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王の剣士 七

<第三部>

第九章『輝く青 3』

五十



 カラヴィアス、プラド、そしてレオアリスの剣。
 三方から同時にナジャルの首に食い込む。硬い鱗の下へ。
(行ける――)
 断てる。
 肉を断ち進みかけた剣を、次の瞬間、銀色の鱗が這い上がった。
 引こうとした腕――剣は、樹脂で固定されたかのように動かない。
 じわりと鱗が這い、剣身を覆う。
 皮膚ではなく肉、骨を這う感覚――
 力が抜けていく。
「……う」
 喰われる。
 レオアリスは右の剣を自らの剣へ、打ち下ろした。
 青い光が爆ぜ、剣を覆う鱗が砕け散る。
 ナジャルの身体を蹴り、後方へ跳ぶ。流れる視線の先、カラヴィアスとプラドの剣はまだ捕らえられたままだ。
 右足を振り子に身を捻り、左の剣に力を集め、鋭く振った。
 手のひらを伝い、剣の芯から湧き起こるように力が流れる。
 青い光が爆ぜながらナジャルを撃つ。
 そのままカラヴィアスとプラドの剣を走り、覆う鱗を粉々に砕いた。
 レオアリスは五間ほど離れた草地に降り立った。息をつかず、右の剣を薙ぐ。
(何だ――)
 瞬きの間の違和感。視線の先、予想に反してナジャルは動いていない。
 放った剣光は狙った頭ではなく胴を捉え、だが同時にカラヴィアスとプラドの剣光が疾り、頭部を弾いた。
 ナジャルの蛇体がゆっくりと、夜の中を傾ぐ。
 更に踏み込もうとして、膝が落ちた。手の中の剣が、纏う光を急速に弱める。
「っ」
 頭――視界が回る。
 風が動く。塊のように重く。
 落ちた膝をこらえ地面を押し込むように蹴る。同時に誰かの手が左腕を掴み、引いた。
 大きく開いたナジャルの顎が、レオアリスがそれまでいた地をむ。腕を引いたのはカラヴィアスだ。その腕の剣が白熱し、剣光がナジャルの下顎を撃つ。
 十間離れた場所へ降り立ち、カラヴィアスは更に剣を薙いだ。
 剣光が再び、動きかけていたナジャルの顎を捉え弾く。三度――更にもう一撃、全て寸分の狂いなく同じ箇所へ。
 ナジャルの躯が空に大きくのけぞる。カラヴィアスが剣を重ねた下顎が血を撒き散らし、カラヴィアスやレオアリスの上へ降り注ぐ。
 風が走り、落ちかかる血を吹き散らし、蛇体を巻いた。後方へと倒れる。
 短く息を吐き剣を地面に突き立て、カラヴィアスは身体を支えた。
 支えようと手を伸ばしたレオアリスもよろめく。
 鱗に捕えられたのはほんの僅か、それでも身体が酷くだるい。
「礼を言う。少し削られたが――あのやり方で侵食は避けられる。浄化に近いか」
 そう言ったカラヴィアスの向こう、二十間ほど離れた場所でプラドもまた、剣で自身を支えている。
 荒い呼吸に合わせ二人の剣の纏う光も時折、収束するように弱くなる。
 レオアリスにしても二人にしても、これまでの負傷が積み重なり、特にまだ『時』を抜け出した際の負傷は癒えきっていない。回復に回す力も惜しい。
(もう少し)
 レオアリスは顔を上げた。
 三人の後方、シメノスの岸壁の向こうにボードヴィルが篝火を揺らしている。
(もう少し――)
 再びナジャルの頭が上がる。
 レオアリスは奥歯を噛んだ。
 夜の中ではあっても、今まで加えた剣の影響は既にその表面には見えない。たった今カラヴィアスが重ねた傷跡さえ。
(どうやれば、斬れる)
 致命傷でなくともいい。せめて回復が困難になるまで打撃を与えるには。
 遠方からの斬撃はナジャルの鱗を削る程度、直接斬れば鱗が剣を捕らえる。
 夜に浮かぶ血の赤の双眸。
 禍々しく揺れる。
「レオアリス!」
 プラドの警告が響く。
 同時に地を這う擦過音、風圧。背後だ。
(尾――)
 レオアリスとカラヴィアスが同時に剣を薙ぐ。剣風が尾を捉え、ぶつかりあった余波が地面を轟音と共に砕いた。
 尚も止まらず、目の前に迫る。
 両手の剣を足元へ突き立てる。
 直後、衝撃が全身を叩いた。
「――ぅ……っ」
 二振りの剣が光を増し、尾を食い止めている。
 奥歯が軋る。
 ほんの一呼吸、ったかどうか――突き立てた剣ごと、弾かれた。
 衝撃に呼吸を失う。
 一瞬後には地面が全身を叩いた。血が喉の奥から生温かく迫り上がる。手足の感覚がない。
 視界が暗く染まり、意識が落ちる・・・
 夜の奥に光が灯った。
『レオアリス』
 声。幼い。
 剣を握る手に力を込める。動いたのは左だ。
 自らの体勢も判らないままただ正面へ、振り抜いた。
 ようやく形を結んだ視界の、ほんの一間先にナジャルの頭があった。開いた赤黒い喉、その奈落。
 剣光がナジャルの顎を捉え、虚しく砕ける。
 右手を動かそうとしたが持ち上がらない。
 迫る牙を見上げた視界を、白熱した剣がよぎった。風が吹き抜け、ナジャルの顎が再び弾かれる。
「――ッ」
 ようやく、身体に力が入った。辛うじて身を起こし、顔を上げる。
 尾の唸り、風圧が肌を叩く。今度は左側面――
 カラヴィアスとプラドの剣が尾を弾く。
 地響き。ナジャルの巨体が地に倒れた音か。
「プラド!」
 カラヴィアスの声が振動を縫い、レオアリスの身体を誰かが持ち上げる。視線を上げた先の顔はプラドだ。
 その向こう、カラヴィアスがナジャルとの間に立っている。
 彼女の左腕は力無く下げられ、二の腕に折れた骨が覗いている。
「もう少し退け」
 腕に構わずカラヴィアスはナジャルへ向かい、左足を一つ踏み込んだ。
 低く重心を落とす。右後方へ引いた剣が熱を帯び、辺りへと放出する。
 無意識に、この辺りにいるべきではないと、そう感じた。
 畏れ。
 その意識を共有したようにプラドはレオアリスを肩に担ぎ上げ、走った。
 直後、右足で地面を蹴り、カラヴィアスは剣を掬い上げるように振り抜いた。
 周囲を巻き込む白光と大気を断つ高い音、熱。大地から空へ、瞬きの間に駆け抜ける。
 白光がナジャルの蛇体を撃ち、体表を走る。
 プラドが足を踏みとどめ、白光に呼応して右腕の剣を薙いだ。
 風と熱がナジャルを包み、銀の鱗が赤く光を含む。
 爛れる。


 巨体が軋み、身を捩った。

 大地が蛇体のうねりを受け砕け、震える。
 レオアリスは霞みかけた視界でそれを見た。
 カラヴィアスの足元から、身を捩るナジャルの周囲まで地面が焦げ、溶けている。
 放たれた剣の熱がどれほどだったか――
(それでも、まだ――)
 動く。
 赤く爛れた鱗のまま、ナジャルの躯が地を蛇行し、走った。地を砕く。
 カラヴィアスは地面を蹴って跳び、白熱した剣を振り下ろした。赤く爛れた鱗を裂く。まだ浅い。
 プラドの剣が風を巻き、放つ。直後、プラドはレオアリスを抱え右へ跳んだ。
 開いたナジャルの顎が二人のいた空間を噛む。
 牙が僅かにプラドの左足の甲を掠めた。



 カラヴィアスはナジャルの躯を越え、シメノス側へ降りた。背後のボードヴィルが先ほどよりも近付いている。
「シメノスを越えさせるのはまずい」
 動くごと身体に伝わる振動が折れた二の腕に響く。傷が送り出す痛みの脈動は脳へ突き抜けるようだ。
 上着を引き裂き、折れた左の二の腕をその布で手早く巻き固定した。
 指はまだ動かない。
「しばらく使えないな」
 剣も輝きが弱い。
「決め手に欠けているか――だが」
 それはナジャルも同じに見えた。それともう一つ。
 ナジャルの尾が持ち上がり、頭上から振り下ろされる。
 今の剣で受けるのは困難だ。
(折れる)
 視界の端に光を捉えた。
 地面を蹴って跳ぶ。
 空いたその空間を雷が疾った。
 ナジャルを撃ち、ナジャルの動きが一瞬、止まる。
 直後、尾はカラヴィアスの僅か一間右を打った。
(ああ――)
 そうだ。
(やはり)
「――レオアリス! お前は力を溜めろ!」
 思考の隅で時間の経過を考える。
 戦いが始まってから何刻経ったか――そういつまでも体力も剣も保たない。全力を以って戦うのであれば、あと一刻。
(それで倒せるか? だが力を温存していてはあの鱗を裂けない)
 カラヴィアスとプラドが連撃を重ねてナジャルの動きを封じ、力を貯めたレオアリスの剣で撃つ。それが最も有効な方法だ。
 アルジマールの法陣円が捕らえるところまで押し込めばいい。
 今すべきはそれだけだ。
(繰り返すしかない)
 剣を振ろうとした身体が右に傾いだ。
「ッ」
 体勢を立て直そうと上げた視界に、銀の尾が迫る。



 レオアリスは落ちそうになる膝を辛うじてこらえた。
 身体が砂袋のように重く、自由が利かない。
「力を――」
 カラヴィアスへと視線を向けかけ、左腕に重みが加わったことに気が付いた。
 瞳を落とし、身体の芯が急激に冷えた。
 プラドが自らの左脚、膝から下を剣で裂いていた。
「――プラドさん――!」
 血が吹き出し、零れ落ちる。
 プラドはそのまま草の上に倒れた。
「毒だ……牙の――これでいい……」
 苦痛を押し殺した面は夜目にも血の気が失せ白い。
「プラ――」
 風圧が迫る。
 レオアリスはプラドの身体を抱え、跳んだ。治癒しかけていた左脇腹から右胸にかけて、再び血が滲み、引き攣れた。
 視界を尾が埋める。
 レオアリスは右の剣を振り抜いた。青い光が爆ぜる。
 衝撃が全身を叩いた。



 尾に弾かれ、レオアリスとプラド、そしてカラヴィアスはそれぞれ身体の制御が効かないまま、地面に叩き付けられた。
 水が流れ込むように静寂が周囲を埋める。
 レオアリスの呼吸が、静寂に初めに響いた。
 呻きが微かに喉の奥を圧迫し、それから呼吸が戻る。
 ひっきりなしに息を吸い、吐く。追い掛けるように身体を激しい痛みが包んだ。脳の奥が白く瞬く。
(――起きろ……、今すぐ)
 三人とも動けていない。
(ナジャルは――)
 夜に影が見える。
 蛇体。
 ナジャルの本体――
(本体――そうだ、これを、跳ばす――)
 跳ばさなくては。
 アルジマールの法陣円へ、ナジャルを、このまま。あと少しのことだ。それで。
 右手が辛うじて、剣を握った。






 爛れていた鱗が、内側から押し上がった新たな鱗によって剥がれ、草地に落ちる。
 ナジャルは蛇体をくねらせた。
『随分と、重いものだ――』
 身を一つ動かすこと、尾を振るうことすら、重い。
 海中とは異なる環境だと実感させられることに、ナジャルは感慨さえ覚えた。
『だから卑小な存在ものばかりなのだな』
 地上の者達が最大の力とたのむ剣士であっても、あれほどに小さい。
 その理由が判る。この躯は地上で思うがままに動くには持て余すのだ。
 地に無数に散らばるものを喰らうのならばいいが、たった数人を追うには適していない。
『余りに卑小で牙にも引っ掛からぬ――』
 だが先ほど流れ込んだ力は、美味だった。期待以上に。
 やはり蛇体よりも人に近い形が良い。

 ナジャルは一つ、身を揺すった。












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2021.7.4
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