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王の剣士 七

<第三部>

第四章『空の玉座』

二十三


 目の前に立っている。
 ファルシオンから見えるのは後姿で、手を伸ばせば指先が触れる位置だ。
 その右手に提げているのは、青白い光を纏う長剣。
 飾り気のない刀身は、月の光に浸したように美しい。
 その剣、その後ろ姿はこれまでと――ファルシオンが見ていた彼と、まるで変わりなく。


 そこにいた誰もが、束の間声を失ってその姿を見ていた。
 ファルシオンを守るように、ガウスと対峙して立っている。
 ファルシオンを囲んでいた鉾の檻を一瞬にして絶ったのが、あの剣だと、理解していた。


 ファルシオンは何度か、その名を呼ぼうと口を開いた。
「――」
 喉が震え、声にならない。
 でも呼ばなければその姿は、瞬き一つでただの夢のように消えてしまうのではないかと思った。
 懸命に声を絞り出す。
「――レオアリス――!」


 伸ばした指先が、その腕に届く前に空を掴み、一瞬、ファルシオンは心臓を掴まれたように凍り付いた。
 やはり幻だったのだとそう思い、だが次の瞬間には、幻よりも恐ろしい事だと気付いたからだ。
 レオアリスの身体がぐらりと傾ぐ。
 膝がその場に落ちた。
「レオアリス!」
 剣で身体を支え、肩はそれと判るほど大きく揺れている。
 触れた身体には力が感じられず、熱を帯びている。
 身体を支える剣は今にも消えそうに、弱く光を明滅させていた。
(起きちゃ、だめだったんだ)
 まだあの時負った怪我が治っていないのだ。
 それをファルシオンが、無理矢理起こしてしまった。
「レオアリス、戻って――」
 ファルシオンの声が聞こえているのかどうか、レオアリスは左手を石畳につき、身を起こそうと力を込めた。
 震える腕は片膝を僅かに浮かせただけで、支える力を失い、再び崩れる。
「レオアリス!」
 哄笑が弾ける。
 呑まれていたその場に、時間が流れた。
 ガウスは倒れているレオアリスを見下ろし、双眸を嘲りの色に染めた。
「勿体ぶって出てきたと思えば、まるで動けないではないか。それ・・は半年もの間に、自ら立つ力すら失ったのではないか? 王子。残念だが、死に損ないよりも価値がない」
 ファルシオンは怒りを瞳に浮かべ、弾くように睨んだ。
「黙れ!」
「レイモア、それを喰らって良いぞ」
 それまでうなだれ身体を揺らしていたレイモアが、再びそのあぎとを開いた。
 幾重にも並ぶ無数の歯。
 伸ばされた腕がファルシオンの頭上を越え、蹲るレオアリスへと伸ばされる。
 上空から投げ下ろされた幾つかの槍がレイモアの背に突き立ち、だがレイモアの動きは止まらず、肉の割けるような音を立て、更に顎を開いた。
「止め――」
 ファルシオンが両腕を広げ、立ちはだかる。
「――」
 掠れた声を捉え、ファルシオンははっとしてレオアリスを見た。
 レオアリスの腕が、再び自らの身体を押し上げる。
「レオアリス、いいんだ! 立たなくて――、レオ」
 耳を掠めた声。
 息を止める。
「ファルシオン、殿下――」
 レオアリスが身を起こす。
 身体はぐらりと、よろめき揺れる。
「レオ――」
 ガウスの哄笑が辺りを圧した。
「さあ見よ! あの王も、そして今ここにいる王子も! 結局誰一人として守れず、貴様等は全て失うのだ!」
「――守る」
 レオアリスはファルシオンの前に、立った。
「この身命にかけてと、そう誓った」
 レオアリスの視線が上がり、ガウスを捉える。
 ガウスは哄笑をぴたりと止め、西海兵達の後方へ、跳躍し後退した。


 ファルシオンの視線の先で、剣が一度、青く光を増す。
 レイモアの身体が光の筋を刻み、溶ける。
 まばたきの次には、そこにレオアリスの姿は無かった。
 驚きを喉に浮かべる前に。
 ファルシオンの正面を塞ぐ西海軍の兵列が、草が刈り倒されるように、倒れる。
 目の奥に残ったのは青白い尾を引く光。
 できるのはその光を追う事だけだ。
『――おのれ』
 ガウスの鉾が回転し、分裂と同時に降り注ぐ。
 弧を描いた青白い剣が、降り注ぐ鉾全てを、捉え、砕く。
 既に広場に立っているのは、ファルシオン以外にはガウスとレオアリス、二人だけだ。
『おのれ!』
 ガウスは鉾をぐるりと回し、石突で地面を突いた。
 散っていた水と血が混じり合い、塊となって持ち上がる。
 それはガウスを乗せ、塔のようにせり上がった。
 鉾が回転する。
 回転ごとに分裂し、増殖した鉾は四方へその切っ先を向けた。
 鉾が打ち出される。
 ファルシオンへ。
 レオアリスがファルシオンの前に降り立つ。
 剣が鉾の切っ先を捉え、悉くを砕く。
 擦り抜けかけた柄を左手で掴む。
 レオアリスは上空へ、顔を上げた。
「法術院! 防御陣を――!」
 法陣円が夜空に浮かび、ファルシオンの周囲を光の障壁が囲んだ。
 鉾は回転を増していく。
 ガウスの周囲に、二重、三重に鉾の鎧を作り上げる。
 数十の鉾が一斉に打ち出される。降り注ぐ鉾は広場の石畳を砕きながらファルシオンを背にするレオアリスへと迫り、水飛沫を立ち上げた。
 レオアリスが片足をやや引き、剣が無数に降り注ぐ鉾を受け止め、断つ。ファルシオンを包む防御陣にすら鉾は触れ得ないが、ファルシオンを空へ引き上げる間もなく鉾が降り注ぐ。
 目に残る青白い軌跡にもう一筋、白い輝きが重なった。
「後ろは気にするな。前へ出ろ」
 レオアリスは一度振り返り、そこにいるプラドを見た。
 問わず、再びガウスを見据える。
「――近衛師団!」
 同時に、飛来する鉾へと地面を蹴った。
 グランスレイが飛竜の手綱を引き、降下する。嵐のように唸り飛来する鉾を、プラドの白い剣光が断つ。
 グランスレイの伸ばした腕がファルシオンの身体を抱え、再び上空へ駆け上がった。
『待て――!』
 ガウスを乗せた水の塊が蛇の如く鎌首をもたげ、グランスレイの飛竜を追う。
 クライフは手綱を引き、飛竜を前へ出した。タウゼン、そこにいる近衛師団、正規軍の兵達が同じように立ちはだかる。
 回転する鉾が、更に数十の分身を空へと打ち出す。
 レオアリスは水飛沫と共に石畳を蹴り、一旦建物の壁を靴底に捉えると、再び跳躍した。
 空へ振り抜いた青白い光が、飛竜達へ襲い掛かる鉾を断ち、溶かす。
 レオアリスの身体が落下する。
 石畳の上に広がった水が震え、無数の鉾が突き出す。
「上将――!」
 声を上げかけたクライフの横を、銀色の翼が矢のように擦り抜けた。
 クライフは驚きに目を見開き、その翼を見つめた。
「ハヤテ!?」
 広場に滑り込み、銀翼の飛竜は主の身体をその背に掬い上げた。
 水溜りから突き出す鉾を躱し、上空へ駆け上がる。
 レオアリスはその背に立った。
 鞍も手綱も無い。
 ハヤテが旋回し、再び、水の蛇とガウスへと疾駆する。
 ガウスの鉾が回転する。



 ファルシオンはひとときも瞳を逸らさず、その姿を見つめていた。
 銀翼の飛竜の背で、レオアリスの剣が青白い輝きを増す。
 夜の中、その剣は一筋の雷光のように、上空から広場へ、縦に軌跡を描いた。
 ガウスを乗せていた水の蛇が砕け、ガウスの身体が二つに断たれる。
 鉾の回転は失せ、ガウスと同様、二つに折れた。
 身体と、鉾、それぞれが水飛沫を上げ、広場の水溜りに落ちる。
 夜に相応しい静寂が、広場に満ちた。





 ファルシオンは広場に降り立ち、真っ直ぐに顔を上げた。
 歩いてくる。
 ファルシオンへ。
 鼓動が震え、それでもまだ自分の心の中で望んでいるだけの幻のように思えて、ファルシオンは呼吸を忘れたまま立っていた。
 ふっと、彼の身体を包む青白い輝きが消える。
 レオアリスの手から剣が消えたのだ。
「待っ――」
 レオアリスがファルシオンの前に立ち――
 瞳が合った。
 片膝をつく。
 レオアリスはファルシオンの面を見つめ、そして深く、身を伏せた。















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2019.7.21
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