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王の剣士 七

<第三部>

第九章『輝く青 3』

四十七



 時計の針だけが時間を刻んでいる。
 脈拍よりも僅かに遅い律動で刻むその一つ一つが、無限に続くようにも、同じ場所から永遠に動いていないようにも思える。
 王都アル・ディ・シウムの中心、王城四階の議場で開かれていた十四侯の協議も、深夜を回って一旦解散していた。それでも議場を離れる者は一人もなく、用意された長椅子などで思い思いに身体を休めている。
 楕円の卓には大公ベール、スランザール、それからもう一人、ヴェルナー侯爵ロットバルトが着いていた。
 すべき議論は全て終え、交わす言葉は無い。
 ただ、三人の双眸が見据えているのは一つの道だ。
 西の戦場から届くだろう報せ、そしてその先の結末。
 カチカチと時計の歯車が時を刻み、長針が一つ進む。短針は午前一刻の位置を差している。
 カチリ。
 卓の上に置かれた燭台の灯が揺れる。微かな羽の音。
 ロットバルトは瞳を上げた。ベールと、スランザールも同時に視線を向ける。
 羽の音に遅れて卓上に現れたのは白頭鷲だ。燭台の灯が白頭鷲の影を長く壁に差しかける。
『申し上げます――』
 掠れ、軋んだ声で白頭鷲がタウゼンの言葉を告げる。長椅子の上で数人が身動ぐ。
『ナジャル本体が出現しました』
 ほんの短い沈黙の後、数人が飛び起きて楕円の卓に駆け寄った。ゴドフリー、ランゲ、ソーントン。
「本体が――」
「大公」
 ベールが片手を上げ、すぐに議場内は沈黙に満たされる。その中にタウゼンの声が流れる。
『これから、最後の戦いに移ります。全容の把握は困難と考えますが、逐次、可能な限りご報告致します』
「おお――」
「いよいよ、最後の」
 ロットバルトは肘置きの上に置いていた左手を握った。
 最後に向けて整えられる限りの場は整えてきた。
(これほどの状況、戦力が揃う機会はもう二度と無い)
 ただ自分が遠く離れたこの場にいることがもどかしく、無力に、そして無益に思える。
『それは、そうだ。軍務と政務、役割分担ってのはそういうものじゃないか』
 ふと少し前の会話を思い起こす。
 イリヤの裁判が行われた夜のことだったか。
『安定した内政があるからこそ、軍の機能も維持できる。そうでなければ国は成り立たない』
 微かに笑みが浮かぶ。自分がいつも口にしていた論調で諭されるとは思わなかった。
 あの時はまだ、レオアリスの右の剣は戻っていなかった。


『剣を戻すのは、万全な状態で臨む為――そうでしょう。決して無謀な戦いをする為ではない』
 レオアリスは頷くのを躊躇っていた。
『単に俺が未熟なだけだ。無謀な戦いを敢えてしようとは思ってないし、第一、ナジャル相手に明確な約束なんてできない』
『ではどのような条件下ならばできますか』
『どのようなって――』
 様々な要素が揃い始めていた時期だ。
 確定的に考えられる要素も、まだ不確定な要素も。
 考え得るもの、あたう限り。
 それらでどう有利な状況を整えて行くか。その中でレオアリスの右の剣を始めとして幾つかが欠けていた。
 欠けたままでも戦わざるを得ず、戦っただろう。特にレオアリスはそれを無謀とは考えていなかった。
 いや、無謀だと理解していて、ただ敢えて踏み込まざるを得なかった。

『この状況であれば命を落とさずナジャルを倒せると、その条件を示して頂ければ整えましょう』


 西海軍、そしてナジャルを地上へ引き出すこと。
 戦力の集中。
 アルジマールの構築する多重陣。
 アルケサスを戦場とすることが何より、アレウス国側にとって有利な展開ができる。
(ただ、ナジャルがそれを想定しないはずがない)
 だからこそ、多重陣まで追い込む必要がある。
 全てを一つ一つ、積み重ねていく。
 もはやその行為は自分の手から離れている。その状態を無益とは思わない。
「ロットバルト」
 閉じていた瞳を上げ、呼びかけたスランザールを見る。ベールは目を閉じ、椅子の背もたれに頭を預けていた。
 整えてきたもの、それらの全てがこの先の国の在り方に繋がる。
 遠く離れた西の地での、戦いの帰趨が。






 呼吸を圧迫するほどのその存在――これまでとは比べ物にもならない。
 レオアリスは自分の身体、剣へ意識を巡らせた。
 両手に剣はある。その力の脈動。まだ戦える。
 傍らにカラヴィアスがいる。離れたところでプラドが身を起こす。二人もまた、繰り返す時から抜け出す為に負った傷が癒えきっていないのがわかる。
「ナジャルは」
「動かないな。本体に戻ったことを驚いているのかもしれんが」
 苦笑混じりの声は、この先の戦いの困難さを熟知しているが故だ。
「可能な限りじっとして力を溜めておけ」
 そう言ったカラヴィアスに頷き、レオアリスはゆっくりと深呼吸を重ねた。
 空に伸びる長大な蛇体に瞳を据える。
(本体――ようやくだ)
 それでも。
 奥歯を噛み締める。
 削って、削って、削って、削って、削った。
 ここに至るまでに幾つもの命を失った。
 それでいて、なんら影響受けていないかのような姿は全てが徒労だと、絶望しろとそう告げているようだ。あの蛇体に剣がどれほど届くだろうか。
(それでも、ここまで来た)
 積み重ねてきたのだ。
 深呼吸を繰り返す。
 自らの身体の状況を確認し、剣の気配を探る。
(戦える)
 その後のことなど、今は考えなくていい。
 ふと、思い出してレオアリスは剣帯代わりの革帯の裏側に収めていたものを取り出し、カラヴィアスへ差し出した。
「カラヴィアスさん、これをお返しします」
 カラヴィアスが視線を向け、眉を上げる。
 親指ほどの大きさの小瓶だ。とろりとした金色の液体が入っている。
 折れた剣を戻す為に、カラヴィアスから譲り受けた薬の残り一つ。
「これはまだお前が持っておけ。念の為だ」
「いいえ、俺には効果が薄いのかもしれませんし、それにこれ以上、ルベル・カリマの、あなた方に犠牲を負わせる訳にはいかない」
「アレウス国のことだけじゃあない。もうこれは全体の話だ」
 カラヴィアスはレオアリスの差し出した小瓶を受け取り、手の中に握り込んだ。
「まあ剣一本の話では、確かにないな」
 ナジャルの身体が揺れる。
 気配が、ぞろりと動いた。
「ほんの束の間の休息も終わりか――」
 頷き、レオアリスは身を起こした。









 一瞬の衝撃――

 吐き出していた全てが、伸ばしていた全てが、自らのうちに戻った。
 意図せず。
 感覚が戻ったのは、どれほど経ってからか。
 そしてナジャルは自らが、本来の姿を取り戻していることに気が付いた。
『――まさか』
 自らの意思と無関係に、形を変えたのは初めてのことだ。
『ああ、違う。二度目であった――』
 本質を無意識に現した時と、今と。
 正面下方、草地に蹲っている切れ端のような存在を双眸に捉える。どこまでも抗おうとしている三つのそれ。
 ナジャルは身の芯から湧き起こる感覚を、舐めた。
 あの三人。あれを。
 意図せず蛇体に戻るほど自らを追い詰めた、あれを。
 血の色を滲ませた双眸が歪む。



 喰らいたい。












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2021.6.20
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