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王の剣士 七

<第三部>

第三章『西へ吹く風』


 東方公ベルゼビアの所領ヴィルヘルミナの街から徒歩で一日、王都の方向へと戻ると、人口五千の中規模都市ベンゲルがある。
 現在、正規軍東方将軍ミラーが本陣を置く街だ。
 ミラーは東方公と対峙する東方軍を二つに分け、ヴィルヘルミナを挟んで東の最も近い街レランツァに第四大隊から第六大隊九千が、そして第二大隊三千の兵がこの街に駐屯していた。



 ミラーの前に戻った使者は、自らの任務の不出来に恐縮してその場に身体を伏せた。
「やはり門は開かず――任務を果たせぬまま戻り、申し開きのしようもございません」
 九月末、季節は秋に差し掛かろうという午後の陽射しが、並ぶ窓から斜めに差し入り室内を温めている。
「仕方がない。もともと東方公が受け入れる可能性は良く見積もっても二割ほどだった。戻っただけでも良かったとしよう」
 ミラーは普段通りの穏やかな面を崩す事なくそう返し、三日の旅路から戻った部下を労った。戻っただけでも、とそう言ったとおり、一歩間違えば命ごと戻らなかったかもしれない任務だ。
 使者は東方最大の都市ヴィルヘルミナに陣を構える東方公ベルゼビアへの、講和勧告の任を帯びてヴィルヘルミナの門を叩いた。
 ヴィルヘルミナの街の前面には常時、東方公の配下一万三千の内、五千の兵が展開している。東方軍の使者は街に近付くだけで捕らえられ、見せしめに首を落とされる危険性もあった。
 副将ホメイユがミラーの顔を見つめる。
「閣下。これで三度目の勧告でした。三度とも無反応となれば、東方公と講和を結ぼうという姿勢も、そろそろ変えて行く必要がありましょう」
「そうだな。これは充分引っ張った」
 ミラーはそう言って腕を組んだ。
「さて、次の手をどうするか。アンカー、策はあるか?」
 ホメイユの横にいた参謀長がミラーへ首を向ける。
「この段階に至っては、まずはヴィルヘルミナ周辺を封鎖し、街への物資を断つ事で活路を塞ぐ、という手段を取るのが定石かと」
 ミラーも頷く。
「正統な戦略だな。大抵はそう動く。そして今回は、まだそう動く段ではない」
 その定石を取らないのが前提と、アンカーもまた承知した上での話だ。
 王妃クラウディアと王女エアリディアルがヴィルヘルミナに囚われている以上、下手に追い詰める手段は取らないはずと、それはベルゼビアも想定済みだろう。
「ヴィルヘルミナに潜入したゲルド達が根を張り始めています。東方公の視線は外へ向け続けなければなりません」
 ヴィルヘルミナの街に旅芸人の一座に扮し、少将ゲルド以下十五名が潜入したのが七月初旬。
 彼等とこの本陣を繋ぐ金糸雀かなりあは、数日から十日に一度、ミラーへ首尾を伝えて来ている。その動きは順調だった。
 ヴィルヘルミナの大商人に繋がったと報告があったのが九月初旬、二十日前の事だ。彼等の任務を達成する、その一歩を進める事ができたと告げて来た。
 任務――ベルゼビアの暗殺。
 だが、難攻不落と謳われるヴィルヘルミナの街の、更にその要であるヴィルヘルミナ城が建つのは街を見下ろす小高い丘の上、加えて斜面には視界を遮るものは何一つ無く、気付かれずに侵入する事は不可能と言えた。
 暗殺する為には東方公に近付かなければ話にならないが、それが一番難しい。
 打開する策として、ミラーは部下の中から腕が立ち、また歌舞音曲に長けた者を選りすぐり、およそひと月かけて旅芸人の一座に仕立てた。そして目立たない程度に周辺の街に、一座の評判を流してから、ヴィルヘルミナへと送り込んだ。
 街で評判を立て、まずは東方公の耳にまで届ける事。
 今は魔獣などの出現によって街道の治安も悪化し、旅芸人の一座が長期間街に留まるのは不自然ではない。そして街の暮らしが閉ざされていれば、必然的に娯楽への需要は高まる。
 ベルゼビアが、王妃とエアリディアルの為の余興に評判の芸人を城へ招こうとと、そう考えてもおかしくはない――
 彼等はそうなるように動いている。
「少し、外で小競り合いでもしておくか」
 ミラーは手元の駒を取り、卓に広げた地図のベンゲルとヴィルヘルミナとの中間にそれを置いた。





 ヴィルヘルミナの街は平時とほぼ変わりなく栄えていた。
 ミラーの東方軍が西の街ベンゲル、東の街レランツァに分散して陣を置いているが、それもこの街の壁の中の暮らしにはほとんど影響を及ぼさず、行き来するヴィルヘルミナの商隊に対しても品検めはするものの、その道行を妨げる事は無かった。「街道は軍がいるお陰で却って安全になった」と、商人達はそんな冗談を交わすほどだ。
 基本的にこうした地方都市の住民達は、広くは国と国王に帰属しているが、実生活ではその都市や街、村を直接治める領主の影響が大きい。
 王の顔は知らなくとも自分達の領主は知っている。王都の位置は知らなくとも、ベルゼビアの城への道は目を瞑っても歩けるものだ。
 政治的な視点は彼等の日常の中に無く、ベルゼビアが王妃と王女を王都から伴って来た事も、王都と対立している事も、日々の生活が変わらなければさほど彼等を悩ませるものでは無かった。
 人口二万五千の街の中には生活の為のものは全て揃っており、劇場も学校もある。街の通りは賑やかで、毎月五日ごとに広場に大きな市も立った。
 市となればそこに集まる人々を楽しませようと、毎回大道芸人達があちこちで様々な芸を披露する。
 中でも最近評判なのが、二か月ほど前にこの街に来た、麗しい踊り子の舞踏を見せるゲルド一座だった。


 軽やかでやや気忙しい笛の音が広場に流れる。笛の旋律を追う太鼓や鉦の音。
 心を浮き立たせる音楽を聞き付け、「始まるぞ」、と人々が広場に集まり始めた。
 奏者の男が胸に抱え持った小風琴の蛇腹を伸び縮みさせる毎に、風が明るい和音を乗せて流れる。
 その音楽に乗せ、しゃらん、と速い拍を刻んだ金属の涼やかな音が重なった。踊り子の手足を飾る幾重もの細い腕輪が鳴らす音。
 軽快な楽の音に合せて足を踏み、身体をくるりと回し、上体と両腕をしなやかに反らす度、鈴とも違うその音が踊りを彩る。薄布に包んだ肢体は鍛えられて美しく、艶やかな笑みを浮かべ、高い位置で一つに括った髪も踊る。
 数小節を奏でる内に、周囲にはすっかり人垣ができ始めた。三人の踊り子達と七人の楽隊は、今このヴィルヘルミナで一、二を争う人気を集め、特に美しい踊り子達を目当てに回を重ねるごとに通う者が増えた。
 一番人気は黒髪のスキアだ。中には酔った勢いで踊り子達に絡んでくる者もいるのだが、一座の用心棒だけではなく楽士の男達もやたらと強かった。
 それはともかく、一座はこの街で芸を披露し始めてひと月半、ついに街で一番の大商人グラウン家に招かれたのだった。グラウンは歌舞音曲の保護にも熱心で、その為グラウン家に呼ばれて芸を披露する事は、この街で認められる事を意味する。
 そしてグラウン家に呼ばれれば、次は領主――そういう流れがあった。
「今は王妃様と王女様もおられるし、きっとすぐ呼ばれるだろう」
 楽隊の足元では、銀色の籠にいつもの金糸雀が一緒に囀っている。


 最後の楽の音が空に消えると、集まっていた人々は満足し、思い思い街の通りへと流れていく。賑わっていた広場は束の間寂しさを覚えさせた。
 三人の踊り子達は舞台袖代わりの路地裏に引っ込み、七人の楽士達は笛や太鼓を手早く袋へ納めている。
 一座の長ゲルドは広場を見回していた視線を、一点に止めた。日に焼けた口元に一瞬だけ、笑みをひらめかせる。
 二人の男がゲルド達へ、真っ直ぐ歩み寄って来る。一目で判る、ヴィルヘルミナ城の官服を身に付けた二人は、ゲルド達の前に来ると一座の顔触れを見回した。
「お前達が最近評判の旅芸人の一座か。良い芸を見せてもらった。グラウン殿の言っていた通りだな」
「有難うございます。あなた方は……」
 ゲルドが進み出て頭を下げ、二人の男をちらりと見た。ゲルドと同じ、四十代前半だろうか、問われて二人は誇らしげに顎を持ち上げる。
「我々は領主ベルゼビア公の使者だ」
「領主様の――」
 驚いて顔を見合わせたゲルド達へ、鷹揚に頷く。
「公爵がお前達の技を御覧になりたいとの仰せだ。城へ来てもらいたい」
 わっと一座の座員達が集まり、ゲルドと二人を囲んだ。
「座長、すごいじゃないですか!」
「公爵様のお耳に、我々の芸が入ったなんて」
「あたし達気合入れて踊りますよ!」
「いや、待て待て」
 ゲルドは苦笑して喜に沸く座員達を宥め、再び使者へ向かい合い、自分より背の低い二人より心持ち目線を下げた。
「有難いお話ですが、そろそろ我々も次の街へ移ろうと考えておりまして。いつも一つの街には長くても二ヶ月程度にしとこうと決めてるんです。それ以上は飽きられますからねぇ。惜しいくらいで移った方が次また来た時喜ばれるってもんで……」
「それはやめた方がいいぞ」
 聞き返すように瞳を開いたゲルドへ、使者は沈んで行く太陽を示すような仕草をした。
「昨日、街の西側でまた東方軍との戦いが始まった。今度もそれほど大事にはならないだろうが、とは言え街道も安全は保証できないし、街に留まった方がいいだろうな」
「またですか――まったくいつまで続くんですかねぇ。いや、そういう事ならぜひにも長く逗留させていただいて、公爵様に我々の芸をご覧いただきたいってもので」
「調子がいいな。値を吊り上げるつもりだったのだろう?」
「まさかそんな、恐れ多い」
 男達がふんと鼻を鳴らす。
「まあいい、心配するな、充分な額を支払う。もちろんお前達の芸次第だが、他の街でも評判だったのだろう? 公爵のお気に召せばかなりの額を戴けるさ。短くとも数日は城に逗留してもらう事になる、宿は一旦引き払うといい」
「喜んで、お伺いいたします」
 二人は明日、宿へ迎えに来ると言って広場を去った。
 ややあってゲルドは深々と下げていた頭を上げ、街の南、小高い丘の上に建つ城を見上げた。




 ベルゼビアの居城ヴィルヘルミナ城は、ヴィルヘルミナの街の南にある小高い丘の上にその優美な姿を見せている。
 緑の絨毯を敷き詰めたようななだらかな丘には、遮るものは低木の一つもなく、斜面を登ろうとする者は、街からも城壁の見張りからも、その姿は一目瞭然だった。
 夜は丘に篝火が焚かれ、誰の目にも触れず城へ入る事は夜間であってもほぼ不可能だ。

 だからこそ、招き入れられる必要があった。
 ゲルド達はおよそ二か月をかけ、ヴィルヘルミナの街で評判を作り、街の有力者と繋ぎを作った。
 次は出来る限り城へ長く滞在し、隙を探るのだ。焦る必要は無い。
 慎重に、確実に機を窺う。
 肝要なのは、王妃クラウディアと王女エアリディアルに害を及ぼさない事――
「この度は、偉大なる領主様にお招きにあずかり、恐悦至極に存じます」
 翌日、ヴィルヘルミナ城の一室で、迎えた品の良い初老の男へと、ゲルドは膝をついたまま更に深々と頭を下げた。ゲルドの後ろに並んだ座員達もゲルドに倣って身体を伏せる。踊り子に身を扮したスキアも、ゲルドの背を見ながら顔を伏せた。
「手前ども、流浪のしがない芸の一座にとっちゃぁ、その街の領主様にお招きいただくというのが最大の栄誉でして。ぜひ我々の芸をお気に召していただいて、この先もひとつ長いよしみをいただければ、また今後この街に来た時大変有難いというもので」
 目の前の男は姿勢良く伸ばした背に後ろ手に腕を組み、旅芸人の一座を見下ろした。
「私に長舌は不要だ。誤解しているようだが、私はただの家令に過ぎない」
 ゲルドは首をすくめ、恥じ入るように頭を掻いた。後ろで座員達が顔を伏せたまま、素早く目配せする。
「ありゃいやァ、これはすいません、立派な身なりなさっておられるんで、てっきりご領主様かと」
「公爵閣下がこのような使用人の部屋においでになる訳が無い。まあ公爵閣下のお顔などお前達が知りようもないが」
「はあ……ずいぶん立派なお部屋ですがねぇ。さすがこの国の四人の公爵様のお一人だ、使用人の方々のお部屋も立派なもんですなぁ」
 ゲルドはにこにこ笑みを浮かべながら今いる広い部屋を見回し、また改めて家令を見上げた。黒と灰色の仕立ての良い礼服に身を包み、仕える公爵家の品格の高さがこの男からも窺える。
「それで、私どもはいつ頃芸をご披露させていただければよろしいので」
「当主の気が向かれた時だ。だが無駄に長居をさせるつもりはない。明日か、明後日か、いずれかだろう。いつでも芸を披露できるよう準備だけはしておいてもらおう」


 従僕に案内され、ゲルド達は初めの部屋から薄暗い廊下を抜け、それから一旦城の中庭に出た。
 中庭とはいえ十二分に広く、中央には彫像のある噴水が陽射しの中で水音を響かせている。
 幾つもの尖塔を備えた、黒い瓦屋根と純白の壁の、優美な城だ。
 ヴィルヘルミナの街に潜入し、二か月半。
 ここまで来たという気負いと、まだ目指す相手との距離は遠いという思い。
(いきなり公爵本人に会える訳も無いか)
 全員に顔を把握させたかったが、仕方がない。
 ゲルドとスキアなどの数名は以前王都の第一大隊に所属していた。その時にベルゼビアの姿は遠巻きながら何度も目にしていたが、他の者達は第五大隊から第七大隊所属から選ばれているため、肖像画でしかベルゼビアの顔を知らない。
(公爵自身――、それから、嫡子マンフリート、次男ブラフォード)
 可能であれば子息まで。
 それがミラーの指示だ。
 物珍しさを装って、中庭を見下ろす城の窓へざっと首を巡らせつつ歩き――、城の中央棟の大窓付近に差し掛かった時、ゲルドは思わず息を詰めた。
 三階の大窓前の露台から、人影がこちらを見下ろしている。
 離れていてさえその上質さが見て取れる、幾重にも重ねた長衣。緩く波打つ黒髪と、整った容貌。
 ベルゼビアではない。
(まさか……さっそくブラフォードの姿を見られるとは)
 一瞬視線が交差した酷薄な眼差しは、ゲルドが見上げるのを疎むように、すぐにゲルド達の上から外れた。露台からもその姿が消える。
 同じく気付いたスキアと素早く視線を合わせ、ゲルドは同じ思いを見て取った。


 一座に与えられた部屋は中央棟とは中庭を挟んで対角にある北棟の、一階の三部屋だった。主邸である中央棟へ行くには、一階と三階の渡り廊下を抜ける必要がある。
(だが、大きく近づいた)
 声に出さずに部下達の顔を見回すと、彼等の力強い眼差しが返った。
 窓際に置いた鳥籠の金糸雀は束の間姿を消していたが、半刻後には鳥籠に戻り、再び澄んだ声で歌を奏で始めた。












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2018.1.14
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