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王の剣士 七

<第三部>

第四章『空の玉座』


 とにかく髪や髭は剃られる事もなく伸びるに任せ、身体も土と埃と垢に塗れ、筋骨隆々とした体格も相まって何とも近付き難い風貌だったワッツは、今はすっかり小ざっぱりとしてヴィルトールの前に座っていた。
「そもそも一瞬誰かと思ったよ」
 頭に苔が生えて来たなどと言っていたが、苔どころではなかった。
 ヴィルトールの苦笑に、ワッツは久方ぶりに剃り上げた頭をつるりと撫でる。
「やっぱ剃らねぇとシャキッとしねぇな」
「いつも通りで私も安心した。体調もあまり問題なさそうだね」
「牢の中なんざ、身体鍛えるくらいしかする事がねぇからなぁ」
 そうぼやきつつ、ワッツは真新しい濃紺の軍服に包んだ肩を一度回転させた。
 まるでしばらく家に篭っていただけだとでも言う口振りだ。ただ言葉通り、以前にも増して筋骨逞しく見える。赴任時に用意されていた軍服の予備は、力を籠めたらはちきれそうだった。
「普通は衰弱するんだが……」
「飯はそこまで悪くはなかったしな。戦場で食うのとそんなに変わらねぇ」
 そんなものだろうかと思う反面、ワッツらしいとも思う。それに少し救われる想いがした。
「長い事牢にいたとは思えない感想だね」
「三か月と七日ってとこか」
「へぇ。随分はっきり覚えてるけど、番兵にでも聞いたのかい?」
「あいつらは話しにも来ねぇよ。とにかくあんな所じゃ日数がすぐ判らなくなるからな、五日目くらいから数える事にした」
 壁に何か刻みでもしたのだろうと想像したヴィルトールへ、ワッツは
「腕立てや腹筋をな、二百から始めて一日一回ずつ増やしてくんだよ」
「……うん。二百回からなんだね」
「百だとあっという間に終わっちまうし、まあ基本ゆっくりやるんだが、だからって何時までいるか判んねぇのに初めっから三百だと、流石に最後の方はキツいだろう」
「違いが良く……いや違うかな、うん」
 ヴィルトールは取り敢えずにこりと笑い、クライフの友人だからなぁ、と一旦自分を離れたところに置いた。
 ただ、実際に過ごした月日は単純なものではない。
「そうか――三か月も」
 表情を引き締め、ワッツに向き直る。
「私はここにいたのにも関わらず、気付く事ができなかった。申し訳なかった、本当に」
「何言ってンだ気付くかよ、そんなモン。第一サランセラムはあん時壊滅だ。俺はサランセラム戦で生き残ったってだけでも幸いだったさ」
 ヴィルトールは息を吐いた。
「サランセラム戦か――」
「ああ」
 窓の外へ目を向け、硝子の向こうの闇を眺める。そこに記憶を追ったのか、ワッツは一度、ぎしりと椅子を軋ませた。
「ヴァン・グレッグ将軍は戦死された」
 ワッツは目を細めた。
 しばらく、間があった。
「――そうか」
「だが第五大隊ゲイツ大将は、生還されている」
「ゲイツ大将が?」
 ワッツの声に喜色が昇る。
 ただ、ゲイツは、と言ったヴィルトールの言葉の意味にも気付いている。
第六大隊の軍都エンデにおられると聞いている。共に生還した兵も幾らかはいたようだ」
 それに対して言葉は無かったが、厳しい眼差しには複雑な想いが滲んでいる。
 ヴィルトールは敢えて、声に力を込めた。
「ワッツ、君が生きていて本当に良かった。心からそう思う。しかし一体どういう経緯で牢なんかにいたんだ?」
「ま、入りたくて入った訳じゃねェがな」
 苦笑し、ワッツは首の後ろを手のひらで撫でた。
「俺達は直前に偵察に出てて、西海軍の背後からあの戦場に戻った。戻った時にはもう、戦場は混乱状態だった」
 そのまま首を手のひらで押すように、床の上を見据える。
 西方軍が戦ったのは西海の兵だけではないのだ。死者の軍となった、ほんの少し前までの同僚、友人達の変わり果てた姿と、自らへ向けられる剣と。
 ヴィルトールの想像は、ワッツの思い浮かべている光景に一つも及ばないだろう。
「――あの戦場からどうにか離脱して、ボードヴィル前の泥ん中に突っ込んだ辺りか、ボードヴィルの兵に捕まったってとこだ」
「申し訳ないと、思っている」
 そう言ったのはヒースウッドだ。
 それまで扉の前に所在無げに立ち、二人のやり取りを黙って聞いていたヒースウッドは、上体を折りワッツへ深々と頭を下げた。
「貴方を拘束したのは、私の判断なのだ。貴方に我々を理解していただき、ボードヴィルの、ミオスティリヤ殿下の為に兵を率いて頂きたいと――それは今でも同じ想いだ。変わってはいない」
 ワッツは顔を上げ、椅子の上でヒースウッドへ身を捻った。
「改めて聞くが、そのミオスティリヤ殿下ってのは、何なんだ」
 ヒースウッドの面にやや苦悩の色が過ぎる。
「――ミオスティリヤ殿下は、シーリィア妃殿下の御子だ。ファルシオン殿下の兄君であらせられる」
 イリヤをボードヴィルに迎える事になった経緯、彼の国を想い身を捧げる意志――ヒースウッドの捉えているそれは、ルシファーが創り上げたものだったが――そして今、ボードヴィルがミオスティリヤの王太子旗を掲げているその理由を語る。
 ワッツは黙って聞いていたが、ヒースウッドの話がひと段落すると、ヴィルトールを見た。
「ヴィルトール」
「彼の言う事に、概ね認識違いはないよ」
「――」
 ワッツの目はヴィルトールに対し、後でを話せと、そう言っている。ヒースウッドに対しては腕を組み、考え込る仕草を見せた。
 ヒースウッドはワッツへ、真っ直ぐ緊張した顔を上げた。
「ワッツ中将、まずはミオスティリヤ殿下に、お会い頂きたい」
「――俺はそのミオスティリヤって王子に、敬意を払わないかも知れんぜ。俺は飽くまでも正規軍の兵で、正規軍将軍の指揮のもとに動き、国の為に剣を持つ。剣を捧げる旗は一つだ」
 ワッツはじっと、心の中を覗き込むようにヒースウッドの顔を見据えている。
「――殿下は、それをこそお喜びになるだろう。そういう方なのだ」
 ヴィルトールはヒースウッドの面へ視線を注いだ。
 イリヤに対するその認識は、間違ってはいない。
 自らを否定していたイリヤが今ここにいる理由は、このボードヴィルから少しでもファルシオンを助け、西海に抗する為だった。
 それはヒースウッドの理想と、大きな隔たりは無いのだが。
(それでも、ヒースウッドが見ているのは、ルシファーの創り上げた幻か――)



 ヴィルトールから先に事のあらましを聞いたイリヤは、自分の前に立ったワッツの姿にやや圧倒されつつも、双眸に喜びを昇らせた。
「ワッツ中将――貴方を歓迎します。とても、心強い」
 膝を付き頭を垂れているヒースウッドを横目に、ワッツはまだ立ったままイリヤと向かい合った。
 色違いの瞳を緑の鋭い双眸でじっと見つめ、ややあって、口を開く。
「お前さんがイリヤ・・・か」
 ミオスティリヤ、と言わなかった事にヴィルトールはすぐ気が付いた。ただその呼び方はここではヴィルトールしか使わず、それも他の耳の無い時だけだ。ワッツとイリヤは初対面のはずだった。
「ワッツ、その名前は」
「ある人物から聞いた」
 ヴィルトールへそう答えながらも尚イリヤを真っ直ぐに見つめ、ワッツはゆっくり告げた。
「イリヤ、お前さんを良く知っている娘、いや、ご婦人だ。――ラナエという」
「――ラナエ……?」
 打たれたようにイリヤは目を見開き、二、三歩、ワッツへと近寄った。
「ラナエは、ラナエは無事ですか?!」
 その背後でヒースウッドが膝を付いたまま、俯き身を固くしている。
「前に――半年前です、ここでスクードという人に会いました。そうだ、彼は確か、ワッツ中将、貴方の部下だと言いました。ラナエを連れ出してくれると言って――でも、結果は俺には判りませんでした。調べる術が、無くて」
「そうだ、スクードは俺の部下だ。ボードヴィルに潜入させた後、スクードはヒースウッド伯爵邸から彼女を連れ出し、その後俺も彼女に会った」
「――会った……」
「スクードは今、彼女の護衛に付けてる」
 イリヤは束の間、呼吸を止め――
 それからゆっくりと、肺に溜まっていた息を吐き出した。
 そのまま床にしゃがみ込み、顔を両手で覆って呻く。その背と肩に滲むのは、表しようの無い安堵だ。
 ヴィルトールは彼の肩に手を置いた。
 イリヤは顔を覆ったまま、震える声を押し出した。
「どこに……今――、彼女は」
「この三か月連絡は取れてねぇが、信頼の置ける相手に預けている。無事だろうさ」
「それは」
 しゃがんでいたイリヤは、片膝を起こしてワッツを見上げた。
「それは誰ですか? 今も無事ですか? あ、い、色々と聞いてしまって済みません、気を悪くしないで欲しい、でも」
「何も問題はねぇ。お前さんも知ってる奴だし、充分に彼女を保護できる。だが今は名は言わないでおこう」
 イリヤはワッツを見つめ、尚も問いかけようとして――まずは瞳を閉じた。
「――わ、解りました」
 ゆっくりと、イリヤが息を吐く。
「お腹の子の事は安心していい。さすがに現状は俺にも判らないが、そろそろ生まれてる頃だろう」
















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2019.6.16
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