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王の剣士 七

<第三部>

第二章『冥漠の空』


 夜の渓谷は、日中よりもなお冷えた風を巡らせていたが、アルケサスのあの寒暖差とは比べ物にならないほど穏やかで、いっそ心地よい。
 煌々と降り注ぐ月明かりに照らされた渓谷は、絶えず響く滝の音にもかかわらず、無音の世界に佇んでいるように感じられる。
 深夜――、アスタロトは一人貸し与えられた家を抜け出し、一つ下の台地へと階段を降りていた。
 剣士達は昼食と、そして夜も、アスタロト達が持ってきた簡素な携行食ではなく、この里で採れた野菜を用いた料理を振る舞ってくれた。
(大蠍のから揚げ……大蠍の青唐辛子炒め……大蠍の包み焼き……)
 美味しかった。
 夕食は会談に使われたあの部屋で、カラヴィアスも交えて食事をし、言葉を交わした。
 カラヴィアスやティルファング達の他にも、そこで初めて見る顔触れの中には女性もいたが、いずれも二十代から三十代ほどの年齢で、一番若いのが十五、六だろうティルファングだ。
 老人も、小さな子供もいなかった。
 剣士とは、そういう種族なのだと、改めて目の当たりにした気がする。
 自らの剣の能力を最も発揮できる身体を保つ。
 いつだったか、アルジマールがそんな事を言っていたが、アスタロトが知っている剣士はこれまでレオアリスだけで、レオアリスは同い年だったから気にしてもいなかった。
 ザインは会ったばかりだから違和感が無かったが、それでも三百年の時をおそらくあのまま過ごしてきている。ユージュというザインの娘も、王都で会った時はアスタロトと同い年のように見えたが、間断的な眠りを繰り返したという。
(レオアリスは――)
 アスタロトも炎の能力ゆえか、長命を保つ事ができる。四大公爵家はみなそうした傾向のようだ。けれど家系を振り返ればアスタロトは他の三家と違い、長く生きてもせいぜいが二、三百年といったところだ。
 それでもとても、長いと思う。
(レオアリスは、この先)
 どう過ごすのだろう。
 そしてもう一つ――
 ユージュのように、ずっと眠るのだとしたら――?
 まるで、自分が置いて行かれるようだ。
 いや――
 置いて行くのは、自分達の方だろうか。
 一層冷たい風が吹き抜け、身体を震わせる。
 アスタロトは意識せず、瞳をそこ・・に落とした。
 朝に見た、渓流が再び滝となって流れ落ちているあの淵があるだろう場所だ。
 谷底に横たわる夜よりも更に深い、暗渠の闇。
 じっとその闇に見入っていたアスタロトの耳に、ふと、翼の羽ばたきが掠めた。
 聞き慣れたそれは、飛竜の翼が大気を叩く音だ。
 谷底から――アスタロトがたった今見つめていた暗闇から、渓谷を上がって来る。夜目に黒々と沈んだ翼が見えた。二頭。
(夜に、飛竜――?)
 飛竜達はすぐ下の台地の上に降りた。
 アスタロトは引き寄せられるように、今いる台地の縁に立った。巡らされた石造りの手すりに手を掛ける。下から吹き付ける風が髪と服の裾をあおる。
 飛竜から降りたのはティルファングとレーヴァレインで、二人は飛竜の手綱を引き、そこに建つ厩舎らしき建物に一旦消えた。
 ほどなく、入った入口とは違う扉が軋む音を立てて開き、再び二人が姿を見せる。そのままアスタロトのいる台地へ続く階段へ足を向けた。
 ここにいるのは良くなかったのではと、そう思ったが、アスタロトは彼等を見下ろす位置に立ったまま、じっと登って来る二人を見つめた。
 夜の中を歩いて来るティルファングの細身の姿は、一見するとたおやかな少女といった風情で、昨日アルケサスで大蠍を一刀両断したとは思えない。
(昨日は、レオアリスみたいに見えたけど――)
 やはり違う。
 違うけれども――、
(同じ、剣士)
 そう、同じ剣士だ。
 ザインと会った時とはまた違う想いが湧き上がる。
 それは先ほど胸を占めていた想いの、欠片。
(あ)
 いつの間にかティルファングの視線はアスタロトを捉えていて、それに気付いて鼓動が高く跳ねる。
 アスタロトは足を一歩引いたが、それ以上は動けなかった。
 ティルファングはアスタロトにじっと視線を据えながら登って来る。
 黒い瞳に剣呑な光が浮かんだ。
「こんな時間に」
 それまで含まれていた棘が、更に増したように思えた。
「何か気になるものでもあった――?」
「ええと」
 階段を登り切り、ティルファングが歩いて来る。
 アスタロトは手摺に手を置いたまま、じり、ともう一歩下がった。
「眠れなくて、ちょっと風に」
「人様の里を、あんまり勝手にふらつかないで欲しいな」
「ティル」
 あくまで穏やかに青年が窘め、ティルファングは愛らしい顔で唇を尖らせた。
 一体自分はティルファングというこの少年に、何か嫌われる事をしただろうか、と思う。
 ただレオアリスの事があるのだから、仕方がないのかもしれない。
 レーヴァレインがにこりと笑みを刷く。
「貴方達は明日発つんでしょう。もう寝た方がいいよ。本当は二、三日ゆっくりした方が疲れは取れると思うけどね。砂漠の疲労は、思ったより体に溜まるものだし」
「余計な事言うなよ、レーヴ。僕はさっさと帰ってもらいたいんだから」
「せっかく来たお客様じゃないか」
「客? レーヴまで同じこと――」
 言いかけて、ティルファングは一度口を噤んだ。
「……厄介ごとを押し付けに来ただけだ。全く、あんな子供助けなければよかった。ほんと余計な事したよ」
「偶然通りかかって良かったって、あの時言ってたじゃないか」
「言ってない!」
「あ、あの」
 やはり街道沿いで子供達を魔獣から助けたのはこの二人だったのかと、アスタロトは片手を上げた。
「ありがとう、その子達を助けてくれて。本当は、正規軍わたしたちがやらなきゃいけないことを」
 ティルファングはじろりとアスタロトを睨んだ。
「気安く話しかけんなブス」
 二の句が継げずぽかんと口を開けたアスタロトの代わりに、レーヴァレインが手を伸ばしてティルファングの両肩を押さえ、向き合う。
「女の子に何てこと言うんだ、謝りなさい」
 一端ぐっと怯んだものの、青年から目を反らし、アスタロトを斜めに睨む。
「ブスだからブスって言ってるんだ。大体僕そもそも美少女とかって、大っ嫌いなんだよね」
「ティル、」
「暗い顔して、何だかんだ誰かに助けてもらって、でもそれだけだろ」
 その言葉は思いがけず激しくアスタロトの胸を叩き、アスタロトは息を呑んだ。
 ティルファングは顔を反らし、アスタロトの前を離れてそのまま歩いて行く。
「本当にごめんね。明日、謝らせるから」
 申し訳なさそうにそう言うレーヴァレインに首を振って応えながらも、二人が階段を登って行き夜がその姿を隠した後も、アスタロトはしばらくその場所に立っていた。









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2018.9.9
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