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王の剣士 七

<第三部>

第九章『輝く青 3』




「レーヴ!」
 レーヴァレインの胸の中央を貫いた刃はたった一枚の紙のように薄く、先端が細く尖り、闇でできていた。レーヴァレインの背後の空間から突如として突き出している。
 刃が、胸を貫いたまま動く。左胸――心臓へ。肉を切り裂いて進む。
 ティルファングは咄嗟に剣を消して両手を伸ばし、闇の刃を掴んだ。刃が指に食い込み、レーヴァレインと自分の血でぬるりと滑った。それを懸命に握り込む。
「――ッ」
「ティ……ティル、よせ……指が落ちる。それに、君も」
 断たれれば、剣士の回復力を以ってしても再生することはない。
 それ以上に、闇の刃を掴む手から力が流れ出して行くのが判る。
「嫌だ」
「手を、離すんだ」
「嫌だ!」
 叫んで自分の左腕を上げ、何をするか気付いたレーヴァレインが止める間も無く、突き出した刃へ下ろした。
 闇の刃がティルファングの腕を貫く。
「ティル――!」
 右腕に剣を顕し、左腕に固定した・・・・・・・闇の刃に、剣の平を当てる。肉を裂き骨を断とうとしていた闇の刃が、僅かずつ押し出されて行く。
「よせ――君の、腕が」
「黙って、僕に、掴まって――」
 レーヴァレインは腕を伸ばし、ティルファングの背に回した。その力がひどく弱いことに、ティルファングは奥歯を噛み締めた。
 力が流れ出しているのはレーヴァレインも同じ――ティルファング以上のはずだ。闇の刃の奥に向かって流れ落ちて行くように感じられる。
(早く――)
 固定した刃を、更に剣で押す。肉の中を・・・・刃が滑る・・・・感覚が、剣に伝わる。
 貫いていた切先が、レーヴァレインの胸に完全に沈んだ。
固定ゼッテ
 ティルファングはレーヴァレインの向こうに置いた足場を、蹴った。
 湿った音をたて、闇の刃が抜ける。
 レーヴァレインを抱えて跳び、同時に右腕の剣を闇の刃へ振り下ろした。白光と共に熱が周囲を揺らし、闇の刃を光の中に溶かす。
 後方に置いた足場の上に立ち、ティルファングは膝が落ちかける身体を堪え、息を吐き正面を睨んだ。
 光が収まった先に、再びナジャルの姿がある。
 そこに立つ姿は、つい先ほど二人の剣が与えた損傷など、微塵も感じさせない。
(違う――あの影は消した)
 その手応えはあった。
 これは、新たに編まれた影だ。ナジャルが投影する闇の欠片の僅か一つ。
 ティルファングは新たな影を睨み据えながら、意識を左肩に支えるレーヴァレインへと向けた。
 血が流れ過ぎている。呼吸は細く、胸の傷も回復していかない。右腕の剣は消えていた。
 こんな状況は初めてだ。今まで――ティルファングの為に左腕を失った時でさえ、こんな状況にはなっていない。あの闇の刃に力を奪われている。
 靴底から凍るような感覚が這い上がる。
 このまま、もし。
 その恐怖と、それ以上に激しく爆ぜるように怒りが湧き起こる。
「そんなこと有り得ない」
 ナジャルを見据え、レーヴァレインを抱える腕に力を込めた。
 ナジャルを斬らなくてはならない。だが今は、レーヴァレインの身が優先だ。ちらりと、上空を旋回する柘榴の鱗の飛竜を見上げる。
 あの背に戻り、一旦退く。
「レーヴ、すぐに治癒を――」
 レーヴァレインからの返答はなく、抱える身体は重く、ひんやりとしている。
 鼓動が身体を激しく叩いた。
「レーヴ!」
 影が這い寄るように笑った。
『誰もが大事なものを救おうと、懸命に足掻く――地上はやはり、普段見ることのできぬものを目にできる。何とも興味深い』
 ティルファングは怒りに奥歯を噛み締めた。
 遊んでいるのだ。それが判る。
 レーヴァレインを傷付けたことでさえ、彼等の剣に対する報復ですらない。
 ただ遊んでいるのだ。
 影を生み出したことも、西海軍の進軍も、それがもたらす混乱と死も――
 ナジャルは遊んでいる。
 それが無くとも何一つ、その存在に影響を与えはしないものを、もてあそぶ。
「――僕は、ただ力を貸すだけのつもりだった。でもお前のやっていることは、見過ごせない」
 ティルファングの周囲に白い陽炎が揺らぐ。
 右腕の剣が熱を持った。熱が空気を揺らす。
「何よりも、レーヴを傷付けたことを許さない」
 足元から闇が湧き起こる。足場が闇に包まれ溶ける。
 ティルファングは宙へ身を返し、同時に剣がその重い闇を巻いて切り裂いた。設置した複数の足場を数度蹴り、空へ高く跳ぶ。
 上空に待機していた柘榴の飛竜の背にレーヴァレインを預け、ティルファングは落下した。
「行け!」
 飛竜が離脱する時間を稼ぐ。
 空中で足場を蹴り、落下速度を上げ地上に立つナジャルへ、剣を振るう。
 白光がナジャルの身体を断つ。ティルファングはナジャルの背後に降り立ち、身を捻り、再び形を取ったナジャルの影へ、剣を薙いだ。
 霧散したと思えた闇が、膨れ上がる。
 ティルファングの横を過ぎ、数十本の闇の触手が伸びる。飛竜へ。
 ティルファングは咄嗟に剣を薙いだが、断ち切れなかった闇が上空で、離脱しようとしていた飛竜の翼を捉えた。
「! レーヴ!」
 飛竜がもがき、地上へと落下する。
 駆け寄ろうとしたティルファングの足元に、闇が湧いた。ナジャルの姿を形作る。
「どけ!」
 白熱した剣が斬るたび、ナジャルの身体は霧散し、再び組み上がる。
 飛竜が落下した位置に近寄れず、ティルファングは苛立ちと焦りに絡め取られた。
 ティルファングの剣が闇を斬り、消し去れば、闇は新たに湧き起こる。無限に、無尽蔵に。突き出す闇の刃がティルファングの身体を掠め、赤い血が散る。
 闇がティルファングの周囲をすり抜け、落下した飛竜へと這う。
「――やめろ! どけ!」
 叫びに答えて、含み笑いが流れた。
 ティルファングの行為を、まるで無駄なものだと嗤う響き。
 闇は落下した飛竜の元へ至り、籠のように広がった。
「レーヴ!」
 ナジャルに構わず駆け寄ろうとしたティルファングの頸へ、闇の刃が奔る。
 咄嗟に跳ね上げた剣は闇の刃を捉え切れず、擦り抜けた。
 刃がティルファングの首を断つ、瞬間――白光が疾った。
 刃を砕いて消し去り、直後もう一条の白光が飛竜を覆いかけていた闇を切り裂く。
 次いでティルファングの横を走り抜けた熱風が、ナジャルの姿を斜めに断った。背後の地面に深い亀裂を穿つ。
 瞬きの内の三撃。
「我が氏族は百年来、新たな命を得ていない」
 白光に切り裂かれた闇は、一呼吸の後、じわりと湧き出した。
 人型に集まり、ゆるゆるとナジャルの姿を作り上げる。深い亀裂を背に、再び身を揺らした。
「そう簡単に奪われては困る、古き王よ」
 ティルファングと飛竜――倒れているレーヴァレインとの間に降り立ったのは、カラヴィアスだ。
「――長!」
 カラヴィアスの視線を受け、二騎の飛竜が空から舞い降りる。二人の剣士がレーヴァレインの身体を抱え上げたのを見て、ティルファングは数歩、近寄った。
 カラヴィアスは首を巡らせ、鋭い双眸をティルファングへ据えた。
「ティルファング、もう戦えないか」
「――戦える!」
 足を止め、ティルファングは背筋を伸ばし、右手をぐっと握った。
「ならば良し」
 そう言い、カラヴィアスは右腕に顕した剣を緩く下げ、ナジャルと向き合った。
 ややうんざりとした声の響きにその心情が表れている。
「まだただの影だが――それでも相当、厄介だからな」










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2021.2.14
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