二十二
青白い閃光が雷の如く地に突き立つ。
「始まった――」
ボードヴィル砦城城壁、そしてその前のサランセラムの丘に並び南岸を見つめる兵士達が、誰ともなく呟く。
「終わるのか……」
「終わるに決まってる。炎帝公がいて、アルジマール院長がいて、王の剣士がいる」
そしてあれほど、剣士達が戦いに参加しているのだから。
消し切れない不安、反面の勝利と終戦への期待は誰の胸にもあり、始まったばかりの戦いの行先を、息を呑んで見つめていた。
砦城の尖塔からもその光が見えた。
ファルシオンは彼にはまだ高い位置にある窓から、胸から上を乗り出すように手をつき、南岸の光を見つめた。
最後の戦いが始まったことを告げる光。
目の奥に光の余韻を刻み、それが長く残った。
「皆――」
首からかけた青い石を両手で握り、ファルシオンは身動ぎもせずじっと南岸へ視線を向けていた。
剣が空を断ち、青く爆ぜる火花を纏う。
白く鋭利な刃が地に立つナジャルの額を捉える。
(変化する――)
その感覚があった。これまで同様に。
レオアリスの剣はナジャルの影のみ切り裂き、地を深く断った。
大地から返る衝撃を利用して身を斜めに捻り、ナジャルから湧き起こった霧のような闇の中から、突き出した複数の闇の槍を躱す。
それぞれ異なる方向からだ。
「三体」
複数の気配が闇の向こうにある。
ぞくりと、肌が粟立った。
陥没した地面を避けて後方へ降り立ち、直後、突き出した闇を断つ。
空から二つ、夜の中に白い光の筋が地上に降りる。
風が鋭く、辺りを覆う闇を吹き払った。
プラドの剣だ。
カラヴィアスの剣が闇の塊を一つ、横薙ぎに切り裂く。
「削り続けろ」
レオアリス達の目の前には三体、闇とも人影ともつかないものがある。
(これは)
変化の最中だと解る。闇がほぐれながら周囲へ広がって行く。
ただ一瞬、本質がそこにあったように感じた。
三つの人影の、肌をやすりで擦られる感覚。
(あの影を斬れば――)
ナジャルは蛇体に戻るという確信がある。
だがもう変わった。
上手く言い表せないが、一瞬だけそこにあったものは既に遠くへ引いた。距離ではない、どこか。
踏み込み、自分の正面にいる影――抜け殻へ剣を薙ぐ。
カラヴィアスの剣とプラドの剣、二つが同時に斜めの軌道を描き、影を断つ。
三つの影は、三筋の剣光を身に受け、形を崩した。
ぼろぼろと、砂で作った人形が崩れる様を思わせ、闇が崩れ落ちる。
崩れ落ちた闇は黒々とした群れに変わり、地面を埋めた。
一つひとつが無数の脚を持つ、手のひら大の黒い蟲に変わっている。
地を這う脚が驟雨の音を立て魚群のように動く。這い上がった樹木が瞬く間に黒く枯れ、灰となって崩れる。
あれもまた、生命を吸うものだ。
三人を遠巻きに囲み、次の瞬間、四方から円を縮めるようにどっと押し寄せた。跳躍して逃れようとしても抜け出せない厚みがある。
(ハヤテ――)
飛竜を呼ぶよりも押し寄せる速度が速い。蟲の群れはあっという間に足元に迫った。
プラドが自らの足元への剣を打ち下ろし、押し寄せた蟲を吹き払うと同時に剣を水平に薙ぐ。
カラヴィアスがレオアリスの襟首を掴み、驚く間も無く地面を蹴った。
二人の身体が宙へ跳んだ直後、プラドの剣がそれまでいた空間ごと切り裂いた。風が蟲の群れを千々に切り裂き、吹き払う。
「一言くらい掛けろ、会話不全め」
カラヴィアスの手は既にレオアリスを放している。中空で身を捻り、熱を纏う右腕の剣を地面へと振り下ろす。
剣風がプラドの風と重なり、吹き千切られた蟲達がどろりと溶けた。
レオアリスは驚きと感嘆混じりに、再び現われた地面へと降りた。さきほど襟首を掴まれて一瞬締まった喉を撫でる。
「人のことは言えないと――」
(けど、何の調整もなく今の連携か)
戦いで積んだ経験が、レオアリスとは格段に違う。
視線の先、尽きない泉に似て蟲の群れが湧き起こる。
空を急速に埋め尽くす黒雲か、砂漠に湧き起こる砂塵の如く、無数の蟲達が視界を埋める。
一度払った程度では到底足りない。
「斬れ」
カラヴィアスの指先が背を押し、レオアリスは右手の剣を掬い上げるように薙いだ。
剣身を爆ぜた青い光が、一条の帯になって黒い群れを切り裂く。
プラドの剣が動き、薙ぐ。奔った風がレオアリスの青白い閃光を巻き込み、黒い群れの中を雷光が吹き荒れ、弾ける。
視界を埋め尽くしていた蟲の群れは、拭い去ったように消えた。
ほんの束の間の静寂に、カラヴィアスのうんざりした声が落ちる。
「ようやく落ち着ける。気味が悪かった」
思わずレオアリスはカラヴィアスを振り返ってしまった。
「何だ」
「――いえ」
到底そうは見えなかったのだが。どこまで軽口か本心か判らない。
カラヴィアスは双眸を細め、レオアリスを見返した。
「レオアリス。お前の戦い方はややまだ直線的だ。大物向きのな。力の乗せ方はそれでいいが、相手に合わせて戦い方を変えろ」
「はい」
再び、ナジャルの形態が変わる。たった今散らしたことなど嘘だったかのように、黒い闇が周囲を埋める。
闇は揺らぎ、今度は数千、数万の鼠になった。
全ての目が赤く光り中央に囲んだ三人へ向いている。
「また――どれだけ変わるんだ」
「初めに言っただろう。この戦いを終わらせるにはひたすら削り続けるしかないんだと」
カラヴィアスが傍らに立つ。プラドは二人に背を向け、後方の群れを見据えた。
「今はまだ、奴は遊んでいる状態だ。遊びながら我々を喰らおうとしている。とは言え栄養価の高い邪魔者だ、他より優先はするだろう。後はえらく地道な作業が続くが――」
カラヴィアスは右腕に顕した剣を揺らがせた。
続く言葉にレオアリスが視線を向ける。
「ナジャルが飽きる前に――我々の体力が尽きる前にか? 何にしても先ほどの三体――、もう一度あれに辿り着く必要がある」
三体、と、その言葉を問い返す前に、カラヴィアスは踏み込んだ。
剣が大気を鳴らして振り抜かれる。
大地の上を半円の波紋が広がる様に似て、熱波が疾る。
鼠の群れを、地面に敷いた布を捲るが如く、剥がし、飲み込み、その光の中に溶かす。
見渡す限りを埋めていた鼠の群れが、その一振りで拭い去ったように消える。同時に剣を走らせたプラドの前にも群れはなく、残った僅かな鼠達はその身体を自ら崩した。
また変わる。
「それがいい。疲れると言えば疲れるが、細かい群れは幾ら創っても意味がないからな」
そうカラヴィアスは言ったが、戦い方を選び違えれば、いや、レオアリス一人ではおそらく苦戦しただろう。
闇が再び広がり、あちこちで身を起こしていく。
「カラヴィアスさん、先ほど、三体と――」
カラヴィアスもまた、あの三体のことを口にした。
初めに現われた三つの姿だ。その存在に感じた、肌をざらつかせる感覚。
あれはナジャルの本体に近かったと、そう思える。
「お前も感じた通りのものだろうな。形にこそならなかったが、あれを引き出しかけたのは見事だ。この先追い込めば必ずあの三体が姿を顕す。それを斬ってようやく、本体に辿り着けるだろう」
三人の目の前で、闇は新たな形を創った。
これまでとは異なり、無数の群れではなく、一体一体が一間(約3m)近い体躯を持つ。
四本の腕を持ち、剥き出しの上半身と二つの脚、長い魚の尾を持つ海魔の姿だ。
三の鉾ゼーレィの人頭姫とも違い、面は魚頭、耳まで割れた口に鋭い牙が並んでいる。四本の腕にはそれぞれ剣と槍を握る。
その数は千を超え、三人を取り囲んだ。
「これはまた、削り易い奴が来た――」
カラヴィアス、そしてプラドが地面を蹴る。
「お前に合わせる。好きに戦え」
レオアリスへと視線を送り、海魔のただ中へ降りる。
二人の剣が海魔の中で揺れ、数十の海魔が一瞬で身を崩した。
レオアリスは二人とは別の方向へ、地面を蹴った。
剣が青白い光の筋を引き、疾る。
突き出される槍や切り下ろされる剣をそれごと断ち切り、レオアリスは海魔の群れに踏み込んだ。
|