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王の剣士 七

<第三部>

第九章『輝く青 3』

四十四



 剣が『無形』を捉える。
 柄を握る手に伝わる、剣身を爆ぜる青い光。
 左胸――心臓。
 自らの左胸に触れる冷たい熱を感じる。
 構わない。
 自らの剣が、自らの命を断つことはないと信じる。


「振り抜け」


 青く光が爆ぜる。
 同時にプラドの剣、カラヴィアスの剣がそれぞれ『老人』、『青年』の心臓部を捉え、そのまま振り抜かれた。
 衝撃――まるで身体を真っ二つに断つような感覚が身体を貫き過ぎる。
 
 『老人』
 『青年』
 『無形』
 
 三体の身体が真っ二つに断たれ、一度震え――
 
 霧散した。


 レオアリスは喉から迫り上がる血を吐き出した。雷が全身を貫いたように感覚がない。
 カラヴィアスが灼けて抉れた胸を押さえ、膝を落とす。
 プラドの身体が弾かれ、十間もの後方へ叩き付けられる。

 沈黙があっただろうか。
 周囲の空気が重さを変える。
 それまで身体にずしりと伸し掛るものがあったのだと、無くなって初めて気付く感覚だ。
 静寂が流れる。

 風が流れる。


 やがて、動き出した。



 レオアリスは剣を握り直そうと、指先を曲げた。
 手の中にまだ剣があるのかも判らない。
 自分が立っているのか、倒れているのかも。
(――)
 ぼんやりと霞む視界に捉えるのは、剥き出しの土や荒れた下草――地面。
 起こそうとした身体は言うことをきかず、意識は遠退きかけ、また浮かび上がる。水の中で浮き沈みを繰り返す感覚。
(ナジャル、は――)
 手応えはあった。
 三つの剣が同時に三体を捉えて斬った。繰り返す時から抜け出した。そのはずだ。
 下草を揺らし流れる風が、結果を示している。
 鼓動を数える。
 正しく数えられているか自信は無かったが、暫く数えて待っても、繰り返し刻まれていた傷は生じない。
 次第に、身体の奥から安堵の想いが広がり始めた。
(斬ったんだ。抜けた)
 生きている。剣は自分自身を断たなかった。
 プラドとカラヴィアス、二人はどこにいるだろう。
 無事だろうか
 指先が動く。感覚が戻り始め、それと共に激しい苦痛がじわりと存在を広げる。
「ッ――」
 喉から呻きが漏れ、奥歯を軋らせ、噛み殺した。
 まだだ。
(起きろ)
 起き上がらなくては。
 本質を斬ったのなら、次に現われるのはナジャルの本体になる。
 それをこそ待っていたのだ。
 本体を捉えて、飛ばす。
 ナジャルを完全に打ち倒す為に、ここまで整えてきたのだ。
 道は暗闇に、もうはっきりと見えている。
(起き、ろ……)
 苦痛が神経を、頭蓋を打ち鳴らすようだ。
 血が、流れていく。
 左胸に開いた傷口から血が緩く流れていく。それでも少しずつ、少しずつだが回復しているのが判る。
(本、体は――)
 レオアリスの周囲は、ただ静かだ。
 全てが終わったかのような穏やかな静寂。
(でも、そんなはずがない)
 レオアリスの思考を読んだかのように、静けさが不意に、異質に歪んだ。
 視線を上げた先、宙空で、断ったはずの三つのそれが一つ一つ渦を巻いている。
 レオアリスは瞳を見開いた。
 ナジャルの本体ではない。それはまだ――
「――ッ」




 カラヴィアスは両膝をつき、剣を身体の前に立てて支えにした状態で、辛うじて視線を上げた。レオアリスが右前方に倒れている。プラドは自身の風の衝撃で弾かれ、かなり距離がある。
 視線の先、粒子のような光が流れ、寄り集まっていく。
 斬った三つの『本質』の中間の位置で、一つの姿を象り始めた。
(本体)
 いや。
 カラヴィアスは重い息を吐いた。
「これでも、戻るか……」
 最大の力を乗せ叩き込んだつもりだ。
 だが足りていなかった。
 ナジャルの本質を砕くにはまだ。
(身体は動くか?)
 回復は始まっている。ただ遅い。
 返った力は最小限、加えたそれの半分に満たない損傷で抑えられたが、カラヴィアスだけではなくレオアリスも、そしてプラドも深い傷を負い、回復が遅く、すぐに動ける状態には無い。
 カラヴィアスの胸の傷はまだ黒く炭化した状態だ。地に突き立てた剣が身体を辛うじて支えている。
(手が、動けば――)
 回復のすべはある。カラヴィアスの持つ赤い石を使えば、回復力を高めるだけの力の補充はできるだろう。
(もう少し)
 右手なり、左手なりが上がれば石を掴める。
 状況を少し変えられる。
 既に光は集まり、人の形をほぼ作り上げている。
 左手が僅かに動く。石像の腕を動かそうとしているようだ。
 額に滲んだ汗が頬を伝って滴る。
 腕一本分もない距離が、遥かに遠い。


 含み笑いが流れた。


『無駄な行為であった――』
 
 現れたのは老人、青年、そして無形。
 その全てを内包した一つの姿。
『新たな輪を生んだだけのこと。自らの剣にすり潰されるまで、何度でも、繰り返すだけのことだ』
 揺らぐ姿の向こうに、遠くボードヴィル砦城の篝火が揺れる。
『もうすぐ我はファルシオンを――、ボードヴィルを、この大地を喰らう』
 一つの姿が揺らぐ。
 再び、三つへと分裂しようとしている。
 繰り返しの時の中へ――
 カラヴィアスの手はまだ、首元の石に届いていない。
 遠い。
 再びあの時の中に落ちればもう、覆すことは不可能だ。
(動け――)
 霞みかけた視界を、青い光がよぎり、はしった。
 地を走る雷光、激しい大気の震え。
 分裂しかけていた三つの姿を捉え、二つに裂いて過ぎる。
 爆ぜる音が一瞬遅れて耳を叩いた。
 ナジャルの『本質』が、光の中に溶ける。
 
 そのまま、辺りは静寂に満ちた。
 
 カラヴィアスはたった今そこにあり、光に消えた後の草地を束の間見つめ、直後、最後の距離を潰して首元の石を掴んだ。身を起こす。
 瞳を向けた先に捉えたのは揺らぐ二振りの剣と、立ち上がっているレオアリスの姿だ。
「レオアリス――!」
 レオアリスの身体がぐらりと傾ぎ、そのまま地面へと倒れた。
 駆け寄り、抱え起す。胸の傷が開き、止まりかけていた血が下草を染めている。
 石を帯から千切り、掴んだ左手ごとレオアリスの胸に当てる。カラヴィアスはそのまま左手首に剣を当てて引き、自らの血を石と傷の上に零した。
 赤い石が焔を宿したように輝きを放つ。
 レオアリスを包み、その余波がカラヴィアスを、そして離れた場所のプラドへと落ち、包む。
 レオアリスの胸の傷はゆっくりと塞がり始めた。
 カラヴィアスは漸く息を吐き、レオアリスの姿を見下ろした。浅く早い呼吸が、次第に落ち着いていく。
「お前は――」
 無茶をする、と口に出そうとした言葉を飲む。
 まだ終わりではない。
 これから、今以上に無理を押し通さなければならない。
 カラヴィアスは瞳を空へ上げた。
「これでようやく、本体が現われる」
 大気が震える。
 硝子窓が振動に身を震わすかの如く、音を鳴らした。












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2021.6.13
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