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王の剣士 七

<第三部>

第四章『空の玉座』


 高く澄んだ鐘の音が空に響いて行く。
 一つ、二つ、三つ──
 合計十二の音を響かせ、時計台の真鍮の鐘は黄銅色の身を束の間名残に揺らした。
 秋の空は高く、透明な青をその天蓋に讃えている。


 王都アル・ディ・シウムの街は鮮やかな青空の下にも関わらず、どことなく息を詰めるような空気を漂わせていた。道行く人々も俯きがちに、皆足元だけを見てただ急いでいる。
 王城までほぼ真っ直ぐに昇って行く大通りは、以前は朝から午後の一刻にかけて犇めいていた露店の姿が今は疎らになり、やはり以前はひっきりなしに行き交っていた商隊の荷馬車や乗合馬車、貴族達の優美な馬車もたまに轍の音を聞く程度だ。
 王都の変化はこの半年、目に見える形で著しかった。
 ここ南地区は幸い難を逃れたものの、北、東、西の各地区では、半年前王都に現われた海魔による破壊の爪痕が残されたままになっている。
 当初正規軍が修復に取り掛かったがそれも修復は半ばで放置され、住民達の手による修復も、街の活気を反映するように遅々として進んでいなかった。
 そして一昨日――
 再び西海が進軍を開始したのだと、その噂は囁き交わされながら、王都住民達の間にも広がり始めていた。






 正午の日差しが、足元の床の模様を鮮やかに浮き上がらせている。
 数種類の石を砕いて形を整え、それらを巧みに組み合わせて蔓草と花や果実を描いたこの模様は、城内の他の場所でも見られる様式だ。主に議場に多く用いられ、絡む蔓草は対話や相互理解、結ぶ花や果実はそれらを経て得る成果を意味している。
 アスタロトは蔦模様を視線で辿り、だが意識は重苦しくこの場の会話に聞き入っていた。今いるのは正規軍総司令部の議場の一室。
 窓から差し込む陽射しはこの時期でも目に眩しい。
 一昨夜、西海軍が再び動いた。
「ランドリーは北方軍九千全てをバージェス北東、サランセラム丘陵との中間部に展開、完了の報告が先ほどありました」
 参謀総長ハイマンスは卓上に広げた地図から、騎馬の胸部から上を模した黒い駒を手に取り、今言った位置へ置いた。地図上の駒はそれぞれ黒が北方軍、フィオリ・アル・レガージュにある赤が南方軍、東方軍を示す緑の駒は内陸部東部に位置している。
 そして西方軍を表す白い駒は西方第六大隊軍都エンデに置かれていたが、現在エンデにある兵力は僅か二千に過ぎなかった。
「西海の攻勢に備え、東方軍、南方軍より一部を北方軍増援に向けます。まずはバージェス沿岸から進出して来る西海軍主力を止める事に集中しなくてはなりません」
 タウゼンは口を開かず腕組みをしたまま、ハイマンスの示す駒を目で追っている。
 西海軍は内陸への進出速度にこそ課題を抱えているが、正規軍総数八万四千を上回る、おおよそ十五万の兵力を有していると報告にあった。
 数では圧倒的に西海軍が有利だ。
 一度押し負ければ、そのまま歯止めが利かず内陸への進出を許す事になるだろう。
「法術士団の半数を西海へ割く――閣下」
 タウゼンがアスタロトへ裁可を求める視線を向ける。アスタロトが頷くのを見て、ハイマンスがもう一つ、灰色の駒を黒い駒の傍らに置いた。
「法術士団単独であれば、今日の夕刻にも現地へ到着しましょう。法術士団のみ急がせるか、部隊の転位を共に行うか」
「王都から割ける兵数はさほど多くは無い。法術士団の到着を優先する」
「承知しました」
 ハイマンスは後ろに控えていた一等参謀官の一人に指示を出し、再び卓へ向き直った。
 一通りの手を打った。
 あとは開戦の報がいつ聞こえるか。
「一方で、国内の状況ですが」
 ハイマンスは今度は、南方軍第一大隊大将アルノーへ目線を向けた。アルノーが姿勢を正し、タウゼン、アスタロトと順番に目線を配る。
「改めて御報告致します。本早朝、南基幹街道沿い、コーウェンの街から救援要請が届きました」
「救援要請――この時に」
 街からの救援要請であれば野盗か魔獣が原因で、アルノーは魔獣の被害だと言った。
「十頭を超える大型の魔獣の群れが出没、コーウェンは街門を閉じて立てこもり防衛しているものの、周辺も含め被害が相当数出ているとの事です」
 コーウェンは王都から馬で半日の距離にある、人口およそ一万の街だ。それほど王都近くに、とタウゼンは眉を潜めた。
「対応は」
「いつでも動けるよう、小隊一隊を待機させています」
「西海が動き出した所だ、なるべく兵を消耗したくは無いが――管轄の第二大隊はどうなっている」
「第三大隊との管轄境界付近で野盗の被害が大きく、主力は今そちらへ割いています。重装歩兵と騎馬編成であり、騎馬隊を戻すにしても、一日はかかるかと」
 タウゼンは地図上を見て、抑えた息を吐いた。ここ数日で似たやり取りが何度か繰り返されている。
 西方軍第一大隊大将――西方将軍代理を兼ねるゴードンが卓上に拳を置き、アスタロトへ視線を投げた。
「公。タウゼン閣下。今すぐ一個小隊を派兵して、早急に片を付けるべきと考えます」
 東方第一大隊大将レブロが渋い表情を浮かべる。
「西海軍が動き出した今、三日前にも送ったばかりで再び王都守護を割くのはどうか」
「西海の懸念があるからこそ、国内の混乱は初期の内に抑えるべきだ」
 目の前で交わされる重苦しい現状と議論。
 軍議の場の顔触れも、その現状をありありと表していた。
 西方将軍ヴァン・グレッグを失い、他の三人の方面将軍はいずれも戦場での陣頭指揮の為に不在、今この場にいるのはアスタロト、タウゼン、参謀総長ハイマンス、そして各方面第一大隊の大将及び副将だ。
 ゴードンと並んで次の西方将軍に目されていた、第七大隊大将ウィンスターの厳しい面がふと、アスタロトの脳裏に蘇る。
(ウィンスター……)
 アスタロトを転位陣に押し込んだウィンスターの瞳の色を、まだ覚えている。
 忘れる訳がない。
 握った手のひらに爪が食い込みチリチリと痛みを訴えたが、それも意識には入って来ない。
 アスタロトは床の模様から目を上げた。
「アルノー、南方軍の一小隊、救援に出してくれ。被害が大きくなる前に解決したい」
 アスタロトの決定にタウゼン以下、面持ちを引き締め頷く。
 アルノーは立ち上がり、右腕を胸に当てた。
 アルノーが急ぎ足で議場を出た後も、別件の報告が続く。
「北東のエイドへ出した北方軍第一大隊一小隊は昨日到着、エイドを襲っていた有翼の獅子三頭、撃退に成功したと報告がありました」
「良かった。兵達は」
「我が軍の損害は軽傷及び、重傷が数名、死者はおりません。しかし到着前にエイドの警備隊が五割失われております」
「五割もとは――」
 ゴードンが低く唸る。
 警備隊五割の損失という結果は小隊派兵前から予測されていた事だが、いざ結果を目の当たりにすればより問題は深刻に迫った。
 魔獣の群れの規模や種によっては、正規軍であっても数班では壊滅する事態さえ、この半月でいくつか見られている。
 兵の負傷と疲労が少しずつ、確実に積み重なっていく。
「黒森やミストラ山脈からの流出が激しく、今も新たな群が流れ出ている上、魔獣の活動域は黒森及びミストラ山脈辺縁部全域に渡っています」
 黒森とミストラ山脈は国土の北面及び東面ほぼ全辺に渡って広がっている。広範囲故に魔獣の流出位置が絞れず、対応も後手に回るのが難点だった。
「北方軍はバージェスに展開している部隊を除き対応せざるを得ない状況です。東方軍は第七大隊が主に当たっておりますが、これも厳しい状況にあります。西海が動き始めた今、戦力不足はより大きな問題となって参りましょう」
 タウゼンが重苦しい息を吐き、組んでいた腕を解いた。
「初戦からこれまで、西海軍に対し一万五千強の損害を与えたが、一方で我等は西方軍七千五百とヴァン・グレッグを失った。それも、おそらくはナジャルによって死者の軍として使役される。我々は戦場で、盟友を討つ事を覚悟しなければならないだろう」
 タウゼンの声は淡々と響きつつも、その底に憤りを含んでいる。
 ハイマンスはアスタロトと列席者を見回した。
「何より急務なのは兵の増強でありましょう。新兵は募り続けていますが、今は志願者も下火になっております。一案として都市の警備兵を徴用できないか、先日提案したところでありますが」
 その答えはどうなっているか、とハイマンスの視線が問うている。
 アスタロトはその視線に応えているか、自分に自信が無かった。
「――兵の増強については、いろんな側面がある。都市との調整もそうだけど、徴用費の面でも検討が必要だ。今日、この後、もう一度確かめてみる」













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2019.5.25
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