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王の剣士 七

<第三部>

第九章『輝く青 3』

二十四




 水中に浮かんだ数十の矛――先端部分のみを折り取ったような柄の短いそれが三箇所に寄り集まり、放射状に並んで輪をえがき回転する。矛は更に分裂した。
 数十から、百を越す。
 ヴォダは腹立たしさを含んだ眼差しで、その三つの回転を見据えた。
 深く呼吸し、傷から侵食する闇により消耗した身体を保って立つ。
『貴様が――』
 回転する三つの輪は、その矛をヴォダ目掛け、次々と打ち出した。
 ヴォダは避けようともしない。ただ、打ち出された矛を見てもいなかった。
 矛の切先が突き立つ。
 肉を裂く鈍い音を引き、矛はヴォダを取り囲む海魔達を切り裂き、貫いた。
 五体の海魔達が血を撒き散らして崩れる。矛は尚も止まらず、一筋の帯にもなり、回転する輪ともなり、輪を広げ或いは縮め、自在に動き水中の海魔を悉く貫き切り刻む。
 ほんの数呼吸の内に海魔達を全て切り裂き終えると、矛はヴォダだけが立つ水中を流線を描いて下流へと戻った。
 ヴォダはその間も、一度も視線を逸らさず一点を睨んでいた。
 低く、苛立ちの籠った声を押し出す。
『何をしに来た――俺の様を嘲笑いに来たか、レイラジェ』
 矛はそこに立つ男の後背を三重に囲み、放射状の円を作って回転を止めた。
 男――西海軍第二軍将軍レイラジェがヴォダへ視線を返す。
『貴様の力が必要なだけだ。この先に』
『この先? ナジャルに喰われ共に使役される時にか』
 ヴォダはせせら笑い、傾ぐ身体を堪えた。
 肘から先を失った左腕は、血こそ止まっているものの他の傷と同じように黒く変色している。変色した傷口からは痺れが全身に回り、それが身体を縛るようだ。
『断わ――』
 膝から下の力が抜け、倒れかかる。
『閣下!』
 声と共に後ろから伸ばされた腕が、ヴォダの背中を支えている。首を巡らせ、ヴォダは息を吐いた。
『イフェル……』
 麾下の一人、第四隊の大将だ。五人の中で最も若かった。
『貴様は生き残ったか』
 一人だけが。
『どうにか――』
 そう言ったイフェルも全身傷を負い、その傷が黒く染まっている。ヴォダと同様の状態にあるのが一目で判った。
 イフェルはヴォダの傷、そして左腕を見てぐっと一度、唇を引き結んで言葉をこらえ、粗い呼吸を抑えた。
 ヴォダはイフェルの手から背を離し、向き直った。
『イフェル、上はどうなっている』
『今は、アレウスの剣士達が、抑えています。あの海魔共は、気味の悪い塊を作り、奴等を追っていて――それから』
 イフェルの双眸には緊張と恐怖と怒りがあったが、もう一つ、違う感情もあった。
 正面に立つレイラジェへ、その感情を向ける。
『――閣下、下流に、門が開きました』
『門?』
『レイラジェ将軍の、第二軍が兵達を、西海へ――』
 息を吐く。
『ファロスファレナへの道が、開いています』
 それは闇の中に光を見出した声だ。
(ファロスファレナ――)
 “灯台鯨“の名を冠する、第二軍の軍都――異動都市。
 今、西海で唯一、ナジャルの喉元から逃れた場所であり、兵達が戻れる・・・場所だ。
『兵達は既に、退避を開始しています。ただ、まだ、残った海魔が――それは、私が。閣下もどうか――』
 ヴォダは剣を握ったまま、拳の裏でイフェルの身体を押した。傷を負っているイフェルの身体は抗う力もなく流れた。
 レイラジェの立つ下流へ。
『――レイラジェ』
 レイラジェがヴォダに視線を向ける。
 ヴォダはそれには目線を重ねず、低く告げた。
『西海の、先の世に連れて行くのならば、こいつのような若い奴等にしろ』
『閣下!』
 イフェルの背をレイラジェの左手が押さえる。
『誰であろうと私は、この先の世に連れて行く』
 その言葉にヴォダは嘲笑で答えた。
『そもそも――俺は今更だ』
 幾つかの傷は深く、そこから澱のような毒が染み込んでいる。口元を歪め、笑みを象る。
『俺の兵達ならば役に立とうが』
『兵達は貴様について動くだろう。貴様が来ねば収まらぬ』
『命じてやる。どう言えばいい』
『本人がいなくては始まらぬ。だが話は後だ。今はこの場を収めねば。は今アレウスが押さえているが――』
 二人は同時に、一点を振り返った。上流の、シメノスの水が流れ来る、一点。
 闇がある。
 闇が揺れる。
 闇が音を発する。



『これは――』



 泡が弾けるような――鳴り響くような声が闇の奥から湧き起こった。


『これは、これは――、レイラジェよ、随分と久方ぶりだ』
 水が振動し、まるでそれそのものが針となったかのように皮膚を撫でる。
 レイラジェは流れの中で上流の闇を見据えた。そこには闇が漂うだけでナジャルの姿がある訳ではない。
 だが、塊のような悪意がある。
 そこから流れ来る水が毒を帯び澱むように感じられる。
『そなたが今、ここに戻るとは』
 えも言われぬ喜色がざらつく声を彩る。
『喜ばしいことだ。海皇、三の鉾、三将軍、兵ども――他は全て喰らうのにそなただけ連れて行かぬでは、他の者達の不満となろうからなぁ』
 含み笑いが流れを染める。
『我が全てまとめて喰らい、そなた等の望む平穏の世を、我がもたらしてやろう。我が腹の中でゆるりと眺めていると良い』
『断る』
 レイラジェは一歩、水中を踏み出した。
『貴様を倒し、この先の恐怖を拭い去る』
 ナジャルの声――嗤い声が弾ける。
 水中が桶を揺さぶるように揺れた。
 漂っていた闇が形を作る。先ほどの海魔とはまた異なる姿へ――人の顔、鱗に覆われた上半身、そして下半身は蛸の触腕に似た吸盤を持つ十二本の脚を有する。
 海魔が数を増やしていく。瞬く間に数十体が二人の周囲を埋めた。
『貴様自身が出てきて戦わぬのか――本性は意外と小心ということか?』
 レイラジェの背後、三つの輪を作っていた矛が回転を始める。
『貴様の煽りは下手くそだ。すんとも反応していないぞ』
 ヴォダは剣を構えた。
『閣下!』
『イフェル、道を作る。貴様は兵の撤退の指揮を取れ』
 回転する矛の輪が、横倒しになり次々と矛を打ち出す。
 同時にヴォダは水中を蹴り動いた。
 レイラジェの矛――無数のそれを一つ一つ全て、緻密に操るその精神力、加えてその剣技。
『不快な男だ』
 昔からそうだった。
 全身に気を巡らせる。身を捉える痺れが失せる。
 ヴォダは剣を振り、下流の五体を一息に切り裂いた。
『イフェル!』
 声に打たれ、イフェルは下流に開いた空間へ、身を躍らせた。切り裂かれ崩れた海魔達の身体の間を抜ける。
 イフェルへと伸びた触腕にレイラジェの矛が突き立つ。
『ミュイルと合流し、門を死守しろ。我々も行く』
 イフェルは流れに残る二人の姿を一瞬だけ振り返り、海魔の姿に覆われた上流に背を向け、水中を突き進んだ。












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2021.4.11
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