七
「殿下!」
セルファンが駆け寄る。
ファルシオンは眠っていた寝台から身を起こし、黄金の光を全身に纏い、床を睨んでいた。その下――おそらく、侵入した海皇の居場所を。
振動が足元に伝わる。
階下ではアスタロトが海皇と対峙しているはずだ。
セルファンはクライフと顔を見合わせ、ファルシオンの前に膝をついた。
室内、そして廊下には第三大隊と第一大隊の近衛師団隊士が合わせて四十名、護衛として控えている。
「王太子殿下、退避を。飛竜でここから離れて頂きます」
ファルシオンが力を発動させたのは、階下で何か、それが必要なことがあった為だ。
海皇、そしてナジャルの存在がある以上、何処へ退避しても危険は付き纏う。
だが、これ以上この場にファルシオンを留めておくことはできなかった。
「クライフ中将、飛竜を」
「準備できてます。防御陣を積んでます」
「待って――」
ファルシオンは黄金の光を纏ったまま、まだ床を見据えている。
「アスタロトが、動けない。助けなきゃ」
「いいえ、それは正規軍にお任せを。まずは殿下がここを離れなければなりません」
「でも、兵たちも」
セルファンはきっぱりと首を振った。
「殿下がここを離れられれば、兵達も共に退きます」
ファルシオンは束の間躊躇いを覗かせ、だがこくりと頷いた。自分がこの場に留まれば兵達も留まらなくてはならないと、この戦いの間、それは深く理解している。
これ以上はもう、自らの責務よりも兵達の命を優先させなければいけないのだ。
「こちらへ」
クライフが先に立ち、廊下へと出る。三階のこの一角は貴賓室として、長い廊下の左右にそれぞれ重厚な扉があった。
「海皇は西側から侵入しています。東から出て、サランセラム側の城壁へ上がります。そこに飛竜が待機しておりますので」
セルファンやクライフ、近衛師団隊士達に囲まれて長い廊下を早足で歩きながら、ファルシオンは背後を振り返った。海皇の気配は大きくなり続けている。
アスタロトがひどい傷を負ったのが、ファルシオンには判っていた。もし、アスタロトが動けなければ、ここで海皇を抑えられるのはファルシオンしかいない。
けれど、海皇はファルシオンを追っている。ファルシオンがここにいる限り、ここの命を喰らいながら追ってくる。
「――」
ぎゅっと唇を噛み締め、前方の扉へ顔を向け直した時、足元に振動が伝わった。
振り返ろうとしたファルシオンの背に、クライフが手を当て進むよう促す。足取りは更に早まった。
後衛にいたクライフの部下、少将リムが声を上げる。
「中将、セルファン大将――そのまま行ってください!」
リムの他、近衛師団隊士二十名ほどが足を止めて振り返り、廊下――ちょうど、先ほどファルシオンが出てきた貴賓室の扉辺りを睨んだ。その床が、ぽっかりと穴を開けている。
そこから闇が溢れ出した。
迫り上がるように、静かに――階下からの物音も、悲鳴もなく、ゆっくりと男の姿が現われる。悍ましく、凍るような気配が廊下を埋め尽くした。
闇を纏った、その姿。
リムや隊士達が呻きを洩らす。
「そんな――」
「陛下……」
もうファルシオン達は、東側の扉の前にいる。扉は開かれ、踏み出すだけだ。
けれど気配に当てられ強ばり震える身体を堪え、振り向かずにはいられず、ファルシオンは足を止めて背後を振り返った。
金色の瞳を見開く。
目にした姿は、父王のそれだ。
だが、決定的に違う存在だと、解る。
震える手が胸元に触れ、服の下に収めた首飾りに触れる。
青い石の飾り――レオアリスから預かった、その石がほんの僅か気持ちを沈めた。
「――父上と……」
ぎゅっと握る。
解っていても、できるのならば。
もう少し近くでその顔を見たいと願った。その姿を。
「殿下! 先へ!」
セルファンがファルシオンを抱え、貴賓室の廊下を出て駆け出す。
「リム! 退いて扉を閉ざす! 殿下とセルファン大将、第三を先に。俺達はここで時間を稼ぐ」
クライフも声を張り、貴賓室廊下から隊士達を出すと、重い扉を閉ざした。
「すぐに、上将が戻る! それまで死守しろ!」
ファルシオンはセルファンの肩越しに、扉の前を固める近衛師団隊士達を見つめた。
海皇を止めることなど、無理だ。
ファルシオンの瞳が黄金の光を滲ませる。その視線の先、扉、そして壁や天井が、同じ黄金の光を帯びた。
どん! と扉の奥が鳴る。石造の壁と重い銅と木の扉がぎしぎしと軋んだ。
もう一度――、巨大な鉄の塊か何かを打ち当てるような音。
扉や壁の黄金の光が輝きを増す。
「みんな、もう逃げて!」
直後、セルファンはファルシオンを抱えたまま階段へと曲がり、ファルシオンの視界から扉と隊士達の姿が消える。
あの扉がどれほど保つのか――でもおそらく、ほんの僅かな間のことだ。
「セルファン、みんなを!」
セルファンが頷き、退避させる為に隊士を一人戻らせる。ただファルシオンを抱えて駆ける足は止めず、階段を昇る。
ファルシオンは揺れる視界の中、もう一度、胸元から取り出した青い石を握り締めた。
レオアリスに繋がる、青い石。冷えて温度のないそれは、それでも澄んでいる。
だから、レオアリスは無事だ。
ただこの場に来れないでいるだけ。
必ず来る。
(約束したんだ)
ファルシオンが呼べば、側に来ると。
握り締めた石を、小さな拳ごと額に当てる。
「レオアリス――」
|