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王の剣士 七

<第三部>

第九章『輝く青 3』

四十三



 鼠の群れが穴から染み出す水の流れのように、燃え盛る柵の隙間を擦り抜け、押し寄せる。
 ユージュは右腕の剣をその都度振るった。
 剣光を飲み込んで群れが動く。迫る。じりじりと押されている。もうあと少しで、火をかけた柵も燃え尽きそうだ。
「切りがない――」
 そんなことばっかりだ。この戦いが始まってずっと。でも乗り越えてきた。
 レガージュの住民達と。レガージュ船団と。南方軍の兵達と。
 父と。
 だから今回も乗り越えられる。
「柵が――!」
 誰か、おそらくファルカンが叫ぶ。
 燃える柵はあちこちで地面へと崩れ、黒い群れが燃えながらその上を乗り越えた。
「退け!」
 ザインの声、同時に地を這うような横薙ぎの剣光が走る。
 空へ、光弾が上がる。合図だ。船団の男達と、南方軍兵士達は後退を始めた。
 後退を支援する為、ユージュは前へ出た。群れへと剣を薙ぐ。
(ボク達が、ギリギリまで――)
 今の合図で港に集まっていた住民達は船へ乗り込み始めただろう。
 戦場となる沖へ出る事態になるかどうか、後は自分達にかかっている。自分と父とに。
 ユージュの左へ、ザインの剣光が突き立つ。ユージュを取り囲もうとしていた群れが溶けるように消える。
「ありがとう!」
 叫び、ふとユージュは視線を空へ向けた。
「あれは――」
 空から、白い光条が落ちる。剣光だ。地上の群れを灼き溶かす。
 光が照らし出したのは上空に滑り込んだ柘榴の飛竜。その背から地上へ、ユージュ達の間にトールゲインが降り立った。
 ザインは驚いて声を上げた。
「トールゲイン殿! ボードヴィルへ戻られたのでは」
 カラヴィアスの補佐の為に戻ったはずだ。
 トールゲイン自身の役割、そして彼の意志はカラヴィアスを守ること――
「ここは、俺達が」
「事態が動いている。いかに飛竜の翼でも、ボードヴィルまで戻るのはおそらく間に合わない」
 トールゲインはそう言い、右腕の剣を振った。寄せる鼠の群れを薙ぎ払う。
「ここを切り抜ければ最後の局面に入る。私はここで待たせてもらう」
 その言葉に含むのは揺るぎない、カラヴィアスへの信頼だ。
「――感謝を」
 ザインはそう言い、迫る群れを何度目か切り裂いた。
 無尽蔵と思える無数の群れを前に、あとどれだけ保つのか。じりじりと輪は縮まる。気付けば街の門が見える所まで押し込まれていた。
(考えてる場合じゃない。戦い続けろ――! 母さんの街を、皆の街を守るんだ)
 ユージュは迫り続ける群れへ剣を薙いだ。






 レーヴァレインは右腕に剣を顕し、セルファンへ――身を縮めて苦痛を堪えているファルシオンへと歩いてくる。
「レーヴァレイン殿」
 唐突に窓の外が煌々と輝き、セルファンは眩しさに手を翳しつつ、ファルシオンにかかるその光を身体で遮った。
 ただ、それが何かはすぐに判った。
(アスタロト公の炎)
 視線を向けた窓の向こうで何か大きな影――炎を纏った首が、振り下されるように窓に迫る。
「!」
 衝撃からファルシオンを庇おうと覆い被さり、だが予期した破壊はなかった。
 白い光と共に、燃える首が落ち窓を過ぎる。棟の壁にぶつかる寸前で、剣光が首を断ったのだ。剣士の誰か――ティルファングかティエラか。
 難は逃れたが、この場から移動した方がいい。
「地下か――」
 影が差す。
 顔を上げたそこに、レーヴァレインが立っていた。
「レーヴァ……」
 セルファンはほぼ本能的に剣を引き抜いた。
 構えかけたセルファンの剣が、半ばからあっさり折れる。折ったのはレーヴァレインの剣だ。
 折れた剣の先、レーヴァレインの右腕のそれを見る。
 剣が右腕の剣が白い輝きと闇とに、まだらに染まっている。
 レーヴァレインは剣を宿したままの右腕を、ファルシオンへと伸ばした。
 その腹部へ、セルファンは折れた剣の柄頭を叩き込んだ。鳩尾を打たれ、レーヴァレインがよろめく。
 セルファンはファルシオンの身体を抱え、走った。廊下への扉へ。背中に風圧を感じ身を倒す。直後をレーヴァレインの剣が掠めて過ぎる。
 ただそれだけで、背中から血が噴き出した。
「ッ――」
 床に肩から倒れ、セルファンはファルシオンの身体を腕の中に抱え込んだ。
「衛兵! ハイマート!」
 廊下へ叫ぶ。
 ファルシオンを抱えたまま床の上で身を返す。剣が床に突き立ち、そのまま床を砕いた。
 セルファンはファルシオンを抱えたまま下の階へ落ちた。
 背中を何か――家具か――強かに打ちつけ呼吸が一瞬止まる。瓦礫が降り注ぐ中床に落ちて転がる。ファルシオンが呻いた。
「殿……下!」
 腕の中のファルシオンもあちこち細かな傷を負っている。
 天井に開いた穴にレーヴァレインの足が掛かる。
 セルファンは室内を見回した。廊下への扉は半間先だ。
 身を起こしたその先へ、レーヴァレインが立ち塞がるように降り立った。
 まだらに染まる剣がセルファンの鼻先に揺れる。
「――」
 ファルシオンを抱え込み、床に伏せる。それでどれほど守れるのか。
 伏せたセルファンの背に、切先が触れる。
 切先が背に食い込み肉を裂く。
「レーヴ!」
 心臓に達そうとした、直前で、声と共にレーヴァレインの身体が弾かれた。
 セルファンは視線だけを向け、ファルシオンを抱え込んだまま、倒れたレーヴァレインとその前に立つティルファングを見た。





 次から次に、空から首が降りてくる。
 ナジャルが喰らった兵達の顔。冒涜的なそれを何度となく焼く。
 何度でも――彼等を浄化する。
「私が、みんな、最後まで――」
 アスタロトは腕に纏わせた炎を奮った。
 十数の首を炎が包み、燃やす。苦鳴と恨みに満ちた声が空を満たす。
 ティエラの剣が首を断つ。
 それでも、もう空は無数の首にすっかり覆われていた。
 その奥から――
「――っ」
 突如。
 吹き上がるような、身の芯を凍らすような恐怖、そして圧倒的な存在の気配に、アスタロトは小さく悲鳴を上げた。ティエラが屋根の上で一瞬動きを止め、身を硬らせている。
 二人の視線は同じ方向へ――南岸へ向いていた。
「……ナジャル――」
 今までの何よりも濃い、ナジャルの気配。
 それが近付いてくる。
 心臓が早鐘を打つ。手足が冷たくなるのが感じられた。
 ナジャルが来る。これまでのような欠片ではなく、そのもの――
「レオアリス、は――」
 湧き起こった不安と恐れを振り払う。
 身体の震えはどちらのものだろう。
(そんなこと無い)
 レオアリスは、役割を果たす。
 ファルシオンを、国を守り、ナジャルを討ち果たす。絶対に。
 けれど、今、近付くナジャルの気配――
 その存在を押し留める術が無いように思えた。





 アルジマールは空を見た。
 南岸に残ったナジャルの存在、ボードヴィルへ近付く同じそれ。
 レオアリス達の気配は南岸に留まっている。それこそ、そこに縫い止められたかのように。
 術式の進行具合を素早く確認する。これで七割――遅れている。
 けれど、このままでは完成前にナジャルがボードヴィルを呑むだろう。
 どちらを取るか。ボードヴィルか、ナジャルの捕縛と転位か。
(どっちかひとつ――)
 アルジマールは幾重にも重なる法陣円の中で、顎を持ち上げた。綴り続けていた詠唱が止まる。構築中の多重陣が瞬く。
 力を振り向ける余裕などない。
 二つに一つ――
 口の端が僅かに上がる。虹色の瞳が色を揺らし、輝いた。
「違うよね。法術士っていうのはもともと貪欲だし」
 どちらか一方の選択を、受け入れる必要など無い。
「僕は、どっちも取る――!」
 宙に指で術式を書き殴る。



 ボードヴィルの空に虹色の円盤が生じ、広がり、砦城を包んで空の海魔と砦城とを隔てた。
 数十の首が虹色の壁に食らいつき、そこからアルジマールの力を取り込もうと侵食する。
「勿体無いから、あげられないよ」
 侵食はほんの表層でぴたりと止まった。
「僕の力は全部、僕が紡ぐ法術の為にある」
 アルジマールの腕の皮膚が裂け、血が噴き出す。
「これだって、都合いいからね――」
 自らの血だろうが何だろうが、触媒に使える。
 虹色の瞳が燃え立つように輝いた。
 アルジマールの張った防御壁が虹色の輝きを重ね、煌々と光を放つ。ボードヴィル砦城上空の夜が、白昼のごとく白く染まった。
 その向こうに蠢く首を押し留める。
 近付くナジャルの存在を、押し留める。
 虹色の防御壁を置き去り・・・・、再び詠唱に移る。尋常ではない速度で詠唱を綴り、術式を重ねる。多重陣を紡ぎ続ける。
 許容以上の力と時を防御壁に振り向けた。
 毛細血管が破れ視界が赤く染まる。
(間に合わせる――必ず)
 必ず、レオアリス達がナジャルを本体に戻す。
 その時に。











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2021.6.6
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