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王の剣士 七

<第二部>
~大いなる輪~

第二章『身欠きの月』

十四

 泥の中にバージェスの街は浮かんでいた。
 陸から吹く風が音を鳴らしバージェスの街を駈け抜ける。
 かつて水都と呼ばれた街の美しい外観は、そのいしずえである縦横に流れる水路も、水路を渡る瀟洒な橋も、石畳の通りも、全て暗い泥の中に浸かっていた。
 海と泥との境はなく、昨日まで西海に張り出した広場だった場所には仮初めの門が一つだけ、泥の中に建っている。西海との往来の記憶をそこにだけ留めていた、象徴としての門だ。
 ただしその門は建てられてから一度として、内に向かっても、外に向かっても、開かれることは無かった。それこそがアレウス王国と西海バルバドス、二国間の決して相容れない断絶の象徴だったのかもしれない。
 その門の向こうに本来あった海は、今は西海兵が立てる無数の鉾や槍、軍旗でひしめいている。
 そしてバージェスからおよそ半里ほど離れた所に、街があった。
 青い海原の上に高い丘のように裾野を広げ、街のぐるりを囲む街壁の奥には橙のいらかを戴いた建物が、緩やかな坂を登りながら連なっている。街門から続く大通りを進めば街の頂きには、更に天へと向かって伸びる美しい城がそびえていた。
 海中より浮上した西海の皇都、イス――
 その姿は遠く二千里を隔てたアレウス王国の首都アル・ディ・シウムの写し身の如く、けれど陽光を全身に注がれながらも、僅かにも生気を感じさせなかった。
 輝く海の上に浮かんだ墓標だ。船乗り達の間で語られる、海の果てに浮かぶと言われる死の島のようだった。
 辺りは無数の兵に埋め尽くされていながら静まり返り、イスの周囲は波の音さえ遠く、海上にその美しい異容を示していた。


 皇都の更に中心部に位置する謁見の間は、天井から降り注ぐ陽の光のもとで辺りを見回せば、壁や柱に色とりどり鮮やかな青の陶版が波の煌めきにも似た光景を作り上げていた。
 けれどその美しい広間も今は昨日の破壊をそのままとどめ、濃厚な死の気配を漂わせている。
 崩れた壁や柱、亀裂の穿たれた床。
 海皇とアレウス王国国王との会談の名残は既になく、扉から玉座へと伸びる漆黒の絨毯や青灰色の大理石の上には兵達が流した血の跡が幾筋もこびり付き、昨日の出来事が現実のものだった事を僅かに示すのみだ。
 そして今、謁見の間には白刃を光らせた鉾や槍をずらりと構えた兵士達が犇めき、玉座へのきざはしを前に立つ一人の男を半ば取り囲んでいた。
 この瞬間にも長い柄を男へ向け一斉に倒すのではないかと、それほどの緊張感が漂う。
 居並ぶ兵士達の先頭にいるのは、三の鉾第二序列のガウスと第三序列のゼーレィだった。 
 ガウスはかつてのヴェパール達と同様、海皇とともに西海へ下った者達を祖に持つ。青みを帯びたぬらりとした皮膚とやや後頭部の突き出た頭、銀貨の光を宿す双眸を持つ陰影の少ない面は、それでも地上にあれば人とさほど変わりはない。
 一方のゼーレィは豊満な乳房の裸体の上に薄布の衣を纏い、くびれた腰から下は青い鱗を連ねた尾を持つ半身半魚の海魔だ。アル・ディ・シウムのエルゲンツ橋を血で染めた、あの――。だだその身体はエルゲンツ橋に現れた海魔達の三倍を超えている。
 第二序列ガウスは男に対し、手にした赤い鉾の柄を傾けた。声にはそれと判るほどの苛立ちが含まれてている。
『ナジャル、聞いているのか』
 一人相対するのはナジャルだ。
 ナジャルは時折闇を纏い揺らぐ身体を、泰然と二百名近い兵士達へと向けていた。
 怯えているのは取り囲む兵士達であり、ナジャルではない。
『聞いているとも。続けるといい』
 ナジャルの血の色を帯びた双眸を避けるように兵士達が首を縮める。
 ガウスは声を張った。
『続けろだと? どこまでも傲岸な――貴様の所業を我等が知らぬとでも思ったか!』
 周囲を脅かす胴間声もナジャルはさざ波程度に受け止める。
『これはまた、まるで断罪を受ける咎人とがびとになった気分だが――我が罪状は何かね?』
『白々しいぞ。我等への説明もなくボードヴィルへ、あまつさえアレウスの王都へ攻撃を仕掛けるとは、随分と先走った行動を取ってくれたものよ。そもそも泥地化が急を要すると我等を騙してこのような場所に足止めし、軍を私的に動かすとはどういう了見か』
『騙すとは、心外だ』
 ナジャルは愛でるように身に纏う闇を揺らした。
『我は海皇の三の鉾筆頭であり、今は西海軍全軍の指揮権限を与えられている。海皇の意志のもと、軍を動かす事に何の問題があるのか』
『海皇陛下の御意志だと―― !』
 ガウスは吐き捨てた。
『戯言を! 貴様は、地上のあの女と結託し、この国をあの女の手に売り渡そうとしているのではないか! あの女は海皇陛下に取り入り、地上への復権とさも麗しい事を口にしながらその実、自分が地上を得るつもりでいたのだ! そしてナジャル、貴様はあの女と手を組み、海皇陛下を欺き、この国を手に入れようとしたのだ! いや』
 鋭い声が硬質の床や壁を叩き、その矛先にいるナジャルを断罪する。ナジャルはガウスの様子を他の場所の賑わいでも見る目で眺めていたが、次第に肩を震わせた。
『貴様は、この国を取り戻そうと』
『は――、ははは!』
 ナジャルの哄笑が響き、ガウスは笑い声に打たれたように身を引いた。
『な、何が可笑しいッ』
『可笑しいとも。何とも想像の逞しい事よ。これまでにさぞや昏い海の中で無聊ぶりょうをかこち身もだえていたのであろうなぁ』
 ガウスの青白い顔に血の気が差す。
『き、貴様、我等を愚弄するか』
『我は海皇の三の鉾として、その意志に従い行動するまで。ボードヴィルを攻撃せよと言われればその通り、攻撃するのみだ』
 あくまで悠然とナジャルは身を揺らし腕を組んだ。
『海皇陛下が兵を与えたのをいい事に――貴様の独断でどれだけの兵に損失が出たと思っている』
『兵が必要ならば幾らでも吐き出そう』
『吐き出すだと―― !』
 女の鋭い声が切り付ける。一瞬、謁見の間に怒りが熱水となって噴き上がったように思えた。それまでガウスの後ろでただナジャルを睨み据えていたゼーレィが、ガウスを押しのけその巨体を進める。
『痴れ者が―― ! 貴様が喰らった血族の恨み、忘れてはおらぬぞ!』
 青い鱗を連ねた尾が大理石の床を打ち、硬い床が砂岩の如く崩れる。兵達が恐れをなして後退った。
『我が同胞はらからを人形の如く扱いおって!』
 青い尾が空気を切って振り上げられた。
『貴様の身体をこの場で千々に切り裂いてくれようか! その身の内から己が血に断たれのたうつが良いわ!』
 ナジャルが喉を鳴らす。
 ゼーレィが振り上げた尾が止まる。
 低い笑いが流れた。
『――ビュルゲルが死に、ヴェパールが死に、レイモアも死んだ。その後を埋めたのがそなたら二人とは、海皇陛下の三の鉾も随分と矮小化したものではないか』
 ガウスの面をどす黒い怒りが染める。
『――き、貴様ッ』
『ゼーレィ、そなたの同胞はアレウス王の剣士に紙の如く断たれたぞ』
『……あ――ァアア!』
 ゼーレィは激しい怒りと憎しみに全身を震わせ、白い喉を逸らした。
 喉の奥から甲高い声が湧き起こる。
 兵士達の間に恐怖が走った。
『黙れ』
 壇上の影が動き、温度のない声が降った。
 それまで怒りに沸き立っていた二人から、その声は温度を拭い去った。二人は咄嗟に面を伏せ、ガウスは片膝をつきゼーレィが身を折る。
 壇上の玉座に、男が座っている。
 たった今そこに座ったかのようにそれまで気配が無かったが、今は身を竦ませる無慈悲さを放ち、ガウスやゼーレィ、そして居並ぶ兵士達を圧倒していた。
 長衣を纏った上半身を、天井から流れる幾重もの布が覆い隠し視線を遮っている。
 玉座に座る者が、今、この国にいるのか――
 だが、そこに座るのならば、それは海皇以外にあり得ない。
 重なる布の向こうから硬質な声が流れる。それは耳にする者に皮膚を這うおぞましさと戦慄とを覚えさせた。
『私は、ナジャルに必要な権限を与えている』
 ガウスとゼーレィはぐっと喉を動かした。ナジャルはその二人の伏せた頭を、海中を漂う藻屑を見る目付きで見降ろしている。玉座で気配が揺れる。
『そなた等がなすべきはただ一つだ。襲え』
 青い濤波とうはを刻む美しい謁見の間に、無機質な声が流れる。
『ボードヴィル――アル・レガージュ、アル・ディ・シウム。全ての大地、全ての生きとし生けるもの――地上を我等が顎で噛み砕き、呑み込むのだ』







「副将」
 呼びかけたロットバルトへと、グランスレイは深みのある緑の瞳を向けた。
 トゥレスへの疑念を仔細に伝える時間は無く、謁見の間にいるほとんどの視線が自分達に向けられている中で、口にできる言葉も限られている。
「――王太子殿下の居城警護の件です。大将補佐として第一大隊から一班を当てていますが、昨日から事態は悪化の一途を辿っています。可能であれば増強すべきと考えます」
 現在王城警護は第二大隊の主任務だが、特にファルシオンの居城に限って第一大隊左軍から一班を配していた。一班のみにしていたのは、第二大隊に配慮しての事だ。
「できれば二班、二十名ごとの二交代体制を」
 グランスレイはロットバルトが何故今、その事を選んで伝えたのか、それを考えたようだった。
「――判った」


 グランスレイは配備を約束した。
 ただ、それだけで今ある懸念が解消する訳ではない。何よりの問題はトゥレスの言動の、その意図だ。
 明らかにトゥレスは、ロットバルトが司法庁の審理に出頭しなければならないよう誘導した。
(上将は)
 レオアリスは不安定な状態だ。
 周囲の支えが必要であり、それが今、ファルシオンの警護のという任務にある事で、何より支えになるはずの第一大隊から図らずも切り離されている。この状況下で思いがけずとは言え自分自身の問題を抱えた事に、ロットバルトは燻る苛立ちを覚えていた。
 あまりに間が悪すぎる。
 逆の面から見れば重なりすぎている。
 あたかも初めから全て仕組まれていたかのようだ。
(――これが仕組まれた事なら)
 誰が。
 何を目的としてか。
 偶然が重なったのなら、この機に起こされる行動は何か。
「ヴェルナー中将」
 思考から引き戻され、ロットバルトは瞳を向けた。
 向かい合った座席にハイセンが座り、ロットバルトへ目を向けている。轍の振動が消えていて、馬車が止まっていたのだと気付いた。
「ヴェルナー侯爵邸です」
 ハイセンはやや躊躇いを表わして口をつぐみ、それから端的に尋ねた。
「まず現場を見ていただきます。その、よろしいですか」
 ロットバルトが馬車の中でずっと黙っていた事を、ハイセンは別の視点で捉えたのだろう。
 その視点・・・・を、自分は今までどう受け止めていただろうと、ロットバルトはふとそこへ思考を巡らせた。
「――確認は必要でしょう」
 ロットバルトがそう言うと、ハイセンは目礼し外へ声をかけた。馬車の扉が開き、御者が踏み台を降ろした。



  ヴェルナー侯爵の館の雰囲気は一変していた。
 昨日まで普段通りの静寂に包まれていただろう館は、全ての窓が外気を遮るようにぴたりと閉ざされながらも、そこはかとなく落ち着きのない空気を纏わせている。
 馬車寄せから邸内の大広間の玄関へと至る曲線を描く階段には、左右のそれぞれに十名ほどの警備隊士が立ち、ロットバルトが馬車を降りると敬礼を向けた。彼等は強張った面でロットバルトへと物言いたげな眼差しを向けたが、先頭を悠然と歩くクレメルとレーマン、二人の秘書官を気にしてか、口元を引き結んでロットバルトが通り過ぎるのを見送った。
 両開きの扉が開かれる。まず目に飛び込んだ玄関広間の様子にロットバルトは無言で眉を顰ひそめた。
 普段は邸内には控える事の少ない警備隊士が玄関広間や大階段に立ち、邸内を威圧していた。彼等は外の警備隊士と違い、臙脂色の肩掛けを纏う制服で統一されている。臙脂色の肩掛けはヘルムフリートの館の警備隊を表している。
 数名の侍従や下働きの者達がロットバルトの顔を見て一瞬喜びを浮かべ、だがすぐに慌てた様子で縮こまり視線を逸らした。
 そして一番物々しさを感じさせたのは、玄関広間の一角、大階段の左翼の影になった辺りに、二十名近い侍従達がひとかたまりに集められている事だった。ほとんどがロットバルトの知っている顔ばかり――彼等が全員、自分の館で働く侍従達だと気付き、ロットバルトは足を止めた。
「これは」
「――ロットバルト様!」
 その中からロットバルトを見つけ立ち上がったのは七十歳に近い白髪の男だった。ロットバルトの館で長年務めてきたフェンネルという養育官で、よろめく足でロットバルトへ近寄り、震える手を伸ばしてロットバルトの手を掴んだ。
「ロットバルト様――御館様が……ああ」
 声を震わせ皺を刻んだ面を項垂れる。ロットバルトは白髪の頭へ視線を落とし、フェンネルの両の肩に手を置いた。
「フェンネル。この状況は。何故館の者達まで集められている」
「……へ――ヘルムフリート様が、警護官に命じられ、急にここへ集められました。まるで引き立てられるように――反対したバスク執事がひどい怪我を」
 ロットバルトの館には館付きの警備隊は無い。この状況では彼等を護る者はいなかっただろう。
 フェンネルははっと顔を上げて苦悶の色を浮かべた面を強張らせ、ロットバルトを押し戻そうとした。
「ロットバルト様、貴方様はここに戻られては、いけな――」
 後ろから伸びた手がフェンネルの肩を掴み、有無を言わさず引き倒した。毛足の長い柔らかな絨毯も甲斐無く、床に打った右肘を抑えてフェンネルが呻き声を洩らす。
 驚いたのはハイセン達司法官だ。
「何をするのです! しかもこのような年配の方に対して」
 ハイセンが声を上げて引き倒した男を睨み、数人がフェンネルを助け起こした。ロットバルトがフェンネルの手を取り、立ち上がらせる。
 フェンネルを倒した警備隊士の後ろから、上官らしき男が大股に進み出た。ロットバルトは顔を見た事がある程度だが、ヘルムフリートの館の警備隊の副官を務め、ルスウェント伯爵を拘束したオルブリッヒだ。
 オルブリッヒは頭を昂然と上げたまま、ロットバルトと向き合った。
「随分と遅いお越しですな。侯爵をお待たせすべきではないと思いますが」
 フェンネルがオルブリッヒを睨む。
「主家に対し口が過ぎるのではないか、オルブリッヒ殿!」
 オルブリッヒは傲慢に目を細めた。そこに、今の彼の立場がどの位置にあるか、そしてこの館――ヴェルナー侯爵家がどのような状況にあるかを垣間見せている。
「弟君と言えど、前侯爵殺害の重要参考人だ。直に容疑者として扱わないだけ礼を尽くしていると感謝していただかなくては」
「何という、ッ」
 顔に血を昇らせたフェンネルを一切意に介さず、オルブリッヒは背後の部下へ顎をしゃくった。
「弟君を議場へ連れて行け」
 まるで罪人を扱うような口調だ。余りの態度にフェンネルが顔を真っ赤にしてオルブリッヒを睨んだ。
「オルブリッヒ殿!」
「待ちなさい」
 司法官のハイセンがその場をたしなめるように前へ出る。
「まずは我々司法庁の任として、ヴェルナー中将には侯爵のご遺体とお亡くなりになった現場を確認していただかなくてはならない。その後、ヘルムフリート殿とヴェルナー中将、双方の立ち会いのもと意見を聞くのが手順だ」
「その必要は無い」
 オルブリッヒは唇を歪め、顎を持ち上げた。
「この件はヴェルナー侯爵が審判する」
「それは、法に則っていない」
「だから、審理など必要ないのだ」
 解らない奴だと言わんばかりに嘲りを浮かべオルブリッヒは、ハイセンを睨み据えた。
「弟君が前侯爵を殺害したのは疑いようもない。審理などしても意味がないだろう。現場の確認も不要だ。前侯爵の遺体は既に寝室へ移している」
「何と――御遺体を、動かしたのか。我々司法庁の許可なく、勝手な事を」
「黙っていていただこう」
 オルブリッヒが片手を上げると、オルブリッヒの後ろから十名近い警備隊士が駆け出し、司法官達を取り囲んだ。司法官達は二十名ほどいたが、警備隊士達が皆抜身の剣を手にしているのを見て、思わず身を寄せた。
 ハイセンが抗議の声を上げる。
「何のつもりだ、これは! どのような了見か、説明を」
「当家の問題だ。まずは長老会の話し合いが終わるまで、司法はこの場に留まってもらう」
「それでは」
 剣を突き付けられ、ハイセンと司法官達が青ざめる。
「――これは、問題だ」
「司法庁にとっての問題など何一つない。繰り返すが、これはヴェルナー侯爵家内部の問題なのだ」
 司法官達を居間へ連れて行け、と部下へ指示するオルブリッヒへと、ハイセンが腕を伸ばし肩を掴む。
「王の定められた法を軽視するのであれば、我々司法庁にもそれなりの対応がある」
 ハイセンの怒りに満ちた形相に思わず身を竦め、オルブリッヒは喚いた。
「何をする、離せ!」
「法廷はこのようなやり方に同意はすまい。なるほど今回の件、どちらに理があるか私にも見えてきた」
「――無礼な!」
 オルブリッヒは握っていた剣を振り上げかけたが、その腕をロットバルトの手が抑えている。オルブリッヒが腕を引く間も無く、剣は容易くロットバルトの手に移った。
 狼狽えるオルブリッヒの腰に帯びていた鞘にその剣を落とし、ロットバルトは落ち着きなく動くオルブリッヒの視線を捉え、見据えた。
「この問題は確かにヴェルナー侯爵家の問題であり、すぐに解決する。ただ司法官を不当に扱えば、想定外の事態で長引く事になるだろう。それでも良ければもう一度剣を抜け。他の者達もだ」
 青い双眸が巡るのを受け、 警備隊士達は声もなく、司法官達に向けていた剣を下ろした。
 オルブリッヒはロットバルトの言葉の意味を飲み込めず、怒りと羞恥に青ざめた。
「わ、私は、当主たるヘルムフリート様の……っ」
「まずは兄上と話をするしかないだろう」
 それが成立するのならば、という言葉をロットバルトは飲み込んだ。議場へと案内を促すロットバルトに対し、オルブリッヒはやや勢いの失せた目付きで睨み、足音も荒く階段を昇っていく。
「ロットバルト様――」
 止めようと首を振るフェンネルへと微かに笑みを向け、ロットバルトは一度玄関広間を見渡した。
「主邸の者たちはもとより、この者達は私の館を管理する役にあり、今回の件には関わりが無い。彼等への不当な扱いもまた、認めていない」
 静まり返った広間を背に階段を昇る。西に面した玄関の上に広い窓が並び、そこから薄い雲を棚引かせた青い空が見えた。



 司法官達が居間に形ばかり案内されると、警備隊士は彼等を居間に残して扉を閉ざしてしまった。ハイセンは考え込むように椅子に腰を下ろし、時折扉を睨んだ。
 司法官達とは別に、ロットバルトの館の侍従達も地下の倉庫へと押し込められた。不安に青ざめた若い女官が両手を揉み絞る。
「フェンネルさん、ロ、ロットバルト様は、だ、大丈夫なのでしょうか。もし、もしお怪我など――」
 不安が限界に達したのかわっと泣き伏し、他の女官達もすすり泣きを洩らす。
「大丈夫だ。ヘルムフリート様は、兄君でいらっしゃるのだぞ」
 そう言いながらフェンネルが想い起こしたヘルムフリートの面は、血のつながりの暖かさなど一切感じさせなかった。
「大丈夫だ。ロットバルト様ならば……それにこのような事態、長老会に認められる訳がない」
 フェンネルは重い気持ちで首を振り、それから怪我をした執事のバスクを思い出すと、首を巡らせた。
「バスク執事以外、全員ここに連れて来られたのだったか」
「エイセルが使いに出ていました」
 つい数日前にロットバルトの館付きになった若者だ。侯爵の用件で外に出る事が多く、ちょうど今朝も館を出ていた事から、ここに連れて来られずに済んだ。
「戻っても、そのまま館で大人しくしていてくれた方がいいが」
 それよりもエイセルが機転を利かせて、外に、司法庁か、それとも近衛師団かにこの事態を報せに走ってくれはしないかと考えたが、それは難しいのだろう。
 溜息をつき、フェンネル達はロットバルトの身の無事を願うほかなかった。









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2017.4.23
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