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王の剣士 七

<第三部>

第九章『輝く青 3』

十三


 ゴードンの西方軍本陣、そしてミラーの東方軍本陣はシメノス北岸からおよそ半里(約1.5Km)に陣を動かしていた。
 それぞれサランセラム丘陵に間百間(約300m)を挟み、細長い陣形の中央をやや厚くした陣形を取り三日月が向かい合うように布陣している。
 北岸から、敵を迎え撃ちつつ後退してくるゲイツやシスファンの部隊を吸収し、敵を囲い込む為だ。



「決定打に欠けるな」
 吐き出された一万の死者の軍との、戦闘開始からほぼ一刻。
 ミラーは本陣の丘に立ち、肉眼ではっきりと確認できるまでに迫った戦場を見据えた。
「西方、東方二つの本陣に囲い込んで挟撃をかけたとしてもあの数だ、そう簡単には終わらないだろう。その上で、剣や槍では動きは完全に止められない。法術によって広域に焼くには法術士が不足している」
 副将ホメイユは遠見筒から目を離し、眉を厳しく寄せた。
「泥沼の戦いになりそうですな」
「それを受け入れる以外にはないようだ。心配なのは体力よりもむしろ、兵達の精神だろう。ナジャルそのものが消えない限り戦い続けることになる」
 とはいえ、攻撃の手を止めれば呑み込まれる。
「ボードヴィルに委ねて吉報を待つのみだ」
 ミラーはそう言い、自らの騎馬へと足を向けた。
「閣下、あれを」
 ホメイユの声、その指差す方へ顔を上げる。
「救援――いや、伝令か?」
 北岸方向から、六騎、紅い鱗の飛竜が近付いて来る。六騎では救援とまでは言えないだろうとそう思ったが、近付くにつれ、それは伝令ではないと判った。
 一騎がミラーのいる本陣の丘へ、旋回しながら降り始めた。見上げる兵士達の間に騒めきが広がる。
 鱗の色が違う。正規軍の紅玉の飛竜ではなく、より深い紅、柘榴の鱗だ。体格も正規軍のものとは一回り大きい。
 その深く紅い鱗の飛竜がどこのものかに気付き、東方将軍ミラーは驚きを声に含めた。
 ほんの二十日ほど前、王都で見た種だ。
 王都で、ファルシオンとの面談の際に彼等は珍しい柘榴の飛竜を乗騎としていた。
「ルベル・カリマ――」
 西方軍の本陣へも一騎、降りた。





「本陣まで連れてくことだけに注力しろ! 足を狙え! 這って来る相手は動きが遅い、今は無視しろ!」
 ゲイツの声も、兵達には次第に虚しく響き始めている。疲労も深い。ゲイツも既に、剣を握る力が込め難くなり始めていた。盾はとっくに投げ捨てている。
 盾など要らない。ただ斬るだけだ。
 ナジャルが吐き出した死者の軍――かつての敵も、かつての同僚も、文字通り無造作に組み合わされた冒涜的なその姿に怒りを堪えつつ、ゲイツ等の部隊は攻撃を受けながらじりじりと後退した。後方、二つ先の左右の丘陵に二つの軍の本陣が布陣している。
「もう本陣はすぐそこだ! ここで踏み込み過ぎるな!」
 本陣と合流して、この状況が解消されるのか。ゲイツは何度目か奥歯を軋らせた。
 ナジャルの目的は、自分達を殺すことでも、疲弊させることでもないのではないか。
 ただ、この光景を見せ、その反応を楽しんでいるだけ――
 元アレウス兵も、西海兵も、海魔も、一緒くたにつぎはぎ・・・・にされた身体。胴を割っても首を飛ばしても歩き、脚を断てば腕で這う。そのおぞましさ。いたましさ。
 自らがその悍ましさを作り上げ、遺体を冒涜している感覚。
(兵達が、耐えられん――)
「ゲイツ!」
 はっとして声の方へ顔を向けた瞬間、目の前に槍の穂先があった。眉間に食い込む寸前で下から走った白銀の刃が穂先を断ち切り、弾き上げた。
 槍を突き出した敵兵――かつての部下と、かつての敵――の身体を、同じ白銀の刃が二つに断つ。
 ゲイツは黒い液体を撒き散らしながら倒れ、それでもまだ蠢く身体を見据えた後、すぐ正面へ視線を戻した。白銀の長戦斧がゆるく回転し、馬上の女の肩に戻る。
「シスファン。礼を言う」
「感情に流されるな、とは言わんさ。西方にはより堪えるだろう、この状況は。後少しだ」
 後少し、と言った頬に苦笑が混じる。シスファンも、本体と合流すればこの惨状が終わるとは考えていないと判る。軽装に近い、革と鎖帷子鎧で覆った身体は、黒く濁った返り血であちこち汚れている。
 ゲイツは頷いた。
「ああ」
 シスファンは騎馬を返しかけ、ふと顔を上げ瞳を細めた。
「飛竜――?」
 陽光に煌めく鱗の、六騎の飛竜が空から降下する。地上へ近付いた飛竜の背から、それぞれ人影が死者の軍の只中へ降りた。
 ゲイツとシスファンの近くへ一人。武具も身に付けていない、男だ。
 誰と問う前に、その手元から白く揺らぐ光が弧を描く。
 周囲の死者達の壁が崩れる。
「――剣士か」
 シスファンが驚きと感心を含んで言い、ゲイツはシスファンと彼等を見比べた。
「剣士? 近衛の……、いや、違うか」
 白く揺らぐ光は降り立った六人の右腕、或いは左手に顕れた剣の纏う光だ。揺らぎ、走る都度、死者の軍の一角がその場に崩れ――動きを止めた。
 正規軍兵達の間に驚きと、安堵の騒めきが初めは戸惑いがちに、そして急速に広がる。
 その声を背に、ゲイツは崩れた一角を睨んだ。
「死者の動きが――」
 何度断っても蠢くことをやめなかった死者が、倒れたままコトリとも動かない。
 肺の底に溜まっていた息を入れ替えるように吐き出した。
 剣を握ったまま強張っている手を、指を一本ずつ剥がすように開く。
「終わらせられるのか……」
 ようやく彼等を開放してやれる。
 後方、本陣から高く、長く、二度、喇叭の音が響く。退却の合図だ。
「有難い。交戦をやめて兵を本陣と合流させよう。ここは任せていいようだ」
 シスファンはそう言い、ゲイツの背を長戦斧の柄で軽く叩き、自らの部隊へと騎馬を巡らせた。
 束の間、ゲイツは死者の軍を見つめていたが、もう一度息を吐くとシスファンと反対へ騎馬を向けた。
 六箇所で白光が軌跡を描く都度、一万の死者の軍は僅かずつ、その蠢きを止め始めた。










 闇はその意識を、ゆっくりと辺りへ巡らせた。
 シメノスを挟んで北岸の死者の軍――吐き出した一万の欠片は、その数を減らしつつある。
 三つの闇の塊。それも消えた。
『想定外であった――』
 三つとも消えるとは。
 三つ目、アレウスの王の影によって彼の剣を呑み込むはずだった。力を半減させてはいたが、その剣も、溺れるほどの希望と悲嘆も、またと無い滋養だ。
 それからアレウスの王太子を。瑞々しく芳醇な香りを放つ存在。
 そして、海中とはまた異なる無数の命。
 あとは喰らうだけ。幾つかの存在を喰らい、戦場を喰らい、国を喰らい、地上を喰らい続ける。容易く喰らえる想定だった。
 だが今は剣は二振り、その存在を取り戻している。欠けていた力を。大気を伝う力の片鱗。
 現われた複数の剣の気配。砂漠にあった幾つかと、それから新たな二つ。
 炎のそれも程なく戻るだろう。
 アレウスの王太子の気配、その黄金の輝きは増している。
『何とも――』
 ナジャルは恍惚と双眸を細め、、舌舐めずりした。

『美味そうだ』











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2021.3.7
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