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王の剣士 七

<第三部>

第三章『西へ吹く風』


 ボードヴィル砦城内部はその役割故に壁は分厚く窓も小さく、城という響きがもたらす華美な印象など一切ない、石組みが剥き出した武骨な廊下が続いている。
 メヘナは硬い足音が重なり合う廊下を、ヒースウッドに案内されて中央階段から四階へ、そして東翼棟へと進み、北と東の棟を区切る扉を潜った。
 入ってきた扉と向かい合い、長い廊下の正面にもう一つ扉がある。今ヒースウッドとメヘナ達が入ったこの廊下は、完全に砦城の他の場所からは隔絶される造りになっていた。
 静寂に満ちた廊下には衛兵が二人立っている。彼等が身に纏うのは正規軍の藍色の軍服ではなく、黒地の仕立てだ。
「おお……」
 メヘナは廊下を見回し、さきほど風竜を見上げた時とはまた異なる感嘆の息を零した。
 床はこれまでのように剥き出しではなく、大理石の上に伸びる赤い絨毯が目に鮮やかだ。壁は半ばまで艶やかに磨かれた腰板が貼られ、上半分は純白の漆喰を丁寧に塗り施し、続く弧を描く格子天井には、正方形の装飾枠の一つ一つにボードヴィルの紋章が彫り込まれている。
 記号化されたサランセラムの丘と砦城と、それをシメノスを表わす輪が囲む意匠。
 ただ一つ、天井の中央部分に、ボードヴィルの紋章ではなく王家の紋章が彫り込まれていた。
 それらはこの廊下が王のものであるという証――
 ここは王が砦を訪れた際に滞在する為にのみ、用意された場所なのだ。
 丁度その紋章と同じ位置となる廊下の中央に、これまでのものとは明らかに趣の異なる両開きの扉が見える。扉は釣鐘状の厚く艶やかな銅で作られ、それぞれの枠の中に色彩を帯びた装飾が施されていた。
 廊下から三段上がっている事も、その扉のとその部屋が、貴人を遇する為のものだという事を表している。
 扉の向こうにいる人物を想像し、メヘナは図らずも身が引き締まった。
 第二王妃シーリィアの遺児という旗が初めに掲げられた時は、まだ仮初めの灯火だった。
 だがその存在は、次第に無視できないほどの明るさを持ち始めている。
 ヒースウッドが直接輪金具を手に扉を叩く。
 すぐに中から扉を開け顔を覗かせたのは警護の兵士だろう。廊下の衛兵と同じ軍装だが、紀章は正規軍の准将だ。警護兵は二人を前室に通し、その奥のもう一つの両開きの扉へ声を掛けた。
「ミオスティリヤ殿下。ヒースウッド上級大将と、メヘナ子爵がお目通りにお越しです」



「ミオスティリヤ殿下――、此度殿下のもとに馳せ参じた、メヘナ子爵をお連れいたしました」
 室内には明るい陽射しが満ちていた。片側に広がる窓は中庭に面し、硝子を通して森の葉擦れにも似た騒めきが聞こえてくる。人々の交わす声だ。
 ヒースウッドが毛足の長い絨毯の上に片膝を落とし、恭しく告げる。メヘナもその場に膝をつき、部屋の奥を見た。二人。
 手前に立つのは灰銀色の長髪の長身の男で、先ほどの衛兵達とは明らかに異なる、漆黒の士官服を纏っている。ヒースウッドから聞いていた、近衛師団第一大隊中将だろう。
 そのヴィルトールが立つ位置から先は、床が更に三段上がり、夜に似た深い藍色の壁紙の壁と天井から交差して流れる暗紅色の布を背にして、美しい細工を施した椅子が一つ。
 椅子に、少年が座っていた。
 歳は十九と聞いた。まずは白に近い銀色の髪へ――、そして次に、色違いの瞳に目が行った。
 深くこうべを垂れているヒースウッドに倣い、メヘナも少年へ顔を伏せた。
「御目に掛かる事が叶い、光栄に存じます。わたくしはサランセリア地方北部メヘナの街を預かる、エルラント・オリビエ・メヘナと申します。ミオスティリヤ殿下とボードヴィルの危機に、微力ながらお力添えをせんと、警備隊四百名を率い馳せ参じました」
 するりと言葉が出たのは、この部屋が漂わせる厳粛かつ高貴な雰囲気に押されただけではなく、椅子に腰掛ける少年が纏う、堂々とした、威厳にも似た空気故かもしれない。
 子爵家当主としてメヘナはこれまで新年の祝賀などの場で、王の姿を何度か目にした事がある。
 遠間に見た王の姿と、目の前の少年とは、確かにどことなく似ていた。
 色違いの二つの瞳がメヘナの上に注がれる。
「ありがとう、メヘナ子爵。良く来てくださいました。まずは感謝を」
 届いた声は思いのほか穏やかで、力強い。
「今耳にされている通り、ボードヴィルの人々も心から喜び、貴方に感謝と尊敬の念を抱いている事でしょう」
 イリヤが示した窓からは、壁に反響するように活気が伝わってくる。
「もったいない――身に余るお言葉です」
 メヘナは急いで言った。
「我が警備隊は総計七百、残りの三百は街に残しておりますが、必要とあればすぐにでも呼び寄せます。食糧も、今回お持ちしたものでは十分とは申せませんが、まだ私の所領辺りは戦乱の影響をさほど受けてはおりません。今後も出来る限り、殿下とこの街の為に提供させていただきます」
「感謝します」
 ミオスティリヤはもう一度そう言い、瞳を束の間伏せた。再び上げた瞳に室内に満ちた光を弾く。
「メヘナの街の護りは必要でしょう、四百名もの警備隊士をお出し頂けただけでも十分です。この危急存亡に際して、この地の諸侯にお力添えいただける事が、どれほど有難いか」
「とんでもございません。我等こそ――、ボードヴィルには殿下だけではなく、風竜も、そして西方公もおられます。西海の脅威に対して、これほど心強い存在はまたと無いでしょう」
 メヘナは首を振りつつ、本心を込めてそう言った。
 そう、今、国内を見渡してもこのボードヴィルに勝る戦力を有している都市は無いと思える。
 それどころか、王都に匹敵するのではないかとさえ感じていた。
 ヒースウッドの檄文ではないが、この地より、王都は遥か遠い。
 西海の侵略から自らの身を守るには、このボードヴィルに依る以外に道は見えないのだ。
 そして王都のファルシオンはまだ幼く――、その周囲は大公ベールや他の有力貴族達が固め、既に取り入る余地が無かった。
「何なりとお申し付けください。このメヘナ、ボードヴィルの一員として殿下のお側に仕えさせていただきます」
「ありがとう」
 ヒースウッドが大きく頷いて膝をひとつ進め、右手の拳を床につけ、再び深々と頭を下げる。
「ミオスティリヤ殿下。これで周辺諸侯が全て、殿下のお膝元に集った事になります」
 ヒースウッドは感激の念もあらわに声を震わせ、誇らしさを滲ませた面でイリヤを見上げた。
「中庭に、兵や街の者達が集まっております。どうぞメヘナ子爵とともに彼等にお姿をお見せください」
 イリヤは立ち上がり、彼自身は高い床の上のまま、左手をメヘナへ向けて彼を促した。
「我々と一緒に、露台へ」
 ヴィルトールが先に立って硝子戸を内へ開く。
 風に乗り、わっと騒めきが流れ込んだ。
 中庭に大勢の人々が集まっているのだ。まずヒースウッドが露台へと出ると、騒めきは大きくなった。次に促されてメヘナが硝子戸を出る。
 さほど広くはないが、百人ほどの正規兵とその倍の街人、そしてメヘナの率いて来た四百名の警備隊士が中庭を埋めている。
 歓声がメヘナを包み、そしてイリヤがヒースウッドとメヘナとの間に立った時、それは中庭を囲む城の壁を震わすほど大きくなった。
「ミオスティリヤ殿下――!」
 その声の中にヒースウッドを呼ぶものと、そしてメヘナの名を呼ぶものも混じる。
 メヘナは思わず身を震わせた。
 中庭に集った者達の熱と、王子ミオスティリヤの存在と――
 そして、大屋根に翼を畳む風竜の姿と。
(素晴らしい……!)
 ヒースウッドは彼等を誇らし気に見下ろし、声を張り上げた。
「今日また、メヘナ子爵がその四百もの勇敢な兵士と共に、この勇気ある戦いに参戦された!」
 喝采と拍手が沸き起こる。
「メヘナ子爵、お手を」
 歓声の中ヒースウッドが怒鳴るように促し、メヘナはやや強張った笑みを浮かべながらも、ヒースウッドに倣って右手を上げた。
 歓声が一際高くなる。
「殿下――!」
 ヒースウッドは更にイリヤを促して、二人の間のイリヤを一歩、前に立たせた。
 歓声がうねる。
「ミオスティリヤ殿下――!」
「ミオスティリヤ殿下万歳!」
 イリヤは頰に穏やかな笑みを刷き、右手を上げた。
 ヒースウッドがその場を抑えるように手のひらを下にゆるゆる落とす。歓声はすうっと静まり、その中をヒースウッドの張り上げた声が流れた。
「兵士達よ、ボードヴィルの民よ――勇気を持ち、そして心を安らかにせよ!」
 降り注ぐ陽射しに中庭に集った者達が、眩しげに顔を上げている。
 彼等の瞳に映るのは王子ミオスティリヤの堂々たる姿と、風竜の威容。
「ミオスティリヤ殿下と共にあれ! 我等はいつでも、どのような時においても、ミオスティリヤ殿下の号令のもと、このボードヴィルの為、ファルシオン殿下の為、国の為――、命を賭し、一丸となって戦う所存である!」













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2018.12.24
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