二十七
一夜明け、王都の街並みが朝日に照らされると、昨夜に負った傷跡はより重く、より浮き彫りになって人々の心にのしかかった。
フレイザーは飛竜の上から街を見下ろし、憤りとやり切れなさを噛み締めた。
上層までは侵攻が至らなかったものの、中層及び下層の運河周辺区画は建物の被害が大きく、そして兵と住民に少なくない被害が出ていた。
ただ明るい話題もある。
「ファルシオン殿下は、無茶をなさり過ぎだと思うけど――」
ただ一人、西海軍の只中に飛び出してしまうなど――全て終わってから状況を聞いてさえ、その間は心臓を鷲掴みにされている感覚になった。
それでも、その結果ファルシオンが救った住民は数え切れない。
街の中ではファルシオンを讃える声や感謝の言葉が行き交い、そんな中で崩れた建物や破壊された通りの後片付けが、既に住民達自身の手で始まっていた。
その姿はどことなく、西海の王都侵攻前の王都の光景にあった姿よりも力強く感じられる。
「西海の、最大の侵攻は防ぎきったはず」
フレイザーはそうだと思うし、住民達もそう考えているのではないか。
ファルシオンが人々を救い、そして王の剣士が戻ってきた事で。
「――本当に」
安堵と喜びがフレイザーの胸の中に溢れる。
(これから先、上将にばかり頼るのは避けたいけど――)
すぐに第一大隊に戻って来るのだと思っていたが、どうもそうは行かないらしく、今後の方向性が判るまで一日、二日はかかるという事だった。
朝、クライフは盛大にがっかりしていたが、そこはもう少し我慢するしかない。
フレイザー達の所へ戻って来るのか、どうか。
フレイザーは首を巡らせ、青い空を背景に聳える王城を見つめた。
朝、ファルシオンは目を覚ましたとたん、がばっと跳ね起きて寝台を飛び出し――かけたところで、待ち構えていたハンプトンがその身体をしっかりと捉えた。
「どこへ行かれようというのですか、ファルシオン様」
おはようの言葉よりも先だったように思えるほどだ。
「ええと、」
「レオアリス殿がどちらにいらっしゃるか、ご存知ないでしょう」
「どこにいるの?」
扉へと泳いだファルシオンの瞳を、ハンプトンがしっかり覗き込む。
「その前に、充分お休みになられましたか?」
「うん」
眠れないのではないかと思ったけれど、すごく疲れていて、あっという間に眠ってしまった。本当はもっと、色々考えたかったし、思い出したかった。
でももう朝になった。
「それで、私」
「結構です。ではまず、お顔を洗いましょう。それからお着替えになって、その後はご朝食です」
「うん、でも、お腹は空いてなくて、それよりも」
心ここに有らずのファルシオンを、ハンプトンは有無を言わさず手早く身支度を整えさせ、食堂へと導いた。ハンプトンの他に、三人の女官が前後左右を囲い、ハンプトンはファルシオンの手をしっかり握っている。
ファルシオンは食事よりも何よりも、今すぐ駆け出したかったのだが。
でもレオアリスがどこにいるか、聞いていない。
「ハンプトン、レオアリスはどこにいるの?」
見上げたハンプトンの顔は、微笑みを返すけれどもいつもより硬い。
「まずはご朝食を召し上がってくださいませ。その後、お話いたしましょう」
頑張って急いで食べた朝食の後、きょろきょろと周りを見回したファルシオンの前に、ハンプトンは体の前に手を組み、すっと立った。
「殿下」
「ハンプトン。レオアリスに」
「殿下」と、ハンプトンはもう一度ファルシオンを見つめて呼んだ。
ファルシオンはようやく、そわそわするのをやめて、ハンプトンと向き合った。
ハンプトンの顔は厳しく引き締まっている。
「殿下は御自身のお立場を、良く理解していただかなければなりません」
声も厳しい。
ファルシオンは駆け出したくてうずうずしていた気持ちを少し、抑えた。
「そして、御自身のお力も、しっかり制御していただかなければなりません。昨日のような――」
ハンプトンの面は、その時の気持ちを思い出したのか、血の気が引いて頬が白く目立った。
「あのような、突然お姿を消して、お一人で危険な場所に赴かれてしまうような、怖ろしいことはもう決してなさらないと、硬くお心に留めてくださいませ」
語尾の震えにファルシオンは気が付き、それから瞳を落とした先のハンプトンの組んだ指先が震えている事にも、気が付いた。
「ごめんなさい……」
「みな、心配で心が潰れてしまいそうな想いを致しました」
ハンプトンはもう一歩近寄り、身を屈めてファルシオンをそっと、抱きしめた。
「レオアリス殿が来てくださって、本当に良かった――もうあんな怖ろしい想いをしたくありません」
ハンプトンの腕の温もりが、その言葉と混じり合って肩や背中に伝わってくる。
あの時は無我夢中で、気が付けばあの場にいたけれど、とても心配させてしまったのだということはファルシオン自身にも良く理解できた。
「ごめんなさい、ハンプトン」
ハンプトンは身を起こし、そっと息を吐いてから、微笑んだ。
「けれど、住民達は殿下へ感謝してくれているようですよ。その事はこのハンプトン、とても誇らしく、喜ばしく思っております」
「――ありがとう」
ファルシオンはそう言った。
湧き上がってきた喜びを噛みしめる。
ファルシオンが意識して、あの行動ができたわけでは無かった。
けれど誰かを助けられる力が、自分の中にあるのだと、そう思えるのは嬉しい。もっと意識して、自分の意思で力が使えるようになりたい。
でもまずは――
父王の力はファルシオンに、少しなりとも受け継がれているのだと、その事が何より嬉しかった。
(父上のように、私がなれたら――)
その想いを噛み締め、それから、ファルシオンはまたすぐそわそわと身を動かしハンプトンを見上げた。
「レオアリスに会いに行っていい?」
ハンプトンはまだ真剣な面持ちを保ったままファルシオンを見つめ――
「ハンプトン……」
「――大公ベール様やスランザール様も、お会いして良いと仰っておられますよ」
もちろんです、と大きく頷き微笑んだ。
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