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王の剣士 七

<第三部>

第三章『西へ吹く風』


「アレウス国に! アレウス国王陛下に! そして我等がミオスティリヤ殿下に栄光あれ!」
 馬上で振りかざした剣が、熱量を残した九月の陽光を弾く。
 ヒースウッドが掲げたその輝きに、北街門広場に詰めた五十騎の兵士達が剣を上げて応えた。
 広場にはボードヴィルの住民達が詰め掛け、彼らの眼差しには兵士達への期待が籠っている。そしてそれは、これから迎える相手への期待でもあった。
 堅く閉ざされていた街門が滑車と鎖の音を立て、空へ引き上げられるように開く。
 その先はもはや、アレウス国の国土にあって国土ではなく、そこに広がるのはかつてあった風景ではなかった。
 泥の海──
 強い陽の光を受けてぬらりと照り返す黒い地表が、ボードヴィルの街を取り囲んでいた。
 ボードヴィルの前面に折り重なり穏やかに広がっていたサランセラム丘陵は、今はその西側一帯が起伏を失い、初めからそうであったかのように見渡す限りの泥地が横たわっている。
 その中にボードヴィルの街は、まるで海原に浮かんだ孤島のように取り残されているのだ。
「行くぞ!」
 ヒースウッドは騎馬の手綱を引き、開いた北街門へと駆け出した。
「ヒースウッド上級大将に続け!」
 少将ソローの号令と共に兵士達がヒースウッドの騎馬を追い、北門へ向かい手綱を繰る。立ち込めた湿気が門から流れ込む。
 ヒースウッドの騎馬は先頭に立って門を抜け、広がる泥の上に差し掛かった。
 蹄が泥に沈むと思うや、北門から一陣の風がヒースウッドを追い越し、吹き抜けた。
 ヒースウッドの騎馬は泥地を――正確にはその上に架かった風の橋・・・を、蹄の音を鳴らし駆ける。
 兵士達の騎馬もまた泥地へと、固い大地と変わらず走り出た。
 僅か五十騎では、今現在シメノスにある五千の西海軍に打って出るには少ない。
 だが彼等には、ボードヴィルの守護竜、風竜の守りがあり、そして今回の目的は西海軍との戦闘ではなかった。
 ボードヴィルへ──王太子ミオスティリヤの旗のもとへ合流するメヘナ子爵と、彼が有する警備隊をボードヴィルへ迎え入れる為だ。


 周辺の貴族が、王都とは異なる旗を掲げたボードヴィルへ加勢する――
 それは今日初めて起きた事ではなかった。
 旗を掲げた当初こそボードヴィルは孤立していた。だが七月末、西方軍の壊滅の報がサランセリア地方に響いた後――、まず周辺の領主三家がミオスティリヤの旗に集った。
 その後半月の間に更に二家。八月中には合計二つの子爵家と三つの男爵家が、所領の警護兵を率いてボードヴィルの戦いに参じていた。
 そして九月を半月過ぎようとしている今日、ヒースウッドが新たに迎え入れようとしているのは、サランセリア地方北部を所領とし、ヒースウッド伯爵家に続く権勢を有する、メヘナ子爵だった。その抱える警備隊も七百人に上る。
 ヒースウッドはおよそふた月前の七月末、周辺の領主達に書状を送った。
 いわゆる檄文だ。
 王都は偽りの王太子旗を掲げたとしてボードヴィルを糾弾したが、ボードヴィルには正当な理由がある事。
 またボードヴィルがファルシオンではない王太子旗を掲げた理由を、そこに記した。




『我等が地、我等が国のこの西辺サランセリア地方は、生まれながらにして西海と国境を接する苛烈な試練を負った地であり、また誇るべき要衝の地である。
 そしてこの軍都ボードヴィルこそは、国家護持にあたる西方最大の砦である。
 不可侵条約が破棄され、西方軍が壊滅的な損害を受けたこの危急の時、我等はこれまで我等が享受した国と国王陛下の恩恵に報い、要衝たるその役割を最大限に発揮せんと立ち上がった。


 我等が叛逆の誹りを受けている事は承知している。
 王都は我等を糾弾したが、そうせざるを得ないのだ。それもまた、我等は理解している。
 御旗として立たれたミオスティリヤ殿下、かの労しき第二王妃シーリィア妃殿下の御子の御意志は、ただこの国の危急存亡の危機からの救済と、そして平穏の復活であられる。
 十九年前、国王陛下が自ら定められた法を押し、シーリィア妃殿下とミオスティリヤ殿下をお助けになられた事を、王都が公然と認める事は不可能である。この国内が混乱している現在ならば尚更にである。
 だからこそ、このボードヴィルがミオスティリヤ殿下とそのお志をお支えし、殿下と共に忍従の時を耐え、この国の危急存亡の時に立ち向かわなくてはならない。
 まずは西海軍を正しき国境の向こうへ押し戻す事──
 その為に、我等の意を汲み、共に戦う志高き者は必ず現れると、我等は確信している。
 幼い御身で国王代理という重責を担われるファルシオン殿下は、我等にとっても至宝である。
 だが王都は遠く、護るべき王太子ファルシオン殿下もまた遠い。
 しかしながらそれは、我等にとって、幸運であると敢えて言おう。
 西海の侵略に曝されるこの地より、王都もファルシオン殿下も遠く隔てられている事は、幸運である。


 この危急に対しこの地に掲げる旗として、ミオスティリヤ殿下以上に相応しい御方は他に無く、そしてまた、幼いファルシオン殿下に寄り添い、お支えする事ができる方も、ミオスティリヤ殿下を置いて他には無い。


 今、意志ある諸兄等に問う。
 この危急の時に、この地が西海に呑まれるを座して待つか。
 それとも我等と共に立ち上がり、国の為、民の為、剣持ち盾を掲げ闘うか。
 王都との不幸なすれ違いは、一命を賭す兵士等の為にもこの誤解を解かねばならないが、それはまた後日の話である。
 我等はまず、眼前の国家の危機に団結し、一丸となって当たらん。


 改めて告げる。
 この文は、意志ある諸兄にその志の貴きを問うものである』






 歓声の中、ボードヴィルの街門が悠然と閉ざされる。
 無事メヘナ子爵と彼が率いる四百名の警備隊を迎え入れられた事に、ヒースウッドは深く息を吐いた。周囲に集まった住民達の声へ右手を上げて応える。
 その住民達の歓声の中でさえ際立って、おお、という感嘆が、閉じた門の前に広がったメヘナ子爵家警備隊士達の間から上がった。
 正面の砦城を見上げ、口々に唸る。
「守護竜――」
 ヒースウッドも彼等の視線を追い、砦城の大屋根を見上げた。
 そこに座す、白い骸の竜の、周囲を圧する威容。
 傍らにはルシファーが、風に黒髪を揺らして寄り添っている。ルシファーは街門を潜った警備隊へ、その面を向けているようだった。
 新たな兵達が無事門をくぐった事に、ルシファーの暁の瞳は喜びを浮かべているだろうか。
 きっと、お喜びになっておられるに違いない、と。
 じわりと湧き起こる誇らしさを噛み締めつつ、ヒースウッドは騎馬を降りて白銀の鎧の面当てを外し、警備隊士達の先頭にいるメヘナ子爵に足早に駆け寄ると、籠手も素早く外して右手を差し出した。
「ようこそ――、ようこそお越しくださった、メヘナ子爵!」
「ミオスティリヤ殿下の御旗のもとに。無事合流できたことに感謝致しますぞ、ヒースウッド中将――いえ、上級大将とお呼びせねばなりませんな。それに今は伯爵家も継承されたのでしたか。我が家も微力ながら、お力添えさせて頂きます」
 メヘナは同じく籠手を外し、両手を出してヒースウッドの差し出した手を握った。今年五十になる男の手は普段余り陽に当たらないのか、ヒースウッドのそれより一回りも細く白い。
「私はあくまで兄伯爵の代理です。できれば兄に戻ってもらいたいのですが……」
「こ、これは、失礼しました」
 さっと顔を曇らせたヒースウッドに、メヘナは失言を帳消ししようと、手振りで背後を示した。
「これは、ミオスティリヤ殿下と、ボードヴィルへ」
 門前広場に並ぶのは、メヘナが警備隊と共に引き連れて来た荷馬車の列だ。幌や覆いを被せたそれは、主に食料、生活必需品などが積み込まれている。
「おお、なんと有難い――お志に心より礼を申し上げます。これでボードヴィルの民も飢えずに済む。定期的に隊を送り出してはいますが、やはりこの状況で、食料を確保するのは容易ではないものです」
 一時期は、食料と物資の不足が深刻な事態を招きかけた。
 今は賛同する領主達が持ち込んでくる物資と、危険を冒し街門を出て入手して来るものと、そしてまた、ごく稀にだが、気付かぬうちに砦城の食糧庫を満たしているものと――ヒースウッドはそれをルシファーが用意していると考えていた――、それらの物資でボードヴィル住民の生活を賄っている。
 ヒースウッドはもう一度メヘナの手をぐっと握り、髭を蓄えた面に曇りの無い笑みを広げた。
「メヘナ子爵、こちらへ。我等の同志に──そしてミオスティリヤ殿下に、お引き合わせ致しましょう」
 再び馬に跨るとヒースウッドは集まった住民達の歓声の中、先に立って街の大通りへ馬を進めていく。メヘナはヒースウッドの後に従い街中を進みながら、もう一度、注意深く大屋根の白い姿を掠め見た。



 メヘナがボードヴィルへの合流を決めた理由は、この風竜の存在だ。
 風竜と――。
 およそ二か月前、七月半ばのサランセラム丘陵における西方軍の壊滅以来、王都の庇護から遠いこの地は、このまま西海軍に蹂躙され併呑されるのではないかという不安に常に晒されていた。
 中でも最大の脅威は、三の鉾ナジャルだ。粟でも掬い取るかのごとく兵を喰らい、死者の軍として吐き出す。
 だが守護竜――この風竜の存在と、そしてもう一つの存在があるボードヴィルはおそらく、そのナジャルに正面から抗し得る、西方唯一の砦だった。
 いや、西方だけではないかもしれない。
 この国全体を見回しても、今西海に抗せるのは――
(それにしてもあれが風竜――何という奇異な容貌だ。あれで生きているとは……それと)
 そっと目を凝らす。
(あれが西方公なのか)
 女は白い骨組みを晒した巨大な竜の傍らに、まるで木陰に憩うように身を寄せている。
 遠目にもたおやかなその姿に、畏れと、そしてその姿はとても美しいのだろうと、そんな想いが戦慄のようにメヘナの中を駆けた。
 風竜とルシファーの存在。
 そして、もう一人。
 第二王妃シーリィアの遺児、ミオスティリヤ。



 その存在が今、このボードヴィルを、闇夜に浮かぶ灯火のごとく輝かせていた。













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2018.12.16
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