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王の剣士 七

<第三部>

第三章『西へ吹く風』

十一

「ロットバルト!」
 廊下の先を歩く姿を見つけ声を上げると、相手は足を止め――それはほんの僅か躊躇ったように見え――振り返った。
 やや見開いた瞳が、クライフを捉える。
「――何だ、貴方ですか」
 クライフは挙げた右手を振り、しんと冷えた廊下を近寄った。ロットバルトの斜め後ろにいた秘書だか財務院官だかが、黙礼して離れて行く。
「何だって、それ最初に付けるか? 相変わらず腹立つ……え?」
 まじまじとロットバルトの顔を眺める。
「すげぇ落胆してる??」
「そんな事はありませんよ、まあ多分。お久しぶりです」
 ロットバルトは笑みを浮かべたが、それが受け流す類のものなのはこれまでの付き合いで大体察しが付いた。
「多分じゃねぇだろ、俺見てがっかりするとかお前……まいいや、久しぶりだしな。ちょうど話したい事があったんだ」
 クライフはにかっと笑った。着ているモノこそ確かに違うが、前と大して変わらないじゃないか、とそう思う。フレイザーは心配していたが、少しばかり気にし過ぎだ。
 地位に対する礼儀とか、本当はクライフももう少し気にしなければいけないのかもしれないが。二本先の柱の横で、秘書官らしき男が控え目に、こちらを見ている。
(ヴェルナーの秘書官だな)
 官服が財務院とは違う。
(フレイザーは遠慮しちまうかもな、確かに)
「なあ、ヴィルトールから手紙が来たってのはもう聞いたか? 昨日」
「聞いています」
「色々問題はあるけど、とにかく良かったぜ」
 クライフはその事にもう何度目か、深い息を吐いて窓際の壁に寄りかかった。
 予定は詰まっているのだろうが、ロットバルトも特には言わず、窓辺に立つ。それを自分と同じ安堵からだとクライフは勝手に解釈することにした。
「聞いていいかね」
「どうぞ」
「この後、どうなんだ? その、ボードヴィルに――」
 その先の言葉を飲み込む。
 ボードヴィルに対して、何かしら行動を起こすのかどうか。
 それに自分が、と――
「ボードヴィルも含め、つい先程も協議が行われています。今のところボードヴィルが正規軍と直接敵対する動きはなく、対応としては引き続き静観の方向――、と言えば聞こえはいいですが、手が足りない。まずは西海、その後に国内です」
「――だろうな」
 落胆を隠しきれず声に滲んでしまったが、想定していた事でもある。
 もともと不可侵条約再締結のあの日、まさにボードヴィルに跳ぶほんの直前で、全てが崩れそれから戻っていないのだ。
 あの時ボードヴィルに行くはずだったクライフは、その意思をどこにも持って行けていないままだ。
「まあ西海にボードヴィル、それに加えて東方公とくりゃ、たまったもんじゃねぇもんなぁ」
「加えて魔獣の被害が増しているのも問題です」
「そんなにひでぇのか? 辺境部に多いっては聞いちゃいるけど」
「先月九月の辺境部の被害は報告が上がっただけでも三十件を超える。二か月前に比べ倍増しています。そして辺境部から、中央に向けて魔獣の行動範囲が広がっている。僅かながらも、確実に。北東域が何より被害が大きく、南方は比較的少ない。西方が少ないのはそもそも接するのが西海と、正規軍が展開していた事が幸いしているのでしょうね」
「魔獣ってのは、ミストラとヴィジャから流れてるっつう話だったな」
 特に今まで目にした事の無かった魔獣達は、ミストラ山脈や黒森の奥に棲息していたものだと推測されていた。
「直接的な人的被害もさる事ながら、街道が被害に晒されている為に商隊の動きが縮小し、物流に影響が生じています。長引けば更に税を軽減する必要がある。そうなれば次は軍の維持費に影響してくるでしょう」
「悪循環ってヤツだな……」
 はぁ、と自然溜息が溢れる。
 大理石の床には互いの影が淡く落ち、この問題をどうすべきか、そこでも話し合っているようだ。
「――解決策見つかったか?」
 影へとぼそりと呟いた言葉を聞きつけ、ロットバルトが問う視線を寄越す。
「いやいや、何でもねぇ」
 クライフは背を伸ばし、格子窓の外を見た。
 硝子越しに秋の陽射しを受けた庭園が、名残の枯れた緑を揺らしている。
「……祝祭の時は、春だったのになぁー。ヴィルトールもいて、劇やってよぉ。あ、そういやお前のお陰もあって投票結果三位だったから食券十日分もらえたのに、結局うやむやになっちまったな」
 あの後暫くしてからその事に気付いたが、さすがに祝祭の賞品をくれとはクライフも言いだし難かった。
「あれ聞いたか? ワッツんとこ、あの出し物最下位だぜ、でも五票入ったってんだから物好きがいるよなぁ」
 自分で入れたんじゃねぇの? とクライフはにやりと笑った。
「ありゃぁマジひでェ目に遭った。最悪だったぜ」
 ロットバルトの返事は無いが気にせず喋る。
「――ワッツの野郎もさ、生きてっかな。生きてるよな、ヤツの事だし」
 西方四大隊の壊滅的敗戦において、生き残った将校は第五大隊の大将ゲイツと数名のみ。その中にワッツの名は無かった。
 残った兵は五百に満たず、残りの七千五百は大半が――もしかしたらそのほとんどが、死者の軍となった事も想定されている。
 今度シメノスの西海軍へ兵を向ければ、死者の軍と相対する事になるかもしれないのだ。
 その中に。
「ワッツは――」
「生きていると、私も考えています。ただの期待かもしれませんが」
 特に返事は期待していなかったクライフは、少し驚きを覚えて顔を上げた。その瞳をじっと見据え、
「――だよな」
 もう一度息を吐いた。
 それからクライフは気持ちを切り替えて顔を上げた。
「なぁ、たまには――」
「失礼致します――侯爵」
 離れた場所に立っていた秘書官が一歩近寄る。
「会議のお時間です。お急ぎを」
 ロットバルトは窓辺から預けていた身を起こした。
「これで」
「おう、忙しいとこ引き止めて悪ィな――、あと」
 もう一つ、肝心な事をまだ言っていなかった。
「――ヴィルトールの立場が悪い事になんねぇように、頼むぜ」
「あの手紙が届いた事には、大きな価値があります。そしてヴィルトール中将の役割は今はボードヴィルにある」
 相変わらず回りくどい言い方をする、が、協議の場などでやはりそうした発言をしているのだろうとクライフは笑った。
「よろしくな」
「ボードヴィルにいるのがヴィルトール中将で幸いでしたね」
「全くだ――……ん? いや、どういう意味?」
 もうロットバルトは廊下を歩いて行ってしまっている。
 その背中にもう一度声を掛けた。
「たまには、師団に顔出せよ。茶くらい出すぜ」
 秘書官が代わりに頭を軽く下げて寄越したのが、牽制されているように思える。
「……ありゃ息をつく暇もなさそうだ」
 自分も自分で頼み事ばかりだし、とクライフは反省と同情を込めて肩を竦めた。
 ただ、短い間でも話ができたのはいい事だろう。
 あとはレオアリスの事も、話せたら良かったが――
「まああの反応見りゃ、それで十分か」
 戻ってフレイザーに話せば、フレイザーも色々と安心するだろう。
 らしくもなく気を回している自分と、それ以外やれる事が無い状況に溜息を落とす。
「……近衛師団てほんと、大して動けねぇなぁ」
 そもそもの任務は王城の守護なのだから、正規軍のように動けないのは仕方がないが。
 それが歯がゆい。
(上将も、こんな気持ちだったのかな――いや)
 もっと。
 もう一度、窓から見える庭園に視線を落とした。







「王都って、とても綺麗なところね、プラド」
 ティエラは興奮に頬をほんのりと染め、午後の街並みを見渡した。
 石造りの堅牢な建物が通りの両側に延々と連なり、通りは雑多としつつも賑やかだ。
 最近の王都はまるで活気が無いと王都の住民ならば言うだろうが、ティエラの比較対象は以前の王都ではなく、この国ですらない。
 東方の、遥か遠く――それこそミストラ山脈を越えたその先の、未だ戦乱の収まらない地。戦乱、と言うのであれば、この国も徐々にその中に染まりつつあるが。
「トレントは砂漠ばかりだし、ハルファスも、あの辺りはまだ安定していないからこんな立派な街もできにくいものね。いつか落ち着いたら、あの国もこうして街が栄えるのかしら」
 前を行くプラドは特に返事をしないが、いつもの事でティエラは気にせず歩いた。
 二人で歩く、という希望が叶ったのは意外と早く、プラドが何とかと言っていた、旅証を用意してくれたその男には感謝をしなくては、足取りを弾ませる。
 決して物見遊山に来たわけではないが、それでも華やかな街を歩くのは楽しいものだ。
 旅証のお陰で正規軍の詰め所から解放されて、二人して王都の街に入る事が許された。宿を中層に取ったから、プラドはしばらく王都に留まるつもりでいるようだ。
 ティエラは広い大通りの坂道の、ずっと上に僅かに覗く王城の尖塔へ瞳を細めた。
『気配はなかった』と。
 一言告げたのは昨晩遅く、詰め所に帰って来た時だ。
 赤の塔にも、王城にも。
 プラドがその為に行ったのだから、戻って来た時には会えるだろうと思っていたから、少しがっかりした。そうなっていたら王都の街を歩く望みは捨てなければならなかったが。
(噂通りじゃなかったのね、残念……)
 ただ街の噂とは、得てしてそんなものだ。
 彼はどう思っただろうとその顔を見たが、感情を余り面に出さない表情からは、思考は掴みにくい。
 ただまだ王都に滞在するという事は、この街のどこかにいると、プラドは考えているのだろう。
 ティエラはプラドの背から視線を巡らせ、ふとそれを一点に留めた。
 一軒の店先の、硝子の向こうに目を引かれたのだ。
 二重になった格子硝子の内側には、それほど立派なものではないが、幾つか肖像画が飾られている。通りの流れから外れ、ティエラはその硝子に寄った。
 黒い瞳を丸くする。
「どうした」
 彼女が足を止めた事に気付いて近付いてくるプラドに背を向けたまま、ティエラは窓の中の一つの肖像画を指差した。
「プラド、これ――」
 とても若い、ティエラと変わらない歳だが、黒い士官服に身を包んだ黒髪の少年の肖像。
 傍らに立ったプラドがやや息を抑えたのが判る。それはとても珍しい事で、ティエラは彼を見上げ、そっと笑った。
「やっぱり少し、貴方に似てるわ」












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2018.3.3
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