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王の剣士 七

<第三部>

第九章『輝く青 3』

十四



 意識が明るい方に向かって浮き上がる。
 久しぶりにすごくよく寝たし、身体がとても軽い気がして、アスタロトは肩で息をしてごろりと身体の向きを変えた。
 柔らかい。全身を包むような柔らかさと温かさ。何だか判る。そう、寝台の上だ。
 日差しをまぶたに感じるから、たぶん昼。
 眩しさにごろりと体の向きを変え、両腕と脚をぴんと伸ばしてぐぐうっと伸びをした。それからまた暖かな寝具の中に丸まる。
「お昼寝、さいこう……」
「アスタロト」
「あとちょっと……、アーシア……」
「アーシアじゃないし目ぐらい開けろ」
「ええー……ヤダ。アーシアが起こしてくれなきゃ起きな……い……」
 アーシアでなければ誰だろう。
 この声。
 目を開き、ぱちぱちと瞬きし、次の瞬間アスタロトはがばっと飛び起きた。
「アスタロト様、まだそのような! 安静に――!」
 慌てているのは正規軍の法術士で、その横というか寝台脇に立っているのは
「――レオアリス……」
 レオアリスだ。
 驚きと、そこにいることへの喜びと、直後に気恥ずかしさが爆発しアスタロトは
「わーーーー!!!?」
 叫んで反対側の柱に飛び付いた。寝台の四隅に立っているあれだ。
 そのままずりずりと身体の位置を動かし、細い木の柱から寝台の向こう側に立つ相手を窺い見る。
「……」
「……え、それどういう心理の行動?」
 レオアリスが唖然としている。
 アスタロトはすとんと床に降りた。
「――レオアリス……?」
 もう一度その名前を呟いて、アスタロトは今度は寝台に跳び乗った。奇行――いや、貴婦人の行動でも正規軍将軍の行動でも公爵家当主としての行動でもなく敢えて言えば十八歳の少女らしい行動と言えなくもなくもないかもしれない。どうだろう。
 アスタロトは寝台の上でじっと、窓を背に立っているレオアリスを見つめた。
 顔が見える。今は。
 その顔はどこか、軽やかだ。
「レオアリス――お前」
 さまざまな想いが一息に湧き起こった。
 意識が途切れる直前。
「海皇――ファルシオン殿下は」
 青く爆ぜる光を纏わせた剣。
「――」
 は、と。それから、剣は、と。
 そう尋ねようとしたが言葉が出なかった。
 代わりにじわりと込み上げた涙を袖口で乱暴に拭う。
「お前――、戻ったんだな」
 戻った。
 まずは。
「アスタロト。悪かった」
 ぶれることなく届いた響きに、アスタロトは瞳を上げた。レオアリスは真っ直ぐ自分を見つめていて、けれどアスタロトだけではなく、色んなものをそこに見ている。
「俺はずっと、見なきゃいけないことを見てなかった。すぐそこに答えも、やるべきこともあったのに」
 視線の先で笑みを浮かべる。
「もう大丈夫だから」
 その響きが心の中に落ちて行き、ふわりと温度を上げながら、反面、何だか一歩先に行かれた気がして少し腹が立った。
 もう一度ぐいと涙を拭う。
「――お前の大丈夫は当てにならないんだけど」
「平気だって」
「いやほんと、そういう感じ。レオアリスはすぐ大丈夫だって言うんだよね。すごく信用ならない」
「信用ならないって――」
 すとんと床に降り、一歩引いたレオアリスの正面に立って腕を組む。
「ていうかレオアリスって、いつもだいたい自分の気持ちを抑えてるっていうか。悩んでた時は――そりゃやっぱ、もうあんな想いしてほしくないけど、でも、レオアリスが何に苦しんでるのか、それはわかった。だから別に、それはそれでいいんだよ。いいと思う。でも無茶し過ぎ」
「俺は別にそこまで無茶は」
「してるからね?! 自覚しろ?!」
「治るし。アスタロトと違って。深刻に無茶してるのはアスタロトだろう」
「自分がちょろっと治るからって、自分は怪我してないみたいに言うな!」
 びしりと指先を突きつけ、「そうだったそうだった、剣士って腹が立つんだった」、とアスタロトは深呼吸を三度ほど繰り返し、それからもう一つ、深く息を吐いた。
「――とにかく、良かった。剣、戻ったんだな?」
「戻った」
 頷く様子はとても自然だ。
 張り詰めていた――抜き身の剣を見つめていたような感覚は、今は無い。
 ただ、深く、そして確固とした力をその芯に感じた。
「良かった」
 本当に。
 改めてそう思うと、自分の中にも激しく揺らぐような炎を意識する。
 腕を下ろして両手を腰に当て、視線をレオアリスに据えた。
 あと少し。先が見えて来た。
「なら次は、ナジャルだな。今どこ。私もほとんど全快したし、早いとこナジャルを倒そう」
 レオアリスは頷き、「これから、王都と連動して軍議が始まる」とそう言った。






 ボードヴィルから遠く離れた王都は、戦場の張り詰めた空気とはまるで掛け離れ、十一月も後半の冷えた大気に包まれながらも、時間は穏やかに過ぎていた。
 街は半年前に比べれば人通りこそ少ないものの、商隊も動き始め、一時期の閑散とした状態からようやく抜け出し始めたところだ。
 遠く西の地で行われている戦いの勝利の報、そして終戦の報が届けば、回復の動きは一層加速する。王都の住民達には戦いの不安よりも、生活や商売の回復への期待の方が強かった。
 特に今回は、彼等の王太子ファルシオンが総大将として西方に赴いているのだ。
 まだ幼いファルシオンが戦場に赴くということを、王都の住民達の多くは、この戦いの勝利が確実だからこそだと、そう捉えていた。
 戦場の兵士達の感覚とはまた違った場所で、ファルシオンの存在が勝利への期待を高め、人々の不安を和らげる役割も果たしていたと言っていい。
 そして、戦いは早朝から始まりちょうど正午、ボードヴィル砦城及びシメノス戦闘域において、西海軍を退却せしめたという報が、街の各所を巡る正規軍兵士によりもたらされ、街は沸き返った。



 一方で王城、十四侯が把握する情報は、ボードヴィルからの伝令使により刻々と変化していた。
 城下へ伝えたシメノスの堰封鎖による西海軍撃退から、ナジャルの出現――
 アルジマールの敷設した多重陣の発動。ナジャルがそれらを擦り抜けたこと。
 ナジャルの吐き出した死者の軍との対峙。
 更に、三つの影の出現と、その動き。
 王城五階、謁見の間には早朝から十四侯が揃い、時折の出入りを挟みつつもほぼ全員がその場に留まり戦況の推移を注視していた。



『ナジャルが吐き出した三つ影の、内二つ、元西方公と海皇をかたどったものについて、消滅を確認』
 卓上に降り立った白頭鷲――タウゼンの伝令使が軋んだ声で告げる。
 張り詰めていた謁見の間の空気が、その報告を耳にして僅かに緩んだ。
 楕円の卓に座る十四侯――ゴドフリーやランゲ、ソーントンといった侯爵達が顔を見合わせ、それぞれに安堵の言葉を交わす。
 高窓から落ちる白い陽光も温度を上げたように思える。
 騒めきの中、ロットバルトは空席――ファルシオンの席の左右に座るベール、そしてスランザールと瞳を交わした。
「元西方公と海皇。ならばもう一つ――」
 その存在が有ったはずだ。
 元西方公、そして海皇だと呼ばれる存在を形取ったという報が上がった時、最も危惧したのはそのことだった。
 影が王を模ることを。
 スランザールもまた慎重にロットバルトへ視線を返し、白い眉の奥からタウゼンの伝令使を見つめた。
「今のところ、その情報は入っていないようじゃが」
 伝令使が数拍を空け、続ける。
『海皇の影を倒した際、レオアリス殿の剣が二振り、発現しています。無事、王太子殿下の御身をお守りしました』
 再びゴドフリーやソーントン等から感嘆の声が上がる。
 ファルシオンの名、無事を耳にした安堵と。
 タウゼンの伝令使は続けて状況を伝えて来る。
 ロットバルトは蒼い双眸を伝令使の、その奥――遥か先の西方の地を見透かすように据えた。






 崩れた大屋根や城壁の瓦礫を持ち上げ、手に手に渡し、運び出し、部屋の隅や廊下の隅に積み上げる。
 廊下を慌ただしく行き交う足音。
 兵達は忙しく働き回りながら、それでも口々に期待を交わし合った。
「きっと勝てる」
 あと少し――、倒すべき敵はもう、ナジャルだけだ。
 シメノスを遡上した西海軍を撃破し、死者の軍を止め、そしてナジャルが吐き出した影を消し去った。あと少し。
「南の剣士の、あの二人以外にも、助力があるらしい」
「ルベル・カリマってやつの、長とか、剣士が三、四人」
「剣士がそんなにいるって思わなかったな。それほど揃う戦場もないだろ」
「それに近衛の大将の剣、あれ見たか」
「みんな見てた」
 あの時、兵達のほとんどが城壁の上や城の窓近くにいて、中庭を見ていた。
 ファルシオンと、それを追う海皇、そして二人の間に立ったレオアリスを、彼等は目にしていた。
 二振りの剣が海皇を一瞬にして断ち、消し去ったのを。
 希望が湧いてくる。
「きっと終わる」
「勝てるよな」



 ワッツは歩きながら廊下で作業する兵達に声をかけた。
「一旦手を止めて取れる内に昼食を取れ。それから一刻、まずは寝とけ。この先俺達はボードヴィルの守護が主任務だ、体力をできる限り戻せよ」
 補給兵達が干し肉などの携行食、それから水の樽と気付け程度の葡萄酒の樽を中庭に引き出している。
 城内は活気が満ちていた。昨日、戦いが始まる前以上に活気があるようにさえ思える。
「やっぱ勝てるって思えりゃ意気も上がるな」
 ワッツの横を歩きながら、クライフは兵達が次々彼に向けてくる敬礼、視線と言葉へ、その都度首を巡らせた。
「鋼鉄だとか何とか、奴等やたら眼が輝いてっけど、お前何やったの」
「俺はなんもしてねぇ」
「いやいや、お前のなんもは俺達の斜め上だからな?」
「俺達って、どこに立ち位置持ってってんだ。お前に言われたかねぇな、棚に上がりやがって」
「俺結構普通よ?」
 心底心外だ、とクライフは呆れてワッツの厳つい顔を眺め、そして脚を止めた。
 二人が立ったのはボードヴィル砦城三階、中央棟にある広間だ。
 かつてイリヤとヴィルトールがそこに立ち、居並ぶ兵士達と『ミオスティリヤ』として顔を合わせた場所でもある。その時を知る者は、再編された今の西方第七大隊兵士達の間にも少ない。
 扉の左右に立つ近衛師団隊士が敬礼を向け、それから扉を押し開ける。廊下からゆるい風となり、広間へ空気が流れ込む。
 広間には縦長の楕円の卓が用意されていた。これから軍議が行われるのだ。
 王都と法術で繋ぎつつ、現状と、現戦力、それを確認した上で最後の作戦に移る。
「いよいよだな」
 とっくにもう、事態は自分達の手を離れていはいるが。
 戦いの終わりはもう近いと、ワッツも、クライフも肌で感じていた。










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2021.3.7
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