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王の剣士 七

<第三部>

第九章『輝く青 3』

十七



 太陽は低く傾き、西陽がボードヴィル砦城とサランセラムの丘陵を斜めに照らしている。
 カラヴィアスは城壁に張り出した広場の、腰高の壁にシメノス側へ片脚を下ろして座り、黒曜石に似た双眸を僅かに細め南岸を見据えた。
 ナジャルの気配は未だそこに留まっている。
 ただそれで終わる訳はなく、今のこのひと時がこれからの戦いの――熾烈な嵐の前の静けさに過ぎないことも、肌で理解していた。
(重い気配だ)
 世界がそこへ向かって傾き流れていくようにすら思える。
 ナジャルという存在は、あの地下の大空洞に座す存在と同じ、世界の原初の、定まらず濃く漂っていた力が形を成したようなものだ。
 生命と同義であり、死と同義であるもの。
(本来は、定命の身が手を出す相手ではないが)
 そもそもナジャルには、あの原初の竜オルゲンガルムのような理解可能な・・・・・ところが無い。
(あの竜は気の遠くなるほどの歳月を重ねながらも、未だ子供のような面を持っている。それを無邪気と評するのは可愛らしすぎるが――だから世界の破壊に興味が無い。しかしそういう意味では、ナジャルもまた変わらないのかもしれないな)
 在り方が違うだけ――
 ただ喰らうことに、何の大義名分も言い訳も無いだけだ。
 純粋に、そういう存在だというだけ。ごく自然なことだ。
 喰らうことに理由をつけるのは人くらいのものだろう。
「長」
 伴った氏族の一人、カロラスがカラヴィアスの正面に立つ。
 カラヴィアスの前には、七人、氏族の剣士達が集まっていた。いずれも男だ。里の八十名の内の十名。
 歳の頃は三十前後に見えるが、カラヴィアスと同様、或いはそれ以上に歳月を重ねている。
 経験豊富と言えば聞こえがいい。
 だが、年若い者、次代を産む女は意図して里に残した。氏族の存続の為、もう一つ、本来の自分達の役割の為。
 例え比較的理解可能な存在とは言え、原初の竜の監視こそルベル・カリマの本来の役割であり、その可能性・・・・・――今回のナジャルのように――を無視する訳にはいかない。
 カラヴィアスは顔ぶれを見回し、唇に笑みを浮かべた。
「カロラス、トールゲイン、エスト」
 年長の三人と、バルギエル、ジグムント、エリアス、クラディアスの四人。
「里のうるさ方が全員揃っているな。少しくらい残してきた方が良かったか」
「ほんのひと時羽根を伸ばさせる程度です。我々が戻ったらまた煩く言われると今からうんざりしているでしょう」
 カラヴィアスの補佐役であるトールゲインが笑って答える。
「そうは言っても魔獣狩りもまだ続いている。残念ながら羽目を外す時間は余り無いと思うぞ」
 最年長のエストが続ける。
 カラヴィアスは肩を竦めた。
「あえて時間を作ってこそだ」
「長の言い分だと大人しく待っていたらそれはそれで、何故羽目を外さなかったのだと叱責されそうですね」
 酷い話だ、と笑いが起こる。
 カラヴィアスは口の端を上げ、それから改めて七人を見回した。
「まあ自分達がうるさ方だからと言って、ここで退場する必要などない。とは言え長い生の中で、こうした機会を持つことは滅多にない。存分に戦え」
 それに、と付け加える。
「もし万が一、あの竜があの場に飽きた時の為の予行演習にもなるからな」
 カラヴィアスは彼等の向こうに視線を向けた。
 ティルファングがやや離れた場所で、両方の拳を身体の脇で握りしめ、じっと黙っている。
「ティルファング」
 呼ぶと、ティルファングは年長者達の間を抜け、尚も無言のままカラヴィアスの前に立った。
 改めて見れば幼いその顔、そして瞳を、カラヴィアスはやや長いと感じられるほど、見据えた。
「状況も変わったことだ、お前達は里に帰るか。お前達は若い。この戦いに命を張ることもないだろう」
 レーヴァレインの状態は思わしくなく、未だ回復が始まっていない。
 ティルファングは拳を握り、カラヴィアスの双眸を捉えた。
「――僕は、戦う。レーヴが回復しないのはナジャルが原因だ。ナジャルを倒して奴がレーヴから奪ったもの――今も奪っているものを取り戻す」
「なおさら、レーヴァレインはお前に帰れと言うんじゃないか?」
「そうだろうね。でも、逆の立場ならレーヴは僕の為に戦うって言うんだ。なら僕が戦ったって文句は言わせない」
 氏族の末っ子の顔を束の間見つめ、カラヴィアスは頷いた。
「ならばいい」






「ナジャルに動く気配があればすぐに出る。ハヤテがいつでも飛べるように準備を整えておいてくれ」
 ボードヴィル砦城は西、そしてシメノス沿いの南棟に破壊の痕跡もまだ生々しく、だが慌ただしさと活気に満ちていた。
 ファルシオンの部屋は西棟の三階から被害の無かった北棟、街側の三階に移し、警護を近衛師団で固めていた。
 基本ボードヴィルは守備を固め、戦いはナジャルの動きに合わせてボードヴィルのある北岸ではなく、南岸を戦場とすることを想定している。
 そして、アルジマールの敷設している多重陣によって捕らえ、跳ばす。
「承知しました」
 クライフが横を歩きながら頷く。レオアリスは自らの身体のうち――鳩尾へ束の間、意識を向けた。
 二振りの剣を取り出すのは、今は容易い。
「ファルシオン殿下は休息後、夕刻六刻の浄化にはこのボードヴィルから立ち会われる。城壁上は正規軍が整える手筈だが、ファルシオン殿下が上がる前に一度状態を確認しておいて欲しい」
「任せといてください。上将は――」
 レオアリスは隣のクライフへ向けていた顔を正面へ戻し、そして立ち止まった。
「上将?」
 廊下の先を歩いてくるのは、プラドだ。
 プラドもレオアリスに合わせ足を止めた。
「――レオアリス」
 一人だけで、ティエラの姿は無い。
 三間ほど開けた位置から、プラドはレオアリスをじっと見据えた。
「話ができるか」
 クライフが前に出る。
「こんな時なんで、すいませんが後に――」
 自分の肩を見る。レオアリスが左手を上げ、クライフの肩に置いている。
「大丈夫だ、クライフ。少し話をする」
 クライフはレオアリスの表情を見つめ、じゃあ、と頷いた。
「俺は、さっきの指示どおり準備します」
「頼む」
 クライフがレオアリスの傍を離れ、廊下の先に立つプラドの横を抜ける。通り抜けざまプラドの横顔へ視線を投げ、ただ何も口にせず、少し先にある階段へ曲がった。
 レオアリスはクライフの姿を追っていたが、瞳をプラドへ戻した。
「ここではなく、部屋で話をしましょう。俺の借りている部屋がすぐそこです。いいですか」
 プラドが是とも否とも言わないのを了承と取って歩き出す。廊下は左側が中庭に面し、右に扉がいくつか並んでいる。三つ先にある扉を開け、プラドを振り返った。
「こちらへ」
 寝台と机、椅子があるだけの簡素な部屋だ。
 椅子は一つしかない。寝台と椅子、どちらにプラドが座るのがいいか少し悩んでいる間にもプラドは狭い部屋へ踏み込み、真ん中あたりで振り返った。
「俺はお前がベンダバールに来ることを望んでいる」
 レオアリスは苦笑を覚え、そっと笑った。
 余りにも単刀直入だ。
「座りませんか」
「そこまで長い話ではない」
 苦笑がつい面に浮かぶ。
「でも、今の言葉に『わかりました』と言えるほど簡単なものでもないでしょう。少なくとも俺には――」
「簡単な話だ。氏族と共に在るか、この国にただ一人在るか」
 プラドは西陽が染める窓を背に、戸口に立つレオアリスを見据えた。室内は窓以外光源がなく、表情はやや見え難い。
「ナジャルを倒したら、この国にお前がいる必要があるのか」
「それは――そういうものじゃ」
「ナジャルを倒せば、この国が直面する危機はほぼ解消される。風竜は消え、黒竜も無い。地竜はミストラ山中深く潜ったまま、俺がいた当初からことりとも噂を聞かない。赤竜はルベル・カリマの範疇だが――」
 レオアリスは改めて、これまでの疑問を口にした。
「剣士の氏族は、四竜の監視役だったんですか」
 プラドが頷く。
「そうだ。その役割を担っていた」
「何故――」
「お前の剣の主、この国の王と我々のかつての長との取り決めだ。そう聞いている」
 レオアリスは瞳を見開き、胸の中から湧き起こる想いを抑えた。
「だが四竜の脅威は現状ほぼ無いと言っていい。ナジャルを倒せば北はヴィジャ、東はミストラ、そして南にアルケサスがあるこの国は、外敵の侵略を警戒する必要性は低い。そうなれば、俺達剣士の存在理由など無くなる」
 プラドの言葉は揺るぎない。
 それを彼が自らの存在意義と定めているからか。
「俺達は戦う為に存在する。剣を身に宿すこのいびつな存在に、それ以外の理由はあるか」
「――」
 レオアリスはプラドから視線を外し、一度、息を吐いた。
 プラドの言葉の意味は解る。
 剣士という存在――何故そんな存在があるのかと考えれば、プラドの言う通りなのだと思う。
 けれど、プラドの言葉を聞きながら、自分の想いはもう決まっていた。
 この半年、自分を見つめて、ようやく理解した。
「俺は、誰かを、何かを守る為に戦いたい。そう思っています」
 プラドを真っ直ぐに見つめる。
 西日に染まる窓を背にして、表情の見えにくい、その面。
 母と面差しは似ているのだろうかと、そう考える。
 それから、ふと、ここまで――深く険しいミストラ山脈をわざわざ越え、この国へ戻って来たプラドの心がどこに・・・あるのか、そのことに思い至った。
 彼は。
「……貴方が背負っているのは、貴方の後悔ですか。家族を置いてこの国を出た」
「――」
 違うかもしれないという思いは、虚を突かれたようなプラドの表情を見て、確かにそれが彼の心の一端にあるものだと、そう感じた。
 束の間、自分の中で言葉を探す。
「ええと――」
 上手く言葉を掴めるか、自信のないまま浮かんできた言葉を掴む。
「俺は――俺は、この国で生きてきて、幸せです。父さんと母さんがいた。じいちゃん――祖父達がいて、友人ができて、近衛師団に入ってみんなが俺を支えてくれて、それから、剣の主と会った」
 ひとつも後悔していない。
 そうでなければ良かったとは、ただのひとつも思っていない。
「祖父は、母さんは幸せそうだったと言っていました。とても」
 プラドの双眸を捉える。
「貴方が置いて出た――残ることを選んだ人達は、幸福だったと思います。たぶん、貴方と離れたこと以外は」
 この言葉を彼に言えるのが今、この国に自分一人なのは、寂しいことだと思う。
 それでもレオアリスは、笑みを浮かべた。
「だから安心してください」
「――」
 窓の外は次第に日が暮れかかっている。
 兵士達が忙しく動き回り、或いは束の間の休養を取り、この先の、最後の戦いに備えている。
 このひと時を大事だと、そう感じた。
 ややあってプラドは、息を吐いた。
「そうか」
 それだけを言い、レオアリスの横を抜け、部屋を出た。









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2021.3.21
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