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王の剣士 七

<第三部>

第九章『輝く青 3』

20


 
 ボードヴィル砦城上空に、直径五間(約15m)ほどの法陣円が身を縦にして浮かんでいる。
 夜の中に白く輝くそれは、その下、城壁の上にいる七人の法術士達が詠唱により急拵えで織り上げている転位陣だ。
 飛竜ごと、シメノス下流域へ跳ばす為のもの――下流域へ向かったナジャルを最速で追う手段としてのもので、組み上がるのに半刻ほどかかると見込まれていた。
(半刻は長い――)
 レオアリスは廊下を歩きながら窓を染める法陣円の光を見上げた。
 ナジャルよりも早くレオアリス達が下流域に跳べるか、ナジャルが先に下流域に現われた場合には南方軍がどれほど被害を抑えられるか、それが大きな懸念だった。
(レガージュへ退く訳にはいかない。あそこは要だ。それに今の状態でナジャルが海に戻れば、ただの独壇場になる)
 ナジャルはシメノス下流域で止め、削り、かつこのボードヴィルへ引き戻さなくてはならない。
(けどルベル・カリマとベンダバールの二人の協力が得られた。当初の想定よりはずっと可能性が高くなっているのは確かだ)
 自分自身の剣も戻り、そして感じる剣の力も増していた。
 ナジャルを削り、ボードヴィルへ戻し、アルジマールが敷く多重陣へ捉える。困難な道ではあっても可能だと思える。
(違う)
 可能にする。
「レオアリス!」
 大階段へ足をかけたところで声がかかり、広間の中ほどでレオアリスは振り返った。議場を出たアスタロトが駆けてくる。
 その表情に厳しいものがあることに気付き、一旦降りかけた階段を戻る。
「どうした」
「南岸から、もう一つ情報が入った。下流に向かったのはナジャルの一部――まだ本体は南岸に留まってる。本体って言っても、まだ蛇体は現わしてない状態だけど」
「本体が? なら――」
 動き方が変わる――いや、制限される。
「戦力が分断されるな」
 南岸と、下流とに。
 南岸にナジャルの『本体』が留まっている以上、戦力を下流に向ければボードヴィルの守りが薄くなる。
 下流の動きを止める為にレオアリス自身とルベル・カリマ、プラド達、そして後方支援としてアスタロトと、集中して動く予定だったがそれができない。
「配置を考えよう」
「うん。でも」
 アスタロトは声に力を込めた。
「ナジャル自身の力も今、二つに分かれてるって言っていいと思う」
「削りやすいかな」
「そうだよ」
 力強く頷いたアスタロトに頷き返し、レオアリスは再び大階段を降りた。
 一階の広間を横切り中庭への扉を開ける。
 ボードヴィル砦城の崩れた降騎場に代わり、中庭に飛竜が待機している。先ほどまでティエラが小さな花壇を眺めていた中庭は、俄かに喧騒に包まれていた。
 中央で翼を下ろしていた若い銀翼の飛竜が長い首を上げる。その青い瞳が中庭に現われた自らの主人を捉えた。
「ハヤテ――」
 レオアリスは一度空を見上げて上空の法陣円の状態を確認し、その白く輝く光に足元に影を落としながら銀翼に歩み寄ると、彼が伸ばした顎を撫ぜた。
「飛べるな?」
 そう声をかけ、双眸を細めた飛竜の傍らに立つ。視線の先、カラヴィアスが歩いて来る。ティルファングの姿と、トールゲイン達ルベル・カリマの剣士。
 その後からプラドとティエラが、自らの乗る柘榴の飛竜に歩み寄る。
 カラヴィアスだけが一人歩を進め、レオアリスの前に立った。
「私は以前お前に、何の為に剣を戻したいのかと聞いたな。剣が戻った以上その答えを見つけたのだろうが――」
 双眸がレオアリスを見つめる。
「そう考えていいな?」
「はい」
「良し」
 迷いなく返った肯定に短く頷き、カラヴィアスは破顔した。
「ならばもう一つ――」
 良く似た色の黒い瞳が、厳しさの中に柔らかさを灯す。
「お前は死なず、その目的の為に生きろ。そう考えることこそが勝利に繋がる」
「――はい」
 カラヴィアスがそう言うほどの厳しい戦いなのだと、改めて突き付けられたように思う。
 ただ、レオアリスは自分も含めて誰も、この戦いで失うつもりは無い。
 カラヴィアスとルベル・カリマの剣士達を見回す。
「ナジャルは必ず倒します。そしてルベル・カリマの皆さんは、氏族の元に戻っていただきます」
「ここにいる八人のことは気にしなくていい。まあティルファングには無茶をさせたくないが」
「僕は平気だ。そいつよりずっと歳上なんだから」
 ティルファングは頬をむっと膨らませたがカラヴィアスはただ笑っていなし、後方のプラドとティエラを振り返った。
「それから、ベンダバールのプラド。お前は来た時と同様、手ぶらで帰るんだな。その娘以外は」
「自分達を気にするなと言っておきながら、ずいぶんお節介なことだ、ルベル・カリマの長。だがそれは俺でも、貴方でもなく、レオアリスが決めることだ」
 眉一つ動かさず、プラドはカラヴィアスを見返した。
「もう一つ、ティエラのことならば当然、俺が守る」
 ティエラが瞳を見開いて隣に立つプラドを見上げ、左手を繋いでそっと握り締めた。握り返してはこなかったが、今はそれでいいと微笑む。
 レオアリスは上空を見上げ、法陣円の構成に目を凝らした。
 夜空に描かれた巨大な円盤は、相当遠方からもその光が見えるだろう。細かい紋様の一つ一つが発光しながら組み上げられている。
「ナジャルは下流に向かった一部と、南岸に留まった本体、二つに所在が分かれたようです。双方を抑える必要があり、我々も二つに分かれざるを得ません」
「そのようだ。元の場所から気配が消えていないからな。腹が減って捕食の為に、一部を切り離したとでもいう状態か。南岸の危険性は変わらず――つくづく厄介だ」
 カラヴィアスが視線を南方へ向ける。
「ボードヴィル守護の観点から行けば、二つを同時に叩かなくてはならないだろう」
「はい。ただ、ナジャルの力が分かれたのは好機でもあります。下流に向かった一部を確実に倒せば、その分ナジャルを削れる。その上で」
 レオアリスは一つ、息を吐いた。
 決意を込めてだ。
「本体を捕らえ、倒す」
「それがいい。下流には誰が行く?」
 カラヴィアスがレオアリスとアスタロトへと問う。
 アスタロトは一歩前へ出た。
「私が行く。ここには法術士団と法術士を置いておくし、アルジマールがいる。けど下流は後方支援が薄い。私が務める」
 レオアリス、それからルベル・カリマへと視線を向ける。
「レオアリスは本体を頼む。下流にはルベル・カリマの――五人はいてくれると助かる」
 カラヴィアスが頷き、背後を振り返る。
「トールゲイン。お前達七人で行け」
「しかし――それでは長、貴方の周囲が薄くなります。せめて二人、こちらに残したいと思いますが」
「問題ない。プラドと、それからレオアリス。三人の方が動きやすい」
「しかし」
「余り多くても互いの剣域が足枷になるだけだ」
「――」
 トールゲインは仲間達の意見を伺うように顔を見合わせたが、その上で頷いた。
「承知しました」
「ティルファング、それからティエラ。二人はこのボードヴィルの守護を」
 異議を唱えようとしたティルファングへ、「第三の動きが無いとは言い切れない」とカラヴィアスが釘を刺す。ティルファングは不承不承ながらも、踏み出した足を引いた。
 レオアリスが改めて全員を見回す。法陣円が組み上がればその段階で飛べる。
「できれば同時に動きたい。転位陣で下流へ跳び、合わせて南岸の俺達が動きます。下流域の目的はナジャルをある程度まで削った上で多重陣で捕らえ、跳ばす」
 上空の転位陣は、六割程度まで組み上がっている。
 あと四半刻――
 じりじりと皮膚を焦がすように、通常ならば僅かな四半刻がひどく長く感じられる。
 アスタロトもまた、同じように転位陣を見上げた。
「下流域にナジャルが到達したら、ケストナーの伝令使が来る手筈になってる。それが来てないからまだ、余裕はある」
 その口調もどこか、彼女の中にもある焦りを宥めるようだ。
「――ああ」
 まだケストナーからの報せが届かないようにと願う。
 息を吐きかけ――レオアリスは東棟へ顔を巡らせた。同時に扉が開く。
 そこに現われた姿を認め、レオアリスは膝をついた。
「殿下――」
 ファルシオンはセルファンを従えて中庭へと出て、彼等の前に立った。カラヴィアス、そしてルベル・カリマ――、プラドもまた、膝を落とす。
 慌ただしさに満ちていた中庭が、束の間静まり返った。一層、法術士達が重ねる詠唱の響きが耳に届く。
「ここで、見送らせてほしい」
 ファルシオンはそういい、中庭にいる一人一人へ視線を巡らせた。
「あらためて、カラヴィアス殿、それからトールゲイン殿」
 カロラス、エスト、バルギエルの名を呼ぶ。続けて、ジグムント、エリアス、クラディアスを。そしてティルファングと、ここにはいないレーヴァレインの名を。
 それぞれの名前が呼ばれたことにルベル・カリマの剣士達は驚きを面に昇らせ、顔を見合わせた。
「ルベル・カリマの方々に感謝します。それからベンダバールのお二人――プラド殿とティエラ殿にも」
 プラドは寡黙な面を崩していないが、ティエラは微笑みを浮かべ軽く顔を伏せた。
 ファルシオンが続ける。
「私も、自分ができるかぎりのことをします。ナジャルをここで倒すために」
 まだ小さな、膝をついた者達の頭を越すのがようやっとの背丈で、それでもファルシオンは彼等の前に立ち、彼等を戦いへと送り出す。
 その役割を誰も代わって担うことができない、そのことがファルシオン自身をどこか孤高にし、だが心底から支えるべき存在として、居並ぶ者達の心に落ちていた。
 束の間の静けさを、兵の緊張した声が破る。
「下流、ケストナー大将より急使――」
 城壁上からの声が緊張の中、落ちる。
「ナジャルの闇を、防御陣が捕らえたと」
 レオアリスは上空を見上げた。
 まだ法陣円は組み上がっていない。
(八割――)
 残り二割を組み上げるその僅かな時間に、ナジャルがどれほどの兵を喰らうか。
 ファルシオンに一礼し、立ち上がる。
「――先に、本体を叩きます。下流域の動きを阻害できるかもしれません」
 ハヤテの手綱を掴んだ時、ファルシオンとはまた違う幼さを含んだ声が遮った。
『僕が仕上げる』
 新たな声はアルジマールのものだ。姿は無く、声だけがその場に流れる。
『向こうに行く飛竜を上空へ』
「しかし多重陣は」
 アルジマールもまた力を割いている余裕などないはずだ。
 ナジャルを確実に捉えようとするのならば、尚更他へ振り向ける余地など無い。
『今は、下流域の兵の命が優先だ。ナジャルの腹を満たさせる訳にはいかない』
「――お願いします」
 そう言った瞬間、上空の法陣円が煌々と輝きを放った。
 既に完成していると判る。白い複雑な模様の向こうに空間が揺らいでいる。
 トールゲイン等ルベル・カリマの剣士達がカラヴィアスの前を過ぎ、飛竜で上空へ上がる。
 一呼吸の躊躇もなく、七騎の飛竜は次々と白い法陣円へと飛び込んでいく。
「レオアリス――戻れよ」
 アスタロトが一言そう告げ、自らも紅玉の飛竜に飛び乗ると上空、法陣円の前に上がった。その飛竜もまた、まるで厚みなど感じられない光の円の、その向こうへと消えた。
 法陣円が一際輝き、震える。
「レオアリス――みな」
 慌ただしさを増した中、ファルシオンが幼い声を張る。
「勝って、またここで」
 会おう、と。
 レオアリスは深く頭を伏せた。
「必ず――殿下の前に戻ります」
 そう言うとハヤテの手綱を掴んでその背に飛び乗る。ハヤテは銀色の翼をゆっくりと一つ打ち、同時に脚が地面を蹴り宙へ浮かんだ。風を掴み、更に上昇する。
 すぐに視界に南岸を捉える。
 既に夜の中に暗く沈んでいるが、上空から見据えればナジャルの存在がそこにあるのが判る。
 可能であればもう少し――アルジマールが多重陣を組み上げる為にも時間が欲しかった。
 カラヴィアスと、そしてプラドの乗る柘榴の飛竜が両側に並ぶ。
「行こうか」
 カラヴィアスの口元に浮かんだ笑みに、ほんの僅か緊張を解され、レオアリスは頷くとハヤテの手綱を繰った。









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2021.3.28
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