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王の剣士 七

<第三部>

第四章『空の玉座』

十八

 
「動ける者は全て街門へ向かわせろ。西海軍を押し止める」
 南方第一大隊大将アルノーは足早に騎馬へ歩み寄り、鐙に足を掛けるとその背に身体を押し上げた。身に纏う鎧が金属の触れ合う音を立てる。
 情報では西海軍は総数三万近く、西、南、東の街門に寄せている。街門が破られれば街に西海軍がなだれ込み、多くの被害が出るだろう。
 そして、もう一つ懸念があった。
 街に張り巡らされた運河だ。
(運河は奴等の道になる)
 半年前、ナジャルが放った海魔が運河から現われたように、今回もまた運河を使い王都への侵入を図ると考えられた。そうなれば中から街門を開かれる危険性も高い。
「運河を警戒する必要がある。新兵も動員して周辺の住民の避難を急がせろ」



「新兵! 実戦だ! 王都は現在、西海軍の攻撃を受けている!」
 兵舎のある王城第一層、南方軍の食堂は西海軍攻撃の報に俄かに騒がしさを増していた。
 多くの兵達は最初の一報で既に駆け出し、食堂に残ったのはまだ勝手が掴めず、立ち上がったまま戸惑っている新兵達ばかりだ。小隊長フェルディが木張りの床に靴音を鳴らしながら声を張り上げる。
「我々は下層へ急行し、住民保護を主任務とする! これは訓練ではない! 油断すれば命を落とす! 訓練を思い出し、しっかりと気を張れ!」
 フェルディの後を早足で追いかけながらも、新兵達は不安そうな顔を見合わせた。低い声で囁き合う。
「西海軍が何で……戦ってるのは西の方じゃなかったのか?」
「ここは王都だぞ。何でいきなり王都に、西海軍が」
「王都の中が任務だって聞いたから入ったのに、勘弁してくれよ……」
 青ざめている二十人ばかりの同期を見回し、ベイルはニヤリと笑った。
「早くも戦功を立てる機会が来たぜ、なぁ、プラド」
 隣にいたプラドの胸当てを拳で叩く。
「落ち着いてンなぁ、頼もしいぜ。あんたと俺ならいい戦功を立てられる。ここで名を上げりゃ、王太子殿下の目通りだって叶うかもな」





 西海軍はシメノス出現から半刻の内に、王都西街門、南街門、そして東街門へと寄せた。
 王都街門は鉄を鋳造した堅牢な門を固く閉ざし、西海軍の攻撃を何とか押し止めていた。
「撃て!」
 歯車と発条ばねの音が弾け、街壁の上に並んだ大型弩砲アンブルストの鉄の矢が放たれる。
 大型弩砲アンブルストだけではなく、弓矢、熱した油――
 それらが密集した西海兵へ降り注いだ瞬間、使隷が水の膜となり、障壁のように広がった。
 矢も油も使隷の膜に阻まれ、槍と見紛う大型弩砲アンブルストの鉄の矢でさえ、そのほとんどは半ばまで食い込んで止まり、地に落ちた。密集して撃ち込まれた数本が膜を抜け、西海兵に突き立つ。
「矢では歯が立たん! 大型弩砲アンブルストを一点に集中させろ!」
 指揮官が声を張り上げる。大型弩砲アンブルストの歯車が回され、発条ばねを押し込む。兵が鉄の矢を装填する。
 使隷が街壁に取り付き、西海兵を取り込んだまま這い上る。
「撃て!」
 鉄の矢が再び射出され、使隷の膜を抜き、四、五体の西海兵をまとめて貫いた。
 再び歯車が回り、発条が鉄の矢を弾き出す。
 だが街壁を登り切った使隷と西海兵が、そこにいた兵達に襲い掛かった。




 遠くから音が響いていた。
 王都東地区中層、エリゼ地区も他の地区と同様、たった四半刻前までは穏やかな夕べの気配を漂わせていた。
 響く音は次第に大きくなり、夕方の穏やかさをかなぐり捨てる。
 それは今まで、王都の住民達が聞いた事の無い響きだった。嵐が樹々を揺するような――その中に金属がぶつかり合う音と、うねる叫び声。
 それらが街壁の方から、夕闇の落ちた坂を這い上り、建物の壁に反響し、伝わって来る。
 一体何が起こっているのかと、不安そうに辺りを見回す人々で通りは溢れていた。
「何なんだ――」
 日中、正規軍が西の戦場へ出発するのだと触れがあった。その法陣円の光は、街からも見る事ができた。
 つい半刻ほど前に法陣円の光は消え、転位は無事終えたはずだ。
 少しでも見通しのいい所へ――運河の橋に集まり音の方向を見つめていた数人が、揺れる灯りを見つけ声を上げる。
「街壁に火が!」
「燃えてるんじゃないか」
 乗り出す住民達の影を映す運河の水面が、ざわりと揺れた。
 そこにいた人々が気付く間もなく、水面は唐突に盛り上がり、どっと通りに流れ出した。
 溢れた水から使隷が次々に身を起こす。
 使隷の群が割れ、西海兵が現れる。
「え――?」
「何だ……」
 突然の出来事に立ち尽くしていた住民達は、岸の近くにいた男の胸が鉾に貫かれたのを見て、我に返り、悲鳴を上げ、逃げ惑った。
 通りが逃げる人で入り乱れ、彼等の足元へと使隷の波が流れ込む。西海兵は続々と運河から通りへ、上陸して行く。
 その混乱の中、波立つ運河の水面にゆらりと立ち上がったのは、レイモアだ。水が意志あるもののようにレイモアを乗せ、持ち上がる。
『街門ヲ、解放シロ』
 濁った声を唸るように吐き出し、レイモアはびしゃりと音を立て石畳に降りた。
 手にした三叉鉾の切っ先が波打つように流れ、そこにいた住民数人を一瞬で切り裂く。
 血飛沫が吹き上がり、使隷達の身体が束の間薄い桜色に染まる。
 レイモアは血に塗れたその切っ先で、街門の方角を差した。
 使隷が街門に向けて坂道を流れ落ちるように這い進む。逃げる人々に触れると、使隷の波は容赦なく彼等を飲み込んだ。



 中層南地区でも同様に、運河は飛沫を撒き散らせて激しく水面を揺らし、西海兵を吐き出した。
 悲鳴と、叫びと、混乱が満ちる中、兵士達を吐き出し続ける。黒い鱗に全身を覆われ、蜥蜴に似た姿が人々の恐怖を一層煽る。
 第四軍大将プーケールは、一際大きいその身体を水面に現わすと、水を滴らせた顎を上げ坂の先を見上げた。
 視線の先で、王城の影は夕闇の覆う空に溶けている。
『――進め』






「現在西海軍は西、南、東の街門に寄せ、応戦中」
「下層運河から街内に、既に千を超える数が侵入しており、各隊分散を余儀なくされております」
「住民の避難には新兵を中心に当たっております。街中の被害はまだ把握できておらず」
「法術院からは、演習場に敷いた転位陣は全て、西海軍によって破壊されたと――」
 内政官房、財務院、地政院、軍部、司法庁、法術院は院長アルジマールの代わりに副院長ブレゼルマ。十侯爵。
 謁見の間に急遽参集した『十四侯』の顔触れの半数は、次々に上がる報告を非現実的なもののように聞いていた。
 まさか王都が襲撃を受けるとは。
 だが、これは現実だ。
「こんな時に――」
「敵は三万を超えるというが、今いる兵数でしのげるのか」
 近衛師団を入れても今王都が手元に保有する兵数は、一万五千を超えない。
「西方に出した兵を呼び戻しては」
「新たに法陣円を敷くには時間がかかります。千名を運ぶ規模で有れば広さも――演習場を奪還しなければ」
「法術士は先の転位で疲労している者も多いのだろう。今動ける者は、まずは西海軍への対応に回すべきだ」
「であれば他から増援を」
「東方軍を戻せばいい」
「反対です。ベルゼビアがもし、東方軍の背後を突いたらどうされます」
「ベルゼビアよりも今は王都だろう。王都が落ちればもはや国は終わりなのだ」
 ゴドフリーは議論を背に一歩踏み出し、姿勢を正し、ファルシオンと、スランザールと、ベールを見た。
「やはり、レオアリス殿に戻って頂く事はまだ叶いませんか」
 一瞬、息を呑む静けさが広がった。
 レオアリスがなぜ今も戻らないか、それは先のエスティアの起こした事件で知られている。
 それでも尚、今この時に対して、事態打開に向けた期待を持つのはゴドフリーだけではない。
「――難しい」
 ごく短く、ベールは言い切った。
 期待は落胆に変わり、グランスレイが拳を握る。
(それが叶えば――)
「大公、ファルシオン殿下」
 身に纏った鎧を鳴らし、タウゼンは厳しい面持ちでベールへ身体を向けた。
「東方軍を戻します。ただベンゲルにいるミラーの部隊が戻るにも、飛竜を用いておよそ一刻、東方軍全隊が戻るには五刻は必要です。また、ベルゼビアへの睨みは効かなくなりますが――今は、王都守護が最優先と考えます」
「用兵は専門の貴殿に任せる。ベルゼビアは最低限の警戒で一旦置いておくしかないだろう。この状況で手を惜しむ事はできない」
 ベールは列席者を見回し、それからファルシオンを振り仰いだ。
「王太子殿下」
 ファルシオンは唇を真っ直ぐに結び、ベールと、そして諸侯の視線を受け止めた。幼い頬は緊張に青白く、強張っている。
「各侯へ、館に所属する警備隊の協力を要請します。また、退役軍人についても侵入した西海軍への対処に当たるよう、至急整えるべきかと」
「――それが良いと思う。ほかにやらなくてはいけない事は、あるだろうか」
 ベールが一礼し、列席者へ身体を戻す。まず視線を置いたのは財務院。
「ヴェルナー侯爵、財務院の見解、措置を」
「諸侯及び軍務経験者への補償が必要であれば、予備費を活用します。現状の国庫状況では充分なものにはなりませんが」
「可能な範囲で構わない。地政院」
 ランゲが青ざめた面で、何度か瞬きを繰り返し、後ろに控える事務官と言葉を交わす。
「……堰を開放して運河の水を全て涸らせば、西海軍の侵入を断でるのではないかと」
「試す価値はある。どれほどの時間が必要か」
「堰は王都全体で七十あります。全て操作するには各所三名動員し、どれほど急いでも一刻は必要でしょう」
「他に、案があれば協議する。他にあるか」
「一つ――」
 ロットバルトは口に出しかけた言葉を、途中で留めた。
「いえ。まずヴェルナーの警備隊を出しましょう」
「今この状況で、発言を立場に合わせる必要は無い」
 ベールの言葉は端的だ。ロットバルトは地政院長官代理ランゲ、法術院副院長ブレゼルマ、タウゼンを見た。
「では、一つ、管轄外ではありますが、王都防衛にあたり提案をさせて頂きます」
 グランスレイへ視線を移し、その瞳をベールへと戻す。
「今ランゲ侯爵が仰られた対策に関わりますが、実行には軍部だけではなく、地政院、法術院の連携が何より重要です。そして大公、貴方の御協力が」
「私の? いいだろう。何をするつもりだ」




 交わされる会話を聴きながら、ファルシオンは両手で胸を押さえた。
 鼓動がずっと早い。痛いほどに。
(きっと、大丈夫――大丈夫だ)
 誰もが王都と住民達を守る為に、今できる事を考え。実行しようとしている。その中でファルシオンの役割は、彼等を信頼して任せる事だ。
 それでも、早い鼓動はできる事は何もないのかと、問い掛けている。
(私に、できることは)
 今は国王代理としての役割を担う事こそが大事だと、スランザールは言う。
 でも今できる事が欲しい。そう思わずにいられない。
 どくどくと、こめかみで脈打つ音――その中で――
 小さな悲鳴が、耳元をかすめた。
 はっとして辺りを見回す。
 階下ではまだ議論をしている。
 ファルシオンの近くには、後方に控えたセルファン以外誰もいない。
「――」
 気のせいかと思ったファルシオンの耳に、また、悲鳴が響いた。
 持ち上げた指先が耳朶に触れた瞬間、ファルシオンの瞳の中に、一つの光景が重なった。
 硝子に描いた絵を被せるように。
 息を呑む。
 街の至る所で、運河から西海軍が現れ、人々が逃げ惑っている。
 使隷の波が人々を絡め取る。
 幼い子供を抱えた母親が足を取られ石畳に倒れる。十歳ほどの男の子が。
 年老いた夫婦が。助けようと駆け戻った大人達が。
 使隷の銀の波が彼等を呑み込む。
 西海兵が使隷の中から身を起こす。
 王都の街の中だ。
 周りに兵の姿は見当たらない。
「助けなきゃ――」
 両手が胸元を掴む。
 そこに収めた青い石と、銀板の飾り。


 違う・・
 頼るのではなくて、自分がやるのだ。


 ファルシオンの二つの瞳が、金色の輝きを増す。
 その輝きはファルシオンの全身を包んだ。




「王太子殿下!」
 背後で上がった驚愕の声に、スランザールは何事かと振り返った。
 周囲の者達もまたきざはしを見上げている。
 セルファンが青ざめた顔で膝をついていた。
「セルファン、何が――」
 階段を登りながら、漸く気が付いた。
 何故すぐ気付かなかったのか不思議なほどだ。
 階の半ばに立っていたファルシオンの姿が、無い。
 全身の血が急激に下がり、眩暈を覚え、スランザールはよろめいた。
「で、殿下――!? 一体、どこへ――」
 謁見の間を見回しても、ファルシオンの姿がどこにも見えなかった。
 いない。
 傾いだ身体を支えたのは、ロットバルトだ。ロットバルトはスランザールの瞳を捉えた。
「一瞬です。黄金の光があった。殿下御自身で消えた――転位されたように見えました」
 その言葉に、スランザールは恐ろしい考えに胸を押さえた。
「殿下……、も、もしかしたら街へ、向かわれたのでは……」
 意図してか、無意識にか。
 問題は、ファルシオンが向かった場所が、ほぼ間違いなく、西海軍の前だという事だ。
 下層か、中層か。西か、南か、東の地区か。
 街門ならばどの。
 それとも、街の外に――
 血の気が引き、指先は凍り付いたように冷たい。
「す、すぐにお捜しし、御身をお守りせよ――!」














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2019.7.14
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