三
一番初めにあの光を意識したのは、いつのことだっただろう。
記憶にないほど幼い時――物心がつく前のことだったように思う。
気が付けばもうずっと、心の奥底にあるその光を追っていた。
それが何かなど全く判らず、自分が何者かなど露のひと雫ほども知らず、ただ心の奥にその光は在り続け、温かく灯り続けた。
それが王の纏う黄金だと知ったのは、王都に来て、王を目にした時だ。
(違う。その前に……剣が覚醒したばかりの時だ)
制御できない自らの剣を持て余し、自滅しようとしていた。その剣に、誰かが触れた。
剣に落ちた黄金の光――それが、自分の内に在り続けた光だと、その時解った。
王都で、御前試合の後、王を前にして、その光の持ち主がこの国の王だったのだと知った。目の前に座す姿に深い喜びと思慕を感じたのを、昨日のことのように覚えている。
子が父を慕うようだと、そう周囲にそう言われる都度気恥ずかしさも覚えたが、それに近い感情でもあったのだと、そう思う。
その傍にあれば畏怖を覚え、畏敬を覚え、そして包むような温もりを覚えた。ずっとそうだ。
それでも初めは、剣士の剣が主を選ぶのだということなど、レオアリスは知らなかった。それを知ったのは、初めて会った同じ剣士である、バインドとの戦いの時だ。
ジン――父や母、そして滅びた一族のことを知った。彼等と育ててくれた祖父達との繋がりを。
剣が、主を選ぶのだということを。
レオアリスの剣の主は、いつから王だと決めていたのだろう。王に会った時からだろうか。
四年前、王都で――それとも、生まれたばかりのレオアリスを、王が炎の中から掬い上げた時に。
それとも、王がレオアリスを、自らの剣士と、そう呼んだ時からか。
そうかもしれない。
レオアリスが望み、剣がそう望み、そして王がそう定めた。
その響きがどれほど誇らしく、力強く、光を投げ、レオアリスに幸福をもたらしたか。
自分が剣士である事と王への憧憬は、レオアリスにとってほとんど同義だった。
この国で与えられた地位は、レオアリスの過去も考えればそれこそ異例のもので、その立場にあることを困難でも有り難いと考えてはいたが、それでもレオアリス自身が望み続けたのは、ただ剣の主である王の傍に在ることだ。
その為に地位が必要なら、その地位に相応しくあるように、自分を置いた。
もし王が王ではなく、別の存在だったとしても、レオアリスはそのひとに相応しく、そしてその傍に在れるよう望み、動いただろう。
剣士だからといって、必ずしも主を選ぶ訳ではない。
ただ、時を戻し、何度道を歩き出しても、きっと――必ず、レオアリスはこの存在の前に立つ。
確信を持ってそう言い切れるほどに、王という存在はレオアリスにとって、代わりなど有り得ないものだった。
剣の主。
ただその前に在ることだけが、幸いだ。
視界が滲み、一呼吸置いて、その理由に気付く。
(何で泣いてるんだ――)
拭っても拭っても、その後から零れ落ちる。
(こんなの、必要ない)
泣く必要などない。
王はここにいるのだから。
以前と変わらず、その姿すら知らなかった時と変わらず、レオアリスの前に。
喉の奥の熱を持つ塊が、押し広がるようだ。
苦しい。本当に息が。
(ここにいる――いるんだ)
「苦労を掛けた」
まるで王都の玉座で発するように、王の言葉は以前と何も変わりなく耳を捉える。
「そなたにも、皆にも。私が地上にいなかった僅かな間に、多くのものが変わったようだ」
どうして涙が止まらないのだろう。
王がここにいる。
感じるのは喜びのはずなのに。
「もう良い。こうして私が戻ってきたのだから。もう全て、終わる」
深く心地良い声の響き。
その声が自分へと向けられる度に、身を震わすほど嬉しかった。
「――陛下――」
こうして、その存在の前に在り、言葉を交わしていることが。
苦しい。
レオアリスは両手を握り込んだ。
その手の中に剣は無い。
鳩尾の奥がじりと熱を持つ。
腹部、胸、喉も、手足も、指先にすら熱が――痛みが欠片のように散っている。
半年前に砕けたそれ。
その欠片が、すべき事があると訴える。
今すぐに。
「もう良い。全てこの私に預けよ」
王の手が伸びる。
その指先がレオアリスの髪に触れた。
半年前、あの夜の庭園で、王の手がレオアリスの髪を撫ぜたように。
「防御陣の二重敷設完了、ボードヴィル全域に展開します」
伝令兵の声がタウゼンのもとへ鋭く届く。
一呼吸後、ボードヴィルの街全体を覆い、白く輝く壁が立ち上がった。
薄い幕か硝子のようなそれが二枚重なる。創り出すのは、城壁後方上空に並ぶ四十名もの法術院術士達だ。
ゆらりと揺れる光がボードヴィルの砦城と街を、昼の中にも白く幻想的に浮かび上がらせる。住民達は昨日の内に戦闘を避けてボードヴィルを離れ、ほぼ無人の街の屋根や黒い板壁、路地が法陣の光に白々と照らされた。
タウゼンは白い光に面を照らされながら、その眩しさにやや双眸を細め、城壁からシメノスを見下ろした。シメノスというよりはその上、両岸の岸壁を渡って架けられた、闇の橋を。
そこを海皇は、油の切れた薇人形のような動きでありながら、既に半ばまで渡っている。
数百本を放った大型弩砲の矢は海皇が纏う闇に触れれば溶け、城壁からの攻撃は完全に沈黙していた。緊張に縛られ、空気はひりつき重い。
タウゼンが上げた手に、法術士、兵達の意識が集中する。
「法術士団、光弾を集めろ。あの闇の橋ごと、シメノスへ落とせ」
ボードヴィルを覆う二重の防御陣の上空に、正規軍法術士団が展開する光弾陣が五十、ずらりと並んで光る。
次の瞬間、五十もの陣は無数の光弾を、闇の橋と海皇の上に斉射した。
豪雨に似て光の雨が降る。一瞬、太陽がそこに落ちたかのように眩い輝きを束ね、視界を真っ白に埋めた。
タウゼンは、そして城壁の正規軍兵士達も手を、或いは盾を翳し、眩い光に包まれたシメノスへ目を凝らした。
周囲を灼いた光が次第に薄れていく。
光弾が海皇の身体を撃ち抜いたのではないかという期待――それはすぐに呻き声に変わる。
正確には、闇の橋は全て撃ち抜かれ霧散していたが、海皇の身体はシメノスに落ちたものの河面に留まっていた。光弾に撃たれ一部消失した身体が、見る間に元へ戻っていくのがわかる。闇が再び湧き起こり、寄り集まり、喪っていた左手が戻る。
右手には三叉鉾が、黒々と闇を纏わせたままほんの少しも変わらず握られている。
「……信じられん」
「あれほどの光弾を――」
兵達の驚愕と不安を滲ませた呟きを背に、タウゼンは再び片手を上げた。
「光弾は効果がある! 第二射――、第三射、第四射を連続して放て」
海皇を創り上げているのはナジャルの闇だ。レオアリスの剣も、アスタロトの炎もあの闇を消滅させられていない。
それは理解した上で、今は法術による攻撃と防御を徹底して行う他ない。
レオアリスか、アスタロトが戻るまで、時を稼ぐ。総力を持ってすれば或いは可能ではないか。
(海皇がここにいる。ナジャルはシメノスから消えた。どこに――)
ナジャルの前に最後まで残っていた闇は。
「――撃て」
先ほどよりも更に眩く、光弾が降り注ぐ。続いて三射目、更に第四射――世界を埋めるほどの光量だ。
シメノスの水は一瞬で蒸発し、両岸を削り、その地形を変えた。音が轟き耳を圧する。
視界を染める光の束の、一点に、黒い染みが生じた。伸びる。
「閣下!」
誰か――ハイマンスの声だ。身構えた瞬間――タウゼンの耳元を甲高い笛のような音が過ぎた。
風を感じる。
気が付けば右腕から、血が噴き出していた。
右腕が、二の腕の半ばからほぼ断ち切られた状態でぶら下がっている。
だが、それよりもタウゼンは、自分の前に立っていた人影が、ただの人形のように倒れるのを見ていた。
「ハイ――」
|