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王の剣士 七

<第三部>

第九章『輝く青 3』

二十三




 シメノス下流域では南方軍が両岸に展開し、河面に西海軍二万が犇めいていた。
 彼等の上流から、高い岸壁に挟まれた河幅およそ九間(約27m)を埋め、闇が迫り来る。
 それは流れ降るにつれ、形を変える。
 奇しくも遥か上流、ボードヴィル南岸と同調するように、数十、数百に分かれたそれは四本の腕を持ち、剥き出しの上半身と二つの脚、長い魚の尾を持つ海魔の一軍だ。
 四本の腕にそれぞれ剣と槍を握り、一間近い巨躯が十体、横並びに列を重ね河幅を埋め尽くし押し寄せる姿に、西海兵達は恐怖に駆られ押されるようにより下流へと後退した。
『虚仮威しが――貴様の本体の方がまだしもだ』
 ヴォダが海馬で進み出る。
『閣下』
 麾下の大将等が五人、海馬と共にヴォダを中心に並んでいる。
『何をやっている!? 貴様等は兵と退け!』
『閣下だけに戦わせはしません』
『戦うだと? 阿呆が――』
 これはただの死だ。
 戦える相手ではないのだから。
 だがそもそも、どこまで退いたところでナジャルのあぎとを逃れることなどできないが。
『――好きにしろ』
 残り十間と迫った海魔達の波へ、左右の岸壁から鋼鉄の矢と光る矢――アレウス国法術士団の放つ光弾が降り注ぎ、突き立つ。身を撃ち抜く鉄と光の矢を掻い潜り擦り抜けた海魔が、ヴォダ達へと押し寄せる。
 ヴォダは海馬を駆り、剣を振り抜いた。
 三閃――先頭の一列が闇を撒き散らし倒れる。後続の海魔の足元に飲み込まれる。
 息を吐かず更に二閃。
 前列二列が崩れたことなど一切の痛痒も感じさせず、海魔の群れは倒れた仲間の躯を飲み込み踏み散らし、更に流れ降り、ヴォダ達を一呼吸の内に包んだ。
 四方から剣や槍が突き出し、ヴォダへと迫る。ヴォダは剣を閃かせ、周囲の五体を斬り倒すと同時に海馬の躯を跳ね上げた。
 海魔達の頭上高く跳ぶ。巡らせた視界に麾下の大将等の姿を探す。
 三人はまだ剣を振るっている姿を確認した。だが二人は既に無い。代わりに海魔達が群がり、何かを喰らっている。
『――ッ』
 激しく迫り上がる怒りを腹の奥に呑み込み、ヴォダの海馬は再び海魔達のただ中に降りた。
 閃いた剣が更に三体、同時に斬って落とす。
 後方から突き出した剣が右肩を掠め、左右から繰り出された槍が海馬の首と胴体を貫く。
 横倒しに倒れる海馬の背から、ヴォダは河面に降り立った。
 空から光弾が降る。ヴォダと麾下の三人の周囲を撃つ。
『幸い、アレウスは一時なりとも加勢の考えのようだ――』
 その為に、海魔の群れは後退した西海軍兵士達までは未だ至っていない。
 ヴォダは吐く息とともに河面を蹴り、海魔の中に切り込んだ。
 繰り出される剣、槍を弾き腕を断ち、踏み込むごとに海魔の喉を裂く。
 腕、脚、肩、脇腹――無数に繰り出される切先により、僅かずつ傷を重ねていく。
 血が滴り、海魔の血と入り混じり、シメノスの流れが運ぶ。
(いずれ海に戻るか――それもいい)
 左肩を槍が貫く。
 貫いた槍の柄を断ち、その先の海魔の身を縦に割る。
 二つに開いた身体の向こう、夜空に光の輪が浮かんでいた。
『何だ――』
 輪は宙に筆を走らせるように、自らの中心に向け光の模様を描いた。今回の戦いで何度となく目にしたアレウス国の法陣円だ。
 光の模様が輪の中を埋め尽くし、逆回転するように中心から輝きを増す。
 直後、飛竜が飛び出した。
 次々と、七騎。
 シメノスへと降下し、海魔の群れ――波をなぞる・・・ように降る。
 飛竜の背から迸る光に似た剣風が数十体の海魔を一息に切り裂き、飛竜は再び空へと駆け上がった。両岸から歓声が上がり、アレウス国の援軍だと判る。
 僅か七騎。だが戦況を変え得る七騎だ。
『俺が安堵するのもおかしな話か』
 ヴォダは繰り出され続ける剣と槍を躱し、弾き、切り裂く。
 海魔は半数、飛竜を追って塊となりシメノス岸壁の半ばまで立ち上がっている。
 その塊へと踏み込もうとした足が、膝の力を失いかけて一瞬沈んだ。
 身体が重い。十数箇所の傷口から身体の中心へ、痺れが進んでいくようだ。視線を走らせた腕の、目に付いた傷が黒く染まっている。
(ナジャルの闇の侵食――)
 後方下、ほぼ真後ろから首の裏目掛けて繰り出された槍に、ヴォダは一瞬気付かなかった。
 気付いた時、槍が貫いていたのは麾下のギルムの右胸だ。
 足元に崩れたギルムに、別の海魔が掴みかかり、引きずる。
『ギルム!』
 背後とギルムの上の海魔の首を刎ねた、直後、別の海魔の腕がヴォダの左手首を掴んだ。
『!』
 身を引かれ、ヴォダは身体ごとシメノスの河面に倒れた。
 身体が沈む。
 水中にも海魔が犇めいている。ぐるりと、十数体がヴォダを取り巻いた。
 ヴォダは手を掴む海魔の身体を断ち、水中で身を起こした。
 ゆっくりと肩を下ろし、手にした剣を握り直す。身体は次第に痺れが広がり、ひどく重い。
 既にほんの少し前までの動きもできなくなり始めているのが、自分自身でも解る。
 ヴォダの口元に凄惨な笑みが閃く。
『瞬速と呼ばれたこの俺を、水中で喰らえるか――。やってみろ』
 ヴォダの動いた後に海魔の断片が次々と浮かぶ。
 囲んだ十数体を瞬く間に切り裂き、更にその奥へと突っ込む。
 五体を続けて切り裂いた時、身体の重さが一段、増した。
 芯に覚えた痺れに身を斜めに傾がせた、直後、ヴォダの左腕――肘から先を剣が断った。
『――!』
 苦痛を噛み殺し、身を返し様に左腕を断った海魔を切り裂く。
 ヴォダの周囲を新たな海魔が埋める。
 失った左腕、肘先から流れ出る血が水中を染める。
 取り囲む海魔達の輪が血の匂いに触発され、歪んだ。
 剣を身体の左に提げて構え、ヴォダはやや両膝を落とした。
 これで、最後だ。
『――悪くはなかった』
 ナジャルのごく僅かなりとも削れたのだから。
 そしてそのことで、おそらくほんの一時なりと、兵達の命をながらえることができた。
 海魔の動きを牽制していた双眸が、水中の一点に気付き、腹立たしさを含んで見開かれた。
『何だと――』
 水中に新たに、数十の柄の短い矛が浮かんでいる。
 矛は三箇所に寄り集まり、円を描くように回転した。












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2021.4.4
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