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王の剣士 七

<第二部>
~大いなる輪~

第二章『身欠きの月』

十一

 自分が送った伝令使のもたらす情報を、果たして王城はどう受け止めるだろうかとワッツは考えていた。
 ワッツでさえ半信半疑――、いや、今も九割方信じていない。
 ワッツがボードヴィルの外壁上に見たものは、あれは、バージェスで海を渡ってきたもの・・・・・・・・・だ。
 だが王の姿を見たという噂は押し止めようとしても、バージェスからの敗走と昨夜の凄惨な戦場に打ちのめされた兵士達の間に、瞬く間に広まった。
 今の兵士達の顔を見れば――、背中を押す希望として、敢えて打ち消す必要はないのかもしれない。
(この状況を打開するまでは、いっそこのまま信じさせておく方がいいか。そもそも、もしかしたら、本当に)
 そこまで考えて、ワッツは自分が兵士達の希望に当てられている事に気付き、首を振った。
 戦場で根拠のない希望に押し流されれば、未来は無い。
 伝令使はまだ帰らない。
 ワッツは頭を働かせるために立ち上がった。
「クヘン村のカーブス村長と話したい」
 兵士が走っていく姿を見送り、それからボードヴィルのある方角を睨む。名も知らない森とサランセラム丘陵とが間に横たわり、ボードヴィルとは既に十二里――騎馬で三刻の距離を隔てていた。
 当初、クヘン村から連れてきた村人達を、ボードヴィルへ受け入れさせるつもりだった。実質上の保護の意味もあったが、ボードヴィルが村人達を受け入れるがボードヴィルの真意を測る一つの判断指標でもあり、ウィンスターの指示でもあった。
 だがボードヴィルの様子に断念せざるを得ず、今もまだ彼等を引き連れたままだ。
(このまま、第六の軍都エンデまで行くのが妥当だろう)
 カーブスの姿が見え、ワッツは片手を上げて合図してから先に天幕を潜った。


 カーブスとの話は時間はかからなかった。村人達の不満と疲労の蓄積を心配していたが、彼等もまた昨夜のナジャルの姿を目の当たりにし、ボードヴィルに留まることに怯えていた。
 第六大隊の軍都エンデであれば、ひとまず心安らげるだろう。
「エンデまで二日か」
 そこまでの間に、今回合流していた西方第六大隊左軍の仮駐屯地であるバッセン砦がある。そこまでならもう二刻もかからず辿り着ける。
 王都からの指示を待ってまずはバッセンで兵の手当てと補給をし、それからエンデへ向かうつもりだった。
 ただその間に王都から指示があれば、それに従う事になる。
「ワッツ中将」
 天幕の外から声が掛かる。
「おう、入れ」
「スクード隊の、オズマが」
「――オズマ?!」
 ワッツは腰を浮かせた。
 スクード隊は昨日、ボードヴィルの偵察へ戻した小隊だ。本隊とボードヴィルの街を探っていた班とは合流できたが、スクードが率いてシメノス岸壁から侵入を試みた班とは連絡が取れず、気を揉んでいた。
 入り口の幕を繰り上げて入った若い兵に近寄り、肩を叩く。疲労の色はあるが、負傷している様子はない。
「オズマ、良く戻った。全員無事か?」
「は! 現在スクード少将以下八名、皆無事揃っております」
 オズマは敬礼を向け、それから溜めていた息をゆっくり吐いた。
「スクード少将から、ワッツ中将へご報告致します」
 ワッツに促され、地面に敷いた布の上に腰を下ろす。
「スクードは何を知らせてきた? それと、お前の目でボードヴィルを見てどうだった」
「その、」
 オズマは一旦口ごもり、人払いを、と希望した。
 ワッツはオズマの目を見てから、頷き、まだ入口に立っていた兵に下がるよう告げた。
「さて、これでいいだろう」
 オズマは昨日ボードヴィルの砦城に侵入してから今朝までの事を、かいつまんで語り始めた。
 ボードヴィル侵入前に伝令使が使えなくなった事、講堂に兵が集まっていたらしい事、そして、ヒースウッドが招いたらしき人物――
 イリヤ、そして近衛師団第一大隊のヴィルトール。
 イリヤとヴィルトールが語った事。
 ヒースウッド伯爵邸から、イリヤの言うとおり、彼の妻だろうラナエという娘を連れ出した事。
 ワッツは驚きをまずは押し殺し、オズマの報告を聞いていた。
 やがてオズマが口を閉ざすと、肺から息を、ゆっくりと吐いた。
「第二王妃の、遺児、か――」
「中将」
 オズマは叱責も覚悟した顔でワッツを見上げたが、ワッツはそうはせず、厚い手のひらで剃り上げた後頭部をこすった。
 息を吐く。
「繋がったぜ――。あの王太子旗は、そういうことか」
 ボードヴィルに掲げられていた、ファルシオンのものではない王太子旗。
 それが第二王妃シーリィアの遺児、存在しないはずの第二王子・・・・のものだったとは。
 第二王妃シーリィアは王子を身籠っている身で、処刑された。だが事実は、王が密かに彼等を助けたのだと――
 俄かには信じ難い話だが、感情としてはどことなく救われた気分になり、信じたくなる話でもある。
 ただ、現実には国を揺るがす問題だ。
(レオアリス、お前、これを追ってたのか)
 王都は何らかを、或いは全てを知っているのだろう。
「いかが致しますか」
 ワッツは腕を組み、その片手で顎を撫でた。
「――俺だけの判断じゃ対処のしようがねぇ。とにかく王都に伺いを立てるだけだ」
 口には出さないが、王都がどこまでこの件を把握しているのか測りたいとも思った。それによって対応が異なる。
(事実だとしても、まあ認めはしないだろうな)
 ヴィルトールも本来なら、イリヤという人物の側にいるべきではない。
 ただそうせざるを得ない理由があるのだろう、とワッツはヴィルトールの置かれた状況を思った。今のボードヴィルから出るのは容易ではなく、『イリヤ』の意志がオズマの報告の中で語られた通りだとしたら、ルシファーはますます彼等を自由にはしないだろう。
(それにしても、次から次に、手に負えねぇ問題ばかり出てきやがる)
 だがこれまで長きに渡り平穏だった国の根幹が、大きく揺れたのだ。それも当然と言えた。
(まだ序の口か)
「まずはこの件、口外はするな。」
 オズマが頷くのを確認し、ワッツは組んでいた腕をほどいた。
「それで、そのラナエという娘は、しっかり保護しているんだな」
「はい。スクード少将の縁故を頼んで、今はアボット村の民家に」
「アボット? どの辺りだ」
「ここから南に歩いて二刻ほどの距離にあります」
「なら近いな」
 馬でなら、一刻とかからない。
(行ってみるか――)


 ワッツは天幕を出ると首を巡らせ、目当ての人物を見つけて近寄った。
 右軍のエメルと、第六大隊左軍中将コンサーロだ。自分達の愛馬の世話をしながらちょうど二人話をしている。
「エメル中将、コンサーロ中将。少し頼みたいことがある」










 王城謁見の間は、ワッツのもたらした情報に驚きに打たれ、束の間言葉を失っていた。
 ボードヴィルで王の姿を見た、と――。それが事実であれば、全ての不安を吹き払う吉報だ。
 だが、スランザールはそう捉えていいのかどうか、判断しかねると言った。
「父――上、の……」
 ファルシオンは喉を震わせ、幼い身体には大き過ぎる椅子から滑り降りながら手を伸ばすと、スランザールの服を掴んだ。ぎゅっと握りしめ、つま先を伸ばしてスランザールの顔を見上げる。
「本当に、父上が――ほんとに」
「殿下」
 ファルシオンの肩に両手を置き、スランザールは膝をついた。垂れ下がった白い眉から覗く眼には、たった今口にした言葉への後悔が滲んでいる。
「そのような報告があると、それは確かです。ですが」
 吉報かどうかは判断しかねるのだと、スランザールはもう一度、はっきりと繰り返した。
「――よく、判らない。何を言っているのだ……」
 ファルシオンは首を振った。
「父上が、ボードヴィルにいらっしゃるんじゃないの?」
「報告を上げたワッツ中将自身は半信半疑であり、おそらくは兵の見間違いではないかと、申しております」
 しかし、と口を挟んだのは財政院副長官のゴドフリーだ。スランザールを食い入るように見つめている。
「見間違いかどうかは、判らないのでは。ナジャルが現われたのなら、その場を陛下が――収めようとされたと、そう考る事もできます」
 それに答えたのはベールだった。
「ナジャルを退けたのはルシファーだった。ワッツは先の報告をそう上げている」
「――しかし」
「陛下のお姿を見たのも、僅か一人の兵士のみだ。ワッツは同時刻に、同じ場所に立つ人物を見ているが」
「ワッツ中将が、ならば」
 ベールは明瞭に言葉を続けた。
「ワッツが見たのは別人だと、そう報告にあった」
「……別人――。しかし――、しかし大公、今こうして報告を上げて来た以上、ワッツ中将もまた、陛下ではないかと考えているのではありませんか」
「ゴドフリー卿」
 ベールの声は、その場の全ての者達の思いを抑えるものだ。ベールはその視線をほんのわずか、アスタロトへ流した。アスタロトはベールの傍らで、ずっと深紅の瞳を見開き、一点を見つめている。
「希望を抱く想いは私も変わらない。だが実際に戦場にいたワッツの感覚を無視はできないだろう。ワッツは兵士達の間にその噂が広まり、それを消しようがない状況にある事を報告して来たのだ」
 ゴドフリーはもう一度言葉を探したものの、ベールの言葉を覆し自身の主張を裏付けられるものが見つけられないようだった。
 ファルシオンはゴドフリーとベールを交互に見つめていたが、口を噤んだゴドフリーから、スランザールへその黄金の瞳を移した。
「わからない――スランザール。何を、言っているの」
 立ち上がろうとしたスランザールの服の袖を握りしめる。
「ボードヴィルに、父上がいるかもしれないって、ことだよね……?」
「――」
「スランザール、ボードヴィルで、父上をさがすんでしょう?」
「殿下」
 袖を握りしめる力が強くなる。
 スランザールは、胸に息を吸い込んだ。
 慎重に、吐き出す。
「ワッツは、自身が見たものを――、海皇だと、言ったのです」
 その場の温度が急激に下がったように感じられた。
 ゴドフリーを始め、財政院や内政官房、地政院の文官達、ヴァン・グレッグ等正規軍、近衛師団のトゥレスやセルファン――この広間にいる五十名近い列席者達は一様に、驚きに息を飲み、或いは浮かべかけていた希望を翳らせる。
 グランスレイがロットバルトと目を合わせ、ファルシオンの後方を見る。
「海、皇……?」
 ファルシオンは瞳を見開いてスランザールを見つめ、握りしめていた袖を、ようやく解いた。茫然と首を振る。
「でも、……父上も……」
「海皇が一里の館へ入ったという情報はあるのです」
「ワッツが、見たの?」
「それは――」
 スランザールは僅かに口ごもった。
「一里の、控えに」
 掠れた声が割り込んだ。
 視線の中心がアスタロトへと移る。アスタロトは見開いていた瞳を、ゆっくり瞬かせた。それはたった今命を吹き込まれたかのようだ。
「一里の控えに、海皇が来たんだ」
 苦しげに震える声が押し出される。アスタロトはまるで深い海の底にいるかに見えた。瞳に映しているのはここにいる誰でもなく、瞳に刻まれた光景なのかもしれない。
「海皇は、浮上したイスから、海の上を歩いて――、一里の館に。私は転位陣にいて、ウィンスターは私を王都へ送ろうとしていた」
 謁見の間は静寂に満ち、光に満ちている。
「海皇が入って来た――」
 ふいに静寂を裂き、高い鐘の音が天窓を伝い謁見の間に落ちた。九刻を知らせる時計塔の鐘の音だ。
 だが、誰一人音の来し方を見上げる者もなく、アスタロトを見つめている。
「一里の館は沈みかかっていた。ボルドーが転位陣を敷いていて、館に残った兵は僅かだったはずだ。私達がいた部屋に西海の兵がなだれ込んで、それから――、海皇が、入って来た」
 響くのは幾つ目の鐘の音か。
 高く澄んだ音。
 アスタロトの声は鐘の音の中でも耳に届いた。
「ウィンスターは海皇の前に立ちはだかって、――そうだ。ウィンスターは海皇を見て、驚いていた」
 スランザールがぴくりと眉を上げる。「驚いた――? ウィンスターは、何に」
 アスタロトは上の空で首を振った。その様子はこの謁見の間にではなく、まだ、イスに、バージェスに、一里の館にいるようだ。
「わからない。転位陣が発動して、最後の光景は見えなかった」
 鐘の音。
「でも、全部おかしい。おかしいんだ。ある訳が無い。だって、海皇は、陛下が――」
 アスタロトの声が、次第に熱を帯びて上擦る。
「だから、その為に、陛下はイスに残ったのに」
 鐘の音は、九つの響きを引いて消えた。
「それなのに海皇がいるなんて――、そんなこと、そんなことあっていいはずが無い……!」
 ぐいと腕を引かれ、アスタロトははっと顔を上げた。
 レオアリスが正面にいる。右の二の腕をレオアリスの左手が掴んでいる。
 その力が、アスタロトをこの場所に引き戻した。
 向かい合った瞳は、アスタロトの知らない色をしている。
「だったら陛下も、同じ事じゃないか。海皇が滅んでいないなら」
 レオアリスは腕を放しスランザールへ向き直った。
「そうでしょう、スランザール」
 それは問いかけではなく、肯定を引き出す為だけのものだ。
「貴方は盟約が、陛下と海皇とを縛っていると言った。だったら――、いや」
 レオアリスは喉を震わせ、片手で顔を覆った。
「いいんだ、もう、そんな事はいい――盟約がどうだったかなんてどうでもいい」
 握り込んだ指に、革の手袋が軋む音を立てる。
「俺が行く――」
 微かに見えた光を掴もうとする、そんな響きだった。
「今度こそ、俺が行く……!」
 拳を振り下ろし、顔を上げる。靴底が硬い音を立てた。
「スランザール、許可を」
 スランザールは静かに、だがはっきりと、首を横に振った。
「そうはならん、レオアリス。そういう訳にはゆかんのだ」
 レオアリスは足を止め、眉根を苦し気に歪めた。
「……何、でだ――、何でだよ!」
 奥歯を噛み締め、スランザールを、スランザールこそがこの物語を描いたのだとでもいうように睨んだ。
「何が駄目なんだ! 今さら、西海との約定なんて関係ない!」
「上将」
 ロットバルトがレオアリスの腕を掴んだが、レオアリスは気付いていないようだった。
「ボードヴィルに行く。俺ならはっきり判る」
「上将」
「そうだ、初めから、イスに行けば良かったんだ。初めから俺が――、俺がイスにいれば」
「陛下はそなたを連れてゆかれなかった」
 レオアリスは一瞬凍り付き、それから声を振り絞った。
それは・・・間違いだ・・・・!」
「いい加減にしろ、近衛師団第一大隊大将」
 決して大声ではなかったが、冷えたその響きは空気を打った。
 ベールがレオアリスを見据え、冷徹な瞳を向けている。
「どなたの御前だと思っている」
 レオアリスは自分を見上げているファルシオンへ、苦しそうに視線を向けた。ファルシオンは何かを堪えるように、黄金の瞳を懸命にみはっている。
「そもそも、貴殿は何の立場でこの場にいるのか。自身の果たすべき役割が何か、良く考えよ。ここにいる以上は誰しも私人ではない。誰しも与えられた役割があり、それを負っている。それが理解できないのであれば、王太子殿下守護の任は解かざるを得なくなろう」
「そこまで、言わなくたって――」
 非難の声を上げかけたアスタロトを、ベールは同じように見据えた。
「貴殿も同じだ、正規軍将軍。感情で組織を動かそうとすることは許されん」
「わ――、私は」
「微かな希望に縋り全体を見損なってはならない。情報の真偽を確かめるために現地の調査は行う。だがそれはあくまで、西方第七大隊の任務としてだ。近衛師団の任務ではない」
 ベールはレオアリスを束の間見つめ、ややあって視線を戻した。
「だがその兵士は王都へ召喚し、状況を聞くべきだろう。王太子殿下、その方向でよろしいですか」 
 それが現時点では最も相応しい対応だという事は、アスタロトにも判った。アスタロトは行き場のない想いを飲み込んだ。
 レオアリスは唇を引き結び、じっと俯いている。アスタロトからは横顔が見えた。
 逸らそうとした瞳が、引き戻された。
「……だったら、俺は」
 微かな呟きだった。
 アスタロトはその先の、音にならず紡がれた声が聞こえたように思えた。
“俺は、ここにいたって意味がない――”
「レオ」
「城下に被害が出た以上、これ以上の混乱を避ける為にも予定通り布告すべきだろう。アスタロト公」
 呼ばれ、アスタロトはベールを振り返った。
「各方面第一大隊を通じて、城下へ布告を」
 西海との不可侵条約再締結が決裂した事――それを今日の十刻に王都全域へ布告すると決めたのは昨日の事だ。
「正午に予定していた西海への宣戦布告。これは最早待つ必要もない」







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2017.3.12
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