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王の剣士 七

<第三部>

第三章『西へ吹く風』


「ヴィルトール中将、街へお出かけですか」
「ああ、街の人達の様子見も兼ねてね。今日は物資が入って来たから活気も出てるだろう」
「そうですね、ほっとしました」
 廊下ですれ違う兵士達はヴィルトールの姿を認めると敬礼しつつ、時折は和やかに声を掛けて来る。
「中将殿、また剣の稽古をお願いしてよろしいですか」
 王都近衛師団の中将として、ヴィルトールの剣技はこの砦城の中でも抜きんでていた。その事もまた、さすがは王を守護する近衛師団だと正規軍兵士達にヴィルトールへ一目置かせ、最近は剣を教わりたいと願い出る兵士も数多い。
「そうだね、じゃあ明日にでも」
「有難うございます!」
 彼等に手を上げて応え、ヴィルトールは冷えた廊下を砦城の正門へ向かった。
 武骨な廊下を通り、これもまた飾り気の無い玄関広間への階段の手前まで来た時だ。再び、今度はやや抑えた声が後ろからかかった。
「これはヴィルトール殿、どちらへ」
「――エメル中将」
 ヴィルトールは足を止め、声の主を振り返った。
 第七大隊右軍中将、エメルが廊下を歩み寄って来る。
「所用で、街へ行こうと」
 エメルは不可侵条約再締結の儀に、ワッツと共に右軍半数を率いて一里の控えを務めた男だ。ヴィルトールの前まで来るとエメルは細面に薄い笑みを浮かべた。
「メヘナ子爵が参戦された事で、ボードヴィルの戦力もようやく三千と、元に近くなりましたな」
 エメルは二か月前、西方軍が壊滅した戦場から、十数騎の兵と共にボードヴィルへと逃げ延びた。ヒースウッドはエメルが戻った事を大いに喜び、そしてまたかつての大将ウィンスターの死と、ワッツがエメルと共に戻らなかった事を嘆いた。
 エメルはミオスティリヤに忠誠を誓い、右軍中将という地位はそのまま維持されている。
「もっとも俺は兵を半数失った敗残者だ、率いる兵も無い。少し立場は異なるが、兵が無いという点、お互い辛いところか」
「右軍は砦残留だった麾下の兵がいるじゃないですか。私など近衛として十名、与えてもらってはいますが」
 さすがに少ないとは思いますねぇ、とヴィルトールは肩を竦めてみせた。
 エメルの面に過ぎったのは少なからぬ安堵と、優越感か。
「ヒースウッド上級大将は、もう少しその辺り考慮してもらいたいものだ。今やこのボードヴィルの総大将なのだからな」
 エメルの発した上級大将、という響きは、聞く者に何処と無く居心地の悪さを覚えさせた。
 ヒースウッドが自らを上級大将と定めたのはふた月前だ。
 ボードヴィルの第七大隊を率いていたウィンスターが一里の控えで戦死。また西方将軍ヴァン・グレッグと、第四大隊ホフマン、第六大隊グィード、それぞれ二人の大将が戦死し、西辺の兵を統率する者の不在をその理由とした。
 そしてまた、ミオスティリヤの守護に相応しく、恥ずかしくない地位を、と。
「まとめる立場は必要ですからねぇ」
 今の混在の状況をまとめるのは気苦労が多そうです、とのんびりと言ったヴィルトールを期待外れの眼差しが迎えたが、ヴィルトールは適当に二、三言葉を交わし、エメルと別れた。
 階段を降りながら、「色んな人間が集まったね」、と口元を動かさず小さく呟く。
 まあそれは王都も同じだろう。権力があるところには様々な人間が集まり様々な思惑が生まれる。
 考えようによっては、とヴィルトールは降りてきた階段の上を見上げた。
 エメルは利己的だが、ヒースウッドの妄信的なイリヤへの忠誠だけが膨れて行くよりは、いい状況かもしれない。
(偏った正義感や理想論というのも、時として悪意より厄介な事があるからなぁ)
 特に今は、外敵にさらされた兵と人々は、ややもすればヒースウッドの強く純粋と言える想いに引きずられやすい状況だ。
 ただエメルと同様、ヒースウッドの檄文に集まった諸侯も、あの内容に絆された者ばかりではないだろう。
 若いドミトリ子爵などはヒースウッドにかなり傾倒しているが、五十を過ぎたメヘナやレングス子爵、ジェット男爵といった面々はなかなか老獪だ。
(ワッツが戻ってくれていれば良かったんだが)
 エメルがボードヴィルへ退却できたのなら、ワッツもまた可能だっただろう。
 彼がどうしているのか――ワッツほどの男が戦場でただ命を落としたとは思えない。きっと別の、おそらく西方第六大隊の軍都エンデへ退却したのではないかと、ヴィルトールはそう考える事にしていた。



 途中も何人か兵士達と日常の挨拶を交わし、四名の見張りの兵の立つ正門を出る。見張りの兵達はヴィルトールが砦城を出るのを咎める事も無く、敬礼を向けて見送った。
(やれやれ)
 ヴィルトールは敬礼する兵士達に軽く手を上げて応えつつ、息を吐いた。
 四か月という時の経過は、兵士達の態度にも現れていた。
 彼等は今は、ヴィルトールが最初からボードヴィルにいたかのように接するまでになっている。
(こんな状況だからね、まあ)
 砦城のすぐ前に広がっている街に入ると、街は外の状況など知らぬげに活気に満ちていた。入り組んだ通りを忙しく歩く人々、奥に商品を並べた店。
 品数は潤沢とは言えず、街門が閉ざされているのはやや不便ではあるが、もともと商人以外は街を出る用向きなどほとんど無い為か、人口六千もの規模となれば街は生活がその中で完結する程度に広く機能も揃い、街の外に出られないという状況も慣れてしまえばそれほど気にならないようだった。
 曲がりくねる道をしばらく歩き、街の中ほどにある荷馬車の看板を掲げた店の扉を潜る。物入りの時に立ち寄る店の一つだ。店主の親爺はヴィルトールの顔を見て日に焼けた面をぱっと破顔した。
「これは近衛の中将様、こんにちは! お元気そうで」
「こんにちは。貴方も元気そうで何よりだね」
「いやぁおかげさまで。今日も白竜様のお姿を見れましたよ、いや有難いことです」
「ああ、良かったね」
 ヴィルトールの笑顔を見て、店主の傍らにいた妻が寄って来る。
「中将さん、今日は謁見があったんでしょう。ミオスティリヤ殿下はお元気でいらっしゃいますかねぇ。あたしもお姿を見たかったですよぅ」
「馬鹿お前、そんな軽々しく」
 店主の親爺は呆れた顔で妻の脇を肘でつついたが、ヴィルトールはにこりと笑みで返した。
「お元気だよ。この街のみんなが元気かどうか、殿下はいつも気にしていらっしゃる」
 店主と妻が嬉しそうに顔を見合わせる。
「ほんと、この街に、ミオスティリヤ殿下がいらっしゃってくださって本当に良かったですよぉ」
「全くだ、みんな言ってんです。わしらは殿下がいらっしゃるお陰で、こうして無事に暮らしてられるんだって」
 二人の声は明るく、これを直接イリヤに聞かせてあげられればいいのだが、とヴィルトールはそっと思う。ただ一方で彼等の思慕は、イリヤに負うものを増やす事でもあるが。
(やっぱり砦城にいるのがいいか)
「そうそう、今日は何を差し上げましょう」
「殿下がこの間の菓子をお気に召されたみたいだから、またそれを」
 気に入った、と聞いて二人はまた嬉しそうに顔を見合わせた。
「今包みますんで、ちょっとだけお待ちを――たっぷりおまけさせてもらいますよ」
 店主は店の奥に引っ込んで箱を手に出てくると、言葉通り箱の中に分量以上の菓子を詰めている途中で、あ、と声を上げた。
「そうだ中将様、あんた様王都にご家族がいなさるんでしょう。大事なお仕事とはいえさぞやご心配でしょうに……ご家族はどうなさっているんですか」
 それまで和やかだったヴィルトールの表情が、一瞬で悲哀に満ちた。肩がしおしおと落ちる。
「そうなんだ……さすがに王都は遠すぎてね、私はここを離れられないし、本当に心配だよ。特に娘はまだ四つなんだよ。今頃は何してるだろうとか、寂しくて泣いてるんじゃないだろうかとか、それともお父さんの顔を忘れてしまってたらどうしようとか……うっ」
「あらあらまあまあ、四歳じゃお父さん恋しい盛りですよぉ、お可哀想に、殿下をお守りする大事なお仕事でもねぇ、まあまあ」
 妻がふくよかな顔に目を潤ませ、ヴィルトールの背に手を当てる。
「あんた、なんかして差し上げられないかねぇ」
「ううん、そりゃそうだが……」
 と親爺は首をひねり、そうだ、と手を打った。
「中将様、わたしら良かったら、手紙お預かりしましょうか? 手紙くらいなら届けられるんじゃないかと思うんで」
 思いがけない言葉にヴィルトールは顔を輝かせた。
「本当かい?! 有難い! ならすぐにでも頼みたいな。帰るのは無理でもせめて手紙だけでも届けられれば、娘も妻もきっと安心してくれるしね」
 ヴィルトールが前のめりに喜びを滲ませたのを見て、立派な中将様でも家族に対しては自分達と変わらないねぇ、と店主の親爺と妻は親愛と笑いの混じった顔を見合わせた。
「ええ、いつでも持ってきてくださいよ。今度また商隊が出るのが決まったんです、護衛付きで――私らじゃシメノスやサランセラムを避けて、せいぜいヤンサールの辺りまでしか行きませんが、そっから先はまだ道も生きてるでしょうから、手紙屋に預けますよ」












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2018.12.24
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