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王の剣士 七

<第三部>

第九章『輝く青 3』

三十六



 空に張られた障壁が、硝子のように頼りなく感じられる。
 障壁――ボードヴィル砦城の各所に展開した数十人の法術士が詠唱を紡ぎ続ける、その白い光の向こうは黒く染まった空と夜、無数に生えた首がうねる。
 長い首は白々とした鱗に覆われ、光を照り返し、濡れたような艶やかさが見る者の肌を泡立たせる。
 首がゆるゆると振り上げられ、振り下ろされる。
 おそらく一つの首が三間(約9m)ほどの長さを持つだろう。動きは緩やかに目に映る。
 彼等・・とボードヴィル砦城とを隔てる白い障壁へ、首を振り下ろす。何度も、何度も、何度も。
 その都度、ボードヴィルを覆う空が震える。
「無理だ――」
 まだ退避できず、或いは自ら残り、城壁や中庭に立っていた兵士達はへたり込んで空を見上げ、恐怖に呑まれ呟きを零した。
 あの顔を――どこか見覚えのある、そこだけ人間然とした面を見ていると、自分がどこにいるのか分からなくなる。
 地上で見上げているのが自分か、それとも空にいるのが自分か。
 振り上げられ、振り下ろされる。
 障壁にぶつかる度に、顔が潰れ、骨が砕け、肉片が飛び散る。その無頓着さ。
 混乱と恐怖を掻き立てられ、耐えかねた兵の叫びが上がる。
「もう、防御陣アレももたねぇな」
 ワッツは剣をいつでも、どうとでも扱えるよう、軽く手に握り込んだ。
 城壁の上にはワッツ、クライフ以外にも、半数以下になってしまったが兵達がまだ残っていた。誰もが空を見上げ、構えた剣は震えている。
 静まり返った中で、障壁に首が打ち下ろされる音だけが響く。
「基本あんたら、邪魔だから」
 まだ少年の響きでぶっきらぼうに言葉を投げ、ティルファングは既に顕している剣をやや引いた。
 その剣が白く白熱した光を纏う。
「引っ込んでて欲しい」
「はは、有難え」
 強がりでも皮肉でもなく、本心だ。それでもティルファングの言葉に甘え切ることはできない。彼等はあくまでも助力だ。
 ただここに剣士が二人いるからこそ、兵達はまだ戦う意志を保っていられるのだろう。
 ティルファングの向こうでティエラもまた、剣を顕している。涼やかな風が彼女の周りを巡るようで、その様に心が落ち着くのを感じる。
 傍らでクライフが槍を構えた。
「来るぞ」
 数十の首が何度となく振り下ろされていた障壁に、皹が走る。乾いた音が聞こえた気がした。
 砕ける。
 腐敗臭がどっと流れ落ち、形を持つかのように身体にまとわりつく。
 堪らず身を縮めたワッツの目の前に、長い首が迫る。そこに付いた顔はワッツの上半身ほどの大きさがある。
「――ッ」
 躱す代わりに潜るように踏み込み、右手の剣を鋭く、叩き込む。
 ワッツの剣は顔の喉元・・の鱗に食い込み、半ばで止まった。
 視界の端、ティルファングとティエラがいた場所から、剣光が奔る。幾つかの首が同時に断たれ、シメノスへと岸壁を落ちて行く。
 それを確認したものの、あとは自分の目の前の首を相手取るのがやっとだ。
 剣は首の半ばに噛んだまま、ワッツは食い縛った歯の中で舌打ちした。頭の後ろで暴れ、ガチガチと打ち鳴らされる歯の音。背筋が凍る。
(やな音だ)
 息を瞬時に吐き出し、首と肩で蛇の首を抑えつけ、剣を持つ腕に力を込める。
 一呼吸を飲み込み、全身の力を込めた剣が、首を断つ。
 黒い血を撒き散らしながら落ちる首の向こう、顔を上げた先に、新たな首があった。
 苦痛か、欲望か、歪んだ顔の中の口の端から肉がめりめりと裂け、無数の歯が剥き出しになる。
 咄嗟に上げかけた剣は、今倒したままそこにあった蛇の首に当たり遮られた。
 背後から銀色の光が走る。槍の穂先が開いた顎の奥に突き立った。剥き出された歯がワッツの頭の皮膚と肉を僅かに削って、止まる。
「――助かった、クライフ」
 クライフはワッツの背後から突き出した槍を抜こうとし、腹立たしそうに眉を顰めた。抜けない。
「マジかよ」
 歯を剥き出し二つに割れていた顎が、貝が閉じるように、閉じる。クライフの上へ。槍を尚も引くが、絡め取られたように動かない。
「離れろ!」
 ワッツは動きを遮っていた蛇の首を蹴り飛ばし、解放された剣を跳ね上げ、クライフの槍を捉えている首を下からかち上げた・・・・・
「おま」
 ワッツの剣が首を折り、中で折れた槍の柄が上顎を突き破る。
 首は城壁の上に、どうっと倒れた。
「ざけんなよ俺の槍を」
 悪態を放ちつつ、クライフはもう手に剣を抜き放っている。
「構ってらんねぇぞ。いや、礼は言っとくが」
「礼が先だよ」
 交わす軽口も、周囲を見回した視線の先で凍りつく。
 戦場とは言い難かった。
 空から降りた幾つもの長い首が、城壁上の兵達を捕らえ、空へと持ち上げる。悲鳴の中噛み裂かれた身体から溢れた血と内臓が降る。ばらばらと身体の欠片が落ちる。
 新たな首が空から伸び、顔が生える。それは今喰われた兵士のものだ。
 ワッツとクライフはそれぞれ、城壁を左右に分かれ兵達へと駆け出した。
 直後、上から二人の行手を阻んで別の首が降りる。
「どけ!」
 二人は同時に剣を走らせた。ワッツの剣が首を半分断ち、クライフの剣は顔の両眼を潰して更に返り、額を貫く。額は柔い。ただの人と変わらず。それは嫌な感触だった。
「複数で戦え! 顔が柔らかい、顔を狙え!」
 クライフはそれでも声を張った。兵達にどこまで届いているか判らない。
 降りて来た首、顔を叩き斬る。
「防御陣、まだか――!」



 悲鳴と怒号が流れる中で、ティルファングは城壁の上を駆けた。降りてくる首を右腕の剣が次々と断つ。
 断たれれば次の首が生まれる。際限なく。
「最悪」
「ナジャルはどれだけ、喰らったの――」
 ティエラもまた、ティルファングと反対方向へ城壁を走った。
 あの首は一つひとつが、ナジャルに喰らわれた人々のものだ。断てば次の新たな首が生える。
 喰らわれ、尚も消費される命と、魂。尊厳を踏み躙り、嘲笑うかのようだ。
 それがナジャルという存在を良く表している。
 何度となく断ち、新たに生える。
 長く戦場に身を置き続けていたベンダバールであっても、こんな戦いは経験していない。
「プラド――」
 ちらりと南西へ、シメノスの岸壁の向こうへ向けかけた瞳を見開く。塔や城壁、そして屋根の上にも法術士達が展開し、術式を唱えている。まだ。
 だがその数は減り、血溜まりに無残な残骸が転がっているのも一箇所だけではない。
「どうしよう――」
 ティエラとティルファング、二人ではこのボードヴィルの上空全てになど到底対応できない。
 ティエラはぐっと唇を噛み締めた。その顔を跳ね上げる。
 中庭へ、幾つもの首が降りて行く。
「いけない、あそこは」
 まだアスタロトが、動かすことができず横たえられたままのはずだ。
 中庭から矢と光弾が上がる。
 ティエラは城壁を蹴り、砦城の屋根に降りて更に跳んだ。剣に風を纏わせ、振り抜く。首は五つ、その内の四つを断った。
 残る一つが方向を変える。口の端から肉が裂け、無数の歯を剥き出す。空中で体勢を崩したまま、ティエラは落下した。
 目の前に迫った歯――そこへ光弾が立て続けに着弾する。首は顔を失い弾かれ、砦城中庭の壁に叩き付けられた。
 石畳に着地した、自分の影が濃く刻まれる。振り仰いだ空に、再び白い障壁が広がった。
 黄金の光がそこに混じっている。
 空から垂れる首達が、一瞬、引いた。
「――」
 ティエラは踵を返し、中庭に横たわるアスタロトへ駆け寄った。
 守るように立つタウゼンがティエラを振り返る。失った右腕の代わりに、左手に剣を握っている。ティエラはタウゼンに視線を返し、アスタロトの傍に膝をついた。
 アスタロトは苦痛に手足を丸め、真っ青な額には大粒の汗が玉のように浮かんでいる。先ほど見た時よりもなお、苦痛は増しているように見えた。
 空のあの存在の影響だろう。
「――もう少し、だから。もう少しだけ――」
 けれどどこまでその意思がつか。
 頑張って欲しいと掛ける言葉すら、残酷に思えた。



 ワッツは息を吐いた。肩と言わず脚と言わず血が滴り、足元の石組に滴を垂らす。
 障壁の向こうでは長い首が蠢いているが、広がる障壁の前にやや迷うようだ。
 先ほどとは異なる、金色混じりの光。
「――王太子殿下……」
 もう一度、全身で呼吸し、それから顔を上げ、城壁の上を見回した。
「今の戦闘で、何人失った」
 城壁の上には百名近い兵が残っていたが、まだ立っている姿はほとんど見えない。目に映る姿そのものが、数を減らしている。
 無造作に溢れた手足や臓物。微かな呻き声にそれでも僅かな安堵を覚える。
「立てるやつはいるか! 今のうちに退がれ!」
 声を上げると数人、よろめきながら立ち上がった。身体は小刻みに震え、自分の血か返り血か、それとも仲間の血か――これまでのどの戦場よりも凄惨で、疲弊している。
「生きてたな、良し。とにかく、怪我人を探して運べ。今なら安心だ」
 自らもまだ息のある兵士を見つけて両側に抱え、手近な階段へと足を向けたワッツはぴたりと立ち止まった。
 クライフの姿も無い。
 一瞬で身体が冷える。
「クライフ! おい、どこだ!」
 ワッツの声は呻き声の中で虚しく流れた。



「王太子殿下――!」
 セルファンが倒れかかったファルシオンの身体を支え、抱え上げる。身体を覆った金色の光が薄れて行く。
 ファルシオンは短い呼吸を繰り返していたが、瞳を上げた。
「だいじょうぶだ――」
 そう言ってセルファンの腕の中でも身を起こそうと動いた。
「お待ちを」
 セルファンはファルシオンを部屋の、廊下寄りの長椅子へ下ろした。この部屋は二階にあり、窓は無い。それでも外の喧騒は響いて来ていた。つい先ほどまでは。
 今は静かだ。
 ファルシオンは長椅子に凭れて瞳を閉じ、小さな体でそっと息を吐いた。
「私が、もっと力をつかえたら――もっと」
 悔しさが滲む響きに、セルファンは首を振った。
「殿下に、どれほどの兵が救われているか」
 まだ父王のように自在にその力を制御てきていないながら、それでも何度も発現し、その都度急場を凌いできた。
 それでもファルシオンの体力が限界に近づいて来ているのが、セルファンにも見て取れる。
「ご安心ください。レオアリス達が、必ずナジャルを倒すでしょう。今は彼等に託して待ちましょう」
 ファルシオンはこくりと頷き、呟いた。
 黄金の瞳を見えない空に向ける。
「レオアリス――」












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2021.5.16
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