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王の剣士 七

<第三部>

第三章『西へ吹く風』

二十一

 ゲルドは北棟一階の部屋の扉を開け、呻いた。
 部屋に残っていたのは法術士のバーデン、それからマイエン、ダイス、ライモンの四人。
 床の上にバーデン達四人が倒れ、そこに敷かれていた法陣円の光が次第に薄れて行く。
 失敗だ。
 それだけを明瞭に悟る。
「両殿下を!」
 スラッグ、ケント、コーディが部屋に入る直前で王妃とエアリディアルを押し止める。
 ゲルドと残り三人はそのまま消えて行く方陣円に踏み込んだ。
 バーデン達以外に十人近く、床に倒れているのは護衛に残したダイス達が斬った衛兵だろう。
 部屋に今立っているのは七人の衛兵と、灰色の法衣を纏った一人の法術士――
「オブリース!」
 床に転がった剣を掴み、踏み込みざま横に薙ぐ。
 オブリースの前にいた衛兵の胴を斬り裂き、ゲルドは更に一歩、踏み出した。
 残り六人の衛兵はエインズ、パルマ、ベルディが切り伏せている。
 ゲルドの手が伸び、一瞬の出来事に狼狽えるオブリースの法衣の襟元を掴んだ。
 湧き上がる怒りを抑え、ゲルドはオブリースの首元に剣を押し当てその目を睨み据えた。
「――貴様が代わりに、転位陣を動かせ」
「そ――、そんな事を、この私がすると――」
 ゲルドの押し当てた剣がオブリースの首筋に食い込み、青白い肌にぷつりと血の筋が浮かび上がった。更に力が加わる。
「ま、待てッ」
 身を捩ったオブリースの声に被さるように、遠くで喧騒が立ち上がった。オブリースの目が被きの下できょろきょろと走る。
「何だ?! 一体――」 
「東方軍の強襲だ。この城もいずれちるぞ」
 夜風に乗った喚声はまだ遠く、だが夜を震わせて届く。
 オブリースは唾を飲み込んだ。
「わ、判った……判ったから殺さないでくれ……」
 顎を震わせながら幾度も頷き、オブリースは法陣円に手をかざした。消えかかっていた法陣円が白い光を取り戻していく。
 ゲルドはゆっくりと、静かに息を吐いた。
「下手な事をすればその瞬間に喉を裂く。――ベルディ、室内の安全を確認後、両殿下を中へ――」
 オブリースの目が灰色の被きの奥で光を帯びる。
「いけない!」
 扉の外で細い声が上がる。声を上げたのはエアリディアルだ。
「王女殿下?」
「みな、外へ出てください、早く――!」
 青ざめた瞳はゲルド達の足元に向けられている。
 オブリースの襟元を掴んだままゲルドは周囲を見回し、すっかり光の消えた方陣円のあった床に、薄紫の煙が湧き上がっているのを見た。






 ヴィルヘルミナ街壁への強襲を開始し、半刻後。
 ミラーは兵の撤退を告げた。
 ミラーの前の卓に蹲っているのは、強襲部隊から戻ったばかりの隼の姿をした伝令使だ。
 潜入していたゲルド達の亡骸が、街壁の上から投げ落とされたと、伝令使は告げていた。
 ヴィルヘルミナはベルゼビアの暗殺と王妃及び王女の救出の失敗を宣言した。
「閣下、よろしいのですか。このまま街へ踏み込ませ、せめて王妃と王女を奪取する事も一つ方法としてございます」
 参謀長アンカーの声には、憤りが篭っている。
「それをすればベルゼビアはまずお二人を盾にするだろう。王妃殿下か王女殿下か、いずれかの命が危険に晒される」
 それともう一つ、ヴィルヘルミナの街に損害を与えるのは極力避けたいと、それは一貫した考えだ。
 ヴィルヘルミナは鋳造業と農業が盛んで、この国にとっても重要な地域として存在している。王都はこの街を戦火によって荒らす事を極力避ける方針を取り、それを解っているからこそベルゼビアは、常に東方軍の一歩上に構えている。悠然と。
「いずれ、ベルゼビアにこの責を果たさせる」
 ミラーは椅子の肘掛けに手を置き、木のそれが軋むほどの力で掴みながら立ち上がった。卓に広げたヴィルヘルミナとその周辺の地図を一瞥し、踵を返す。
「閣下」
 振り向かず、ミラーは扉の前で足を止めた。
「頭を冷やす」
 低く押し出された声に抑えた感情が込められている。
 副将ホメイユとアンカーはミラーの後姿を見つめ、無言で瞳を伏せた。






 西街壁に寄せていた東方軍との交戦の響きは今はもう聞こえず、ただ騒めきの名残が夜の中に漂っていた。
 ブラフォードは西棟の三階にある部屋の扉を叩いた。
 視線を流した部屋の暗い窓辺に立ち、ベルゼビアが外を見下ろしている。近寄るブラフォードの足音にも振り返りはしない。
「東方軍は撤退しました。全て、後半刻もすれば片がつきましょう」
 自分へ背を向けている父のその背後まで近付き、ブラフォードは立ち止まった。
 その手のひらに包まれているのは、赤い硝子玉が一つ。そこから伸びる細い鋼はゆったりとした袖の中に消えている。
 もう一歩、ブラフォードの靴底が床に硬い音を立てる。背後のブラフォードへ、ベルゼビアは僅かに視線だけを寄越した。
 夜の暗がりの中でもその双眸には、冷酷さを窺わせる。
「わざわざ、ファルシオン暗殺を阻止させる必要はあったのか?」
 その問いは相手の内側まで抉り、裏返すようだ。
「――」
「ブラフォード」
 もう一人、ベルゼビアよりも若い、その分高慢さを加えた声がブラフォードを呼んだ。部屋の中央に置かれている絹張の椅子に座っていた、長子マンフリートがブラフォードを見据えている。
 ブラフォードはベルゼビアの側を離れ、兄の座る斜め前の長椅子に腰を下ろした。
「王都側の出方を探る為には、必要な情報だったと考えております。今回の貴方の暗殺阻止と、もう一つ、あの剣士の動向を明らかにするには、確実に動かざるを得ない状況にしなくては。そしてその価値はありました」
 オブリースの術は、法術によって断たれた。
「蟄居が建前であっても、ファルシオンの身に危険が迫ってなお姿を現さないのではそれこそ意味がない。怪我と、ファルシオンがエスティアへ語った事は事実でしょう」
 ベルゼビアの瞳の色は欠片も動かないが、ブラフォードは気にした様子も無く長椅子の背に身を預けた。
 マンフリートがブラフォードへ向けていた視線を父へ戻す。
「既に使者を出しました。まずは西域――そして王都と、近いうちに騒がしくなるでしょう。東方軍も兵を退かざるを得ないはずです」
 ベルゼビアは窓際を離れ、奥の扉へと歩いて行く。
「ああ、それから」
 ブラフォードは手のひらに包んでいた硝子玉を、艶やかな木の卓の上に置いた。
 鮮やかな赤い硝子玉の先に伸びる細い鋼は、華奢ではあるが鋭利な刃を持っている。
「こんなもので貴方を殺害するつもりでいたようですよ」
 ベルゼビアは二人の傍を横切る際、卓の上のそれを一瞥し、だがその瞳には何の興味も浮かぶ事なく逸らされた。
 マンフリートが不快さを頬に昇らせ、斜め前の弟を睨む。
「ブラフォード。このような些事の為に父上の部屋を血で汚した事は、良しとは思っておらんぞ」
「その件については、心の底から、お詫び申し上げます」
 扉が閉じる。
「――ブラフォード」
 兄の咎める視線にブラフォードは薄く笑った。
「床も壁も全て張り替えれば済む話だろう、兄君。部屋などより父上の命の方が大切だ」













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2018.5.12
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