己否定を繰り返すようなその問いを、レオアリスが抱く事が永遠に無いようにと、願っていたのだ。







前のページへ 次のページへ

Novels



2017.7.18
当サイト内の文章・画像の無断転載・使用を禁止します。
◆FakeStar◆