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王の剣士 七

<第三部>

第九章『輝く青 3』



 
 カラヴィアスは右腕に顕した剣を緩く下げ、ナジャルと向き合った。
 大気中に拡散していた闇の粒子が蠢き、寄り集まるように、新たな男の姿を取る。それだけを見ても、ほんの数撃を加えただけでは何の意味もないことを、まざまざと実感させられる。
 何度目か――、欠片を紡ぎ上げた存在は、まだ不安定な身体を整えるように左右に揺すった。
『ルベル・カリマの長。滅びに瀕している種族がかかずらわることではなかろうに。己が命と種族を大切に、砂漠に潜んでいるべきではないのかね?』
 銀色の、だがそこに交じる血の赤が命を食らう色だと――遠目にも判るその双眸が、笑みの形に揺らぐ。
『オルゲンガルムの庇護のもとに在ればよかろう。あの場所だけだ。我があぎとを逃れられる場所は。それともオルゲンガルムがそなたらを遣わしたのかね? だから我が前に立つことにしたのか』
 カラヴィアスは黒い瞳を、やや細めた。
「オルゲンガルムは庇護などしない――いや、好奇心で鼻先を突っ込むことはあるかもしれないが、度を超えれば世界が均衡を崩すことになりかねない」
『滅びゆくものが均衡など拘っても、何の意味もなかろうに』
「その均衡ではないさ」
 横から踏み出そうとするティルファングを左手を軽く上げて制し、カラヴィアスは口元に僅かな笑みを浮かべた。
「この地に生きる者が降り注ぐ災禍を自らの手で防がなければ、その生命の継続は自然の摂理から外れる」
『剣士という存在が関与しておきながら――自然の摂理とは』
 身体を揺する。その向こうの空間が、一度歪んだ。
 圧倒的な質量を感じさせ、重苦しく大気が動く。
「我々もまた、自然の摂理の範囲だ。ほんの少し足を踏み出してはいるが――だからこそ滅びに瀕しているのだからな」
『それを理解していながら、滅びへの車輪を自ら加速させるのかね? そもそもが矛盾に満ちているが――』
 含んだ笑いの響き。
 大気が更に重さを増す。人型を取ったナジャルの輪郭が、一段濃さを増したように思えた。
『だが、剣士の血は実に美味だ。先程は久方ぶりに滋養を得たように思えた。さすがというべきか――礼を言わねば』
「ふざけるな――!」
 ティルファングが怒りを昇らせ、右腕の剣に熱と輝きを纏わせる。
「そんなことを誉められても到底、嬉しくはないな」
 カラヴィアスは一歩踏み込み、同時に数撃を叩き込んだ。白く輝く光が剣の軌跡を大気に焼き付ける。
 大地が縦横に亀裂を刻み、シメノスへと崩落していく。
 続いて踏み込もうとしたティルファングの首元を掴み、カラヴィアスは地面を蹴ると滑り込んだ飛竜に飛び乗った。飛竜が風を掴み、一息に速度を増し上空へと駆け上がる。
「長!?」
「一旦退くぞ」
「何で! 戦えるかって聞いたじゃないか!」
 鞍の上にうつ伏せで不満に手足をばたつかせたティルファングを、カラヴィアスは淡々と見下ろした。
「そんな顔をするな。お前、戦っていて判っているだろう」
 カラヴィアスが全てを言う前に、ティルファングはぐっと言葉を飲み込み眉根を寄せた。アスタロトに彼自身が言ったことだ。
 剣撃は確かに効果を見せ、だが損害を与えてはいない。ほんの僅か、表面を削っているだけ。
「今の攻撃も同じだ。アレを私とお前の二人で削り尽くすには、到底無理があるということさ。お前達で少しは削ったようだが」
 あの存在からすればおそらく小指の先程度の話だろうな、とカラヴィアスはティルファングがますます眉を寄せることを無情に口にした。
「でも――」
「レーヴァレインも回復させなければならん」
 ティルファングは首を巡らせて、レーヴァレインを乗せた柘榴の飛竜を探した。もう一頭の飛竜はすぐ前、やや上を飛んでいる。
 息を吐いて鞍の上に身を起こし、カラヴィアスの前に跨った。
「レーヴは」
 その必死さの篭る声に、カラヴィアスが宥める響きと苦笑を交える
「回復し始めているようだが、弱いな。ボードヴィルで法術の力を借りるべきだろう。それと、まずは今ボードヴィルにある気配、あれを断つのが先決だ。確認だが、ナジャルの他に三つあった気配、一つは削り切ったな?」
「完全に削った。あのおん――アスタロト公が。やっぱり吐き出した影みたいなのを削れば、ナジャルの力は削げるってこと?」
「そのはずだ。まあもともとが膨大だが――」
 ふと、飛竜が緊張に身を震わせたのが伝わる。
 同時にカラヴィアス達も、感じ取っていた。
 大気が張り詰め――ぐっと収斂される感覚だ。ナジャルのそれとは異なる。清冽な。
 視線を巡らせた先、青白い光が、シメノス沿岸の一角を染めた。
 一筋、昼の空を切り裂くように青白い光が立ち上がる。
「あれは――」
 ティルファングが身を震わせる。
 カラヴィアスは双眸を細め、口元に笑みを刷いた。
「どうやら、戻ったな」







 タウゼンの指示のもと、南岸から北方軍マイヨール等と共に発ったワッツは自分の心同様、飛竜を最速で駆りボードヴィルへと急行した。
 ボードヴィル上空へ至る前から、ボードヴィルの街全体を覆うほどに空に法陣円が連なり、それぞれが光を放っているのが見える。法術士団と法術院の術師達によるものだ。
 ワッツがボードヴィルを出てからほんの一刻もない。だが今のボードヴィルの様子はすっかりと変わり、その物々しさが喉を掴むように思えた。
「どうなってる――」
 正規軍は。タウゼン――ファルシオンは。
 城壁の兵達の慌ただしい動きが見て取れるまで近付き、ワッツは更に眉を顰めた。
「城壁が破壊されてやがる」
 ワッツの苦い声に北方軍第七大隊大将マイヨールも、右隣に飛竜を寄せ眉を厳しく潜めた。
 サランセラム丘陵前の平原に建つボードヴィルの、西側の城壁が無残にも崩れている。破壊痕は深々と刻まれた三筋の亀裂だ。
 中庭側、砦城一階の西側は内部が焼けたのか、外壁まで黒く煤け、煙が上がっていた。
 その棟の三階には、ファルシオンの休息の場としていた貴賓室がある。
「ファルシオン殿下は――もう退避されたのか」
「マイヨール殿、あれを」
 ワッツは手を上げ、砦城の一角を指した。
 シメノス側の城壁の上。目にしたものに腹の底が冷える。マイヨールの目がその指先を辿り、呻きを噛み殺した。
 城壁の上もまた狭い通路が崩れ、荒々しい傷跡を晒している。城壁を崩したものと同じ、鋭い刃を振り下ろしたような三箇所の亀裂。
 その亀裂のすぐ側、壁にもたれるように、タウゼンの姿があった。
 タウゼンは右肩から先を布で覆っている。赤い布と見えたのは、タウゼンの血が染めているからだ。
 その傍らにハイマンスが倒れている。数十名の兵士達も。
「閣下!」
 タウゼンはワッツやマイヨールに気付き、左手を辛うじて持ち上げ、行け、と指差した。
 タウゼンが示しているのは、自らの足元だ。
 その意味に気付き、背中を冷たいものが走る。
「城内に、侵入されている――」
 マイヨールが騎首を巡らせ、飛竜を旋回させる。
「王太子殿下!」
 第七大隊の飛竜、十騎がそれに続く。
 不意に悪寒がワッツの背を走った。
「マイヨール殿――」
 気付いた時には砦城の屋根が、目の前に迫っていた。
 状況を理解しきれないままに、飛竜の頭が屋根に打ち当たる直前で手綱を繰り、飛竜の躯を起こす。無理矢理首を上げさせた状態で、ワッツの乗騎は胸と腹から瓦屋根の上に落ちた。
「ッ」
 咄嗟に舌を引っ込めて歯を食いしばり、衝撃を堪える。視界の隅で、飛竜が数騎、同じように屋根の上や中庭へ落ちていくのが見えた。
 ずるりと飛竜の躯が屋根を滑る。
「おい――」
 強い眩暈と、全身から力が抜けていく感覚。
 南岸での、ヴォダとの戦いの最中に、一瞬覚えたそれよりも更に強い。
『無駄だ。全て、海皇の三叉鉾に喰らい尽くされる』
 諦めた様子でそう言った、ヴォダの言葉が一瞬よぎる。
「くそ」
 噛み締めた奥歯でその眩暈を押し潰す。
 だが、眩暈は重くのしかかったまま、飛竜も操れず自らの身体も起こせず、五階部分にあたる砦城の屋根から、ワッツは飛竜ごと宙へ放り出された。










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2021.2.21
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