七
「旅証を」
王都街門に立った兵が愛想の無い声で、門を潜ろうとする者達へ一人一人声を掛けている。
旅証は住んでいる街の領事館が発行してくれるが、どうやら旅証を持たない者も時折いて、彼等は見たところ街門の脇にある小さな建物に連れて行かれるようだった。
「王都は出入り自由って聞いてたのになぁ」
自分の旅証を出して見せつつ、ベイルは無愛想な兵士に歯を見せて笑いかけた。笑みは返らない。
「いつの話をしてる。――いいぞ、通れ」
「せっかくあんたらの同僚になりに来たんだから、もうちっと愛想よくしてくれや」
そう言っても兵士はもうベイルに目も向けず、次の男を呼んだ。
「ちぇ、景気悪ィね」
とは言えこれでようやく王都に着いたと、ベイルは意気揚々と歩き出した。
十月に入ると街道の樹々は葉を枯らし始め、吹き付ける風も冷たくなってくる。吹きさらしの街道を歩いてくると街に着いただけでも何となく有難いものだが、更にここは王都――この国の中心地だ。道中の街のどこに入った時よりも感慨深かった。
門をくぐって最初に目の前に広がるのは、門前広場と東大門から続く大通り。
思わず口笛を吹いてしまうほどには、大通りは広く、そして人で溢れていた。
「おっといけねぇ」
首を竦める。
物珍しそうにしていたら、今日王都に来たばかりだとばれてしまう。鴨にされるのはごめんだ。
ベイルは軍に入る為に王都に来た。
ベイルは世慣れた男で、すらりと背が高く濃茶の髪と澄んだ緑の瞳と、女にもてはやされそうな顔立ちをしている。
腕に自信があり、以前いた南方の、まあ王都には比べるべくもない小さな街ではあるが、その中ではそこそこ有名だった。
とは言え来年はもう三十歳になる。ここらでひと旗上げようと考えたのだ。それには王都で軍に入るのが一番確実だ。今までいた街で、少しばかり問題を起こし過ぎたというのもあるが。
「さてさて」
ベイルが歩き出したと同時にくらいに、右手にある街門脇の建物の扉が開き、男が一人、ふらりと出てきた。
砂色の煤けた外套をすっぽり被った、見るからに旅人――それも随分遠くから来た――といった風情だ。顔も外套の頭巾で半分隠れている。旅証が無く身分改めでも受けていたのだろう。
男は大通りに出て、ベイルの前を歩いて行く。
その姿がふと目を引いたものの、ベイルはすぐ男から目を逸らし、抜かりなく街の様子を検分し始めた。
「王都も荒れてやがるなぁ。まあ下層ってのはこんな感じらしいが、うちの街のがマシなんじゃねぇか」
風体の悪い輩があちこち目につく。
元々王都には国のあちらこちらから人々が集まって来るが、当然善人ばかりではない。これほどの人がいて、しかも今は西の辺境では西海との戦争中であり、街の治安を維持する正規軍が人手が足りず新兵を募集している状況だ、目も行き届かないだろう。
(軍に入らなくてもそこそこ稼げそうだが――)
名声が欲しい。だから今なら手っ取り早く、軍だ。
何となくまた先程の男が視界に入り、特に意識した訳ではないが、ベイルはその背中を見ながら歩いた。
ベイルの二十歩ほど前をやや視線を落として歩いている男は、一体どこから来たのか、羽織っている砂色の外套は年季が入りあちこちほつれている。
都市部の住人ではなさそうだ。
意外と背が高いな、とふと思う。
ベイルと同じで地方から来た食い詰めの志願者かとも思ったが、外套はすとんと膝下まで落ちていて、少なくとも長剣などを持っている様子は無かった。
と言うことは軍に志願しに来たのではないのかもしれない。
(――何で観察してんだ)
別に姿や歩き方にそれほど特徴があるとかではない。
ただ何となく、目に止まる。
その男の背が、ふいに遮られた。
(ん?)
男とベイルとの間に別の男が入ったのだ。
それだけではない事に、ベイルはすぐに気が付いた。
もう二人の男がベイルを追い越し、にやにやと笑い交わしながら男の背後へ近づいて行く。
(四人――おっと前から来る奴もだな)
六人。
あからさまに厄介事の気配しかしない。こうした区画では起こりやすい類の。
「道変えるかな」
何事も無くは済まないだろうが、ベイルにも別に助ける義理はない。それより巻き添えを食ったら堪ったものではなかった。
「俺も相手がひとりふたりならいいが」
助けて恩を売ってみて、返ってくるあてなどなさそうな男だ。
(明らかにお上りさんだしねぇ)
割には合わないな、と足を緩め辺りを見回し、さすがにこんな界隈の裏路地に入るのはまずいだろうと、ベイルは露店の前に立ち止まった。
(何だ、貧相なもんしか売ってねぇなぁ。せっかく王都に来たってのに)
声には出さず、とは言え露店の品揃えはお世辞にも豊かとは言えない。
「王都も厳しいのかい」
露店の向こうに話しかけると店主は丸い顔をしかめた。
「そうだよ、どんどん物が入んなくなって来てる」
「へえ」
通りが騒がしくなる。あの男がごろつき達に絡まれたのだろう。ベイルは平然と無視した。店主もだ。やはりこうした事は日常茶飯事らしい。
「あんた今日来たのか?」
「そうだ」
店主は頭頂部のすっかり髪が薄くなった丸い顔で、にやりと笑う。
「この辺り気をつけた方がいいぞ、ふらふらしてそうな奴を見ると、すぐああやって……」
店主の言葉が途中で止まり、ベイルは訝しんで首を巡らせた。
そう言えばいつの間にか静かになっている。
もうあの男は裏路地にでも連れ込まれてしまったかと通りを眺めて、ベイルはつい妙な声を出しそうになった。
男は、ただ立ち止まっただけのように見えた。
絡んだはずのごろつき達は六人とも通りに転がっている。
ただ一人だけ半分身体を起こした男も唖然として口を半開きにし、自分の前に立つ砂色の外套の男を見上げていた。まるで、今何が起こったのだろうか、と懸命に考えているようだ。
通りは人が多かったが、しんと静まり返っていた。
「……え、何だ?」
ベイルは目を瞬かせた。
同時に、外套の男の首がベイルへと巡る。
ちらりと見えた男の双眸は、思わず唾を飲み込むほど鋭かった。
「――」
もう男は何事も無かったかのように、坂道を上って行く。男の姿が他の通行人に紛れたところで、ベイルは溜めていた息を吐いた。
騒めきも戻る。道の端から何人かの男達が、転がった男達に駆け寄って行く。
「何か、すげぇな、……」
ベイルも再び坂道を歩き出した。倒れた男達を人だかりの向こうから眺め、五人とも完全に気を失っているのを確認した。
一人、まだ唖然としている男がすぐそこに居る。何があったのかと声を掛けようとして、ふと思い止まった。
先ほど外套の男と目が合ったのは、ベイルが後ろを歩きながらずっと彼を眺めていた事を、気付いていたからではないかと思ったのだ。
「いやいや、俺はこいつらの仲間じゃねェし」
そこにいない男に言い訳するように、ベイルは慌てて首を振った。
半刻後にベイルが立っていたのは、中層に入った一角にある広場だった。
正規軍の兵士達が三人、広場の中央に立って声を上げている。
新兵を募集する、初めは訓練からでいきなり前線に立つ事はない、国の為に力を発揮して欲しい、と呼びかけているのだ。
新兵募集を開始した当初は十日に一度ほどの呼びかけも、九月に入ってからはその間隔は短くなり、十月になった今月は、まだ三日だというのに昨日も一昨日も兵士が広場に立っていた。
「誰が入るんだ、そんなもの!」
群衆の中から野次が飛ぶ。兵士は構わず声を上げている。
「まずは西海か、東方公か、それをどうにかしてからにしてくれよ!」
そうだ、と同意する声がぽつぽつと上がる中で、集まった人々の中から進み出る者もある。
「俺は入るぜ。兵を募集してるって聞いたから王都に来たんだ」
「俺も。正規軍なら食いっぱぐれはないからなぁ」
見るからに力自慢そうな、荒くれといった顔触れだ。
(阿保か。ここで名乗り出てもしょうがねぇや)
ベイルは独りごち、周りを見回したその視線をぴたっと止めた。
あの男だ。
先ほどの、砂色の外套の。男は被きに隠したその顔を、広間の真ん中で募集条件を読み上げている兵士に向けている。
(やっぱ軍に志願しに来たのか?)
ベイルは人集りの中を、外套の男に近付いた。周りの声が耳に入って来る。
「あいつらが入るって? 却って治安が悪くなりそうだぞ」
「だいたい西方軍が壊滅したって聞いてないのかね、危ないよな」
「そんな軍に誰が入るんだと思ってたけど、まだ物好きがいるもんだ。今の軍なんざ命が幾つあっても足りゃしねぇ」
「入るのなんて結局田舎者くらいさ」
腰抜けだな、とベイルは口元を歪めた。誰かがいつの間にか、勝手に助けてくれると思っているのだ。
「アスタロト様だって、王の剣士だっているんだし」
「王の剣士はまだ牢だろ、赤の塔に入ってるって話じゃないか」
「牢じゃねぇよ、蟄居ってアレだろう、しばらくお役から外れて、人とも会わないでってヤツ。だったら王城のどっかにいるんじゃないか?」
「そんなもんお前、王の剣士を牢に入れたなんて言えないから上手いこと取り繕ってるだけだって、みんな言ってるよ。じゃなきゃとっくに西海と戦ってるよ」
「まあなあ――そりゃあ殿下はそう簡単にはお許しにならないんじゃないかねぇ」
「いや、あんなに仲良かったんだ、決めてんのは殿下じゃないんじゃないか?」
「王の剣士が動いてくれりゃ、西海も東方公もすぐだってのにさ」
「アスタロト様が動けばいいじゃないか。何やってんだろう、西海軍も壊滅したのに」
「噂だけどさ、そのアスタロト様……」
あちこちで似たような会話ばかりだ。そんなふうに誰かに期待してばかりの無駄口を叩いているよりも自分で動いた方がマシだろと、更に唇を歪める。
ベイルは目指す外套の男の左隣に寄り、声を掛けた。
「なあ」
男の視線がちらりと動いて自分に向けられ、何とは言えずベイルはまた唾を飲んだ。
男はベイルに興味を覚えなかったようで、すぐに視線が逸れる。あの六人の仲間とも思われていないと、ベイルは安心して言葉を継いだ。
「さっきのは凄かったな、六人も、何やったんだ? 俺ぁ後ろにいたが、ほんのちょっとしか目を離してなかったんだぜ」
男の答えは無いが、気にしない。
「あんたも軍に入りに来たのか? 今までどっかの街の警備隊にでもいたのかい? その格好、随分遠くから来たみたいじゃねぇか」
砂色の外套を指差す。
近付いて見た横顔は思った以上に若い。二十代半ばだろうか。
これほど若いと思っていなかったから少し驚いた。あの眼差しというか、男の持つ雰囲気が明らかに荒事慣れしていそうだったからだ。
とは言え先ほどの事も表しているように、街のごろつき風情とは違う。どちらかと言えば軍属のような雰囲気だ。
ベイルは生まれ育った街で先ほどの男達と変わらない事も散々やってきたが、この男には道で擦れ違ったとしてもそういう気にはなれない。
「あんた、軍に志願するなら俺と一緒に行かないか。王都は不慣れだろ? ま俺も似たようなもんだが、交渉なら得意なんだ、何かと有利なように取り計らってやるよ」
何と言っても軍に入るのならば、同じ志願者の腕の立つ奴と知り合っておくのは損はない。
「いや」
だが男はごく端的にそう言っただけだ。
「何だ、軍に入るんじゃない? 本当に? あんたなら絶対軍功立てられそうなのになぁ」
ベイルの残念そうな声にも男は特に反応を返さなかった。
「わざわざ王都に来たんだから、目的はあるんだろうが――おっと、そうだそういやあんた、旅証持ってなかったのかい? 領事館もねェどっかの村から来たのか? それでも領事館に寄って旅証もらっとくモンだけどよ。まあ手っ取り早く旅証が欲しいんなら、そういうとこも探してやるよ。つてもあるしな」
もう一度向けられた眼は、それまでとは異なった。鋭い刃がベイルの心の底へ差し込み探るようだ。
「わ、悪ィ――、立ち入るつもりはねぇよ」
愛想笑いを浮かべ詫びを示して手を上げた。
男はベイルから視線を逸らすと、その場を離れて歩いて行く。
「なぁ! 気が変わったら声かけてくれ。俺はベイルってんだ。しばらく下層の東大門辺りに宿取るつもりだよ」
男は振り向かない。
追いかけようかとも思ったが、そもそも男自身に用がある訳でもなく、それ以上掛ける言葉もない。ベイルはしばらくただその背中を見送った。
「赤の塔――」
男は広場を抜けると、続く坂道の上、家々の屋根の向こうに僅かに覗く王城の尖塔を見上げた。
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