Novels


王の剣士 七

<第三部>

第三章『西へ吹く風』

十五

 ヴィルヘルミナ城の中庭は、ぐるりと囲む回廊の柱が陽射しに溶けるように影を帯び、薄鼠色に沈んだ回廊と秋の色に染まり始めた庭園とを隔てていた。
 回廊には庭園の景観を楽しむ為のものだろう、柱と柱との間には全て、中庭側に張り出すように石造りの長椅子が切り出され、そこで憩えるように整えられている。
 ヴィルヘルミナ城の四つの翼棟に囲まれて、中庭はそこだけ一つの世界を作り上げる美しい景観だった。
 街の喧騒もこの城までは届かず、ましてや街の外で対峙する東方公軍とミラーの東方軍の緊張など、届くはずもない。
 スキアは回廊を歩きながら中庭に向けていた瞳を戻した。
 『ゲルド一座』がミラーの命を受け、旅芸人の一座としてヴィルヘルミナ城に潜入し、半月近くが過ぎた。王妃の前で芸を披露する事を許可されて以来、まだ一度として城内でベルゼビアを見かけた事すら無く、初めに王妃とエアリディアルの前で芸を披露した後は、長子マンフリートやブラフォードにすら擦れ違う事も無い。
 ベルゼビアとの距離の遠さを感じるばかりだが、焦りは禁物だと、少将ゲルドに諌められるまでもなく、スキア達も充分肝に銘じていた。
 まずは王妃に喜ばれ、前に呼ばれ続ける事が第一だ。そうして少しでも長くこの城に留まらなくては、ベルゼビアには近付く事は叶わない。
 幸い、王妃の元へは毎日呼ばれる事ができていた。ファルシオンの祝賀の詩を歌う事で、王妃の頬に微笑みが宿るのを見るのは、本来の任務とは別にスキア達の喜びでもあった。
 今日もまた一座と共に王妃の部屋へと向かっていたスキアは、回廊の先にいる人物に気付き、瞬間跳ね上がる鼓動を抑えた。
「ゲルドさん」
 先頭のゲルドへ、その後ろを歩いていたユングが微かに緊張を帯びた声で囁く。ユングは手にしていた弦楽器を抱え直した。
 ゲルドも微かに頷く。
 回廊の先、中庭へ張り出した石造りの長椅子の一つに腰掛けているのは、ベルゼビアの次男、ブラフォードだ。柱に背を預け、片足を廊下側に下ろしている。
 中庭へ顔を向けていたブラフォードは、足音に気付いたのか、近付いて来る一座へとその視線を動かした。
 ただ寛いでいただけなのか――そっとその様子を探っていたスキアは、再び鼓動が跳ねるのを感じた。
 いつの間にかブラフォードの視線が自分を捉えている。
 たまたま目が向けられたというだけではない、漠然とした不安を覚える瞳だ。
 あの日、ブラフォードの前でファルシオンを讃える詩を歌ってしまった時の冷たい感覚が甦る。
 一座はやや手前で一度立ち止まり、一呼吸の間深々と礼を向け、再び歩き出した。
 廊下の壁側に寄り、ブラフォードの前を、顔を伏せ気味に過ぎる。
 なおも自分の上に視線が置かれているのを感じ、スキアは足早に通り過ぎたい気持ちを抑えた。
 真横を通り過ぎた時にようやくブラフォードの視線が外れたのが判り、ほっと息を落とした、直後だ。
「――待て」
 冷えた声が呼び止め、鼓動がまた跳ねた。
 回廊を覆う空気がぴんと張り詰める。
 ブラフォードが旅芸人の一座へ直接言葉を掛けるなど、通常では有り得ないだろう。
 ゲルドがまず足を止めその場に膝をつき、続いて一座の者達もみなゲルドに倣って身を屈め、顔を伏せた。
「私共をお呼び止めでしょうか、ブラフォード卿」
 見下ろす眼差しは酷薄さをありありと湛えていたが、ただ、明からさまな悪意を向けられているのかと言えば、それも測り難い。
 その双眸が再びスキアを捉えた。
「その踊り子と話をしたい」
「踊り子とは、どの――」
 ゲルドは戸惑いを滲ませ、三人の部下へ首を巡らせた。
 アルマとコーディが伏せた面の下で、スキアへ素早く視線を送って寄越す。
「祝賀の詩を歌った女だ」
 ゲルドの肩に一瞬、緊張が漲り、解けた。
「……恐れながら、ブラフォード卿、私どものような下賤の者とどのようなお話を――や、私らはしがない旅芸人でございますし、その、雲の上のお方にお気に召す対応など、できようもございませんで……それにその、これから王妃殿下のもとへお呼ばれしてお伺いするところでございまして」
「安心しろ。我がしとねに侍れと言うにはやや品位を欠いている」
 ゲルドの警戒を皮肉を込めて揶揄し、だが有無を言わさぬ口調でブラフォードはゲルドを見下ろした。
「ほんの二、三問うだけだ。それだけの事を嫌とは言うまいな?」
「は……」
 ゲルドは顔を伏せ、ブラフォードには判らないよう息を整えた。
「滅相もございませんで――スキア」
「あたしでよければ、喜んで」
 スキアはブラフォードの前に出ると、にっこり笑みを向けお辞儀した
「あたしにどのようなご用でしょう、ブラフォード様。ご覧の通り野っ原の踊り子の身、大した事なんて何も」
「何、確かに大した用ではない」
 ブラフォードの口元が笑みを浮かべる。
「先日の歌が見事だったと、そう伝えたくてな」
 やはり、とスキアは内心で息を抑えた。
 自分の失敗だ。
 あの時、ファルシオンを称える詩を歌ったスキア達へ憤った長子を宥めたのはブラフォードだが、やはりブラフォードもあの時はただ見逃しただけだったのだ。
 何かの考えがあって。
「あの詩――誰が作ったものか知られてはいないが、王太子生誕の折、王都の住民共は口々にあの詩を歌ったものだ」
 スキアは咄嗟に武器の在り処を確認した。今身に付けているのは、結い上げた髪に添えた髪飾りに模した、細い仕込み針だけ――東方公暗殺の為の。
(――ここで)
 ゲルドは合図を出していない。
(いいえ、誤魔化さなくては)
「良く人の口に上りはしたが、このヴィルヘルミナまでは広がらなかった。せいぜいが広がって正規軍第二大隊の管轄辺りまでだろう」
 鼓動が速い。
 そこまでは知らなかった。
 王都出身であり、当時から東方第一大隊所属のスキアは、王太子の生誕を街の人々と一緒になって祝ったのだ。
「そうするとお前達一座は、少なくとも五年前、王都か王都周辺にいたという事になるか」
「いや、その通りでして」
 ゲルドがさっと口を挟む。
「何せ滅多やたらにゃ無い大儲けの機会ですんで、そんなのを逃しちゃ一座の名が廃るってもんでしてね」
「一座の名か。当然、当時の興業許可の記録が地政院に残っているだろうな」
 ブラフォードは口元だけで笑い、ゲルドへ視線を向けた。
「お前達はもういい。先に行け」
「いや、しかし」
 ゲルドが慌てた顔で両手を振る。
「その娘の歌を、王妃様が楽しみにしておられますんで、連れて行きませんと」
「私は命じている」
 冷ややかな言葉にゲルドは押し黙らざるを得なかった。
 行け、ともう一度命じられ、一座はスキアへ視線を向けつつ、彼女一人をブラフォードの前に残し、離れて行く。
 スキアは足に力を籠め、またにこりと笑って見せた。
「あの詩は、御生誕のお祝いの時に本当に流行っておりました。王都中、皆歌わぬ者はおりませんでした」
「であろうな。まあどうでも良い」
 ブラフォードが一歩近寄る。
 身構えるスキアの肩を掴み、耳元に口を寄せ、囁いた。
「ファルシオン殿下は、お二人がご無事である事を知り、殊の外お喜びだとか」
 何を言おうとしているのか――、足元から冷えた空気が立ち上がる感覚がある。
「それは、その、良い事でございますね」
「そう、喜ばしい事だ。だが王妃殿下方のご様子など、当然我が父からは伝えるはずもない」
「……あの、何のお話か、あたしには」
「どこから伝わったのか、それが気になるところだ。だがまあどこであろうと内通者となる者は存在する。鼠の如くな。王妃殿下の身辺にも潜り込んでいるかもしれん」
 鳥籠の金糸雀かなりあが脳裏を過る。
 ミラーと自分達を繋ぐ――金糸雀を用いてミラーへ伝えた事は、王都に伝わる。王妃達の事であればファルシオンに。
 問題なのは・・・・・それが・・・ブラフォードに・・・・・・・伝わって・・・・いる・・事だ・・
「何故私がファルシオンの様子を知っているかも、疑問だろう」
 鼓動が速い。
 この距離で、その音がブラフォードに聞こえるのではないかと思えた。
 ブラフォードはスキアの返事がない事など気に留めぬ素振りで、スキアへと屈めていた身を起こした。
「内通者――という話ならば、そう、王都にも我がベルゼビアの内通者が全くいないとは思わぬだろう?」
 自分は蒼白な顔をしているのではないか。
 覗き込んで来るような暗い色の瞳は、どこまで、何を知っているのか掴みにくい。
 スキアの表情をブラフォードはじっと見つめている。
「当然、我が父の意を汲んだ者はいる。ベルゼビアがそれを作らぬほど無能とは、流石に思うまい。例えば、  」
 ブラフォードの囁いたのはスキアの知らぬ名だ。いや、伯爵家の名としては知っているが。
 ブラフォードは何を言おうとしているのか。
「あれは我が父から、王太子の暗殺を指示されている」
(暗殺――)
 ファルシオンを、暗殺と。
 スキアは強張る面を極力抑えようと、唇を笑みの形に動かした。
「そんな、そんな恐ろしい事、まさか、ご冗談を……」
「昨夜、父はあの者へ、王太子暗殺を実行しろと告げた。早ければ今晩辺り動くだろう」
 揺さぶりを掛けているのだ。おそらく。
 王妃達の様子を王都へ伝えたのがゲルド一座ではないかと、ブラフォードはそう疑っているのだろう。
「今聞いた話を王妃殿下へ伝えるか? もし内通者が王妃殿下の傍に居れば、二人が無事だと王都に伝わったように、今度は自分の身の危機が王太子に伝わるかも知れんな。そうすれば王太子は助かるだろう」
 スキア達を疑い、この話でスキア達がどう動くかを見ている。
 この話が真実であっても、真実ではなくても――スキア達が動いても、動かなくても。
 どちらに転んでもブラフォードの不利には働かない。
「も――申し訳ありませんが、あたしに、何を仰ろうとしているのか、判りません」
 掠れがちになる声をどうにか誤魔化し、そう言った。
「そうか?」
 薄い笑みが返る。
「だがもし理解したのならば、お前が取るべき道は判るだろう」
「そんなこと、仰られても……」
 ブラフォードはスキアを一瞥すると、長衣の裾を揺らし、再び中庭に張り出した長椅子に腰かけた。もうスキアの存在などその意識の上には無い。
 スキアは束の間空想の彫像のようにそこに立っていたが、ゆっくり後退ってブラフォードから離れ、ゲルド達の後を追った。
 回廊を抜け、王妃達のいる城の南翼棟への扉を潜ると、抑え切れずスキアは半ば駆け足になった。
 スキアの意識に次第に大きくなって行くのは、ブラフォードが口にした言葉だ。
『あれは我が父から、王太子の暗殺を指示されている』
 あの言葉がもし、偽りの無いものだとしたら。
(――王太子殿下――!)



















Novels



2018.3.31
当サイト内の文章・画像の無断転載・使用を禁止します。
◆FakeStar◆