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王の剣士 七

<第三部>

第四章『空の玉座』

十六

 死者達の群れは灰色の雲が空を流れるように、じわりと丘を広がり、近付いた。
 声もなく見つめる正規軍の兵士達へ。
 西海の兵だったもの、アレウス国正規軍の兵だったもの、皮膚は半ば崩れ、或いは骨を剥き出しにしている。
 呪縛のような沈黙――
 それを破ったのは咆哮だった。
 死者の軍の後方から上がった咆哮が、大気を震わせ、丘に轟く。
「――ッ、剣を構えよ!」
 第四大隊大将エンリケが我に返って叱咤の声を上げる。
 咆哮は巨大な黒い影から響いていた。
 それが西海の人頭姫ハゥフルの長、かつての三の鉾ゼーレィだと知る者は、向き合う正規軍兵達の中には誰もいない。
 その歌声がかつては、死を招く恐ろしいものながらも、心を奪われる美しさを持っていた事も。
 今はただ、獣の咆哮だ。
 崩れ去り地に染み込みかけていた使隷の名残が、咆哮に震え、そして鋭い刃となって屹立する。
 刃に触れた騎馬、そして兵が容赦なく切り裂かれる。一瞬にして前列百近い騎馬と兵が身体をばらばらに裂かれ、血溜まりに落ちた。
 ランドリーはあれが半年前、王都の北中層に現れた海魔だと、その瞬間に理解した。
 住民や兵を水と血の刃で容赦なく切り裂いた、恐るべき歌声。
 巨体の海魔だけではなく、その周囲に同じ海魔の姿がおよそ五十は見える。
 再び獣の咆哮が震える。
「法術士団、あの歌を阻害しろ! 弓兵は反復射撃により法術士団を援護!」
 血溜まりから刃が立ち上がる。
 切り裂かれた兵達の苦鳴、馬の嘶き、重い水音。
 この戦場で使隷達が撒き散らした水はどこにでもあり、新たに撒き散らされた血は、新たな刃を作る。
 数百の矢が人頭姫ハゥフル達目掛け放たれるごとに幾体かの海魔が倒れ、その間も歌は途切れず刃は兵士達を切り裂き、倒れた兵達の上を死者の軍は進軍した。
 正規軍の前線を飲み込む。海魔の刃は正規軍兵も死者の群れも構わず切り裂く。
 この僅かな間にも、既に千を超える兵が切り裂かれ倒れていた。密集陣形があだとなり、だが『壁』を背後にした地形に退く余地は無い。
「法術士団!」
「今――」
 応えと共に、法陣円が夜空に浮かぶ。
「音を、断ちます」
「構わん」
 法陣が明滅する。
 唐突に、辺りを震わせていた咆哮は拭い去られるように消えた。
 悲鳴も苦鳴も矢羽が風を切る音も。
 法術の光に照らされた丘で、戦いの最中さなかにある兵達の動きは無音劇のようにぎこちない。
 ランドリーは剣を頭上にかざし、無音の中振り下ろした。
 同時に手綱を繰り、死者の軍へと突進する。
 騎馬隊がランドリーに続く。
 もとは同僚として笑い合う事もあっただろう、死者の群へ。
 騎馬の蹄が音もなく分け入り、剣が打ち合い、切り裂かれ、首が飛び、地に倒れる。
 生あるものも、死にあるものも。
 高揚も恐れも不安も怒りも無い。
 この戦場にあるのは悲嘆だけだ。
「――ヴァン・グレッグ!」
 声は吸い込まれ、届かない。
 他には一切構わず、ランドリーは死者の群れの中央に馬を置くヴァン・グレッグへと、騎馬を駆った。
 ヴァン・グレッグだった身体が剣撃を繰り出す。
 馬体ごとぶつかり合うように二つの剣は一度噛み合い、その瞬間にランドリーは呻いた。
 何の・・手応えも無い・・・・・・
 衝撃と込められた力は以前よりも強い。
 だが、ただ振っただけの力任せの斬撃だ。
 悲嘆の中に怒りが、怒りの中に悲嘆が、渦になり激しく混ざる。
(あれほど、互いに研鑽した剣を)
 数合剣を打ち合い、だがそれ以上は渦巻く感情に耐え切れず、ランドリーはヴァン・グレッグの剣を弾き、斜めから肩、そして胴を斬り下ろした。
 斜めに割られたヴァン・グレッグの身体が、馬上から地面に転げ落ちる。
 ランドリーはそれを見下ろし、束の間、言葉にはならない言葉を呑み込み――、騎馬を返した。
 まだ戦場は音もなく、激しい戦いが続いている。
(海魔を――)
「ッ」
 ランドリーは歯を噛みしめ、右脇腹を見た。
 脇腹を剣が掠めている。
 ランドリーは振り返り、身体半分を垂らしながら立ち上がっているヴァン・グレッグの姿を捉えた。
 壊れた人形のようだ。
 先ほどよりも激しい怒りが込み上げる。
「――許さん」
 ランドリーの剣が閃き、ヴァン・グレッグの首を刎ねた。
 だが身体は尚も動いている。
 兵達が倒したはずのものも。
 腕を飛ばされても、脚を断たれても、首を跳ねられても、動いている。
 動くだけだ。
 ランドリーは石を噛み砕くように奥歯を噛み締め、振り下ろした剣でヴァン・グレッグだった身体を真っ二つに断った。







 レガージュ港沖に現われた西海軍の増援は、五千近くに膨れ上がり、戦鼓を鳴り響かせながら容赦なくレガージュ港へと進み始めた。
 既に混戦状態となっている港の広場へ、黒い泥のように迫る。
 ファルカンは西海兵を斬り倒し、同じく二体切り裂いたユージュと背中を合わせた。
「ユージュ、悪いな。お前を休ませてやりたいところだが、そうも行かなくなっちまった」
「平気」
「けどすぐ、ザインが来るさ」
「うん」
 ユージュとファルカンが西海軍の群れへと地面を蹴ろうとした、その時――
 もう一つ、新たな轟音が耳を打った。
 破裂のような轟音はレガージュの街の両側に聳える高い崖に反響し、街に落ちる。
「くそッまだ増えやがんのか――!」
 足元から湧き上がる絶望と共に沖合を睨んだファルカンは、半ばでその瞳を予想外の驚きに見開いた。
 船団の男達も、船乗り達も、南方軍の兵士達も、束の間動きを止めている。
 西海軍さえも。
「――信じられん」
「ファルカン団長、あれ――!」
 ユージュもまた、驚きに瞳を見開いて沖を指差した。
 そこに光が輝き、轟音が再び、放たれる。
 それは沖合に浮かんだ船からだった。
 沈み行く夕日に赤く浮かび上がる水平線を背に、横一列に船が並んでいる。
 風になびく旗。
 三十隻を超える船団。
「……マリ、海軍――」
 轟く音は、マリ海軍の誇る火球砲だ。
 それを理解した時、初めに喜びを爆発させたのは、レガージュに取り残され共に戦ってきたマリの船乗り達だった。
『マリ海軍だ! 俺達の国だ!』




『全くもって遅くなったが、ぎりぎり間に合ったようだな』
 海軍提督メネゼスは、船首に立ち、遠見筒から目を離すと隻眼の面をしかめた。
 その片手を上げる。
 火球砲の砲門が次々開かれる。
 ずらりと横一列に展開した船団の半数、砲門はそれぞれ船首二門及び左右船腹に五門。
 以前レガージュに向けた砲門の数を遥かに上回る。
 レガージュ港へ進軍しかけていた西海軍が、予想外の敵に慌てふためきながらも、新たに現われた船団へと転回していく。
 メネゼスは上げた手を下ろした。
『以前の借りを、ここで返せ』
 砲音が轟き、船首から放たれた十数条の光条が、西海軍へと突き刺さった。















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2019.7.6
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