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王の剣士 七

<第三部>

第四章『空の玉座』

三十

 
 夜も明けて七刻を迎える前には、王都の通りに多くの人々が出て、昨日から続く街の復興作業を始めていた。
 崩れた瓦礫もあらかた片付き、今日中には壁の修復に手を付けられそうだ。西海の襲撃で失った隣人を悼みつつ、けれど瓦礫を運ぶ手は昨日よりも軽い。
「もう大丈夫だ。何てったって、王の剣士が戻ったんだしな」
「何があってもファルシオン様が、我々を見捨てたりなさらない」
「小さい王子様なんだから、私たちが殿下をお助けしなきゃね」



「何だか、ちょっと救われるわねぇ」
 周りの人々の会話に、マリーンは野菜を切る手を止めて、ううんと伸びをした。
「みんなあの子が戻ってきたこと、喜んでるし」
 そもそも、街で噂されていたように幽閉されていたのでは無く、ずっと姿を見せなかったのも怪我をしていたからで、今回の事で元どおり近衛師団第一大隊の大将に戻るのだと、そんな話をあちこちでしている。
 ダンカは水を張った大きな鍋を火にかけ、傍らのマリーンを見下ろした。
「本当に、良かったですね」
「ええ!」
 空も高く澄んでいて、秋の緩やかな風も心地よく、人々の顔は久しぶりにこの空のように晴れ晴れしている。
 みな、これから元どおりになっていくのだと、そう感じ期待しているように見えた。
「雨がずっと降ってて、ようやく晴れたみたいな、そんな感じね」
 そう言ってマリーンは通りを見回した。
 瓦礫の撤去作業に多くの人が集まっている。それがとても頼もしく見え、空がますます青く澄むように思えた。
「さ、頑張ってデント商会特製の炊き出し作りましょ! 今日も忙しくなるわよ〜」




 クライフは部下のコウとシャーレを連れ、大通りを下っていた。もう一人、横を歩いているのは正規軍の新兵、ベイルという男だ。
 見回す街は活気と、また別の騒めきに満ちている。
 人々は通りに出て言葉を交わし、荷物を抱えて忙しく歩き、家財や煉瓦の欠片を乗せた手押し車を押して行く者もちらほらと見えた。
「慌ただしいですね」
 コウの言葉にクライフは頷いた。
「俺の住んでる下層の辺りも、周りの奴等が朝から瓦礫の撤去だの何だかんだ作業してたな。あの分なら今日くらいにゃ片付けも終わって修復に入れるだろ」
「たくましいですねー。私たちの出る幕なくなっちゃいそう」
 シャーレの感心した声に、クライフはニヤリと笑う。まだ十六になったばかりのこの少女も、いっぱしの近衛師団隊士の顔をしている。
「お前もな。初陣でかすり傷で済んだのは上等だ」
「はい! コウ先輩が助けてくれましたから!」
「へぇー、そうかそうかコウ。いいとこ見せられたな」
「何すか」
「いやいや、何って訳でもねぇけど――実戦なのに浮かれてんじゃねぇぞ……」
「こわ……! ボソッと言うの止めてください!」
「うるせぇ」
「ご自分が上手くいかないからって」
「うるせぇ!」
 ぼそぼそやり始めた二人を呆れた目付きで眺め、ベイルは通りを曲がった。
「ここです」
 宿の前に立ち止まり、二階の窓を指差す。
 扉の上に掲げられた木彫りに彩色した看板は、『白鳩亭』の名のとおり、白い鳩が透し彫りにされている。
「何だ、ここか。五日前くらいにここで飲んだばっかだぜ。俺の家とほんの二区画しか離れてないじゃん」
「クライフ中将、全然気付かなかったんですか、ここに剣士がいるって」
「気付かねぇわ」
 クライフが扉に手を伸ばそうとする前に、ベイルは宿の扉の前に、何故か立ちはだかるように立った。
「俺が呼んできますよ」
「いや、直接部屋に行くからいい」
 あっさり言ってベイルの肩を押しのけ、クライフは扉を開けた。
 一階は食堂だ。
 入るなり、奥から声が飛んだ。
「ようクライフ中将! あんたも無事で良かった! 一昨日、いたんだろ?」
 帳場の向こうから丸顔の親父が手を挙げる。クライフも手を挙げて応えた。
「王の剣士が戻ったってんだろ? これで安泰だねぇ。祝杯だろ、何飲む?」
 と言いつつ麦酒の樽を叩く。
「違うって、今勤務中だし。ちょっと上に知り合いが泊まってるから、訪ねてきたんだよ。上いいか?」
「構わないよ。部屋は知ってんのかい」
「二階の真ん中だ」
 クライフは礼を言って食堂を横切って行く。ベイルが慌てて追いかけた。
「あ、いや、すんません、あいつに話するなら、俺にまず話通してもらわないと」
「何でだ」
「何でって、まあそりゃ友人っつーか、いや、元正規軍のよしみっつーか」
「友人? よせよせ、旨い儲け口なんてねぇぞ」
 ベイルは食い下がった。クライフが正規軍の詰め所へプラドを訪ねて来た時には、もうプラドの姿は兵舎には無かった。
 というより、おとといの晩から戻っていなかった。何とか縁を繋いでおきたいという考えが、ベイルの顔にはありありと浮かんでいる。
「じゃ、どんな話すんのかだけでも」
「あー、そりゃ難しい」
 クライフはどんどん階段を二階へ上がっていき、先ほどベイルが通りから指差した部屋に当たりをつけると、その扉を叩いた。
「失礼――近衛師団第一大隊、中将クライフと申します。ベンダバールのプラド殿はおいでですか!」
 室内から返事はない。クライフは眉を上げ、もう一度扉を叩いた。
「――いねぇみたいだな」
 じろりとベイルを見ると、ベイルは慌てて首を振った。
「いや、嘘言ってないですよ」
「そうは言ってねぇ……」
「クライフ中将、知り合いっていうのはそこの人かね」
 階段下から親父が声を上げる。
「その部屋に泊まってた二人なら、昨日早くに引き払ったよ」




 朝からやっていた炊き出しも、昼を回ってすぐに三つの大鍋を全て空にして、マリーンはやれやれと腰を伸ばした。
「はけたわねー! また明日もがんばりましょ!」
 他にいくつか出ている炊き出しもそろそろ終わりのようだ。夕方は夕方で、別の商店が炊き出しを出す事になっている。
「後片付けして帰りますか。そろそろデントさんも戻ってる頃だ」
「そうね。明日の手配と、お店の方も仕入れを考えなきゃいけないし」
 ダンカに頷きながらマリーンはふと通りの向こうを見つめ、
「この間の!」
 ぱっと走り出した。
「お嬢さん? 今度は何すか!?」
 またヤバい事に首を突っ込むのでは、と慌てたダンカの視線の先で、マリーンは通りにいた二人連れに駆け寄り、何やら話しかけている。
 ダンカは取り敢えずほっと肩を下ろした。
「あれは確か――」
 数日前、裏路地でマリーンとダンカを――正確には男達に連れ去られかけていた少女をだが――助けた、正規軍の兵士だ。驚くほど腕が立った
「西海軍相手にも活躍したんだろうなぁ」と見ていると、マリーンは二人を半ば強引にこちらへ連れて来る。
 連れの人形のような美少女に驚いたが、マリーンの言葉を聞いてもっと驚いた。
「ねぇ、貴方達、宿を探してるならデント商会に来ない?」
「え、お嬢さん、それはちょっと」
「いいの?!」
 と瞳を輝かせたのは黒髪の少女だ。両手を合わせ、嬉しそうに連れを見上げる。ダンカはマリーンの腕を引っ張った。
「お嬢さん!」
「いいじゃない。助けてもらったお礼よ。若い女の子もいるんだし、今は宿とかもごった返してるだろうし、せっかくだから」
「でもデントさんがなんて言うか」
「だぁいじょうぶ! 父さん義理堅いから、娘の命の恩人なんて特に放って置かないわ」
「命の危険があった状況だったのは、理解してたんすね?」
「あらやだ」
「あの、大丈夫なのかしら」
 黒髪の少女が二人をじっと見つめている。
「もちろんよ。用心棒にもなっちゃうし――なーんてね」
「ありがとう! 私に任せて!」
「ん?」
「プラド、お言葉に甘えましょうよ。私、この国の暮らしを見てみたいわ」
 マリーンは首を傾げた。
「遠くから来たの? もしかして、トゥーランとか」
 トゥーランは黒い髪の民族だと聞いていたのでそう言うと、少女は微笑んだ。
「そこまで遠くないし、もっと小さな国よ。でも、本当に嬉しいわ、街の人と話しをしたかったから」
 闊達な口調で笑い、手を差し出した。
「私はティエラというの。この人はプラド」
「ティエラさん、よろしくね。私はマリーン。マリーアンジュ・デントよ。マリーンって呼んで。ティエラ……名字は何ていうの?」
「ティエラ、だけよ」
 あれ、とマリーンは記憶を探った。なんだかずっと前に、同じようなやり取りをした事がある。
(どこでだったかしら)
 ティエラはマリーンの手をしっかり握り、にっこり笑った。
「ありがとう。よろしくお願いします」


















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2019.8.18
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