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王の剣士 七

<第三部>

第四章『空の玉座』

三十一

 
 協議は、午後の二刻を回ってから、始まった。
 内政官房長官ベール、サランセリアから戻ったアスタロト、アルジマール。スランザール。ヴェルナーを初めとした十侯爵、タウゼン等正規軍と、近衛師団のグランスレイと、セルファン。
 ここ半年の間、内務、財政、地政、軍部のいわゆる十四侯に、法術、司法を加え、王太子ファルシオンを決定権者とした協議の場で、様々に国政を論じ、決し、動かしてきた。
 ただ、これまで謁見の間に沈殿していた重苦しい空気は、王城を取り巻く晴天に薄められたように思え、一昨日の王都侵攻とサランセリアの西海軍本隊撃退とを以って、一つ山場を越えたと、そんな見方が協議の場にあった。
「王都侵攻軍三万七千の内およそ七割強を削り、また西海軍本隊も十万の内四万近くを討ち取り、西海軍はバージェス沖に撤退しました。残念ながら総大将フォルカロルを打つ事はできませんでしたが」
 タウゼンは謁見の間に集う諸侯等を見回した。
「フィオリ・アル・レガージュでは、マリ王国海軍の助勢を得て収めた勝利でもあります」
 既に報せを受けていた事だが、おお、と小さくどよめきが起こる。
 ファルシオンは玉座へのきざはしの半ばに置かれた椅子に腰かけ、高い窓から注ぐ陽光を見上げた。滲む白い空に、かつてのレガージュの青い空を思い出す。
 一つずつ、繋がっているように思う。
「西方サランセリアに侵攻した十万の兵と、レガージュの五千。そして王都へ侵攻した三万七千。それがおそらく、西海の最大兵数と捉えて良いでしょう。他に余力を温存していたとしても、此度の侵攻の性質上、一万か二万程度と推測します」
 大公ベールはタウゼンの報告に頷いた。
「王都侵攻を防ぎ、何より三の鉾ガウスとプーケールを討てたのだ。充分価値のある戦果だった」
 束の間、その場の意識が一つの事に集まったのが感じられる。
 三の鉾ガウスと、そして将軍プーケールを討った存在。
 幾つかの視線がグランスレイと、それから謁見の間の扉へと向けられたが、その議論が出るにはまだ早いようだ。
「とはいえまだ戦いが終結した訳ではない。国内ではヴィルヘルミナ、そしてボードヴィル。西海は兵力を削ったとは言え、最大の脅威は三の鉾筆頭、ナジャルだろう。ナジャルの意図は読めん。これで矛を収めれば良し、だがそう希望的観測ばかりもできまい。タウゼン」
 今後の方針案を、と促す。
 タウゼンは改めて姿勢を正し、アスタロトの瞳を確認した後、再び口を開いた。
「正規軍の動きと致しましては、南方軍は一部レガージュに駐留させ、北方軍及び再編した西方軍を引き続きサランセリアに駐屯させます。サランセリアに投入していた東方軍は戻し、南方軍と共にヴィルヘルミナへ」
 正規軍総数は八万四千から、度重なる戦闘で、七万を割り込んでいる。
「新兵を引き続き募集すると共に、練兵を強化したいと考えております」
「その、新兵ですが」
 発言はゴドフリー侯爵からだ。ゴドフリーはタウゼンと、そしてグランスレイを見た。
「プーケールを討ったという剣士は、正規軍の新兵として王都にいたと聞きました。彼について、その後の情報は」
 グランスレイが身体を向ける。
「投宿している宿へ訪ねましたが、既に引き払った後でした。継続して探させています」
「私は、あの剣士に会いたい」
 列席者達はきざはしを見上げた。
 半ばに置かれた国王代理の椅子に、ファルシオンは浅く腰掛け、諸侯を見渡した。
「話を聞いてみたい」
「ですが――」
 そう口籠ったのはグランスレイだ。
 プラドの目的は、あの時あの男自身が語った通りだろう。ファルシオンにとって、彼の目的は歓迎できないもののはずだ。
 ただプラドともう一度会う必要があるとは、グランスレイもそう考えている。
「ベンダバールか。僕も会ってみたかった。一人だったのだろ? 他の氏族はいなかったのかな。剣は右腕に現われていたというし、とするとの剣はどちらの血筋なんだろう。ぜひ一度会って話をじっくり聞いてみたい。一日――いや、半日でいいから」
「アルジマール院長」
 呆れた様子でベールが口を挟む。
「貴殿の個人的興味はひとまず置いてもらいたい」
「せめて学術的興味って言って欲しいな」
「しかしその男を通じてベンダバールという氏族の協力が得られれば、この後の戦いは勝ったも同然ではありませんか」
 地政院長官補佐ランゲの言葉に、何人かが頷く。
「私は、少し反対だ」
 アスタロトは自分に集まった視線に、一度息を吸った。
「ただ利用するみたいに思われるのは、避けたい」
「褒賞を与えれば良いのではありませんか。我が国の敵は西海だけではなく、東方公、そしてボードヴィルにもいるのです。戦力は多い方が良いと考えます」
「褒賞って、だからそうじゃないんだ、ランゲ侯爵」
「しかし」
「剣士は褒賞なんて望んでない。ルベル・カリマはこの国自体のやり方に疑問を持っていた」
「公」
 タウゼンが青ざめる。
「アスタロト公爵」
 やや熱を持ちかけた議論に、別の声が割って入った。
「些か誤解を招く御発言です。事実でもなく、そもそもそのような印象を与える事は貴方の本意ではないでしょう」
「ヴェルナー侯爵」
 ロットバルトを見て、アスタロトは踏み出しかけていた足を、半歩引いた。
「そうだ――でも、そうだと誤解されてる。多分ベンダバールもルベル・カリマと同じ考えだと思う」
 ファルシオンは階の上で、ぎゅっと両手を握り込んだ。
 その誤解を解きたい。
 それはファルシオンの役割の、一つでもあるように思う。
「恐れながら――」
 グランスレイは諸侯を見回し、ベールと、そして段上を見上げた。
「近衛師団総将代理の権において、ここに発議を申し入れます」
 しん、と辺りが静まり返る。
 グランスレイの発議しようとしている内容は、この場にいる全ての出席者が想定でき、そしてその発議を待ってもいた。
 ベールはファルシオンへ視線を上げた。
「殿下」
「――許可する」
 息を吸い込み、明瞭に、頷く。
 グランスレイは左腕を胸に当て、深く一礼した。
「近衛師団隊士、剣士レオアリスの処遇について、十四侯の協議による検討をお願い致します」
 何人かが互いに顔を見合わせ、互いの出方を探る。
 レオアリスが階級を剥奪され蟄居を命じられていた理由は、王太子守護を命じられていながら居城を離れ、それによってファルシオンの身を、引いては国を危うくした事にある。
 その処遇を再度検討するに当たっては、相応の理由が必要だ。
 処分の理由が表向きではあっても――表向きだからこそ。
 グランスレイは一礼したまま、更に続けた。
「半年に渡る蟄居に於いて、十分に責を担い、償ったと考えます。また、この度の王都侵攻においては、三の鉾ガウスを討ち、王太子殿下の御身をお救い致しました。この功績を以って、何卒、再度処遇をご検討いただくよう、伏して申し上げます」
 囁き交わす声が、風に揺れる樹々の音のように広がる。
 ただ、騒めきは長くなく、すぐに収まった。
「処遇前と同階級への復位が相当と考えます」
 躊躇なくそう言い切ったのは、十侯爵筆頭ヴェルナー――、ロットバルトだ。グランスレイはその姿を見て、息を吐いた。
「グランスレイ殿が仰ったように、三の鉾を討ち王太子殿下をお守りした功績は非常に大きい。また、城内及び城下において、いずれも安堵と評価の声、とりわけ城下の住民達の中での復帰を望む声は、この二日の間にも一層高まっています。その声に応えて処遇する事は、王都全体に追い風を生むものになるでしょう」
 ランゲが同じ並びから、ロットバルトを横目に見る。
「ヴェルナー侯爵は先代から引き続き、先見の明がおありだ。王の剣士殿をもう既に、貴方の庇護下に入れておられる――もとから後見されておいでだったが」
 どことなく悔しそうな口調に、ロットバルトは微笑みを浮かべた。
「当家一つに限るものでもないでしょう。これからはより一層、全体でファルシオン殿下をお支えしていく必要があります。その一環とお考えになるべきだ。この処遇に誰が責任を取るのかと仰られるのであれば、それは勿論、このヴェルナーが取りますが」
「いや、それは、我等も応分の責を」
 ランゲは素早くそう言い、何人かの侯爵もランゲ同様頷く。
「私も――」
 やや硬く、だが力強く、アスタロトはそう言って一歩踏み出した。
「ヴェルナーに賛同する」
 ベールがその場を見渡し、再びファルシオンを見上げる。その視線をグランスレイへ戻した。
「――総将代理、グランスレイ。王太子殿下から処遇を申し渡すに当たり、当人をここへ」
 グランスレイはさらに深く頭を下げ、身を起こすと、階の下から真っ直ぐに伸びる深緑の絨毯の上を、謁見の間の大扉へと向かった。
 ファルシオンはその姿を追い、半年前、グランスレイの前を歩いていた後姿を想い起こした。あの時はファルシオンに背を向けて、この謁見の間から退出する為に。
「――」
 もう姿を見て、言葉を交わしてもいるのに、鼓動が高く、速くなる。
 待つ間はそれほど長くも無かった。
 再び扉が開く。
 廊下に溢れていた陽光に、一瞬、姿が滲んで溶ける。
 ファルシオンはぎゅっと目を瞑り、扉が閉じる音と共に開けた。
 先ほどとは対照的に翳った謁見の間を、ゆっくりと歩いて来る。
 絨毯が靴音を吸い込み、代わりにファルシオンの鼓動が身体の中に、その歩調に合わせるように響いた。
 やや離れた位置で立ち止まる。
 それは半年前、レオアリスが膝をついていた位置だ。
 ファルシオンは思わず声を出した。
「もう少し、前へ」
 膝を落としかけていたレオアリスは顔を上げ、それからもう三歩、前へ出た。
 その場に片膝を付く。
 左腕を胸に当て、上体を伏せた。
 謁見の間は水を打ったように静まった。僅かな衣擦れの音が耳に届く。
 諸侯達は皆僅かに顔を伏せ、裁可を待っている。
 ファルシオンはベールを見て、その瞳が自分へと向けられているのに気が付いた。
 ファルシオンが裁可し、任命するのだ。
 一瞬、鼓動も他の音も、全て消える。
 ファルシオンは椅子の肘掛を掴み、身を乗り出した。
「近衛師団第一大隊、レオアリス」
 高い窓から降り注ぐ光が、筋となって階と、深緑の絨毯の上に、道を作るように落ちている。
「国王代理、王太子ファルシオンの名をもって、蟄居の命を解き、この時をもって第一大隊大将への復位を命じる」
 とても静かで、明るい。
 レオアリスは身を伏せたまま、更にその背を低く落とした。
「――慎んで、承ります」
 鼓動が再び、戻った。
 諸侯達は顔を上げていたが、まだ誰一人言葉を発する者は無く、静かだ。その中で鼓動が躍っている。
 ベールがファルシオンから、列席者達へ、視線を移す。
「この先、西海の動きが無い限り、まずは国内を平定する事を優先する」
 ファルシオンの鼓動はまだどくどくと鳴っていたが、ベールの言葉はその中にも静かに差し込んだ。
 湧き上がった喜びが一旦、静まっていく。
 そう、まだ、この先に成さなければならない事があるのだ。
 だが光の先にあるレオアリスの姿を見ると、膝をつき身を伏せたままでありながら、この先ファルシオンと共にそれを成す為にそこに居るのだと、そう思えた。
 この場にいる全ての諸侯もだ。
 ファルシオンは瞳を上げ、椅子の中で顔を上げた。
 階を更に上った壇上には、空のままの玉座がある。
 それを支えるのはファルシオンだが、一人ではない。
「東方、ヴィルヘルミナの平定は、秋の収穫を待ち、行う。当然ベルゼビアもそれは想定しているだろう」
















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2019.8.18
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