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王の剣士 七

<第三部>

第四章『空の玉座』


 西海の進軍は二日目、十月十九日の夕刻にはボードヴィルの街でも徐々に噂となって流れ、住民達の間に不安を広げていた。
 今はサランセラム丘陵手前で北方軍が阻んでいるが、進軍はいずれこのボードヴィルにも近付くだろう。ボードヴィルは未だ泥地に囲まれながらも、西海軍の侵攻は小康状態が続いていたが、これを機に大きく動くかもしれない。
 三か月前、あの西方軍の壊滅は住民達の誰もが知っていた。あの時の西方軍は八千を超えていたが、このボードヴィルには今、第七大隊の半数、千五百弱の兵しかいないのだ。
 人々は大屋根の守護竜を見上げ、その威容に縋る想いを強め、口々に不安な囁きを交わしていた。


 日没後の七刻、砦城では予定より一刻早く協議の場が持たれた。
「ランドリー将軍は西海の攻撃を凌いだ。これは朗報だ」
 ヒースウッドはたった今入ったばかりの情報に、髭を蓄えた厳つい面を上気させ、卓から身を乗り出さんばかりに列席者達を見回した。
 長い長方形の卓の、一番奥の右端に着いているのはヒースウッド。
 その隣に右軍中将エメル。エメルは三か月前のあの戦いでヴァン・グレッグ率いる西方軍に加わっていたが、部下十数名と共に辛うじて生き延び、ボードヴィルへ戻っていた。
 更にヒースウッドの呼び掛けに応じて集った周辺諸侯、メヘナ、レングス、ドミトリの三人の子爵、エブソン、シュトレン、ジェットの三人の男爵。
 そしてヒースウッドの正面、卓の左奥に、『王太子』ミオスティリヤの代理としてヴィルトールが腰かけた。
 イリヤをこの場に出さなかったのは、この協議がボードヴィル守護部隊上級大将としてのヒースウッドが招集したものだからだ。
 ヴィルトールは自分の左斜め前、長い卓の正面にある二つの空席を見た。一つはイリヤの為のもの、そして一つはルシファーの為のもの。
 ルシファーの姿もまた、無い。
(今日もか)
 ルシファーが同席する事は稀で、今では誰もその事を疑問に思っていない。
 ヴィルトールは視線を正面のヒースウッドへ戻した。
「我々も機を合わせ、西海の討伐に打って出るべきだと考える」
 ヒースウッドは一旦言葉を区切り、誇りを滲ませ、居並ぶ者達が応える事を期待して待った。
「ヒースウッド閣下の仰る通りです」
 若いドミトリ子爵が卓に置いた拳を握り、身を乗り出す。二十代らしい血気盛んな面をヒースウッドへ向ける。
「北方軍に加われば、西海に一矢報いる事もできましょう。我が兵はこの為に閣下の檄に応じ、ボードヴィルへ参ったのです」
 ドミトリは自身の領地の警備隊を三百、伴って参加している。
 もう一人、三十代のシュトレン男爵もまた、頷いた。シュトレンが伴った数は百。
「私も及ばずながら、ヒースウッド伯爵に賛同致します」
「おお、お二人とも、頼もしい限りだ」
 ヒースウッドは声を弾ませた。
 けれどドミトリとシュトレン、二名の意思表明に場の空気は勢いを得たかに見えて、続く者が無い。
 他の者は口を噤み、目線も僅かに逃している。
「……他の方は如何か」
 重ねての問いにも返す者は無く、ヒースウッドは眉を上げ、やや声を強めた。
「今、このボードヴィルに集った我等だからこそできる事――いや、為さねばならぬ事だと思う」
「しかし……」
 レングスが居心地が悪そうに身動ぐ。五十代後半、肉をしっかりと蓄えた恰幅の良い体型で、百五十の兵を伴って入城したが、ボードヴィルに入って以来、街壁の外に出た事は一度も無い。
「住民達の命を預かっている以上、あまり軽率な動きはできないのでは……」
「何を仰る、レングス子爵」
 ヒースウッドは目を剥き、手のひらで卓を押し付けるように、更に身を乗り出した。
「国家の危急に、そのような慎重論を唱えるのは」
「いや、私は」
「まあまあ、ヒースウッド大将」
 声の主はヴィルトールの右横に座っている男だ。鷹揚に片手を上げている。
(メヘナ子爵か)
 メヘナは五十代半ば、今回集った諸侯の中で最も多い四百の警備兵を伴った。それでもまだ領地には残り三百が控えている。メヘナ家はこのサランセリア地方で、ヒースウッド伯爵家に次ぐ勢力を持つ家だった。
「今結論を出すのは早いでしょう。もう少し様子見をしてからが良いのではありませんかな」
「早いなど――西海が次の手を打つ前に動くのが定石で」
「ヒースウッド伯爵、まあ落ち着いて」
 苦笑を滲ませた声にヒースウッドはむっと口調を尖らせた。
「私は充分落ち着いている。だが西海の進軍は、こうしている間にも」
「ですからねぇ、この話は、また改めてに致しませんか。軍を動かすにしても、まずはミオスティリヤ殿下の御判断を仰がねばなりませんし」
 ヴィルトールはメヘナとヒースウッド、双方の視線が自分に向けられているのが判っていたが、敢えてどちらにも目線を返さなかった。
「我等もすぐには決断できぬ事柄です。何せ命が掛かるのです。兵達だけではなく、我々自身の命も」
 そう聞いて、先ほどヒースウッドに賛同したシュトレンが躊躇いを滲ませる。メヘナはそれを見て取り笑った。
「この場にはミオスティリヤ殿下もおられない。明日、改めて協議の場を設けて、ミオスティリヤ殿下の御意志を窺いましょう」
「――判りました」
 ヒースウッドは卓の上で拳を握り、それでも息を吐いた。





「そうなんですね……」
 イリヤは会議の内容を聞き、眉根を寄せた。
 今のボードヴィルは謂わば寄せ集めの集団だ。取りまとめるのは難しいだろうと予想はしていたが、ヒースウッドに反対する者が半数もいる事は穏やかな傾向ではない。
「俺は、明日どんな態度を取ればいいでしょう」
 その問いへの答えは簡単ではない。ヴィルトールは一旦、背にしている窓の向こうに視線を投げた。
「そうだね。できれば国に資する発言をまずすべきだと思う。かつ、住民の事を第一に考えて欲しいと言えばいいかな」
「それは、どっち付かずってことじゃ……」
 イリヤはやや呆れた顔をしたが、
「どちらにせよ、君の立場は難しいからね。今のボードヴィルは一枚岩じゃない」
「でもルシファーは、ヒースウッドの意見を認めるんじゃないだろうか」
「どうだろうね。ルシファーは――、彼女はもう、ボードヴィルに興味を失っているように思える」
 私にはね、と付け加え、ヴィルトールはもう一度、これまでのルシファーの姿を思い浮かべた。一番明確なそれは、半年前のものだ。
 まだ西海との不可侵条約は破られておらず、イリヤの探索の為、部下達と共にヒースウッド伯爵邸に潜入した時の、ルシファーの姿。
 あれは記憶の中で血と憤りに彩られているが、それだけではなくあの時のルシファーの瞳の色は鮮明だった。
 それ以降は曖昧だ。
「興味を失ったのは、この状況そのものにかな……」
 だとしたら、ルシファーの狙いは何だったのか。
「中将?」
「――いや」
 考えてわかる事では無い。ヴィルトールは立っていた窓際から離れてイリヤの前に戻った。その窓から見上げれば、今は暗くぼんやりと白い影のようにしか見えないが、大屋根の上に座す骸の竜の姿を窺う事ができる。ルシファーの姿もそこにあるのだろう。
「話を戻そう。ボードヴィルは一枚岩じゃない。兵を外に出すにはヒースウッドの手は足りていない。ヒースウッドがボードヴィルを空ければ後を担える者が無い、十中八九メヘナが実権を握ろうとするだろうね」
 そうなれば、メヘナは自分の保身や利益の為にイリヤを利用しようとするだろう。
 その手段の一つとして、イリヤを捉え王都へ差し出す事も考えられるが、今はそこまで口に出す事は控えた。
「今の状態で、正規軍がボードヴィルを出るのはとてもまずいな。かと言って警備隊は出ないし、出してどうにかなるものでもないしね」
 イリヤの眉間の皺がますます深くなるのを見て、ヴィルトールは苦笑した。
「まあさっきはああ言ったけど、君は明日多く発言する必要はない。ヒースウッドに賛同する者は、明日にはきっともっと少なくなるだろうから」














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2019.6.9
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