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王の剣士 七

<第三部>

第四章『空の玉座』

十三

 ユージュは一人港に残り、何度も、何度も剣を振るい続けた。
 街の人々をファルカン達が安全な崖の上へ逃がすまでだ。
 港は積み荷を運ぶ荷車が行き交っていた広場まで、既に西海兵で埋め尽くされ、ユージュは街への坂道を上がるその手前で、どうにか踏み止まっていた。
 斬るごとに刃に伝わる衝撃は、もう肩の関節に響く。西海兵の槍や剣が身体を掠め、あちこち血が流れている。
 完全な剣士ではないユージュは、怪我の回復も遅い。
 西海の兵はどれほど斬っても、波間から次から次へと湧き出してきりがない。
 手足が重い。身体も。
 息も切れて。
「――ッ」
 肺がせわしなく動く。
 もう何刻も、こうして剣を振り続けているように思える。
 それでもユージュは足を踏み出した。
 出入りする交易船や様々な国の船乗り達で賑ったレガージュの港は今はただ、無機質な戦場と化している。
 それが身体の苦しみより何より、心を握り潰されるほど苦しい。
 剣を振るう。
 剣を振るう。
 剣を振るう。
(父さん――)
 かつての父はレガージュを守るため、戦い続けた。
 母は戦火の中にあってもレガージュの未来を見つめ、命を掛けた。
(ボクも、同じことをする)
「ユージュ!」
 目の前すれすれを、槍の穂先が過ぎる。
 地面に倒れてようやく、死角に敵兵がいて、ファルカンがユージュの襟を引っ張って躱してくれたのだと解った。
 ファルカンの剣が西海兵を切り裂き、ユージュの足元に西海兵の身体が倒れる。
 耳に、音が戻った。
「あ――、ありがとう」
 ファルカンと、船団の男達、船乗り達、それから南方軍とケストナー。あちこちで剣を交える音が港に響く。
「街の奴等はみんな丘の上に退避した。怪我人は無い。お前のお陰だぞ」
 安堵が、肺の奥底から零れた。
「良かった……」
「ユージュ、お前は戦いづくめだ、一度退いてな」
「でも……ッ」
 立ち上がろうとしたが、膝に力が入らなかった。一度動くのを止めてしまったからかもしれない。
 傷も痛い。
「後は俺たち船団に任せろ。お前の力はまだ必要なんだからな。今は少し休むんだ」
 ファルカンは切りかかって来た正面の西海兵の胸を突き、蹴り飛ばしてその身体から剣を引き抜いた。肺に息を大きく吸い込み、叫ぶ。
「レガージュ船団! 力を見せろ! 地上だろうが関係ねぇぞ!」
 船団の男達が呼応し、雄叫びと共に西海兵へ打ち掛かる。
「船団に後れを取るなよ!」
 ケストナーは自ら西海兵の中へ突進し、その長剣の横薙ぎ一閃で周囲の十近い西海兵を薙ぎ倒した。
 南方軍の兵士達が街の狭い坂道を駆け下り、港の西海兵へ次々と突進する。
 夕闇の落ちかけた港は、あっという間に混戦になった。
 行け、とファルカンが背後の路地を顎で示す。
 港のあちこちで、レガージュ船団の男達やレガージュやマリ、そしてローデンなどの様々な国の船乗り達、南方軍の兵士達が戦っている。
 ユージュだけではなく。
「――わかった」
 ユージュは息を吐き、今度は路地へ入る為に何とか立ち上がった、その時だ。
 沖合に、獣の咆哮に似た音が轟いた。
 西海兵が鳴らす戦笛の音――もう何度も耳にした音だ。
「くそ!」
 ファルカンが罵りの声を上げる。
「まだ増えやがンのか!」
 港と水平線との中間辺り――沈む太陽を背に、西海の兵が海を割り、続々と現れている。三千。
 いや、五千近いだろうか。黒い波のような塊の中に、槍の穂先や白刃が沈み行く最後の赤い陽光を弾く。
 あの群れが港に到達すれば、もはやユージュ達の抵抗はただ虚しく、呑み込まれて行くだけだと、解った。
 一瞬、絶望が身を縛りかける。
(父さん――!)
 ユージュは一度高い崖の上を見上げ、息を吐いた。
 頭をひとつ振り、足を踏み出す。
「――まだだ!」









 夕闇が次第に濃さを増す。
 太陽はもう一息で、西の地平に消えるだろう。
 迫る夕闇に抗うように、転位陣の光と法術士団が空に掲げた光球の光が、辛うじて辺りを浮かび上がらせていた。
 四方から寄せる西海軍の兵に、北方軍の陣形が歪む。
「押し返せッ!」
 第七大隊大将マイヨールは鋭く叫び、手にした槍を振るった。
 馬上で槍を回転させ、二体の使隷と一体の西海兵の腹を裂く。だが使隷は水の身体を弾けさせただけで、すぐにむくむくと新たな身体を起こした。
「一人十人斬れば良いなどと、カッツェめ適当な戯言たわごとを――!」
 マイヨールは騎馬の手綱を繰り、光を増し続けている転位陣を背に、槍を突き使隷の核を砕いた。跳ね上げた槍の穂先で西海兵の首を飛ばす。
「幾ら斬っても足りんではないか!」
 周辺は混戦状態で、敵がどれほど減ったか、第七の兵士達がどれほど無事かも判別がつかない。
 視界の端で兵士が騎馬から転げ落ち、西海兵が剣を振りかぶる。
 マイヨールは馬上で身を反らすと、手にしていた槍を力任せに投げた。空を切り裂いた槍が、西海兵の背へ突き立つ。
 空になった手で剣を抜き放ち、右から突き出された鉾の柄を叩き折り、返す刃で斜めに斬り下ろす。
 撒き散らす緑の血飛沫を避け、投げた槍の回収に馬体を返そうとしたマイヨールの正面に、地面から使隷が身を起こした。
 使隷は馬の脚を捉え、躱す間も無く地面へ引きずり倒した。
 マイヨールは咄嗟に鞍から飛び降りた。
「セルバ!」
 愛馬を捉える使隷の核を砕き、横倒しになった馬体の手綱を取ろうとした所へ、背後から西海兵が剣を振りかざした。
 右肩を切っ先が掠め、鎧の肩当を砕き、血が飛び散る。
 マイヨールの突き出した剣は西海兵の喉を捉え――そのまま貫くはずだった切っ先は、硬い手応えと共に西海兵の喉の上を滑った。
「何ッ?」
 今までの相手とは違う。全身が、硬い鱗で覆われた、蜥蜴に似た姿だ。
「新手か、厄介な――」
 振り下ろされた剣を咄嗟に盾で弾き、だがマイヨールの身体もまた後方へと弾かれた。




 夕闇が濃くなる。
「転位陣を死守しろ!」
 第六大隊は南東から進軍した西海軍の最も厚い陣容を受け止め、ぎりぎりのところで何とか踏み留まっている状態だった。
 正面は余すところなく、西海兵の姿で埋め尽くされている。
 右辺に陣取る第六大隊二千の兵は既にその二割が地に倒れ、当初の位置取りよりも二十間近く押し込まれている。
 西海軍の陣容は厚く、兵達の中には硬い鱗を持つ者も多数交じり、第六大隊だけではなく中央の第四大隊も、左辺の第七大隊もじりじりと押されていた。後衛の第五大隊の陣取る位置からも、喧騒と剣撃の音が絶え間なく響いている。
 あと十間も押されれば、西海軍の切っ先は転位陣に届く。
 大将ブランは何度目か剣を振り下ろし、混戦の中、それでも前へと、足を向けた。
 前へ出る意志を持たなければ、すぐに押し切られてしまいそうだ。
 何度となく剣を振り、敵と自らの血とで剣の柄が一時濡れ滑りやすくなったが、今は血は粘つき、逆に手に張り付いている。
「前へ出ろ――! 転位陣を守りきれ!」
 だが叫ぶブラン自身、二つの思いが胸中に鬩ぎ合っていた。
 増援は必要だ。増援が無ければ彼等は、あと半刻も保たずに皆、この地に倒れる。
(だが、全ての増援が来ても、一万)
 十万の圧倒的兵力の前には、いずれ押し潰され、飲み込まれる数でしかない。
 早いか、遅いか、その差だけだ。
 この九千で済ませるか、一万の命を更に乗せるか。
 おそらくランドリーもまた、それを考えているだろう。
(閣下――!)

















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2019.6.30
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