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王の剣士 七

<第三部>

第四章『空の玉座』


 初めは、何が起きているか判らなかった。
 西海軍第四軍の中将ギュントは、逃げるアレウス軍兵士に追い縋ろうとし、いつまで経ってもそれが叶わない事に、まずは疑問を覚えた。
『何故、追い付かない――?』
 アレウス軍の陣形が崩れた時は、すぐそこに逃げる背中があった。
 だが、今は随分と遠い。
 疑問に絡め取られ、と同時に何かの違和感を感じ、ギュントは足を止めた。
『――』
 ギュントだけではなく、他の兵士達もみな足を止め、不思議そうな顔を辺りに向けている。
 周囲にはアレウス軍の兵は一人の姿も無い。
 戸惑う自軍の兵達のみ――
 そして、左右には高い壁があった。
『な――、何だ、ここは……』
 壁――崖だ。高さは五間ほど、切り立ち、取り付く個所は無い。
 海溝のような場所だとふと思い、あの暗がりを思い出しギュントはぞっとした。
『いつの間に』
 逃げるアレウス軍を追い、中央に楔を打つように切り込んだはずだ。
 地形は緩やかな丘陵だったはずだ。
 それが気付けば、アレウス軍の姿は無く、ギュント達は左右を崖に挟まれた一本道に踏み込んでいた。
 道の先は緩やかに右へ曲がり、視線は高い崖に遮られる。
 ギュントは前後を見渡した。
 道幅は二十間ほどと充分な幅があり、横四十名を並べる陣形をそのまま呑み込んでいる。
 誘い込まれたのだと、それだけは判った。
『退け――!』



「地の利がどちらにあるか、敵地では良く調べた上で兵を動かすべきだな」
 戻ろうと押し合う西海兵を崖の上から見下ろし、ランドリーは剣を高く掲げた。
「敵兵よりも数に劣るのならば尚更、真っ当な戦術など用いはしない」
 法術による幻影で地形を隠し、なだらかな丘陵に見せかけた。
 上空に幾つもの光の輪が浮かぶ。金色の光を滲ませた法陣円だ。崖の上には正規軍法術士団の術士百名、そして兵士二千が左右に分かれて身を伏せていた。
 法陣円から放たれた光が矢の雨となって降り注ぎ、西海兵達を貫く。
 左右の崖の上からはそれぞれ五十基ずつ並べられた大型弩砲アンブルストが、鉄の矢を交互に放つ。
 谷間に流れ込んでいた西海兵、およそ六千の上に容赦無く降り注ぎ、西海兵は瞬く間にその場に折り重なって倒れた。
 足場を作っていた使隷が身を揺すり人型を起こす。
 その緑の核を、法術の矢が的確に射抜く。
 四半刻後、六千の兵と使隷は全て倒れ、谷間には静寂が漂った。





『まんまと乗せられおって――』
 フォルカロルは屈辱に頬を震わせ、報告を上げた兵の頬を拳で打ち据えた。
 兵の身体が弾き飛ばされ、フォルカロルの前に並ぶ護衛の兵列の間に倒れ込む。
 水人種の兵達は泡を吹き倒れた原種の兵を助け起すでもなく、侮蔑の目で見下ろしている。
『六千もの兵を失うとは! プーケール、貴様の責任は大きいぞ! その目は節穴か! 幻影を真に受けるなどと――』
 プーケールはじろりとフォルカロルを一瞥し、大柄なその身体でまだ倒れている部下へ近付いた。護衛達が後退る中、部下を担ぎ上げる。
『命じたのは貴様だ、総大将』
『何だと、この私に』
『法術があれほど力を持つとは、誤算だろう』
 口を挟んだのはレイラジェだ。フォルカロルが苛立ちを表しつつも、ひとまず言葉を飲み込む。
『我等の海ではあまり法術は発展しなかった。加えて我等の能力は水を介してこそ威力を発揮するものだ。まあ、適材適所というやつだろう』
『何を悠長な、レイラジェよ』
 ヴォダは窘める口調だが、そもそもこれはフォルカロルとプーケールの失敗だと、その声に滲み出ている。
 レイラジェは三人の顔をぐるりと見回した。
『圧倒的な兵数の差は崩れようが無いのだ。まず緒戦は小手調べのようなもの、これから次の戦術を話し合えば良いだろう』
『もう次の手は決めている』
 棘を含んでフォルカロルはレイラジェから視線を逸らした。プーケールが部下を担いだまま同じく声を尖らせる。
『次の手だと? フォルカロル、まだ何も話は』
『その必要は無い。奴らはどうせあの地形にしがみつくだろう。ならばシメノス上流へ兵を送り、ボードヴィル現存の兵と合わせてアレウス軍を挟撃する。いかに地形に頼ろうと、前後から攻撃を受ければひとたまりも無い』
 ボードヴィル前に現在、一万の兵を置いている。死者の軍も含め。
 フォルカロルはレイラジェ、ヴォダへ順番に視線を向けた。最後にプーケールへ。
『プーケール、貴様の第四軍から一万を回せ』
 一瞬場に走ったのは牽制の空気だ。
 フォルカロルへの。
『この敗戦の責任はそれで埋め合わせしてもらおう。明日の早朝、アレウス軍を背後から強襲するのだ。強襲に呼応し我等が本隊を進める。アレウス軍に気付かれぬよう、深夜にここを離れよ』
『――承知した』
 プーケールは黒い鱗で覆われた表情の読み取り難い面で頷き、長い尾を揺らして三人の前を離れた。
 重い足音が遠ざかる中、ヴォダがフォルカロルへ視線を戻す。
『ボードヴィルのあの女はどうするのだ』
『未だ真意の測り難い輩だ。最近は顔も見せぬが、あの狭い砦の中で王国ごっこでもしているのだろう。警戒だけして捨て置けば良い』




 プーケールは己の第四軍へ戻りつつ、忌々しさを吐き出した。
『フォルカロルめが、海皇陛下から此度の指揮権を与えられたとは言え、我が軍を駒か何かのように扱いおる』
 もともとフォルカロルは自身が水人種である事を鼻にかけ、特に西海の原種であるプーケール達を事あるごとに見下し蔑んでいる。
『忌々しい』
 だが、まずはアレウス軍との戦いに勝利する事だ。
 配下の大将ベルメルが敬礼してプーケールを迎える。プーケールは肩に担いでいた兵を駆け寄った部下達に預けた。
 第四軍はみな、西海の原種と変化の大きく表れた変異種で構成されている。
(水人種などそれほど有難いものならば、アレウスの足でも舐めてとっとと地上に戻れば良いのだ)
『閣下』
『深夜、一万でここを発つ』
『は』
『シメノスを遡り、向かうはまず、ボードヴィルだ』














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2019.6.2
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