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王の剣士 七

<第三部>

第九章『輝く青 3』

五十八


 レオアリスの剣を青い光が爆ぜて走る。
 右前方にいたアスタロトは瞳を見開いてその光を見つめ、それから束ねた黒髪を背で跳ねさせ、真紅の瞳をナジャルへと据えた。数十もの炎の矢がアスタロトの周囲に生じ、揺れる。
 火球砲に撃たれ長大な蛇体を軋ませるナジャルへ、炎の矢を放つ。
 同時にレオアリスが足場を蹴る。カラヴィアスもまた足場に降り立ち、光る盤を踏んで宙を駆けた。
 炎の矢がナジャルの蛇体に突き立つ。次々と――鱗を砕き、燃やす。
 二つの青い剣、白熱する剣が左右から光の弧を描く。
 既に六割方、鱗が爛れ捲れたナジャルの躯を炎が取り巻き、剣が裂く。
 硝子を引っ掻くような苦鳴にも似た咆哮が空に響き、肌を震わせた。
 螺旋状に伸びた光る盤が震え、皹を生じたかと思うと、砕けた。
 足場を失う寸前身を蹴り上げ、レオアリスは再び短い術式を唱えた。視線の流れに沿って新たな足場が縦に、巨大な輪のように空に浮かぶ。
 降り立ち、身を返す。カラヴィアスの設置した足場が横に二つの円を描き、レオアリスのそれと十字に交わる。
 膝が落ちかかるのを堪え、踏み出す。
(攻撃を重ねろ――)
 膝を落とすのは全て終わった後だ。剣に力を巡らせ、身体と気力をたせろ。
 ここで終わらせる為に。
 右の剣が弧を描き、その回転を取り込んで左の剣を切り上げる。剣はナジャルの胴を捉え、だがまだ浅い。足場を蹴る。
 身を捻り、交差させた剣を左右へ払う。二筋の剣光がナジャルの胴を裂く。足場を蹴り、身を縦に捻る。
 ナジャルへ、炎の矢が降り注ぐ。レオアリスは空へと伸びる足場を駆け、斜め下のナジャルへ、身体を蹴り出した。落ちながら剣が大気を集め、光を帯びる。
 青く爆ぜる剣がナジャルの胴を斜めに深く断った。
(届いてない)
 骨までは。
 だが炎に包まれ、裂傷を重ね、ナジャルの動きは重い。
「倒せる――」
「――躱せ!」
 カラヴィアスの警告――
 レオアリスは左斜め下の光る盤を蹴り、横に円を描く光る盤を疾駆した。そこにいたアスタロトを左腕に抱え、空へ身を蹴り出す。
 ナジャルが限界までたわめていた発条ばねのように、爆発的に身を揺すった。
 大気を叩き、押し上げ、長大な蛇体全体が嵐の如くのたうつ。
「レオ――!」
 叫ぶアスタロトを更に抱え込み、衝撃を背で受ける。
 避けようもなく、蛇体が身体を弾き上げた。
「ッ――」
 全身が砕けそうに軋む。
 落ちる。
「大将!」
 掛かった声は海からだ。海に幾艘もの船が浮かんでいる。
「レガージュ船団――」
 アスタロトを抱えたまま宙で躯を捻り、落下先を船上へと変える。
 降り立った甲板で、レオアリスは体勢を崩し片膝を落とした。左手をつき崩れそうになる身体を支える。
「レオアリス!」
「平、気だ、ナジャルを――」
 アスタロトは言葉を飲み込み、空を振り返ると同時に炎の矢を放った。数十、数百――空のナジャルへ突き刺さる。
「レオアリス殿!」
「……貴方は――」
 空の熱から身を庇いながら甲板の上を駆け寄ったのは、レガージュ船団長ファルカンだ。
 周囲に白い帆を張った船が何艘か見える。風を受け、帆が激しくはためいた。
「大将殿、指示を。うちの船は足が速い、足場は任せてくれ」
 船は帆で風を掴み、ぐんと波を分け進んだ。
 宙に浮いたナジャルの蛇体を、回り込むように帆走はしる。
 視線の先、カラヴィアスが降りた船の上に、ザインの姿が見える。もう一人、ルベル・カリマのトールゲインという剣士も。
 空を影が揺れる。
 ナジャルは燃えながら、身を下ろしていく。海面へ。
 海へ逃れるつもりだ。
「海へ入れさせるな!」
「止めろ!」
 湧き起こる声と共に矢が、銛が、鉤をくくりつけた縄が船団の船から空へ走る。
 アスタロトの炎の矢が追う。
 沖の船団の司令艦甲板に立ち、隻眼に燃える蛇体を睨み据え、メネゼスが声を張り上げる。
「次弾急げ!」
 再び火球砲が光り始める。
 ナジャルの頭が海面へ辿り着き、沈んだ。
 追おうとして甲板を踏んだレオアリスは、そのまま甲板に倒れた。膝に力が入らない。全身が痛みで軋む。
 ナジャルの長い胴と、尾。
 レオアリスの剣が断った断面を見せたまま、黒々とした海へ――
 消える。
 海面が一瞬、凪いだ。
「海に――」
 船上は騒然となり、直後、恐ろしいほどの静寂に満ちた。
 ナジャルが回復する。
 海から生命を吸って――
「――ッ、まだだ! 海中で、戦えばいい……!」
 膝を押さえ苦痛を噛み殺し、レオアリスは無理矢理身体を起こした。
 舷縁を掴みかけた手が止まる。
 視線の先で海面が膨れ上がり、海中に逃れたはずのナジャルの蛇体が飛沫を纏わせ、長い身をくねらせながら空へ駆け上がる。
 受けた傷がその身に、消えることなく残っている。
「何だ――」
 その身が空で、苦痛を表すように捩れた。
『馬鹿な――』
 愕然とした声が降る。
『馬鹿な』
 苦痛が滲む。
 これまでに蛇体に受けた無数の裂傷、熱と焔で爛れた鱗――
 膨大な海水はそれを包み込まず、激しい苦痛を与えた。
 あたかも、海がナジャルの身を拒否したかのように。
 ナジャルの存在、宿す力は海の如く計り知れず――だが決して、海そのものではない。
 あくまでも、ナジャルもまた一個の生命でしかないのだと、その事実を厳然と突きつけるかのように。
『ならば、この海の上の命、全てを喰らうのみ――』
 その命で回復する。
 双眸が血の色に染まる。
 呪縛――
 瞬間、見上げていた者達はみな、身体の自由を奪われ、そして呼吸すら奪われた。
 沖に並ぶマリ海軍艦隊から、火球砲の輝きが薄れていく。
 ナジャルの尾が直下の一艘の船へ振り下ろされ、船は真っ二つに砕けた。レガージュ船団の男達が船から海へと落ちる。身体は硬直したまま悲鳴も無い。
 尾が更に唸る。海面を叩き、身じろぎすら叶わない二艘の船を砕く。
 海へばら撒かれる破片、人。
 レオアリスは呪縛をほどこうと全身の力を込めた。それすら、肺の中に残った僅かな酸素を奪っていく。
「――ッ」
 視界が回る。呼吸は止められたままだ。
 傍らで、アスタロトが甲板に崩れ落ちる。
(――動、け……ッ)
 ナジャルの尾が、更にもう一艘を砕く。レオアリスのいる船の、左隣。
 呪縛の中一歩、踏み出したのはカラヴィアスだ。
 白熱した剣。身を包んで陽炎が立ち上がる。
 だが、その一歩が激しく体力を消耗させているのがわかる。
「長――」
 トールゲインが辛うじて手を上げ、カラヴィアスの左手首を掴んだ。
 既にカラヴィアスの状態も限界に近い。筋肉は軋み、受けた裂傷が血を滴らせ、足元を染めている。
「それ以上は、命に」
「今、動くのが、肝要だ」
「しかし――」
 視線の端、誰かが動く。
 ザイン――自ら切り裂いたのか、左の二の腕から流れる血が駆け抜けた甲板に滴り落ちる。
「――ザイン!」
「トールゲイン殿、長を頼みます」
「ザイン! 待て!」
 視線だけを向け、ザインはカラヴィアスを見た。
「最後まで、自分の望みばかりを言ってきた――」
 姉さん、と。
「ザイン! この愚か者が……! 勝手ばかり許さんぞ!」
 ザインは笑った。
「それでも俺は、満足している」
 カラヴィアスからトールゲインへ視線を移し、甲板を蹴って舷縁に降り、身を蹴り上げる。追おうとしたカラヴィアスをトールゲインの手が引き戻す。
 迫る尾へ、ザインは剣を跳ね上げた。鱗を削りながら弾く。
 宙に残っていた光る足場を踏み、更に身を跳ね上げる。
 足元に広がる海。
 今、この海に在るのはレガージュ船団やマリ海軍の船、人びと、そして港から丘へと、斜面に連なり続く街――
「フィオリ――」
 海の玄関口として栄えてきた、美しい街。門に刻まれた横顔。
 自分に向けられた、かつての彼女の顔を覚えている。笑みも、声も。
 出会えて、幸いだった。
 何よりも。
 三百年、この街を護り続けたことが誇りだ。
 命を繋いだことが。
「もう君の傍に行くことも、許してくれるだろう」
 ザインの剣が白く輝く。
『ザイン――』
 怒りと、嗤い。
 剣を振り下ろすザインを喰らおうと、ナジャルの顎が開く。
『我が糧となるがいい――そなたの主に会えるやもしれん』
「笑わせるな。フィオリはもう、そこには」
 ザインの左足をナジャルの顎が捉える。ザインは自らの膝下を断ち、閉じた顎を右足で蹴った。
「いない――!」
 ナジャルの右眼に、ザインの剣が深々と突き立つ。
 軋る咆哮が大気を震わせ、周囲を圧していたナジャルの呪縛が、失せる。
「ザイン!」
 ナジャルはザインの身体を空へ跳ね上げた。身体を追って顎が開く。
 カラヴィアスの剣が白熱して輝く、寸前、振り下ろされたナジャルの尾がカラヴィアスの乗った船を砕いた。人も船の破片も構わず、そのまま薙ぎ払う。
 ザインの身体をナジャルの顎が捉える。牙が腹部を貫いた。
 ザインの右腕が上がり、ナジャルの上顎の肉と牙を断つ。
 沖から放たれた火球砲が蛇体へと突き刺さる。
 アスタロトの炎の矢が降り注ぐ。
 その炎の中、光る盤がナジャルを二重に取り巻いた。カラヴィアスが駆け上がる。白熱した剣を薙ぎ、ザインの身体を貫く牙と下顎を斬り裂いた。
 青白い光が爆ぜる。
 レオアリスは光る盤を蹴り、頂点へと駆け上がった。
 眼下に、炎を纏い身を捩るナジャルの蛇体がある。
 カラヴィアスがザインの身体を抱え、足場を蹴って離れるのが見えた。その剣からは既に光が失われている。
「――」
 奥歯を噛み締める。
 レオアリスが成すべきこと――
 二つの剣を、身体の前に掲げる。
 ナジャルを倒すこと、この戦いに勝つことだけではない。
 自らに課した、この剣が果たすべきもの。


『剣とは――』


 いつかの、王城の庭園。
 黄金の光。


『剣とは敵を切り裂くのみに非ず、そなたら剣士がこれまで心を以って示してきたように、誰かを、何かを護るものでもあろう』

『そしてまた、そなたが自らそうしてきたように、未来を切り拓くものでもある』


 激しく、青く爆ぜていた光が、収まる。
 剣が光を放つのではなく、光を収斂しゅうれんしていく。

 一つに。


 レオアリスは剣へ手を伸ばした。












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2021.8.15
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